2006/12/20 - 2006/12/27
1451位(同エリア1535件中)
柿丸さん
ホーエンザルツブルク城塞はヨーロッパの中でも最大かつ最も良い状態で保存されている中世の城塞だそうです。
城塞が建設されるきっかけは聖職叙任権闘争でした。
聖職叙任権闘争とは、聖職叙任権を主張するローマ教皇と神聖ローマ皇帝との争いです。
◆◇◆◇◆興味のある方はどうぞ◇◆◇◆◇
封建社会の中では、王権が弱体化する一方で、ローマ=カトリック教会は西ヨーロッパ全体に普遍的な権威をおよぼしました。
教皇を頂点としたヒエラルキー(ピラミッド型の階層制度)が完成したのもこの時期です。
土地の授受を中心に形成された主従関係を結ぶ中、
大司教や修道院長には国王や貴族から荘園を寄進されて大領主となる者も現れました。
つまり、高位聖職者には自動的に土地とお金(十分の一税など)が集まってくるシステムが完成した訳です。
高位聖職者とは美味しい地位ですね・・・
すると、神聖ローマ皇帝や国王は、聖職者ではない人物を高位聖職者の地位に任命し、教会に介入するようになりました。
俗人がお金で聖職者の地位を買う、聖職売買が横行していきました。
えらいこっちゃです。
これに対して、クリュニー修道院を中心に教会内部から改革の運動がおこりました。
この運動を引き継いだ教皇グレゴリウス7世は、聖職者を任命する権利(聖職叙任権)を世俗権力である神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世から取り戻そうとしました。
これが有名な事件、カノッサの屈辱です(1077年)。
昔、フジテレビの深夜番組のタイトルにもなっていましたねぇ・・・
皇帝ハインリヒ4世が、北イタリアのカノッサで教皇に跪いている図は有名ですね。
1077年1月冬の寒い最中、修道士の粗末な服を身につけ、裸足のまま3日間カノッサ城の前で教皇に許しを求めている図です。
教皇は頑として受け入れなかったそうですが、カノッサ城主のマティルダとクリュニー修道院長のとりなしによって破門をといてもらったそうです。
1122年ヴォルムス協約により、叙任権は教皇が、教会領地の承認権は皇帝が持つという妥協案によって、一応終結しました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その聖職叙任権闘争中、大司教ゲプハルト1世は身の危険を感じ、自分の司教区に1077年、3つの城塞の建築し始めたそうです。
それが、ホーエンヴェルフェン・フリースバッハ・ ホーエンザルツブルク城塞です。
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ホーエンザルツブルク城塞からみた旧市街
この写真ではあまり確認できませんが、クリスマスマーケットの光が輝いていました♪ -
そびえ立つ城塞には左側の階段から入場。
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薄暗く人気もあまりありません
天井にある2列の輪っかは、火災が起きた際の備えです。
ここに水をいれた桶をかけていたそうです。
(モーツァルトの生家にもありました) -
城塞というだけあって、大砲が備え付けてあります。
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大砲の先には平和な街並み
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中庭にはクリスマスツリーとちょっとしたクリスマスマーケットが設置されていました。
以前、城塞内も見学したのですが、大聖堂と違って木製で地味な印象でしたよ。
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今回のツアーにはホーエンザルツブルク城塞内でのコンサートがついています。
会場内は既に満員状態。
外はあんなに人気がなかったというのに・・・・
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モーツァルト生誕250周年ツアーだったので、モーツァルトだけかと思っていたら、モーツァルトは最後の3曲だけでした。
(CDを購入し予習していたのに・・・) -
途中休憩で体を少し動かす。
この時はまだ意識はしっかりしていました(笑)
なんとしても、モーツァルトまでは頑張るぞ!と決意していたのですが、モーツァルトが始まった瞬間、
『あっ、この曲聞いたことある〜〜
アイネ・クライネ・ナハトムジークだぁぁ』
と安心したせいか、肝心のモーツァルトで寝てしまいました・・・・
一生の不覚
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