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栃木市は県南に位置し、かつては(1871〜1884年)栃木県庁が置かれた宿場町です。巴波(うずま)川舟運の終点として栄え、東武鉄道日光線と宇都宮線の分岐点にあたります。<br />町の人々の気風も良い意味での矜恃に満ちており、ゆとりが感じられる気がします。<br /><br />町の中心を流れる巴波川べりの風景は、明治・大正期の映画やドラマの舞台として、よく登場します。<br />「路傍の石」でおなじみの山本有三の出身地であり、「花物語」などの少女小説の作者吉屋信子が、女学校時代を送った町でもあります。<br /><br />

蔵の町 川べりの町 栃木

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2007/04/05 - 2007/04/05

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前日光

前日光さん

栃木市は県南に位置し、かつては(1871〜1884年)栃木県庁が置かれた宿場町です。巴波(うずま)川舟運の終点として栄え、東武鉄道日光線と宇都宮線の分岐点にあたります。
町の人々の気風も良い意味での矜恃に満ちており、ゆとりが感じられる気がします。

町の中心を流れる巴波川べりの風景は、明治・大正期の映画やドラマの舞台として、よく登場します。
「路傍の石」でおなじみの山本有三の出身地であり、「花物語」などの少女小説の作者吉屋信子が、女学校時代を送った町でもあります。

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  • 吉屋信子が、女学校時代を送った旧栃木高等女学校(現県立栃木女子高校)の桜です。<br />既に満開は過ぎていましたが、なかなか立派に咲き誇っています。明日(4月6日)は、入学式だそうです。満開の桜に迎えられて、第二の吉屋信子が現れることを期待したいものです。

    吉屋信子が、女学校時代を送った旧栃木高等女学校(現県立栃木女子高校)の桜です。
    既に満開は過ぎていましたが、なかなか立派に咲き誇っています。明日(4月6日)は、入学式だそうです。満開の桜に迎えられて、第二の吉屋信子が現れることを期待したいものです。

  • 町の西方向には太平山(おおひらさん)があり、周辺には風情のある寺社が散在しています。<br />これは大山寺(おおやまじ)という寺の「しだれ桜」のアップです。<br />一週間前が満開だったそうです。<br />期待して見に来た人々も、既に散ってしまった桜にがっかりしていました。<br />この桜は徳川3代将軍家光の側室で4代家綱の母、お楽の方がこの寺で養生中、家光をしのんで植えたと言われているもので、樹齢350年です。

    町の西方向には太平山(おおひらさん)があり、周辺には風情のある寺社が散在しています。
    これは大山寺(おおやまじ)という寺の「しだれ桜」のアップです。
    一週間前が満開だったそうです。
    期待して見に来た人々も、既に散ってしまった桜にがっかりしていました。
    この桜は徳川3代将軍家光の側室で4代家綱の母、お楽の方がこの寺で養生中、家光をしのんで植えたと言われているもので、樹齢350年です。

  • 大山寺の山門を入ると、すぐ左側に、急な石段があり、お堂が見えていました。真ん中に手すりがついていていかにも邪魔ですが、手すりが無いと登るのがかなりキツイのです。

    大山寺の山門を入ると、すぐ左側に、急な石段があり、お堂が見えていました。真ん中に手すりがついていていかにも邪魔ですが、手すりが無いと登るのがかなりキツイのです。

  • やっと登り切ると、このような彫刻を目にすることができます。<br />日光東照宮に非常によく似ています。

    やっと登り切ると、このような彫刻を目にすることができます。
    日光東照宮に非常によく似ています。

  • 以前に来たときは、このお堂に気づきませんでした。どのようないわれがあるのか調べてみましたが、もっかの所わかりません。<br />栃木市のことなら詳しそうな知り合いの方に尋ねてみましたが、どうも昔からあったものではないらしく、はっきりしませんでした。<br />最近観光に力を入れ始めたために、このようなお堂をつくったのではないか?とのことでした。<br />詳細をご存じの方は、ぜひ教えてください。

    以前に来たときは、このお堂に気づきませんでした。どのようないわれがあるのか調べてみましたが、もっかの所わかりません。
    栃木市のことなら詳しそうな知り合いの方に尋ねてみましたが、どうも昔からあったものではないらしく、はっきりしませんでした。
    最近観光に力を入れ始めたために、このようなお堂をつくったのではないか?とのことでした。
    詳細をご存じの方は、ぜひ教えてください。

  • お堂の裏側のしだれ桜も、こんなにみごとに咲いていました。

    お堂の裏側のしだれ桜も、こんなにみごとに咲いていました。

  • このしだれ桜のある場所から南の方を眺めると、眼下の「國學院大學付属栃木高校」の彼方に筑波山が見えます。拡大してみると、もっとはっきりすると思います。

    このしだれ桜のある場所から南の方を眺めると、眼下の「國學院大學付属栃木高校」の彼方に筑波山が見えます。拡大してみると、もっとはっきりすると思います。

  • 足下に目をやると、すみれの花もけなげに咲いていました(^-^)

    足下に目をやると、すみれの花もけなげに咲いていました(^-^)

  • 順序が逆になりましたが、これが大山寺の山門です。<br /><br />この寺は慈覚大師開基の古刹で、本尊は千手観音立像だそうです。<br />しだれ桜があまりに有名で、この観音様にはまだお目にかかっていません。 南無観世音菩薩

    順序が逆になりましたが、これが大山寺の山門です。

    この寺は慈覚大師開基の古刹で、本尊は千手観音立像だそうです。
    しだれ桜があまりに有名で、この観音様にはまだお目にかかっていません。 南無観世音菩薩

  • 町の中心に戻り、「幸來橋」のたもとにある「塚田歴史伝説館」へと向かいました。<br /><br />塚田家は、江戸後期から巴波川の舟運を活かし、木材回漕問屋を営んできた豪商で、巴波川沿いに120mに及び巡らされた黒塀と白壁土蔵は栃木市を代表する景観となっています。<br /><br />と解説にありました。

    町の中心に戻り、「幸來橋」のたもとにある「塚田歴史伝説館」へと向かいました。

    塚田家は、江戸後期から巴波川の舟運を活かし、木材回漕問屋を営んできた豪商で、巴波川沿いに120mに及び巡らされた黒塀と白壁土蔵は栃木市を代表する景観となっています。

    と解説にありました。

  • その塚田家の庭に咲いていた木瓜の花(だと思うのですが?植物オンチなので)<br /><br />きれいでしたよ。<br /><br />

    その塚田家の庭に咲いていた木瓜の花(だと思うのですが?植物オンチなので)

    きれいでしたよ。

  • 庭園には「水琴窟」もありました。<br />写真左の竹筒に耳をあてると、とてもさわやかな音が聞こえてきました。<br />そういえば栃木市には、庭に水琴窟のある家がけっこう多いと聞いています。

    庭園には「水琴窟」もありました。
    写真左の竹筒に耳をあてると、とてもさわやかな音が聞こえてきました。
    そういえば栃木市には、庭に水琴窟のある家がけっこう多いと聞いています。

  • 立派な松もありました。

    立派な松もありました。

  • 塚田家の外に出ると、ついつい撮ってしまうこの景観です。<br />それにしても絵になる風景ですよねぇ(^O^)

    塚田家の外に出ると、ついつい撮ってしまうこの景観です。
    それにしても絵になる風景ですよねぇ(^O^)

  • 橋の向こうの方には、まだ桜が咲いていました。<br />2,3日前だったらもっときれいだったことでしょう。

    橋の向こうの方には、まだ桜が咲いていました。
    2,3日前だったらもっときれいだったことでしょう。

  • もう少しすると、この柳が青く葉をつけて風になびき、すばらしい風情が出てくるのですが・・・

    もう少しすると、この柳が青く葉をつけて風になびき、すばらしい風情が出てくるのですが・・・

  • さっきは南側の方角にカメラを向けましたが、今度は反対の北側に視点を移してみました。<br />この角度も悪くないですね。

    さっきは南側の方角にカメラを向けましたが、今度は反対の北側に視点を移してみました。
    この角度も悪くないですね。

  • ふと後ろを振り返ってみたら、狭い一角に「吉屋信子生誕110年記念」の碑がありました。<br />昨年(2006年)、この碑が建てられました。<br />話は聞いていたのですが、見るのは初めてでした。<br /><br />「秋 灯(あきともし)<br />  机 の 上 の<br /> 幾 山 河」<br /><br />とあります。

    ふと後ろを振り返ってみたら、狭い一角に「吉屋信子生誕110年記念」の碑がありました。
    昨年(2006年)、この碑が建てられました。
    話は聞いていたのですが、見るのは初めてでした。

    「秋 灯(あきともし)
      机 の 上 の
     幾 山 河」

    とあります。

  • 「栃木瓦」も同じ場所に展示されていました。<br /><br />栃木瓦の歴史は江戸時代にさかのぼり、一時はかなり隆盛を極めたそうです。<br />鬼瓦は住まいを守る守護神です。<br />これはたぶん菊水化粧鬼瓦と呼ばれるもので、主に玄関に用いられたということです。

    「栃木瓦」も同じ場所に展示されていました。

    栃木瓦の歴史は江戸時代にさかのぼり、一時はかなり隆盛を極めたそうです。
    鬼瓦は住まいを守る守護神です。
    これはたぶん菊水化粧鬼瓦と呼ばれるもので、主に玄関に用いられたということです。

  • これは大棟(おおむね)に使用する鬼面付き鬼瓦です。<br /><br />巴波川の氾濫で、たびたび家屋流失の害を受けていた人々は、住まいを守ってほしいという気持ちが強かったので、このような守護神を棟に飾ったのでしょうか?

    これは大棟(おおむね)に使用する鬼面付き鬼瓦です。

    巴波川の氾濫で、たびたび家屋流失の害を受けていた人々は、住まいを守ってほしいという気持ちが強かったので、このような守護神を棟に飾ったのでしょうか?

  • 吉屋信子の碑の傍に咲いていた椿の花です。<br />

    吉屋信子の碑の傍に咲いていた椿の花です。

  • この一角の入り口には、吉屋信子著の「おもいでの町 栃木」より、次のように書かれていました。<br /><br />この町の中を<br />巴波川という河が流れていた<br />その水の流れが<br />この小さなさびしい地方町に<br />うるおいと<br />風情を与えていた<br /><br />

    この一角の入り口には、吉屋信子著の「おもいでの町 栃木」より、次のように書かれていました。

    この町の中を
    巴波川という河が流れていた
    その水の流れが
    この小さなさびしい地方町に
    うるおいと
    風情を与えていた

  • 「幸來橋(こうらいばし)」から北の方を見ると、レトロな感じの写真屋さんとお寿司やさんがありました。<br />町の雰囲気にとけ込んでいます。

    「幸來橋(こうらいばし)」から北の方を見ると、レトロな感じの写真屋さんとお寿司やさんがありました。
    町の雰囲気にとけ込んでいます。

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