高槻・島本旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 高槻市の観光ガイドを参考に「西国街道沿いの史蹟探訪」を散策してきました。<br /> JR高槻駅→安満遺跡→花の井→本覚寺→能因塚→日吉神社→文塚→不老水→古曾部窯跡→伊勢寺→昼食・休憩→芥川仇討の辻→芥川一里塚→教宗寺→橋詰地蔵尊→ゆめ桜通り→阿久刀神社→嶋上郡衛跡→素 鳴尊神社(芥川廃寺跡)→今城塚古墳→闘鶏野神社<br />

西国街道沿いの史蹟探索:伊勢寺→昼食・休憩→芥川仇討の辻→芥川一里塚

2いいね!

2007/03/13 - 2007/03/13

417位(同エリア482件中)

0

30

satoshi.s

satoshi.sさん

 高槻市の観光ガイドを参考に「西国街道沿いの史蹟探訪」を散策してきました。
 JR高槻駅→安満遺跡→花の井→本覚寺→能因塚→日吉神社→文塚→不老水→古曾部窯跡→伊勢寺→昼食・休憩→芥川仇討の辻→芥川一里塚→教宗寺→橋詰地蔵尊→ゆめ桜通り→阿久刀神社→嶋上郡衛跡→素 鳴尊神社(芥川廃寺跡)→今城塚古墳→闘鶏野神社

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 徒歩
  • 筆塚

    筆塚

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 伊勢寺

    伊勢寺

  • イチョウの木

    イチョウの木

  • 大きな錦鯉

    大きな錦鯉

  • 六地蔵尊

    六地蔵尊

  • ペットのお墓

    ペットのお墓

  • 何の旗でしょうか?

    何の旗でしょうか?

  • 昼食店

    昼食店

  • 昼食カツ丼(730円)

    昼食カツ丼(730円)

  • 芥川仇討ちの辻<br /> そこにある解説の立札によりますと、あらすじはおおよそ300年前に石見国で2人の若侍が美しい稚児を巡っての争いが発端で、のちに14歳の少年が見事その敵を討ち果たしますが、討たれた侍の懐には自分は討たれて当然であり、討つ方に咎はないという書状を持っていました、この仇討ちは双方当時の武士道のモラルを貫いた美談であるとされているそうです。

    芥川仇討ちの辻
     そこにある解説の立札によりますと、あらすじはおおよそ300年前に石見国で2人の若侍が美しい稚児を巡っての争いが発端で、のちに14歳の少年が見事その敵を討ち果たしますが、討たれた侍の懐には自分は討たれて当然であり、討つ方に咎はないという書状を持っていました、この仇討ちは双方当時の武士道のモラルを貫いた美談であるとされているそうです。

  • 芥川一里塚<br /> 一里塚は豊臣秀吉が街道の距離の目印とするために、一里(約4km)毎に作らせたのが始まりとされ、江戸時代に整備され一般的になったようである。一里塚には祠を建て榎の木を植えるのが普通であったとされている。<br /> 西国街道にはいくつかの一里塚が残っているが、宿場町「芥川宿」の東のはずれにあったとされているのがこの「芥川一里塚」である。「芥川一里塚」にも小さな祠があり、祠の後ろには榎の木が植えられており、一里塚の体裁が整えられている。<br /> 

    芥川一里塚
     一里塚は豊臣秀吉が街道の距離の目印とするために、一里(約4km)毎に作らせたのが始まりとされ、江戸時代に整備され一般的になったようである。一里塚には祠を建て榎の木を植えるのが普通であったとされている。
     西国街道にはいくつかの一里塚が残っているが、宿場町「芥川宿」の東のはずれにあったとされているのがこの「芥川一里塚」である。「芥川一里塚」にも小さな祠があり、祠の後ろには榎の木が植えられており、一里塚の体裁が整えられている。
     

  • 「芥川一里塚」は街道を挟んで東側と西側の両方にあったといわれているが、現在残っている塚は東側のもので、その西北の場所にあったとされている塚は現存していない。

    「芥川一里塚」は街道を挟んで東側と西側の両方にあったといわれているが、現在残っている塚は東側のもので、その西北の場所にあったとされている塚は現存していない。

  •  芥川宿の発祥は12世紀頃からといわれており、17世紀初めには徳川幕府により宿場町としての体裁を備え、参勤交代のための本陣、旅籠などが置かれたようである。19世紀前半(天保年間)には旅籠が33軒、家数も253軒あったという。<br /> 現在の西国街道筋には古い家並みが若干残っており(写真は:提灯商の家)、かつての街道の面影を僅かに偲ぶことが出来るが、芥川宿当時の旅籠などは全く残っていない。

     芥川宿の発祥は12世紀頃からといわれており、17世紀初めには徳川幕府により宿場町としての体裁を備え、参勤交代のための本陣、旅籠などが置かれたようである。19世紀前半(天保年間)には旅籠が33軒、家数も253軒あったという。
     現在の西国街道筋には古い家並みが若干残っており(写真は:提灯商の家)、かつての街道の面影を僅かに偲ぶことが出来るが、芥川宿当時の旅籠などは全く残っていない。

この旅行記のタグ

2いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP