2007/03/13 - 2007/03/13
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satoshi.sさん
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高槻市の観光ガイドを参考に「西国街道沿いの史蹟探訪」を散策してきました。
JR高槻駅→安満遺跡→花の井→本覚寺→能因塚→日吉神社→文塚→不老水→古曾部窯跡→伊勢寺→昼食・休憩→芥川仇討の辻→芥川一里塚→教宗寺→橋詰地蔵尊→ゆめ桜通り→阿久刀神社→嶋上郡衛跡→素 鳴尊神社(芥川廃寺跡)→今城塚古墳→闘鶏野神社
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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筆塚
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鐘楼
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伊勢寺
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イチョウの木
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大きな錦鯉
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六地蔵尊
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ペットのお墓
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何の旗でしょうか?
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昼食店
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昼食カツ丼(730円)
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芥川仇討ちの辻
そこにある解説の立札によりますと、あらすじはおおよそ300年前に石見国で2人の若侍が美しい稚児を巡っての争いが発端で、のちに14歳の少年が見事その敵を討ち果たしますが、討たれた侍の懐には自分は討たれて当然であり、討つ方に咎はないという書状を持っていました、この仇討ちは双方当時の武士道のモラルを貫いた美談であるとされているそうです。 -
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芥川一里塚
一里塚は豊臣秀吉が街道の距離の目印とするために、一里(約4km)毎に作らせたのが始まりとされ、江戸時代に整備され一般的になったようである。一里塚には祠を建て榎の木を植えるのが普通であったとされている。
西国街道にはいくつかの一里塚が残っているが、宿場町「芥川宿」の東のはずれにあったとされているのがこの「芥川一里塚」である。「芥川一里塚」にも小さな祠があり、祠の後ろには榎の木が植えられており、一里塚の体裁が整えられている。
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「芥川一里塚」は街道を挟んで東側と西側の両方にあったといわれているが、現在残っている塚は東側のもので、その西北の場所にあったとされている塚は現存していない。
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芥川宿の発祥は12世紀頃からといわれており、17世紀初めには徳川幕府により宿場町としての体裁を備え、参勤交代のための本陣、旅籠などが置かれたようである。19世紀前半(天保年間)には旅籠が33軒、家数も253軒あったという。
現在の西国街道筋には古い家並みが若干残っており(写真は:提灯商の家)、かつての街道の面影を僅かに偲ぶことが出来るが、芥川宿当時の旅籠などは全く残っていない。 -
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