2001/09/05 - 2001/09/05
1541位(同エリア3143件中)
こざくらさん
サンタルチア駅から、特急列車の1等でミラノに向かう。
10時発12時55分着。途中ヴェローナや北イタリアのリゾート地の
ガルダ湖など車窓から眺めながら、コンパーチメントでくつろぐ。
ミラノでは、ドウォモ、スカラ座、スフォルツェスコ城、サンタ・マリア・デッレ・グラッツェ教会などを観光する。
最後の晩餐を鑑賞できることがこよなく嬉しい。
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ミラノ駅構内
確か「ひまわり」で別れのシーンが印象的。 -
ミラノ中央駅
人口135万人車台数100万台イタリア第2の都市。イタリア経済の中心地。ファッションの発信地でもある。 -
ドゥオモ Duomo
イタリア最大のゴシック建築。
1386年、時の君主ジャン・ガレアッツオ・ヴィスコンティは自分の跡継ぎを切に望んで、祈りを天に届けるために聖母マリアに捧げる大聖堂を建てる事にした。こうして着工された大聖堂だったが、工事は度重なる戦火で何度も中断され、完成したのは1813年だった。大工事に終止符を打ったのはイタリアに侵入したナポレオンだった。 -
中央尖塔の頂きに鎮座するのは黄金の聖母像
(108・5m)
135本の尖塔が天を突き刺す。 -
愛しのレオナルド・ダ・ヴィンチ様
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スフォルツェスコ城の時計塔(高さ70m)
14Cにミラノを支配していたヴィスコンティ家が建てた居城。次の支配者スフォルツァ家が15Cに改築した。1494年にはルドヴィコ・スフォルツァはダ・ヴィンチに最後の晩餐の製作を依頼した。(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂壁画) -
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
1492年、当時のミラノ公ルドヴィゴ・スフォルツァはゴシック様式の修道院を、一族の霊廟にするべくルネッサンス様式で拡張した。当時のミラノ公国はフィレンツェやヴェネツィアと肩を並べる列強の1つ。 -
修道院の食堂
記念館になっていて、予約が必要
最後の晩餐の鑑賞時間もグループ別で、各15分位に限られていた。
’99年に20年に及ぶ修理を終え蘇った。
撮影不可。 -
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ルネッサンス様式のドーム。
最上階のアーチの内側は絵画による。 -
ヴェネツィア産ビールモレッティ
ピルスナータイプ。VINOもビミ。
ブルンホテルのレストラン、ドン・ジョバンニ。
料理はそこそこ。 -
食後酒グラッパ
ぶどうの蒸留酒 -
最後の晩餐 (絵はがき)
ダ・ヴィンチ43歳の時着手。当時主流のフレスコ画は一気に仕上げる必要があり、多忙な彼は作業を中断できる画法を選んだ。それは乾いた壁に顔料を卵等の溶剤で練った絵の具で描くテンペラ画法だった。テンペラは絵の具が壁に染み込まず、湿気で剥落する運命にあった。完成直後から細かな亀裂が生じた。ダ・ヴィンチは1度は塗り直したが、ミラノを去り、この絵に執着しなかった。剥落は年々酷くなり、20年後にはカビで覆われ、50年後には絵の半分が傷んでいた。18C の修復家は油彩で筆をいれ、原画を描き変え、20C 前半は熱した鉄のこてで壁面の絵の具を押し付ける修復が行われた。ダ・ヴィンチの真筆は覆い隠された。1999年、20年の洗浄修復の末、元の筆跡を現した。
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