2006/09/27 - 2006/09/27
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井上@打浦橋@上海さん
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北京には城壁が残ってるのか。
北京の城壁と言っても2種類あるようです。
1つは元の時代のもの・・・・その時代の城壁は土で造られたものだったようです。
その一部は、北京の北部、三環路と四環路の間に残っています。
それに関しては、下記をご覧ください。
「亜運村から安定門までジョギング」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10088774/
ここに出てきます元大都城垣遺址公園が、わずかに残っています土城を取り入れた公園なんです。
さて、もう1つは、明時代に造られ、新中国が誕生したあとに、撤去された城壁です。
現在の二環路をほぼたどるライン上にあった城壁です。元の時代の城壁より内側に位置します。
この城壁は元時代のものより延長距離は短いですが、造りは立派なものだったようです。
そして、その城壁に造られた城内と城外をつなぐ門だけが、未だに地名として残ってるわけです。
例えば、前門、和平門、西便門、西直門、徳勝門、安定門、東直門、朝陽門、東便門、哈徳門などです。
さて、その明時代に築かれた城壁は、残ってるのか・・・・。
南西部の東便門から崇文門あたりに、撤去されずに残ってる城壁があるんです。
なぜ、この部分だけ残ったのか・・・・・・近くに鉄道ラインが走っていたり、既に民家で取り囲まれていたので、撤去しにくかったからなのか・・・。
3・4年前にもこのあたりをバスで通りますと、密集した民家の奥に、城壁らしきものがチラッと見えていたんですが、最近、その民家を撤去して、城壁を修復して大きな公園として市民に開放されました。
その公園と残ってる城壁の様子をアップします。
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城壁公園があります東便門までは、私が住む亜運村からは特2路2階建てバスが便利です。
ただ今、北四環路を超えて安定路を走ってるところです。もうすぐ北三環路でしょう。 -
北三環路を超え、安定門外街を行き、北二環路に入り、東二環路を走ってるところです。
東直門を越えたあたりでしょうか。
このあたりは建国門を超えるまで渋滞が続きます。 -
特2路バスを建国門を過ぎたところで降りました。
この道は、北京站東街です。向こうへ行きますと左に北京站が見えてきます。
この辺りの南側には城壁の一部が残っています。 -
これが残ってる城壁の一部です。
この辺り、野原になっています。 -
城壁に近づいてみました。
昔のままなのか・・・それとも最近修復されたものなのか・・・。
どうも、昔のもののように見えました。
この1つ1つの石は磚石と言うらしいですね。
煉瓦と同じような方法で作られるようですが素材が違うんでしょう。
煉瓦より重く、硬いように見えます。そして1つ1つが煉瓦より大きいですね。 -
城壁の脇に広がります野原ですが、今どき、北京中心部で、こんなのが残ってると言うのは珍しいです。
でも、どこかへ向かう抜け道、近道になってるようです。雑草が剥げた小道が出来ています。
そして、そこに、どういうわけだか、建国門のバス停表示板が置いてありました。
いたずらなのか、おふざけなのか・・・。 -
城壁全体を見渡しました。
向こうのホテルか何かの建物の前に北京站東街があり、その道を左に行けば北京站と
言うことです。 -
野原の中の南へ抜ける小道を皆さんが行きましたので、付いていきました。
向こうに抜け出られるんでしょう。 -
左に階段がありましたので、ここを下りました。
そうしましたら、二環路に出ました。 -
二環路の歩道を北へ行きます。
向こうの高架は鉄道です。右方向、西へ向かいますと北京站ということです。
左で休んでるのは自転車修理屋ですね。 -
高架の下をくぐりますと、右にカーブして道は西へ向かいます。
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そして右に見えてきたのが、この立派なお城のような建物です。
北京城東南角楼と言うらしいです。 -
道をさらに西へ行きます。
向こうには公園が広がってるようです。
左の道は崇文門東大街です。東便門から崇文門までを行く道です。 -
北京城東南角楼という石碑が立っています。
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しばらく行き角楼を振り返りました。
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角楼には城壁が連なり、城壁からは中に入り込む馬蹄形のトンネルがくり貫かれてい
ます。
ここから入りますと角楼に上がれるのかもしれません。
城壁の脇にはステージが組み立てられようとしています。
国慶節の前夜か、当日に、ここでコンサートなどの催し物が行われるのでしょう。 -
入場料(10元だったかな)を払って中に入りましたら、やはり角楼に上がれるようになっていました。
欧米人の観光客が結構多く来ていました。 -
では、角楼の上まで行きましょう。
階段を上がっていきます。 -
最上部まで行きました。
南側には、鉄道の軌道が何本も走ります。
西のほうを見渡しますと、遠くに北京站の駅舎の尖塔部が見えます。 -
東のほうはを眺めましたら、列車が見えます。
北京駅を離れる列車だったか、これから北京駅に到着する列車だったかは覚えていません。 -
西へ伸びていきます城壁の南面です。
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角楼の中は、美術館のようになっていました。
絵画や、こういった彫刻が展示されていました。 -
また軌道側を眺めました。
列車の出入りは激しいですね。 -
旗杆石と言うらしいです。
清朝時代、北京は8つの軍隊が警備に当たっていたそうで、それを八旗軍というらしいです。
そのうちの1つに正藍旗軍がありまして、この軍の警備地域が、崇文門から東直門までで、正にこの角楼が本拠地だったんでしょう。それを示す為に旗を掲げたわけですが、その旗の固定のための石板なのかと思います。 -
これは当時の砲台なんでしょう。
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城壁の西端まで行きまして、振り返りました。
-
これより先、西方向の城壁は、一段低くなっています。
今後、修復工事で、同じ高さまで構築していくのか・・・・。
あとで知ることになるんですが、この高さで城壁は崇文門手前まで続いています。
右の遠くには北京駅の尖塔が見えます。 -
また東方向を見ます。
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建国門外大街周辺の建築軍が見えます。
さて、階段を下りて、外に出ましょう。 -
下におりますと緑地帯が西に向かって延びます。
右が城壁で、左が崇文門東街となります。 -
このあたりは3・4年前は民家がビッシリだったんですが、民家がなくなってみますと、こんなに広々としていたのか、と実感させられます。
前の2本の木は相当年季が入ってますが、昔からあったんでしょうか・・・それともどこかからか運んできたんでしょうか・・・。
昔からあったんでしょうね・・。
3・4年前、バスで道を崇文門東大街を通った時に、民家の間に樹木が見えていたような記憶があります。 -
こんな花壇もあります。
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京泰鉄路信号所となっています。
民家がビッシリの前には、この辺り鉄道が走っていたんでしょう。
この建屋は当時のものでなく、勿論再現されたものです。
場所は、ここにあったということでしょう。
京泰鉄路は北京−遼寧区間の鉄道のようです。 -
ココで、当時様子を描いた地図を貼り付けます。
「老北京風俗地図・1939」という復刻地図です。
1936年にFrank Dornと言う人が描いた地図です。
これを見ますと、右に東便門角楼が見えますが、これが北京城南東角楼なんでしょう。
一番左が前門、真ん中のHATA MENが哈徳門(今の崇文門)なんでしょう。
当時は城壁の南部に鉄道が東西に走り、更にその南には運河と言いますか、お濠があったようです。 -
これは、どう見ても、当時のままの城壁でしょう。
いい味わいが出ています。 -
ベンチで寝てる人が2人。車椅子で来た人が1人。
なんか、のどかです。 -
城壁の脇の木陰で若いカップルが将来について語り合っています。
いや、今晩何を食うか話してるのかもしれませんが・・・・。 -
スプリンクラーが、調子を狂わし、歩道側ばかり散水しています。
皆さん、ここでは芝生を行きます。 -
崇文門が近づいてきました。
城壁も、ココで終わりのようです。 -
「整修明城墻遺址記」とあります。
2001年6月から立ち退き工程が開始されたようですね。そして2002年春から修復工事を開始して、2002年秋に落成したようです。
工事中には、北京市民から40万個の磚石(煉瓦)の提供があったそうです。 -
崇文門の謂れが書かれてあります。
明正統元年(1436年)に造られたそうです。
もとの名を文明門と言い、、俗称が哈徳門、海岱門らしいです。
1439年に崇文という名になったようです。 -
崇文門東大街に出ました。
もうスグ崇文門の交差点です。 -
崇文門の交差点です。
練炭を積んだリヤカーを引いる爺さんが、向こうへ行きます。
これで「北京駅に着く列車が見渡せる北京東南角楼と城壁公園」を終わります。
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