2005/09/04 - 2005/09/11
117位(同エリア121件中)
コマエさん
前日の台風が嘘だったかのように晴れた広島。
予定を全部変更して島根県の祖父母のもとへ行こうとするも、浜田行きの高速バスは台風で道が不通になったため運休。
ともかくひとまず新幹線で新山口へ行くことに。広島→新山口、というたった35分ほどしか乗らない新幹線の一駅区間なのに、つい指定席特急券を購入。頭がどうかしてた…。
祖父母と合流後は、焦っていた山陽とは一転、のんびり山陰ライフを満喫しました。
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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新山口駅からまず車で向かった先は萩。
こちらは吉田松陰が幽閉された家。だいぶ小さいので、外に出られないとなると息が詰まりそうだなあ。 -
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。毛利氏分家のお屋敷。
よく昔の裕福な農家や武家屋敷で、全部のふすまを開ければ家の向こう側まで見通せるような開放的な家がありますが、これはもっと閉鎖的な感じがしました。 -
仲間部屋。
使用人の部屋で、祖母によれば彼らは大変な暮らしをしていたとか(まるで見てきたように言うなあ…)。 -
萩城全景の模型。
山の頂上にある建物が天守閣と思いきや、それは陸海監視用の「詰丸」という望楼だそう。
平地で一番目立っている建物が天守閣のようです。 -
萩城跡へは、石積みの塀を通り抜けて行きます。
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萩城跡内、入場料を払ってから歩いてみます。
これは神社だとばかり思っていましたが、あとで資料を読むと茶室だとか庵とかである可能性も。 -
指月山へ登る道。神社や詰丸に通じるのでしょうか。
実際は写真よりももっと鬱蒼としてて怖い感じでした。ひとりなら絶対に登っていました(矛盾しているようだけど)。 -
萩城天守閣跡。
周りよりもほんの少し高くしてあるだけの場所にあり、城といえば小高い丘や山の上にあるものだとばかり思っていたので驚いたー。
それにお堀に突き出しているような立地です。 -
指月山を望む。手前の鳥居は、明治のもの。
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萩城を後にします。再び迷路のような石の壁をくねくね通り抜けます。くねった道は、敵の侵略を防ぎやすくするためかも。
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橋を渡って萩を出ました。
いったん外に出ると、萩は海でくぎられている島みたいな場所なんだな、という気持ちになります。 -
池には何故だかトビが沢山いました。ヒッチコックの「鳥」さながらでした。
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車で萩から島根県益田市に向かって、山陰の沿岸を走ります。
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ひたすら走ります。
日本海沿いを走る景色のいい道ですが、前日の台風の名残で天気晴朗なれども浪高しでした。ところどころ道にまで波がかかる場所があります。 -
益田市を見下ろす。石見空港とは反対方向です。
殿様のお墓がある山から撮った一枚。写真右手に写っている、町の向こうにある低い山に益田城がありました。 -
JR山陰本線。本数は物凄く少なく、1時間に1本もない時があります。その割にはよく踏み切りの音が響いてくるんだよね〜不思議。
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翌9月8日には浜田へお墓参りに。
この建物はしょうゆ工場。ここのしょうゆは物凄くおいしいです。特にお刺身はこのしょうゆじゃないともったいない!料理屋さんに行く時にも携帯したくなります(なんだかCMのようですが実際おいしいです)。 -
浜田の町。島根県の山口県寄りに位置する海に面した漁港の町です。
海の風に負けないようぎっしり家が立ち並ぶ、港町独特の町並み。 -
護国神社に向けて坂を登っていると、下の方には城跡の石が。
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護国神社。坂を登りきったところ。
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なんと「死んでもラッパを放しませんでした」の木口小平氏の像がありました!戦中に突撃合図のラッパを吹いていた人で、弾に当たって死んだ時もラッパを話さず使命を果たした立派な人、という美談になった人です。
まさか実在で浜田連隊所属だったとは!軍事教育の一環として書かれたフィクションだと思ってたよ!本当にびっくりした。
浜田出身の祖母によると、浜田連隊は「またまた勝ったか21連隊」と言われるほど強い連隊だったそうです。話を聞いてると戦争って嫌だなあとしみじみ思います。 -
道の駅から撮った浜田の港。
島に橋がかかって、便利にはなったけど島ではなくなったねー、と祖母は言っていました。
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