2007/05/04 - 2007/05/04
1018位(同エリア1077件中)
のださん
電車にゆられ、この街まで、会いに来ました足利。
本日も宿泊予定なので、計2泊ということですね。
足利に2泊というのは珍しいかどうか知らないが、たまにはゆったりとした観光も良いかなと思います。
今回は足利タウンホテルというところに宿泊していまして、まずはホテルから見て東側から回ってみます。
予報によると、今日もめっちゃ暑くなるそうです。
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長袖のYシャツを着て出てきたけど、すぐに汗が吹き出てきたから、ホテルに戻って、Tシャツだけで再び出てきました。
何なんだよこの暑さは。
足利の街を歩いていると、所々に孔子や相田みつを、田崎早雲らの言葉の掲示を見かけます。 -
まず向かった先は太平記館。
ここで観光案内をしているらしいので、何か情報は得られるでしょう。
また、レンタサイクルも行っています。
私は今日は借りません。
レンタサイクルは16時までだそうで、高い割にはかなり短いですね。
宇都宮とは大違いだ。 -
栃木に来る前に、地元のレンタルビデオ屋に「太平記」の総集編3巻組が置いてあったので、急いで観ておきました。
中に入ってみると・・・えっ、これだけ?
拍子抜けしました。
事前に観る必要もあまりなかったかな。
インフォメーションデスクにはいつもスタッフがいない。
たまにスタッフが来たかと思ったら、観光客が何か訊こうとすると、すっと奥に消えてしまう。
質問しようとした方も当然不満気でした。
観光案内を掲げている意味があるの? -
お土産はここで買えるみたいです。
デスクの前で待っていて、やっとスタッフが奥から出てきたから、2、3点まとめて質問しようとしたら、やる気のなさそうな回答。
1つ終わって、次の質問をしようと思ったら、何も言わずに奥に消えやがった!
何なんだこいつは?
観光案内所の類で、ここまでなめた対応をされたのは初めてです。
太平記館は、自転車を借りたり、お土産を買ったりしないのであれば、あまり来る価値もないかな。
大して情報も得られないし。
ただ、パンフレットの類は多く置いてあるので、それをもらっていけば十分でしょう。 -
太平記館前の歩道橋から足利学校の全体が見えるということなので、上がってみます。
全体、ってほどでもないな。 -
歩いていて気づきましたが、この界隈は「昌平町」と呼ぶらしいです。
まあその理由はおわかりですよね。
足利学校に入ります。 -
入場して、学校紹介のビデオがあるので、それを観ておきます。
10分くらいかな。
ゴールデンウィークだけあって人が多いです。
足利観光って結構マニアックなイメージがあったけど、そうでもないみたいです。
観終わると、孔子が出迎えてくれます。
でかいなあ。
湯島聖堂にある孔子像と同じくらいか?
私は知らなかったが、以前ふるさと創生計画なるものがあって、足利市では2体の像が建てられました。
一つはこの孔子像、もう一つは足利尊氏像、だそうです。 -
それでは、学校門をくぐって、学校を見学します。
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左手に見えてくるのは遺蹟図書館。
普通の図書館のように、書籍を読むことができるようです。
今日は、学校門をくぐる前にある稲荷社の特集(展示)を行っています。 -
遺蹟図書館前にある楷樹。
「ナンバンハゼ」とも呼ぶ、とあります。
儒学ゆかりの地に植えられたものです。
これは湯島聖堂にもありますね。 -
ちょっと進んでいき、歴代庠主の墓があります。
庠主というのは校長という意味です。
学校紹介のビデオを観ましたが、そのビデオを観る部屋がある建物にも、「庠主室」(PRESIDENT'S OFFICE)という部屋があります。 -
ちょっと戻って、杏壇門前にある字降松(かなふりまつ)。
読み方や意味がわからない言葉を紙に書いてこの松に結んでおくと、翌日にはふりがなや注釈が添えられていたことからこの名がついた、と伝えられています。
いやあ、インターネットのない時代にこれは便利ですね。 -
それでは、杏壇門をくぐっていきます。
杏壇というのは、孔子が弟子たちを指導していた場所に杏の木が植えられていたことからついた名ですね。 -
この場所全体を孔子廟(聖廟)といい、この建物を大成殿と呼びます。
内部では、中央に孔子像、右に足利学校創建者の可能性がある小野篁の像、左に徳川家康の神位などを安置しています。
家康は足利学校の衰退を嘆き、京都などに散乱している足利学校の書物を学校に返却させた、ということです。 -
「南庭園」が広がります。
築山泉水様式だそうで、素晴らしい眺めです。 -
日常生活で使用する台所や食堂などがあった「庫裡」では、歴史などの史料を拝見できます。
そこから、学生の講義や来客の座敷などとして使用された「方丈」へ入っていきます。 -
方丈から南庭園をしばらく眺めていたい気分です。
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「宥坐の器」は、「中庸」を説いたものです。
雍也第六「子曰、中庸之爲徳也、其至矣乎」(子曰く中庸の徳たるや其れ至れるかな、子がおっしゃった、中庸は徳としては最上だね)
ちなみに孔子の孫である子思は、「中庸」という書を記しています。
傾いている器に水を入れていき、ちょうどいいところで水平になる。
少なくても入れすぎても傾いてしまう。
つまり腹八分目が良いということですね。
先進第十一「子曰、過猶不及也」(子曰く、過ぎたるは猶お及ばざるがごとし)
私はちょっと違った論を持っていまして。
「過ぎたるは及ばざるよりなお悪し」
言いたいことは、まあわかってくださると思います。 -
徳川幕府歴代将軍の位牌。
第9代庠主・閑室元佶和尚は家康の信頼が厚く、その後も足利学校は幕府から特別の保護を受け続けたということです。 -
北庭園。
南庭園と同じく築山泉水ですが、奥にあるためこちらの方が格が高いそうです。 -
衆寮。
その名の通り学生たちの寮ですね。
こちらで写本したりしていたということです。 -
足利学校を再興させたと言われる上杉憲実の碑。
この人は「学規三条」を定め、教育の理念を提示しています。
おそらく違うでしょうが、憲実が創建したという説もあります。
学校の歴史が明らかになるのは憲実の時代からですし、可能性はわずかながら、といったところでしょうか。 -
学生たちが日常で使用していたのがこの「裏門」。
裏にないのになぜ裏門なのかはわかっていないそうです。 -
最後に、図書館でも特集されていた稲荷社を参拝します。
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今月のお言葉
「女は画れり」
いやあ、耳が痛い!
だからね、中庸が良いとおっしゃるから、その・・・ -
鑁阿寺の前の通りを「大日大門通り」と呼ぶそうで、ここからわかるのは、鑁阿寺の本尊は大日如来で、宗派は真言宗、ということですね。
鑁阿寺方向に向かっていくと、足利尊氏像。
ふるさと創生計画で、孔子像とともに足利尊氏像が建てられることになったとき、当然多くの反対の声が上がったそうです。
「足利尊氏がこの地で生まれたかどうかは疑いの余地がある」みたいな感じで。
結局尊氏はこの地には一度も来ていないという説が有力のようです。
しかし、室町幕府初代将軍という英雄ですし、銅像くらいは建てておくというのも良いのかな。
孔子も、来てはいないが儒学の祖ですしね。
まあ、でも、違和感は拭えませんよね。
ゴールデンウィークの特別措置なのか、この通りではボランティア(?)の方がパンフレットを配ったりして案内しています。 -
いしだたみを歩いていくと、目の前には鑁阿寺。
創建は足利義兼で、出家した後「鑁阿」と号したことからこの名がついたそうです。
義兼が足利学校を創建したとする説もあります。
この立派な門は「楼門(山門)」と言い、県の指定文化財だそうです。
今日は鑁阿寺春まつりというのが行われているようです。 -
露天商が多いという感じでしょうかね。
これをもって祭りなの?
あまり興味もないな。 -
真言宗ですので、やはり弘法大師像は外せません。
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大銀杏は、樹齢約550年だそうです。
避雷針の役目を果たした、とありますが、木が避雷針として機能するのか。
知らなかったな。 -
多宝塔。
同種の塔の中では最大だそうです。
奥に足利家の大位牌と徳川歴代将軍の位牌を祀っているそうです。 -
そして本堂。
境内を入ったところの案内板に、「単なる観光寺院と違うから、必ず本堂をお参りください」みたいなことが書かれていますが、その通りですよね。
ここに限らず、どれだけの人が真摯な気持ちで参拝しているのか、甚だ疑問です。 -
一切経堂、本尊は釈迦如来。
経堂には、足利歴代将軍の像が展示されており、400円払って入ることができます。
今日のようなお祭りの時期と、毎日曜日に入ることができる、ということだそうです。 -
騒音としか言えない音が聞こえてくると思ったら、ここの広場からですか。
祭りの一環として行われているようです。
お祭りとは言え、寺の境内ですので、することはよく吟味してもらいたいところです。
これが鑁阿寺春まつりとは情けない。 -
西門から出ます。
反対側の東門とともに、栃木県指定文化財だそうです。
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