2006/10/15 - 2006/10/15
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まみさん
2006/10/15(日)第8日目:ゲデレー城ツアー&ブダペスト
ゲデレー城ツアー(コーヒータイム付)
ブダペスト国立博物館(再訪)、応用工芸美術館、オペラ座でハンガリーのオペラ「バーンク・バーン」(エルケル・フェレンツィ作曲)を鑑賞
ブダペストのオペラ座の2006年10月の公演スケジュールを調べていて、見慣れぬタイトルのオペラを見つけました。
“Bank Ban”───「バーンク・バーン」。
作曲家エルケル・フェレンツ。
日程的には今回の旅行でちょうど夜にオペラ鑑賞に当てられそうなときに上演しています。
でも、一体、どんなオペラ?
日本で見るオペラと違ってブダペストでは字幕がない、あるいはあってもハンガリー語です。
せめてストーリーが分からなくては見ていて面白くないでしょう。
手元に何冊かあるオペラ入門の本をひっくり返してみましたが、ハンガリーの国民的なオペラ作家(だったんだ〜!)であるエルケル・フェレンツのことはともかく、バーンク・バーンク・バーン」は載っていません。
ぜひブダペストのオペラ座でオペラを見たい!
という一念からネットで必死に調べたところ、ストーリー解説のあるサイトを、日本語と英語でかろうじて1つずつ、見つけることができました。
「クラッシック音楽会(2006年)」(日本語)(2006.03.14に観劇)
http://www.ne.jp/asahi/hot/space/concert/classic2006.html
Amazzon(英語)
http://www.amazon.com/Ferenc-Erkel-B%E1nk-Janos-Ferencsik/dp/B00000303U
上記のサイトによると、「バーンク・バーン」はハンガリー以外ではまず上演することがなかろうと思われる、実話を元にした歴史スペクタクル・オペラとのこと。
ハンガリーオペラの代表作で、曲調も、耳になじみやすく、「曲も舞台も極めてドラマチックなオペラらしいオペラ」だそうです。
そして「1848年の革命自由戦争直後に台本が書かれたため外国人支配に対抗する国威発揚的色合いが濃い」とのことです。ほほぉ、面白そう!
とあれば、見に行かないわけにはいきません。
というわけで、ハンガリーに到着した翌日、つまり本日より7日前に、オペラ座のチケット・オフィスに直接出向いて予約しました。
それがいよいよ今晩です。
さらに今晩は、オペラ鑑賞そのものの他にも、楽しみにしていることがあります。
それは、オペラ座見学では撮影禁止だった、オペラ座内部の写真を撮ることです。
これも、わざわざチケットを買ってオペラを鑑賞する特典と言えましょう。
オペラを鑑賞するときに内部が見学できるのなら、なぜわざわざオペラ座見学ツアーに参加したのか?
いやいや、オペラ座見学ツアーのガイドの説明があって始めて、ロイヤル・ボックスに続く皇帝専用の階段だの、皇后エリザベートのお気に入りのボックス「シシィ・ロージェ」だのといった見どころもおさえられるというものです。
(まあ、正直言うと、オペラ座見学ツアーに、ふつうにオペラを鑑賞しに行っても決して見ることのできない舞台裏も見られるものかと期待していなかったわけではありませんが……。)
日本の劇場と違って、座席や舞台の写真を撮っても文句を言われないのも嬉しいです。
ミーハー根性まる出しに、好きなだけ存分に、しつこいくらい写真を撮ってきました。
関連の旅行記「2006年ハンガリーとルーマニア旅行第2目(3)ブダペスト:国立オペラ座」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10103274/
※エルケル・フェレンツ(1810〜1893)
「読んで旅する世界の歴史と文化 中欧」(新潮社)によると、「ハンガリー独自の歌劇作りに情熱を傾け、歌劇『フニャディ・ラースロー』(1844初演)、『バーンク・バーン』(初演1861年)で国民歌劇の様式を確立した。王立歌劇場(オペラ座)初代音楽監督や王立音楽院初代校長を勤めたほか、ハンガリー国歌(1844)も作曲」とありました。
実は、2004年の初ブダペストの時に国立博物館で買ったハンガリーの歴史解説の冊子「ハンガリー小史」でも、よく読んでみると「バーンク・バーン」のことが触れられていました。
「エルケル作曲の有名な国民的オペラ、バーンク・バーンに登場するアンドラーシュ2世の統治については、国家としての力より、むしろその弱さの方が歴史に残っている(貴族の特権を認めたハンガリーのマグナ・カルタともいうべき金印勅書のことを指しています)」。
また、「地球の歩き方」には、1884年9月27日の初演に上演されたのが「バーンク・バーン」で、エルケル自身が指揮した、とありました。
こんな風に、そうと分かったうえで注目してみると、『バーンク・バーン』は意外にあちこちで紹介されていました。エルケル・フェレンツにとってもハンガリー人にとってもとても重要な作品だということでしょう。
-
オペラ座入口ホールの階段
チェスの駒のような支えのついた階段。
黄金づくしの壁や天井。赤い絨毯。
ううーん、素敵です@
この階段にエルケルの銅像があったはずなのですが、そうと気付かず、無視してしまいました。
この階段を上ると休憩所や2階以上の席に続きます。
私の座席は1階の正面の方の15列目。座席に行くにはこの階段を上らず、そのまま左に進みます。
写真を撮るために少し上ったのです。
クロークに荷物を預けましたが、有料でした。120フォーリント。
(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)
「ネオルネッサンス様式の壮麗な建物。音楽大国ハンガリーが誇るヨーロッパ有数のオペラ劇場だ。1873年に建築が始まり1884年に完成した。建築家はイブル・ミクローシュ。その他、画家のロッツ・カーロイ、タン・モール、セーケイ・ベルタラン、彫刻家のシュトローブル・アラヨシュなどが携わった。」
「100年以上の歴史を持つこの劇場は第2次世界大戦の戦禍を免れ、1945年3月には公演を再開したという幸運な劇場だ。(中略)一歩足を踏み入れると、そこには外の喧噪とはかけ離れた華麗で重厚な別世界が広がっている。」
(「地球の歩き方 ハンガリー 2004〜2005年版」(ダイヤモンド社)より) -
オペラ座の客席
ロイヤルボックスを中心に
1番見やすい席であるだけてなく、VIPが座るのに相応しい風格があります。
「オペラ座は、19世紀末のブダペストに多くの優れた作品を残した建築家イブル・ミクローシュが手がけ、9年の歳月をかけて1884年に完成した。パリやウィーンのオペラ座と比べると規模はいくぶん小さいが、内部の美しさはブダペストの方が優れていると判断する人が多い。実際、内部装飾は絢爛豪華で、そのこじんまりした外観も完璧に美しく、当初はヨーロッパ最高の舞台機構を誇っていた。客席はウィーンのオペラ座より200席ほど少ないが、奥行きのある舞台の規模は現在でもニューヨークのメトロポリタン劇場に次いで世界で2番目に大きい。」
(「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」(日経BP社)より)
「地球の歩き方」には「第2次世界大戦の戦禍を免れ」とありましたが、全く被害を受けなかったわけではなく、いまでも内部は修復中というのがオペラ座見学ツアーのガイドの説明でした。
また、「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」には、「内部の美しさはブダペストの方が優れていると判断する人が多い」とありましたが、オペラ座見学ツアーのガイドは、その内部装飾の絢爛豪華さゆえに、修復にお金と時間がかかっていて、いまだ修復が完全に終わっていないとも話していました。 -
オペラ座の客席と舞台
舞台に1番近いボックス席の2階が、皇后エリザベートことシシィが1人で観劇するときにお気に入りだった席「シシィ・ロージェ」です。
なるほど、舞台はとっても見づらそうですが、席に着いた自分の姿を他の観客に披露するにはちょうどよい場所です。 -
オペラ座のロイヤルボックスと丸天井の一部
天井はシャンデリアの光が邪魔で、こうやって一部しか撮れませんでした。
天井画のタイトルは「オリンポス」で、画家はロッツ・カーロイです。
「優雅なアンドラーシ通りに並ぶ建築で最も華やかなネオ・ルネサンス建築。歴史主義の退化イブル・ミクローシュの代表作で、ウィーンのオペラ座を意識しており、構成も似ている。流れるように上品な正面階段、彫刻で囲まれた客席天井、ギリシャ神話から題材を取ったフレスコ画など、贅沢な内装が施されている。」
(「建築・街並みガイド5」(エクスナレッジ社)より) -
ロイヤルボックスを中心とするボックス席と天井の一部
天井をもっと写したかったのでずか、シャンデリアが光ってしまって……。 -
オペラ座のボックス席
少女の頃、私はオペラ座というのは、貴族がボックス席を訪問しあう社交の場で、舞台は二の次なのかと思っていました。
その誤解(?)のもととなったのは、デュマ作「モンテクリスト伯」です。
5巻に分冊された文庫版の2巻目、メルセデスの息子アルベールがかつて母の恋人であったモンテクリスト伯とそうと知らず印象的な出会いを果たす前座ともいうべきイタリアの社交界でのシーン。
貴族たちはボックス席に現れる人々を見ては噂話に花を咲かせ、知りあいやお近付きになりたい者のところへあいさつに出向いていました。
当時の私は、ボックス席(桟敷席)というのはどういうものか知らず、いろいろ想像をたくましくしたものです。 -
オペラ座のボックス席の1つ
このオペラ座ではないですが、昔、ボックス席でオペラを鑑賞したことがあります。
友人と旅行したとき。ドイツのアウグスブルクでのことでした。
翌日のオペラのチケットを買いにいったとき、ボックス席なら1つずつ席が余っているというので、一緒に観劇できず、離れてしまいますが、それにしたのです。
1つのボックス席にイスが5つあったので、カップルが2組ずつ入っていて、それで席が1つ余ったのです。
ボックス席のいいところは、ボックス席内ではイスの位置を自由に動かせることと、前の手すりに寄りかかっても文句を言われないことですね(ほんとかな?)。
少なくとも、そのときはそう思いました@ -
オペラ座の天井桟敷
バーンク・バーンに登場する王アンドラーシュ2世(エンデレ2世)について、ウィキペディア・フリー百科事典では、「ハンガリーに最盛期をもたらした父ベーラ3世と違って、あまりにも暗愚なエンドレ2世がハンガリー王となったことは、ハンガリーに大きな混乱と衰退を招くこととなった」とまで酷評されています。
バーンク・バーンについても記述がありました。
「さらにエンドレ2世の無力さを証明する逸話として、1213年に王妃ゲルトルードをハンガリーの有力貴族の1人であったバーンク・バーンに殺害されたが、エンドレ2世はバーンク・バーンの勢力を恐れて、処罰することができなかったとまで言われている」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エンデレ2世
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC2%E4%B8%96
うーん、確かに、オペラ「バーンク・バーン」のバーンクは、十字軍遠征に参加して王が国を留守にしている間に、外国から嫁いできた王妃の悪政に苦しめられたハンガリー人民を代表して、王妃に(ハンガリー人にとっての)正義の鉄槌を下した悲劇のヒーローという扱いです。
アンドラーシュ2世のことは、十字軍という(キリスト教徒にとっての)聖なるおつとめにいそしんでいたため、内政まで手が回らなかったという優先順位を間違えた王様だけど、それだけ信心深い王様なので、やはり王として崇め立てなければならないお方として扱われている印象がありましたが……いやはや。 -
オペラ座の休憩室
休憩時間になったので休憩室に足を運びました。
オペラ座見学コースでも案内してもらった、豪華な休憩室。
なにも注文しなくても、足を運んで写真を撮りたいと思ったのです。
でもやっぱり、頭をすっきりさせるために、そしてこの雰囲気の一部になるために、冷たいオレンジジュースを頼みました。350フォーリント。
(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)
アルコールをとってもよかったけれど……かえって眠くなってしまうと困るからね。 -
休憩室の豪華な天井とシャンデリアと飲み物を出す人々
せっかくのオペラ座。
一応、おしゃれのつもりで、ジャケットを羽織っています。
でもその下はTシャツなので、Tシャツが見えないよう、襟もとはスカーフで隠しました。
高いスカーフではないですが、それなりに洒落た模様です。フェイクだけどきらきら光るスカーフ止めもしています。
きちんとしたおしゃれ着を持参しない代わりに、そうやってごまかすつもりだったのです。
でも、オペラ座の中は意外に暖かくて、スカーフをしていると暑いです。
1幕目が終わるまでは我慢していましたが、とうとう我慢できずに、外してしまいました。 -
オペラ座の客席
1階の席とボックス席
休憩時間にまた座席の写真を撮りました。
三脚なしで、カメラでは手ぶれ警報が出ていたので、液晶で拡大して確認したものの、手ぶれが心配だったのです。
ここのオペラ座の舞台は、ニューヨークのメトロポリタン劇場に次いで世界で2番目に大きいとありましたが、そうかもしれないと思いつつ、よく分かりませんでした。
ただ、第1幕第1場は宮廷シーンで、王座付近は一段と高くなっていて、その手前にもまだ空間があり、さらに奥には2階部分もあり、三層構造になっていました。かなり大きな舞台ではないと、きっと無理でしょう。
登場人物の衣装は、王妃たちはともかく、特にバーンクが、中世の人々の服装というよりは近代貴族のようで、ちょっとがっかりしました。たすきがけのマントがそれらしいですが、黒一色の軍人服みたいでした。ペトゥールを始めとする貴族たちなど、フロックコート姿で、皇帝フランツ・ヨーゼフ時代の政府要人たち、と言われた方が納得できる格好でした。
もっとも、舞台が進むうちに、だんだん気にならなくなりましたけれどね。 -
オペラ座のボックス席
1階の前の方の座席の背もたれにカメラを置いて撮影しました。
こんな風に客席の写真を撮るのはミーハー気分もろ出しでちょっと恥ずかしかったですが、休憩時間に観客席を背景に記念写真を撮っている人もいるので、開き直りました。 -
オペラ座の舞台を中心に
シャンデリアが光るのでなかなか撮るのがむずかしかった写真です。
客席とオーケストラ席をへだてる手すりの上にカメラを置いて撮りました。
音楽は、序曲から、これは私の気に入る、と思いました。
耳になじみやすく、不協和音やメロディーの運びに意外性はなく素直で、落ち着いて安心して聞けると同時に、壮大でドラマチックでした。
歌も、拍手がたくさんあがったのが納得できる、すばらしい歌声ばかりでした。
ほんとうに自在に声が伸びて、気持ちがよいくらいでした。
舞台は第1幕の宮廷での宴のシーンで、ハンガリー舞踊が披露されました。
第2幕では、ヴァイオリン奏者が特別に舞台に上がって、演奏を披露していました。 -
ボックス席の手すり
細部の細工まで凝っています。
というか、こうして見ると、なかなか愉快@
オペラはアクションシーンがあることはあるのですが、私がよく見るバレエやダンスなどの舞台に比べると少ないです。やはりオペラは耳をすませる方が重要です。
と思っていると、手ぶりを交えて長々と歌った後に、さらっと重要なアクションが入り、あれっ、あれがそう?───と思っている間にすっと終わってしまうので、意外に目を離せません。ちょっと目を離した一瞬の隙に見逃すこともあります。
歌っている最中は歌手たちはあまり動かないので、ここでたしかメリンダが川に飛び込むんだよね、ここでバーンクが短剣を持った王妃ともみあって、殺しちゃうんだよね、と待ち構えていても、歌による前座が長すぎて、アクションはおまけっぽく見えて、あまりドラマチックに感じられないところがちょっとネックです。
でもそれもオペラ鑑賞を重ねるうたに、だんだん慣れてきた気がします。いわばスポーツのルールのように、オペラ上演のお約束の1つとして容認できるようになるみたいです。 -
「バーンク・バーン」のプログラムとCD(ケースと中の解説書)
プログラムは340フォーリントとそれほど高くなく、英語であらすじと出演者リストが載っているので、買ってしまいました。
(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)
といっても、プログラムに英語が併記されているのはあらすじだけでした。作品や作曲家の解説も長々とあるようですが、そちらはハンガリー語オンリーでした。
とはいえ、すべて英訳がついていても、私に読み切れたかとどうか。
プログラムの出演者リストは、重要な役柄順ではなく、身分の高い順番から書かれているのは面白いと思いました(少なくとも日本では重要な役柄順というのがふつうだと思います)。
なので、最後にちょこっとしか登場しない王様アンドラーシュ2世がまずトップに挙げられていて、いわば悪役である王妃やその弟オットーが、主役のバーンク・バーンより先に並べられています。
CDは後日、オペラ座ギフトショップに舞い戻って買いました。
公演を見て、「バーンク・バーン」の音楽がとても気に入ったので、帰国したらAmazonかCDショップで注文しようと思ったのです。
しかし、考えてみたら、「バーンク・バーン」はハンガリーの国民的なオペラなのです。日本で注文するより、ハンガリーで買った方が早いのではないでしょうか。
というわけで、その後、ブダペスト市内にある大型ショッピングセンターのCDショップを回りましたが、エルケル・フェレンツのCDはあれど、「バーンク・バーン」は見つかりません。むむむ。
結局、オペラ座に舞い戻り、併設のギフトショップで買いました。
価格は定価の7,200フォーリントでした。
CDショップなどで見つけることができたら割引価格も夢ではなかったかもしれません。
実際、西駅に隣接している「ウェストエンドシティセンター」という大型ショッピングセンターのミュージックショップで、代わりにオペラ「聖イシュトヴァーン」なるCD2枚組を見つけたので買ってしまったのですが、値札には8,390フォーリントとあったのに、レジに通したら1,990フォーリントでした。
プロローグで紹介したサイトにも「バーンク・バーン」のあらすじがありますが、ここでは私が買ったプログラムからも抄訳でざっくりとあらすじを紹介しましょう。
第1幕
国王アンドラーシュ2世が遠征で留守中の宮廷。外国出身の王妃ゲルトルーディスが女主人役を務めていましたが、彼女は外国人を優遇し、また浪費を尽くしていました。副王の地位にあるバーンクは、国王に代わって国内の貧窮ぶりを視察していましたが、その留守に、王妃の弟のオットーが、バーンクの妻メリンダをモノにせんと狙っていました。外国人の王妃とその弟がのさばる宮廷に不満を抱き、国を憂えるハンガリー人貴族のリーダー、バーン・ペトゥールは、反乱計画を立てており、地方の視察から戻ってきたばかりのバーンクに参加を呼びかけます。オットーがメリンダを狙っていることも告げ、このまま王妃の専横をのさばらせて良いのか、とバーンクを説得しようとします。バーンクはあくまで王権に忠実であろうとします。しかし、オットーが実際にメリンダに言い寄るところを目撃して(ひいては国の重鎮であるバーンクに対する無礼ということになるでしょうか。オットーの言動はハンガリー国内での外国人の横暴の象徴のようです)、ペトゥールとその仲間たちの会合に出席することにします。
第2幕第1場
ヴィシェグラート城の入口で、年老いた農民ティボルツが、外国人に蹂躙された国の窮状をバーンクに直訴します。ところがバーンクは妻やペトゥールのことを含めてこれから自分がどうすべきかで頭がいっぱいだったので、話半分にしか耳を貸しませんでした。そのころ、オットーは姉の王妃ゲルトルーディスの容認のもと、ついにメリンダに実力行使します(未遂ではないかと思ったのですが、よく分かりませんでした)。傷ついたメリンダは半狂乱になってバーンクに懺悔します。バーンクは幼い息子に八つ当たりしてしまいますが、すぐに我に返ります。結局、バーンクはティボルツに付き添いを頼み、息子と妻をハンガリー東部の自分の領土に帰すことにします。
第2幕第2場
宮廷で、バーンクは王妃ゲルトルーディスに国の窮状と妻に対するオットーの無体な行為の責任を問いつめます。王妃はバーンクをバカにして自分の所業を認めず、短剣を取り出します。2人はもみ合っているうちに、バーンクは王妃を刺し殺してしまいます。
第3幕第1場
ティボルツはバーンクの領土に戻るべく、メリンダと彼女の息子を連れてティサ川を渡ろうとしていました。ところが精神がすっかり病んでしまったメリンダは、ティボルツが目を離した隙に、息子と共に川に身を投げてしまいます。
第3幕第2場
宮廷では、王妃の棺の前で、国王アンドラーシュ2世は宮廷貴族たちにその責任を追及しました。貴族たちが無関与を主張する中で、バーンクは、王妃の非道ゆえに彼女を暗殺したと白状します。国王とバーンクが今にも剣を交えようとしていたところへ、ティボルツがメリンダと息子の遺体と共にやってきます。バーンクは剣を落とし、妻子の遺体に嘆き伏しました。
おわり
あらすじだけ追うと、バーンクがもう少し妻のことを気にかけてあげれば、最後の悲劇は防げたのではないかと思わなくもないのですが(字幕がないので確信できませんが、見ていた限りではオットーに乱暴されたメリンダをバーンクが責めるようなシーンがなきにしもあらず)、義人バーンクの頭の大半を占めていたのは、あくまでハンガリーという国の将来だったのでしょう。
まあ、個人の尊厳や女性の地位よりは国の運命とハンガリー人貴族としての名誉の方が優先されるのが当然な時代だったでしょうから、仕方がありませんけれどね。
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