2007/04/15 - 2007/04/15
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Elliott-7さん
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豊後・大分県の日田は天領(幕府の直轄地)としてよく知られていますが、市街には古い町並みや土塀が残っており、夏には鵜飼いがおこなわれ情緒があふれているので九州の小京都とも呼ばれています。
ここ日田には三大私塾(萩の松下村塾・大阪の適塾・日田の咸宜園)の一つである、咸宜園(かんぎえん)があったことでもよく知られています。
咸宜園(かんぎえん)は広瀬淡窓(ひろせたんそう)が開いた私塾で、最初は桂林荘と呼ばれていましたが後に咸宜園(かんぎえん)と言われるようになりました。
広瀬淡窓という人物を研究している関係で、どうしても一度は豊後日田に行ってみたいと思っていたものですからその念願が叶いました。日田は九州の小京都と言われるだけあって、大勢の観光客で賑わっていました。
日田は周囲を山に囲まれた典型的な“盆地”で、周りから多くの河川が流れ込み“水郷”にもなっており、大変質の良い水に恵まれ“日田の天領水”として全国的にその名も知れ渡っているのです。
またこの地域は降水量が多いので、杉やヒノキの生育が早く昔から“林業”が盛んなところでもあるのです。
広瀬淡窓はここ日田で生まれ、咸宜園(かんぎえん)という私塾を開き多くの門下生を育てたことで有名なのですが、少しむつかしい話になって恐縮ですが・・
彼の有名な句に「桂林荘雑詠 諸生に示す」というのがあります。
休道他郷多苦辛
道うことを休めよ他郷苦辛多しと(他郷へ出ての勉学はつらい等というものではない)
同袍有友自相親
同袍友有り自ずから相親しむ(着物を共にする友達ができ、仲良く暮らせるからだ)
柴扉暁出霜如雪
柴扉暁に出ずれば霜雪の如し(朝早く柴の扉を開いて外に出れば、雪のように霜が降りて冷たい)
君汲川流我拾薪
君は川流を汲め我は薪を拾わん(さあ朝げの支度だ。君は川に水をくみに行け、俺はまきをとりに行くから)
実はこの漢詩から広瀬淡窓に出会ったのです。そういう訳で、豊後日田にはどうしても行ってみたいと思ったのです。
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広瀬淡窓の生家です。この隣に広瀬資料館があります。
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広瀬淡窓(広瀬淡窓)の生家です。
広瀬家は、武田信玄の家臣であった広瀬郷左衛門の末裔にあたると言われている。 -
広瀬資料館の正面、入館料一人350円也
館内には大きな雛壇がセットされていました。
日田はお雛様の飾りでも有名なのです。 -
広瀬資料館・2号館。蔵を改造して資料館になっていました。一階と二階に広瀬家の物が陳列展示されていました。
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広瀬資料館の一部です。
旧家の名残があります。 -
これも土蔵ですが、入館できません。
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広瀬家は掛屋(かけや)を営んでいました。掛屋とは、天領からあがってくる税金(公金)を専門に取り扱うところで、今の日銀のようなものだったようです。(資料から)
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日田の商人は、豊(大分県)・肥(熊本県)・筑(福岡県)の各地から、米・菜種・紙・たばこなどの物産を日田に集め、中津から船で上方へ運び、戻りの船で綿などを積んで帰り、これらを各地へ販売する商いをやって次第に富を蓄積していったそうです。(資料から)
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日田・豆田地区の街並みです。
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これも日田・豆田地区の街並みです。
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日田・豆田地区の街並みです。
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日田・豆田地区の街並みです。
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日田・豆田地区の街並みです。
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日田・豆田地区の街並みです。
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日田・豆田地区の街並みです。
食べ物・グッズ・衣類などいろんなおみやげ物を売っています。
欲しくなるものが沢山あるので、皆さん買わずにはおれません。 -
街中に”天領日田資料館”がありました。
天領とは・・・・
江戸幕府の直轄領をいうのですが、元々は、明治初期に旧幕府直轄領が天皇の御料(直轄領)になったときに天領と呼ばれるようになったため、さかのぼって幕府時代のものも天領と呼ぶようになったもので、江戸時代に使われていた用語ではないのです。
・・・参考までに・・・ -
いよいよ、咸宜園(かんぎえん)の説明に入りましょう。
豆田地区から少し離れたところに、史跡・咸宜園(かんぎえん)跡があります。この史跡は、昭和7年7月に国に指定されました。
今は秋風庵(しゅんぷうあん)と呼ばれる居宅が残されています。 -
咸宜園(かんぎえん)は大きく分ければ西塾と東塾の二棟から成っていたようです。
その説明板が、秋風庵正面にありました。
これが西塾の全景です。 -
こちらが東塾の全景写真です。
これらの写真から咸宜園(かんぎえん)の規模はかなり大きかったことが伺えます。
道をはさんで西にあったのが西塾で東に東塾がありました。このほか、講堂・遠思楼などもありかなりの規模だったようです。 -
門を入ると”秋風庵”があります。
淡窓の伯父で俳人として有名な広瀬月化が天明元年(1781年)別家して建てた居宅です。 -
秋風庵は芭蕉の句
”あかあかと日はつれなくも秋の風”からとったそうです。
老朽化したため。平成6年に解体修理を行い、江戸末期の姿に復元されたそうです。 -
淡窓は文化2年(1805年)に24歳のときに塾を開いたのです。
最初は桂林荘という名で塾舎を開いたのですが、後に秋風庵の西側に塾を移し、咸宜園(かんぎえん)と名付けたのです。 -
咸宜園(かんぎえん)というのは、詩経の玄鳥よりとった言葉で、「みなよろしい」という意味があるそうです。
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秋風庵の様子です。
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これも秋風庵の内部の様子です。
ふすまには、門下生の名前が書かれてありました。
咸宜園の主な門下生には、
高野長英・・江戸時代後期の医者・蘭学者である。江戸幕府の異国船打払令を批判し開国を説くが、弾圧を
受け、それを見ることなく亡くなっています。
大村益次郎・・、江戸時代後期の幕末から明治初頭に活躍した陸軍指導者です。日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされています。靖国神社に彼の銅像があります。
長三洲・・明治の学制に貢献した。
上野彦馬・・幕末期から明治時代にかけて活躍した日本における最初期の写真家として知られる人物。坂本竜馬の写真を最初に撮ったことでよく知られている。
横田国臣・・大審院長、今の最高裁長官 -
この日は地元テレビ局のスタッフが秋風庵の取材にきていました。
咸宜園で学んだ門下生は、全国からやってきて明治30年に閉塾されるまでおよそ4800人もいたそうです。 -
豆田に戻り、川のそばにある”薫長酒造”まで行ってみました。
お酒の好きな方は是非訪ねてみましょう。
酒蔵を自由に見学することができ、試飲することもできます。
ここでは自家製のおいしいアイスクリームも売っており、女性に人気があるようです。
午後4時に閉館しますから遅れないように行きましょう。
正面には醸造元なら必ず目にする大きな”杉玉”がありました。最初は青々とした緑の杉の葉が、歳月によってこのように枯れてくるのです。
杉玉が大きいほど、醸造元の”格”も高くなるのです。 -
薫長酒造(くんちょうしゅぞう)の内部です。
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自由に試飲することができます。
車を運転する人は飲ましてくれませんよ。 -
代々続いた格式ある醸造元であることが伺えます。
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薫長酒造資料館です。時間があればゆっくり見学させてもらいましょう。
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薫長酒造さんが扱っている、お酒が展示即売されています。
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日田の家々には、このようなものが表玄関の軒先に飾りつけられていました。
お正月に飾る注連縄(しめなわ)のような役割があるのでしょうか?
日田の方ならご存知でしょうね。残念ですがよそ者の私にはわかりませんでした。 -
これもそうです。
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これもそうです。
この飾りつけの意味がわかりました。日田市役所で尋ねてみましたら、”魔除け”だそうです。
毎年、7月20日過ぎの土・日曜日に、日田祇園祭が開かれるそうです。このお祭りは、国の重要無形民俗文化財に指定されており、日田の夏を彩る風物詩になっているといわれています。
この祭りが終わった後も(早くから飾っている)、各家々の軒先にこのような”魔除け”を飾りつけるのが習慣になっているそうです。
菖蒲のようです。
天領日田そして広田淡窓は終わりです。
参考資料は、パンフレットや案内書から抜粋させてもらいました。 -
日田市内の民家の側を流れる清らかな水・・・
日田は”天領水”としても有名なのです。
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