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4月13日(金)<br /><br />パルミラの朝、スズメの声が聞こえる。窓を開けると小さな出窓になっていて、外が見える。<br />7時、食堂に行く。思わず歓声をあげる。お〜、憧れのパルミラ!目の前に遺跡が立ち並んでいる。かなり全体が見える。光の具合がいいので、とてもきれいだ。<br /><br />パルミラ(Palmyra)はシリア砂漠の中にある古代オアシス都市。現在名はタドモル。伝説によればソロモンによって建設されたという。砂漠を横断する隊商路のオアシスだったことから、BC1世紀ごろにはシルクロードの交易中継拠点となって栄えた。強力な弓兵隊は隊商路を警備する役目も果していた。<br /><br />パルミラは当時東西の巨大勢力であったローマとパルティアの緩衝地帯でもあり、双方の物資交流地として独立が保障されていた、が、17年ごろ、ローマに編入され、ローマ帝国の主要な都市国家になった。3世紀にはパルミラの首長オダエナトゥスは、パルティアに代わって優勢になったササン朝ペルシャを撃退し、ローマ皇帝から東方領の司令官の地位を与えられた。夫の死後、オダエナトゥスの妻ゼノビア(オダエナトゥスの第二夫人、夫を殺害したといわれている)は、息子をパルミラ王としてローマ帝国から独立を宣言。一時小アジア、エジプトを領土に加えたが、東方での攻勢がローマの反感をかい、273年、ローマのアウレリウス帝によって滅ぼされた。<br /><br />ゼノビアも捕らえられ、ローマで金の鎖につながれ市内引き回しされたが、チボリに土地を与えられ、平穏な余生を送った、という。女性の悪口はいいたくないが、女王だけのほほんと生きて、女王に従って滅ぼされたパルミア市民は浮かばれない。美貌のゼノビアは野心家であったようだ。<br /><br />8時45分出発。先ずはベル神殿へ。ベル神殿はベル神を祀った神殿。ベル神はバール神に近い。ワシの姿をした神である。ここパルミラには7人の神がいた。ベル神はその神のひとり。神殿内部は広い。コリント式の柱が立っている。動物用の入口があり、そこから動物達が入場、それを上から人々が見ていた、動物達は犠牲祭壇で抛られた。その肉は参加者達が食べたという。<br /><br />次に塔型のエラベルの墓を訪ねる。墳墓は塔になっていて、1階部分でサイドに細い棚が何段も作られている。そこに死者を板にのせて埋葬した。そしてふたに死者の肖像を彫ったものを置いた。塔式は貴族とか富裕層の墓が多い、親戚縁者、使用人に至るまで同じく埋葬された。ただし、身分の高いものは階上に、低いものは下に埋葬されたそうだ。<br /><br />次に行ったのが三兄弟の墓。三兄弟の墳墓は地下式墳墓。三つの部屋からなり一部屋には100の墓が出来ている。彼らはこの墓をレンタルにしたり、分譲したりしていたそうだ。レンタルは50年、その後は???パルミラが敗北するのは273年、それ以前の話だから、いつの世にも・・・である。<br /><br />墳墓見学の後、都市遺跡を見に行った。凱旋門からつづく列柱、そして4面門、被写体はいっぱいあるのだが、光が平面的になってしまいおもしろくない。でも二度と来ることは出来ないだろうと、さかんにシャッターを切っている。<br />柱はグラニートだ。アスワンから持ってきたものだそうだ。アスワンからナイル川を下ってきたのはわかるが、この内陸までどこから運んだのだろう。地中海沿岸からラクダや馬に引かせて、はるばるもたらされたものなのだろう。<br /><br />このパルミラには当時6万人もの住民がいた。ヤシの緑に包まれたオアシスだったのだろう。ローマによって滅ぼされ、砂に埋まっていた遺跡群、まだ40%ぐらいしか掘り出されていないそうだ。まだまだ眠っている遺跡がいずれ掘り起こされることだろう。<br /><br />バスに戻るとチョッキに何かついている。クモみたいだ。そっとのぞいて見ると緑色のお尻が薄緑のきれいな小さなクモだ。挨拶に来てくれたんだ、とめがねケースに入れ、空気が入るようにすこし空けておいて、レストランに着いたので庭に放してやろうとふたを開けるとクモの姿が見当たらない。あれ、逃げてしまったようだ、バスの中にいるのかな、死ななければいいけれど。<br /><br />遺跡の近くのレストランで食事をする。ベドウィン料理。大きなお皿にご飯がのりその上にヒツジの頭がのかっている。麦が美味しかった。<br /><br />パルミラ博物館へ行く。博物館の道向こうの店先につる下がっているもの、生のナツメヤシだ。あれ買って食べたい。<br />博物館にはかってパルミラの全体模型があった。ゼノビアの横顔を映したコインがあった。アレキサンダーのコインもあった。墳墓の棺などもあったし、ミイラも発見されていた。もっともここのミイラは必然的にミイラになってしまったような感じだ。エジプトの宗教的な仕方は違うように見受けられた。<br /><br />いったんホテルに戻り、一休みして、夕方アラブ城へ夕日を見にいった。<br />地平線には雲がたれこみ、夕日は期待薄。果たして雲の合間から赤い光が漏れるだけだった。アラブ城もパルミラ遺跡もライトアップされている。<br /><br />食事にソウメンが出た。添乗員さんが日本から持ってきて出してくれたものだった。レシピを渡して調理してもらったのだそうだ。口当たりがよくて、つるつると美味しく食べてしまったが、そういえば魚料理におしょうゆ、バスの中でおやつにもみじ饅頭やおせんべいのサービスがあった。添乗員さんに負担がかかるようなサービスはしなくてもいいのではないかと思う。それと絵葉書を一人3枚づつと切手も3枚づつくれた。もちろん私は使ってしまったが、使わない人もいた。もったいない。切手をくれるより、切手を買っておいて売ってくれた方がいい。今回の旅は切手を買うのに苦労したから。<br /><br />夜、部屋の壁にどこから来たのか大きなクモがいる。アシダカグモみたいだ。ベッドの上に乗り不安定な格好でクモを撮る。朝になったら、何とかして捕まえて外に逃がしてやろう。客に大騒ぎされ、殺されてはかわいそうだ。それにしてもしても居心地がいいらしくじっとしている。<br /><br />

ヨルダン・シリア15

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2007/04/13 - 2007/04/13

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buchijoyce

buchijoyceさん

4月13日(金)

パルミラの朝、スズメの声が聞こえる。窓を開けると小さな出窓になっていて、外が見える。
7時、食堂に行く。思わず歓声をあげる。お〜、憧れのパルミラ!目の前に遺跡が立ち並んでいる。かなり全体が見える。光の具合がいいので、とてもきれいだ。

パルミラ(Palmyra)はシリア砂漠の中にある古代オアシス都市。現在名はタドモル。伝説によればソロモンによって建設されたという。砂漠を横断する隊商路のオアシスだったことから、BC1世紀ごろにはシルクロードの交易中継拠点となって栄えた。強力な弓兵隊は隊商路を警備する役目も果していた。

パルミラは当時東西の巨大勢力であったローマとパルティアの緩衝地帯でもあり、双方の物資交流地として独立が保障されていた、が、17年ごろ、ローマに編入され、ローマ帝国の主要な都市国家になった。3世紀にはパルミラの首長オダエナトゥスは、パルティアに代わって優勢になったササン朝ペルシャを撃退し、ローマ皇帝から東方領の司令官の地位を与えられた。夫の死後、オダエナトゥスの妻ゼノビア(オダエナトゥスの第二夫人、夫を殺害したといわれている)は、息子をパルミラ王としてローマ帝国から独立を宣言。一時小アジア、エジプトを領土に加えたが、東方での攻勢がローマの反感をかい、273年、ローマのアウレリウス帝によって滅ぼされた。

ゼノビアも捕らえられ、ローマで金の鎖につながれ市内引き回しされたが、チボリに土地を与えられ、平穏な余生を送った、という。女性の悪口はいいたくないが、女王だけのほほんと生きて、女王に従って滅ぼされたパルミア市民は浮かばれない。美貌のゼノビアは野心家であったようだ。

8時45分出発。先ずはベル神殿へ。ベル神殿はベル神を祀った神殿。ベル神はバール神に近い。ワシの姿をした神である。ここパルミラには7人の神がいた。ベル神はその神のひとり。神殿内部は広い。コリント式の柱が立っている。動物用の入口があり、そこから動物達が入場、それを上から人々が見ていた、動物達は犠牲祭壇で抛られた。その肉は参加者達が食べたという。

次に塔型のエラベルの墓を訪ねる。墳墓は塔になっていて、1階部分でサイドに細い棚が何段も作られている。そこに死者を板にのせて埋葬した。そしてふたに死者の肖像を彫ったものを置いた。塔式は貴族とか富裕層の墓が多い、親戚縁者、使用人に至るまで同じく埋葬された。ただし、身分の高いものは階上に、低いものは下に埋葬されたそうだ。

次に行ったのが三兄弟の墓。三兄弟の墳墓は地下式墳墓。三つの部屋からなり一部屋には100の墓が出来ている。彼らはこの墓をレンタルにしたり、分譲したりしていたそうだ。レンタルは50年、その後は???パルミラが敗北するのは273年、それ以前の話だから、いつの世にも・・・である。

墳墓見学の後、都市遺跡を見に行った。凱旋門からつづく列柱、そして4面門、被写体はいっぱいあるのだが、光が平面的になってしまいおもしろくない。でも二度と来ることは出来ないだろうと、さかんにシャッターを切っている。
柱はグラニートだ。アスワンから持ってきたものだそうだ。アスワンからナイル川を下ってきたのはわかるが、この内陸までどこから運んだのだろう。地中海沿岸からラクダや馬に引かせて、はるばるもたらされたものなのだろう。

このパルミラには当時6万人もの住民がいた。ヤシの緑に包まれたオアシスだったのだろう。ローマによって滅ぼされ、砂に埋まっていた遺跡群、まだ40%ぐらいしか掘り出されていないそうだ。まだまだ眠っている遺跡がいずれ掘り起こされることだろう。

バスに戻るとチョッキに何かついている。クモみたいだ。そっとのぞいて見ると緑色のお尻が薄緑のきれいな小さなクモだ。挨拶に来てくれたんだ、とめがねケースに入れ、空気が入るようにすこし空けておいて、レストランに着いたので庭に放してやろうとふたを開けるとクモの姿が見当たらない。あれ、逃げてしまったようだ、バスの中にいるのかな、死ななければいいけれど。

遺跡の近くのレストランで食事をする。ベドウィン料理。大きなお皿にご飯がのりその上にヒツジの頭がのかっている。麦が美味しかった。

パルミラ博物館へ行く。博物館の道向こうの店先につる下がっているもの、生のナツメヤシだ。あれ買って食べたい。
博物館にはかってパルミラの全体模型があった。ゼノビアの横顔を映したコインがあった。アレキサンダーのコインもあった。墳墓の棺などもあったし、ミイラも発見されていた。もっともここのミイラは必然的にミイラになってしまったような感じだ。エジプトの宗教的な仕方は違うように見受けられた。

いったんホテルに戻り、一休みして、夕方アラブ城へ夕日を見にいった。
地平線には雲がたれこみ、夕日は期待薄。果たして雲の合間から赤い光が漏れるだけだった。アラブ城もパルミラ遺跡もライトアップされている。

食事にソウメンが出た。添乗員さんが日本から持ってきて出してくれたものだった。レシピを渡して調理してもらったのだそうだ。口当たりがよくて、つるつると美味しく食べてしまったが、そういえば魚料理におしょうゆ、バスの中でおやつにもみじ饅頭やおせんべいのサービスがあった。添乗員さんに負担がかかるようなサービスはしなくてもいいのではないかと思う。それと絵葉書を一人3枚づつと切手も3枚づつくれた。もちろん私は使ってしまったが、使わない人もいた。もったいない。切手をくれるより、切手を買っておいて売ってくれた方がいい。今回の旅は切手を買うのに苦労したから。

夜、部屋の壁にどこから来たのか大きなクモがいる。アシダカグモみたいだ。ベッドの上に乗り不安定な格好でクモを撮る。朝になったら、何とかして捕まえて外に逃がしてやろう。客に大騒ぎされ、殺されてはかわいそうだ。それにしてもしても居心地がいいらしくじっとしている。

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  • ベル神殿

    ベル神殿

  • 記念門。<br />中から写している。

    記念門。
    中から写している。

  • いつもにぎやかな生徒達と

    いつもにぎやかな生徒達と

  • エラベルの墓。(タワー式)

    エラベルの墓。(タワー式)

  • 若くて元気溌剌、チャーミングな添乗員さん

    若くて元気溌剌、チャーミングな添乗員さん

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