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霧島温泉郷から今日は指宿温泉に移動する。<br /><br />国道223号線を南下し、東九州道の隼人東ICから高速道路に入った。<br /><br />加治木ICからは九州自動車道をひた走り、鹿児島ICから、指宿スカイラインに突入した。<br /><br />途中のサービスエリアの売店に 『二郎さん』がいたが、飾り物だった。<br /><br />途中、錦江台展望公園(スカイぱれっと)があったので立ち寄ることにした。駐車場から、つり橋をわたるり階段を上ると、左手に桜島が見える。すこしガスっていたが、大隈半島まで見渡すことができた。<br /><br />知覧ICで降りて、『ほたる館 富屋食堂』に向かった。<br /><br />大東亜戦争末期、この知覧には陸軍特別攻撃隊の基地があった。<br /><br />特攻隊員が出撃の前に、訪れたのがこの富屋旅館だ。この旅館には当時、鳥濱トメさんがという女性がいて、特攻隊員の遺書を預かったり、私財を投げ打って、死んでいく隊員たちの世話を母親のようにしていたのだ。<br /><br />平成13年10月に外見は当時とおなじように、資料館として復元された。2階建ての内部には、特攻隊員の遺書や、写真などが展示されている。<br /><br />私は、25年前に知覧を訪れたが、そのときはなかった建物で、今回初めて見学した。<br /><br />資料館内部は撮影禁止のため、残念ながら写真では紹介できない。<br /><br />ホタル帰る―特攻隊員と母トメと娘礼子<br /><br />この鳥濱トメさんについては、ぜひ『ほたる帰る』を読んでほしい。最後まで読むのが辛くなるような内容だが。。参照⇒『ホタル帰る』 知覧陸軍特別攻撃隊の悲しい物語<br /><br />入口で入館料350円を支払い、富屋食堂と書いてある暖簾をくぐると、狭いが、圧倒的ななんともいえない重い空気を感じる。<br /><br />17歳の特攻隊員(陸軍少年飛行兵)のあどけない写真と達筆な遺書が涙を誘う。。<br /><br />『ホタル帰る』の中にも記されているが、『明日ホタルになって帰って来るよ』とトメさんに言い残して出撃していった宮川軍曹の写真もあった。<br /><br />『日本は負ける、自由主義に負ける、そして 米英もいつかは負けることを知るだろう、、』といって出撃した 上原少尉の写真や長文の遺書も展示されていた。<br /><br /> <br /><br />もともと、知覧飛行場は、昭和16年12月10日に開かれ、陸軍少年飛行兵の訓練基地として利用されていた。しかし、3年後、圧倒的不利な戦況を打開するため、本土で一番南方にあるこの飛行場が、陸軍特別攻撃隊の基地として利用され、1036名の若者が特攻していったのだ。<br /><br />2階に上がると、鳥濱トメさんのインタビューや、特攻隊の映像がエンドレスで流されていた。<br /><br />狭い資料館だが、気がつくと1時間も見学していた。10代の若者が特攻隊員として出撃したこの悲惨さは、言葉ではうまく表現できない。私は、九七式戦闘機や一式戦闘機『隼』に250キロ爆弾を搭載して、沖縄まで、600キロを2時間ほどで飛び、敵艦船に突入していった若者に合掌した。<br /><br /> <br /><br />ほたる館『富屋食堂』 0993-58-7566<br />鹿児島県川辺郡知覧町郡<br />開館時間 9:00-17:00<br />年中無休<br />入館料 大人350円 小中学生250円<br /><br />『富屋食堂』の裏には、戦後、特攻隊員の遺族が知覧を訪れたとき、泊まる場所がないと困るだろうと、トメさんがはじめた富屋旅館がある。<br /><br />『富屋旅館』<br />鹿児島県川辺郡知覧町104<br />TEL:0993-83-4313<br /><br />写真付き詳細⇒http://amet.livedoor.biz/archives/50324558.html

知覧 『ほたる館 富屋食堂』

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2007/02/15 - 2007/02/15

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香港マイタン日記

香港マイタン日記さん

霧島温泉郷から今日は指宿温泉に移動する。

国道223号線を南下し、東九州道の隼人東ICから高速道路に入った。

加治木ICからは九州自動車道をひた走り、鹿児島ICから、指宿スカイラインに突入した。

途中のサービスエリアの売店に 『二郎さん』がいたが、飾り物だった。

途中、錦江台展望公園(スカイぱれっと)があったので立ち寄ることにした。駐車場から、つり橋をわたるり階段を上ると、左手に桜島が見える。すこしガスっていたが、大隈半島まで見渡すことができた。

知覧ICで降りて、『ほたる館 富屋食堂』に向かった。

大東亜戦争末期、この知覧には陸軍特別攻撃隊の基地があった。

特攻隊員が出撃の前に、訪れたのがこの富屋旅館だ。この旅館には当時、鳥濱トメさんがという女性がいて、特攻隊員の遺書を預かったり、私財を投げ打って、死んでいく隊員たちの世話を母親のようにしていたのだ。

平成13年10月に外見は当時とおなじように、資料館として復元された。2階建ての内部には、特攻隊員の遺書や、写真などが展示されている。

私は、25年前に知覧を訪れたが、そのときはなかった建物で、今回初めて見学した。

資料館内部は撮影禁止のため、残念ながら写真では紹介できない。

ホタル帰る―特攻隊員と母トメと娘礼子

この鳥濱トメさんについては、ぜひ『ほたる帰る』を読んでほしい。最後まで読むのが辛くなるような内容だが。。参照⇒『ホタル帰る』 知覧陸軍特別攻撃隊の悲しい物語

入口で入館料350円を支払い、富屋食堂と書いてある暖簾をくぐると、狭いが、圧倒的ななんともいえない重い空気を感じる。

17歳の特攻隊員(陸軍少年飛行兵)のあどけない写真と達筆な遺書が涙を誘う。。

『ホタル帰る』の中にも記されているが、『明日ホタルになって帰って来るよ』とトメさんに言い残して出撃していった宮川軍曹の写真もあった。

『日本は負ける、自由主義に負ける、そして 米英もいつかは負けることを知るだろう、、』といって出撃した 上原少尉の写真や長文の遺書も展示されていた。



もともと、知覧飛行場は、昭和16年12月10日に開かれ、陸軍少年飛行兵の訓練基地として利用されていた。しかし、3年後、圧倒的不利な戦況を打開するため、本土で一番南方にあるこの飛行場が、陸軍特別攻撃隊の基地として利用され、1036名の若者が特攻していったのだ。

2階に上がると、鳥濱トメさんのインタビューや、特攻隊の映像がエンドレスで流されていた。

狭い資料館だが、気がつくと1時間も見学していた。10代の若者が特攻隊員として出撃したこの悲惨さは、言葉ではうまく表現できない。私は、九七式戦闘機や一式戦闘機『隼』に250キロ爆弾を搭載して、沖縄まで、600キロを2時間ほどで飛び、敵艦船に突入していった若者に合掌した。



ほたる館『富屋食堂』 0993-58-7566
鹿児島県川辺郡知覧町郡
開館時間 9:00-17:00
年中無休
入館料 大人350円 小中学生250円

『富屋食堂』の裏には、戦後、特攻隊員の遺族が知覧を訪れたとき、泊まる場所がないと困るだろうと、トメさんがはじめた富屋旅館がある。

『富屋旅館』
鹿児島県川辺郡知覧町104
TEL:0993-83-4313

写真付き詳細⇒http://amet.livedoor.biz/archives/50324558.html

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
レンタカー

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