2007/01/17 - 2007/01/17
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ソフィさん
私は最初に、神奈川県の説得にかかった。
一週間に六回県庁を訪ね、必死になってひたすら頭を下げる。
当時新幹線をオリンピックまでに開通させようという国民の合意は、きわめて薄かった。
沿線地元へのお願いは、深夜から早暁に及ぶことが多かった。
ある地元の有力者からウィスキーのぐい飲み競争を強いられ、意識不明になって危うく一命を失うところだったこともある。
国鉄の工事監督者も手薄ならば、施工業者の現場監督も極端な人手不足である。
寸暇に工事現場を見回ると、ボロボロのコンクリートが打たれていたり、柱が曲がったりしている。
現場のあまりの情けなさに、不覚にも人前をはばからず、涙がとまらないこともあった。
トンネル工事では落盤事故で、何名もの人命を失う。
その責任で警察に呼ばれ、毎週のように調書を取られる。
会計検査では三回も問題を指摘され、その対策に追われる。
体力と気力の限界いっぱい努力を重ね、どうにかギリギリで、1964年4月には東京・大阪間全線の線路がつながった式典を、総裁を招いて川崎で実施するまでに漕ぎ着けた。
しかし実際には、まだ線路がつながっていないところが、神奈川県内に残っていた。
一度つくった橋が変状し始めて、作り直していたからである。
が、とにかく、曲がりなりにも東海道新幹線は、東京オリンピックに間に合った。
最後の一年は、十年分ほどの苦労が一度にやってきた感じだった。
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