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 高槻市の観光ガイドを参考に「西国街道沿いの史蹟探訪」を散策してきました。 <br /> JR高槻駅→安満遺跡→花の井→本覚寺→能因塚→日吉神社→文塚→不老水→古曾部窯跡→伊勢寺→昼食・休憩→芥川仇討の辻→芥川一里塚→教宗寺→橋詰地蔵尊→ゆめ桜通り→阿久刀神社→嶋上郡衛跡→素盞嗚尊神社(芥川廃寺跡)→今城塚古墳→闘鶏野神社

西国街道沿いの史蹟探訪:素盞嗚尊神社(芥川廃寺跡)→今城塚古墳→闘鶏野神社

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2007/03/13 - 2007/03/13

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satoshi.s

satoshi.sさん

 高槻市の観光ガイドを参考に「西国街道沿いの史蹟探訪」を散策してきました。 
 JR高槻駅→安満遺跡→花の井→本覚寺→能因塚→日吉神社→文塚→不老水→古曾部窯跡→伊勢寺→昼食・休憩→芥川仇討の辻→芥川一里塚→教宗寺→橋詰地蔵尊→ゆめ桜通り→阿久刀神社→嶋上郡衛跡→素盞嗚尊神社(芥川廃寺跡)→今城塚古墳→闘鶏野神社

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 徒歩
  • 素盞嗚尊神社<br /> この神社の東側は、かつて奈良時代に嶋上郡衙(嶋上郡の郡役所)のあったところで、素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社が創建される前は、ここには郡の繁栄を願う郡寺(芥川廃寺)があったとされている。郡寺は白鳳時代、7世紀に創建され、平安時代中頃まで続いたと考えられている。

    素盞嗚尊神社
     この神社の東側は、かつて奈良時代に嶋上郡衙(嶋上郡の郡役所)のあったところで、素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社が創建される前は、ここには郡の繁栄を願う郡寺(芥川廃寺)があったとされている。郡寺は白鳳時代、7世紀に創建され、平安時代中頃まで続いたと考えられている。

  • 素盞嗚尊神社

    素盞嗚尊神社

  • 祭神は神社名の通り、素盞嗚尊であるが、素盞嗚尊神社と呼ばれる前、古くは神社名を神郡社(かみごおりのやしろ)と称していたといわれている。今でも、神社境内入り口の鳥居には『神郡社』と書かれた額が架かっている。<br />

    祭神は神社名の通り、素盞嗚尊であるが、素盞嗚尊神社と呼ばれる前、古くは神社名を神郡社(かみごおりのやしろ)と称していたといわれている。今でも、神社境内入り口の鳥居には『神郡社』と書かれた額が架かっている。

  • 手洗い鉢<br /> 神社の鳥居をくぐると、直ぐ右側に大きな石の「手水鉢」が置かれているのが見える。この石は近くの水田から出土したといわれており、郡寺の塔の心礎に使われていたものであるとされている。<br /> この心礎の大きさから見ても想像できるように郡寺には塔がそびえ立ち、立派な金堂が建てられていたものと推測されている。

    手洗い鉢
     神社の鳥居をくぐると、直ぐ右側に大きな石の「手水鉢」が置かれているのが見える。この石は近くの水田から出土したといわれており、郡寺の塔の心礎に使われていたものであるとされている。
     この心礎の大きさから見ても想像できるように郡寺には塔がそびえ立ち、立派な金堂が建てられていたものと推測されている。

  • 本宮

    本宮

  • 今城塚古墳

    今城塚古墳

  • 今城塚古墳<br />今城塚古墳は淀川北岸では最大の巨大な前方後円墳であり、国史跡に指定されている。<br /> 今城塚古墳の呼び名は、この古墳が戦国時代に砦として使われたことに由来しているという。<br /> 古墳の規模は全長約350m、墳丘の長さ約190m、前方部の幅148m、高さ12m、後円部の径約100mとされている。<br /><br /> 

    今城塚古墳
    今城塚古墳は淀川北岸では最大の巨大な前方後円墳であり、国史跡に指定されている。
     今城塚古墳の呼び名は、この古墳が戦国時代に砦として使われたことに由来しているという。
     古墳の規模は全長約350m、墳丘の長さ約190m、前方部の幅148m、高さ12m、後円部の径約100mとされている。

     

  • 今城塚古墳<br />3月末まで立ち入り出来ません

    今城塚古墳
    3月末まで立ち入り出来ません

  • 今城塚古墳

    今城塚古墳

  • 今城塚古墳

    今城塚古墳

  • 今城塚古墳

    今城塚古墳

  • 今城塚古墳

    今城塚古墳

  • 今城塚古墳

    今城塚古墳

  • 闘鶏野神社

    闘鶏野神社

  •  闘鶏野(つげの)神社の「鳥居」は名神高速道路の南側にあり、「社殿」は北側にある。<br /> この「鳥居」をくぐると石段があり、神社社殿までの「参道」が名神高速道路の上をまたいでつけられている。つまり、参道が陸橋になっているのであり珍しい。

    闘鶏野(つげの)神社の「鳥居」は名神高速道路の南側にあり、「社殿」は北側にある。
    この「鳥居」をくぐると石段があり、神社社殿までの「参道」が名神高速道路の上をまたいでつけられている。つまり、参道が陸橋になっているのであり珍しい。

  • 参道石段

    参道石段

  • 名神高速をまたぐ参道

    名神高速をまたぐ参道

  • 手洗い

    手洗い

  • 本宮<br /> 祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、応神天皇、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。この神社から西南側に約200m離れた場所にある「八幡大神宮」と同じ祭神である。<br /> 従って、以前はこの神社は八幡大神宮とよばれていたらしい。<br /> 闘鶏野は仁徳天皇62年頃、額田大中彦皇子の猟場であったといわれている。奈良の闘鶏野とともに、古事記、日本書紀の「氷室」発見伝承に基づいているという。 <br /> 闘鶏野神社は八幡大神宮とよばれていた頃から、この地区、氷室の氏神として土地の人々の信仰を集めていたと伝えられている。現在でも、正月には初詣に訪れる人は数多い。そのためか、整備が行き届いており、綺麗である。<br /> 1980年以前は、この神社は殆ど朽ち果てた状態を呈していたが、その後再建され写真のように綺麗な「社殿」に生まれ変わった。 <br />

    本宮
    祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、応神天皇、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。この神社から西南側に約200m離れた場所にある「八幡大神宮」と同じ祭神である。
    従って、以前はこの神社は八幡大神宮とよばれていたらしい。
    闘鶏野は仁徳天皇62年頃、額田大中彦皇子の猟場であったといわれている。奈良の闘鶏野とともに、古事記、日本書紀の「氷室」発見伝承に基づいているという。
    闘鶏野神社は八幡大神宮とよばれていた頃から、この地区、氷室の氏神として土地の人々の信仰を集めていたと伝えられている。現在でも、正月には初詣に訪れる人は数多い。そのためか、整備が行き届いており、綺麗である。
    1980年以前は、この神社は殆ど朽ち果てた状態を呈していたが、その後再建され写真のように綺麗な「社殿」に生まれ変わった。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • etukoさん 2007/03/17 15:13:53
    こんにちは
    名神高速をまたぐ参道が有るのですね。

    驚きました。

    何時も沢山の写真を上手く整理をされているのでお手本にしたいです。

    私はまだまだ真似が出来そうにありません。

    これからも御願い致します。

    satoshi.s

    satoshi.sさん からの返信 2007/03/17 18:22:16
    RE: こんにちは
    こんにちは

     名神高速をまたぐ参道、驚いたでしょう。参道を歩くと名神高速6車線の

    車の騒音が凄いです。
     
     今日は久しぶりにゴルフに行ってきました、風が強く寒かったです。

     最近はデジカメに凝り、楽しんでいるのでゴルフが下手になります。

     

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