![中国から一度日本に帰国した。なんとなく両親が心配になったので実家に帰る。(本当に計画性のナイ旅)<br /><br /><br /> 朝起きると父親が難しい顔をして本を読んでいた。トイレへ寄り、台所に行くと今度は母親が同じ本を真剣な表情で食い入るように見つめている。<br /><br />「二人共、朝から真剣に何してんの?」<br /><br />「いやー、ウォリーの落とした本がぜんぜん見つからなくて」<br /><br /> 『ウォリーを探せ』のウォリーは見つかったのだが、同じページに隠されているウォリーの落とした本が全て見つからないらしい。孫(姉の子)が今度来る前までに事前に見つけておく為だとのこと。<br /><br /> 朝ご飯を食べつつ、僕もウォリー探しを手伝っていたら「たまにはドライブに付き合ってくれ」と父親からせがまれる。今日も特にすることはないので同意した。母親は習い事があるらしく珍しく同乗しない。<br /><br /> 親子二人でドライブって何十年ぶりのことだろうか。思えば実家の名古屋を離れ15年近く経つ。父親と長時間話すのは今回が初めてかもしれない。<br /><br /> 行きは僕が運転することになった。父親は僕の運転が気が気でない。やたら横から口を出してくる。家の近所にある国道から小牧ICから中央高速に乗る。今日もうだるような暑さ。エアコンの温度を2℃下げる。<br /><br /> 話の中心は自然と家族のこととなった。僕の祖母は3年前に倒れて以来、重いパーキンソン病で介護が必要な状況が続いている。今年で64歳になる父親は私立の高校教師を勤め上げ、祖母が倒れる数ヶ月前に定年退職をした。これから母と二人で老後を楽しもうと思った矢先、祖母が倒れてしまったのだ。その後はずっと在宅介護で家を長期間離れることができなくなってしまった。<br /><br /> 小淵沢ICで高速を降り、南アルプスが一望できるという清里スキー場に到着。ロープウェイで登った頂上から眺める景色は素晴らしいという。<br /><br /> 僕は、家族が大変な状況にあったにもかかわらず、東京で「のほほーん」と独身生活をエンジョイしていた。少なからず罪悪感を感じるがどうすればよいのか。今の両親の唯一の楽しみは介護の合間に行く日帰りのドライブと孫の世話だという。<br /><br /> 頂上に上がると、厚い雲がかかっていて残念ながら富士山は見えそうにない。折角なのでロープウェイ頂上から更に上を目指してみる。父親はひぃーひぃー言いながら後ろからついて来ている。昔は父親がいつも前を歩いて先導していた。一回り体が小さくなった父親は知らぬ間に年をとったのだ。<br /><br /> 老後の人生。今まで一度も考えたことがなかった。僕が年をとれば、自分の親も比例して年をとる訳。子供が親の面倒を見るのが当然なのだろうか。15年間、ずっと一人暮らししてたのでその辺の考えがまだすんなり自分の頭に受け入れられない。<br /><br /><br /> 帰りの道は父親が運転する。突然小雨が降ってきた。ほとんど毎日運転しているせいか僕より運転がうまい。流れるような運転で助手席に座った僕はいつのまにか寝入ってしまっていた。<br /><br /> 40年間家族のために勤め上げ、60過ぎで退職をしたら、80過ぎの親の面倒を見なくてはいけない父親。真面目でコツコツ生きてきた父親の人生のパズルを完成させるには後、何が必要なのだろう?<br /><br /> 目が覚めるといつの間にか雨が止んでいた。行きの3分の2の時間で帰ってくることができたようだ。寝ている間に高速を飛ばしたのだろう。「ありがとう、わざわざ付き合ってくれて」父親が車から降りる際に小さくこう言った。「いや、横に乗っていただけだから」別に感謝されることはしていない。<br /><br /> 父親の「ウォリーの落とした本」の居場所は僕にもわからない。だけど横にいて少し手伝うことは僕にもできるかもしれない。<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/11/44/650x_10114433.jpg?updated_at=1168531195)
2006/07/14 - 2006/07/14
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中国から一度日本に帰国した。なんとなく両親が心配になったので実家に帰る。(本当に計画性のナイ旅)
朝起きると父親が難しい顔をして本を読んでいた。トイレへ寄り、台所に行くと今度は母親が同じ本を真剣な表情で食い入るように見つめている。
「二人共、朝から真剣に何してんの?」
「いやー、ウォリーの落とした本がぜんぜん見つからなくて」
『ウォリーを探せ』のウォリーは見つかったのだが、同じページに隠されているウォリーの落とした本が全て見つからないらしい。孫(姉の子)が今度来る前までに事前に見つけておく為だとのこと。
朝ご飯を食べつつ、僕もウォリー探しを手伝っていたら「たまにはドライブに付き合ってくれ」と父親からせがまれる。今日も特にすることはないので同意した。母親は習い事があるらしく珍しく同乗しない。
親子二人でドライブって何十年ぶりのことだろうか。思えば実家の名古屋を離れ15年近く経つ。父親と長時間話すのは今回が初めてかもしれない。
行きは僕が運転することになった。父親は僕の運転が気が気でない。やたら横から口を出してくる。家の近所にある国道から小牧ICから中央高速に乗る。今日もうだるような暑さ。エアコンの温度を2℃下げる。
話の中心は自然と家族のこととなった。僕の祖母は3年前に倒れて以来、重いパーキンソン病で介護が必要な状況が続いている。今年で64歳になる父親は私立の高校教師を勤め上げ、祖母が倒れる数ヶ月前に定年退職をした。これから母と二人で老後を楽しもうと思った矢先、祖母が倒れてしまったのだ。その後はずっと在宅介護で家を長期間離れることができなくなってしまった。
小淵沢ICで高速を降り、南アルプスが一望できるという清里スキー場に到着。ロープウェイで登った頂上から眺める景色は素晴らしいという。
僕は、家族が大変な状況にあったにもかかわらず、東京で「のほほーん」と独身生活をエンジョイしていた。少なからず罪悪感を感じるがどうすればよいのか。今の両親の唯一の楽しみは介護の合間に行く日帰りのドライブと孫の世話だという。
頂上に上がると、厚い雲がかかっていて残念ながら富士山は見えそうにない。折角なのでロープウェイ頂上から更に上を目指してみる。父親はひぃーひぃー言いながら後ろからついて来ている。昔は父親がいつも前を歩いて先導していた。一回り体が小さくなった父親は知らぬ間に年をとったのだ。
老後の人生。今まで一度も考えたことがなかった。僕が年をとれば、自分の親も比例して年をとる訳。子供が親の面倒を見るのが当然なのだろうか。15年間、ずっと一人暮らししてたのでその辺の考えがまだすんなり自分の頭に受け入れられない。
帰りの道は父親が運転する。突然小雨が降ってきた。ほとんど毎日運転しているせいか僕より運転がうまい。流れるような運転で助手席に座った僕はいつのまにか寝入ってしまっていた。
40年間家族のために勤め上げ、60過ぎで退職をしたら、80過ぎの親の面倒を見なくてはいけない父親。真面目でコツコツ生きてきた父親の人生のパズルを完成させるには後、何が必要なのだろう?
目が覚めるといつの間にか雨が止んでいた。行きの3分の2の時間で帰ってくることができたようだ。寝ている間に高速を飛ばしたのだろう。「ありがとう、わざわざ付き合ってくれて」父親が車から降りる際に小さくこう言った。「いや、横に乗っていただけだから」別に感謝されることはしていない。
父親の「ウォリーの落とした本」の居場所は僕にもわからない。だけど横にいて少し手伝うことは僕にもできるかもしれない。
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