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【旅程抜粋】<br />2004/7/18(日)<br />プラハ観光2日目(ムハ美術館と旧市街広場)<br /><br />★ムハ(ミュシャ)美術館、ろう人形館、ハベルスカー通りのマーケット、旧市街広場と聖ミクラーシュ教会、旧市庁舎内見学と写真展「水の下のプラハ」(2002年の洪水のときのドキュメンタリー写真)、ティーン教会(入れず)、カレル通りとカレル橋、聖フランティシェック教会<br /><br />夜:マリオネット劇場「フィガロの結婚」とブラックライトシアター「ファウスト」(ブラックライト劇場で)<br /><br /><br />今日のプラハ旧市街めぐりは、まずムハ(ミュシャ)美術館から始めましょう。開館時間は10時。9時少しすぎにホテルを出れば十分なので、朝はゆっくり7時半まで寝て、朝食は8時頃にとりに行きました。朝食ルームに一歩足を踏み入れたとたん、まるでイモの子を洗う海岸のような喧噪で、くらくらしてしまいました。もしかしたらちょうど混雑のピークの時間帯だったかもしれませんが……このホテル、ほぉーんとに団体客が多いんですねぇ。<br /><br />チェコ入りしてからの先週一週間は、曇りで雨がちな天気が多かったです。もしかしたらそれがチェコの夏の風土で、日本からこんなに乾燥対策の品々を持参する必要はなかったかも、と密かに思っていたら、とんでもありませんでした。プラハ入りした昨日は、久しぶりに一日中、夏らしい晴天でした。汗をかいてもすぐに乾燥し、その上にまた汗をかくことの連続。おかげで、半日で肌はぴりぴり、おでこはチクチク、目元はヒリヒリで、始終ウエットティッシュを当てて生やすはめになりました。今日も朝からカラカラ天気です。日よけのないところにいると、炎天下でジリジリと焙られているようです。ホテルの目の前のトラム駅からして屋根ひとつない日ざらしなので、今日は帽子を忘れないようにしましょう。<br /><br />と、いろいろ用心したつもりですが、日中の日焼けと汗のせいか、この日の最後にブラックライトシアターを観劇しようという時になって、目元が痛くて痛くて、顔が暑くて暑くて、顔から火を吹いているのではないかと思いました。ふだんあまり日焼けする機会がないので、慣れていないのです。また、ふだんは一日コンタクトをしてパソコンに向かっていても平気なのですが、今日は夕方にはもう、目が痛くなってしまいました。でも、眼鏡よりコンタクト装着時の方が視力がよいので、観劇の最中は、できればコンタクトは外したくありません。幕があくまで目元に必死にウェットティッシュを当て、何度か目薬を射したら、開演までに眼の痛みはなんとか治まってくれました。<br /><br />それにしても、ホテルからセントラルに出る11番トラム、待っている間、時刻表を眺めていたところ、土曜日が1番本数が多いことに気付きました。私の感覚では不思議でなりません。平日の朝と夜はさすがに土日より本数が多いですが、朝の7時から昼の12時までの時間帯では、土日の方が本数が多いのです。このあたりは随分郊外ですが、それでも20分程度でセントラルに着きます。ということは、この時刻表からすると7時には朝の通勤ラッシュが終わっていることになります。チェコ人は朝が早い、というのを小耳に挟んでいましたが、そのせいかもしれない、と思いました。<br /><br />(表紙の写真は、旧市街広場にある聖ミクラーシュ教会です。写真アングルは、旧市街広場からでは全貌が写らないので、建物の下半分は思い切ってカットし、木の枝でフレームを作ってみました@)

2004年夏のブダペスト・ウィーン・チェコ旅行20日間 ハイライト写真(9)チェコ編その8(プラハ第2日目)

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2004/07/18 - 2004/07/18

4050位(同エリア4549件中)

11

9

まみ

まみさん

【旅程抜粋】
2004/7/18(日)
プラハ観光2日目(ムハ美術館と旧市街広場)

★ムハ(ミュシャ)美術館、ろう人形館、ハベルスカー通りのマーケット、旧市街広場と聖ミクラーシュ教会、旧市庁舎内見学と写真展「水の下のプラハ」(2002年の洪水のときのドキュメンタリー写真)、ティーン教会(入れず)、カレル通りとカレル橋、聖フランティシェック教会

夜:マリオネット劇場「フィガロの結婚」とブラックライトシアター「ファウスト」(ブラックライト劇場で)


今日のプラハ旧市街めぐりは、まずムハ(ミュシャ)美術館から始めましょう。開館時間は10時。9時少しすぎにホテルを出れば十分なので、朝はゆっくり7時半まで寝て、朝食は8時頃にとりに行きました。朝食ルームに一歩足を踏み入れたとたん、まるでイモの子を洗う海岸のような喧噪で、くらくらしてしまいました。もしかしたらちょうど混雑のピークの時間帯だったかもしれませんが……このホテル、ほぉーんとに団体客が多いんですねぇ。

チェコ入りしてからの先週一週間は、曇りで雨がちな天気が多かったです。もしかしたらそれがチェコの夏の風土で、日本からこんなに乾燥対策の品々を持参する必要はなかったかも、と密かに思っていたら、とんでもありませんでした。プラハ入りした昨日は、久しぶりに一日中、夏らしい晴天でした。汗をかいてもすぐに乾燥し、その上にまた汗をかくことの連続。おかげで、半日で肌はぴりぴり、おでこはチクチク、目元はヒリヒリで、始終ウエットティッシュを当てて生やすはめになりました。今日も朝からカラカラ天気です。日よけのないところにいると、炎天下でジリジリと焙られているようです。ホテルの目の前のトラム駅からして屋根ひとつない日ざらしなので、今日は帽子を忘れないようにしましょう。

と、いろいろ用心したつもりですが、日中の日焼けと汗のせいか、この日の最後にブラックライトシアターを観劇しようという時になって、目元が痛くて痛くて、顔が暑くて暑くて、顔から火を吹いているのではないかと思いました。ふだんあまり日焼けする機会がないので、慣れていないのです。また、ふだんは一日コンタクトをしてパソコンに向かっていても平気なのですが、今日は夕方にはもう、目が痛くなってしまいました。でも、眼鏡よりコンタクト装着時の方が視力がよいので、観劇の最中は、できればコンタクトは外したくありません。幕があくまで目元に必死にウェットティッシュを当て、何度か目薬を射したら、開演までに眼の痛みはなんとか治まってくれました。

それにしても、ホテルからセントラルに出る11番トラム、待っている間、時刻表を眺めていたところ、土曜日が1番本数が多いことに気付きました。私の感覚では不思議でなりません。平日の朝と夜はさすがに土日より本数が多いですが、朝の7時から昼の12時までの時間帯では、土日の方が本数が多いのです。このあたりは随分郊外ですが、それでも20分程度でセントラルに着きます。ということは、この時刻表からすると7時には朝の通勤ラッシュが終わっていることになります。チェコ人は朝が早い、というのを小耳に挟んでいましたが、そのせいかもしれない、と思いました。

(表紙の写真は、旧市街広場にある聖ミクラーシュ教会です。写真アングルは、旧市街広場からでは全貌が写らないので、建物の下半分は思い切ってカットし、木の枝でフレームを作ってみました@)

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 観光バス
航空会社
エールフランス
  • <ムハ美術館 (Mucha Museum)><br /><br />入場料は120チェコ・コルナ(約600円)(2004年7月当時。換算レートは1チェコ・コルナを円安めに約5円としています)。また、チケット売り場の人に薦められるままに買った「ミュシャ 美術館展示ガイド」という日本語の説明書が30チェコ・コルナ(約150円)でした。<br /><br />チケットもぎりのところで、係員のおじさんに、奥でちょうどミュシャ紹介ビデオが始まったばかりだよ、と見に行くように薦められました。だいたい30分くらいのビデオでした。最初だけちょっと見逃しましたが、鑑賞する前に見ることができて、タイミングが良かったです。ミュシャの経歴については、女優サラ・ベルナールの舞台宣伝用のポスターを手がけたことによってパリで大成功を収めたくらいしか知りませんでした。パリでの活躍は彼のほんの一部でしかなかったことを、初めて知りました。<br /><br />もっとも、彼の1番有名な作品として特に日本でよく目にするのは、そのパリ時代に制作されたものが多いのも確かです。ミュシャが成功を収めるきっかけはチェコ国外においてですが(チェコ国内では学生のときにアカデミーから入学拒否され、画家には向いていないと言われたようです)、彼自身は、私が思っていた以上に、祖国とスラブ民族を愛し、それを作品に込めていました。そして晩年は祖国のために尽くしていました。<br /><br />30チェコ・コルナで買った日本語の説明書の内容は、各展示セクションの最初にある説明パネルにも、そのままチェコ語に英語併記で書かれてありました。はじめは、そうと分かっていれば日本語の説明書まで買わなかったよ!―――と、ちょっと腹立たしく思いました。でも、よくよく読んでみると、記述は全く同じではありませんでした。それに、パネルの説明は美術館を後にしたら大半は忘れてしまいますが、冊子を買って持って帰れば、後で記憶を掘り起こすことができます。冊子には少しばかり写真も載っているので、記念にもなります。<br /><br />ミュシャの装飾パネル画やポスターは、見覚えがあるものが多かったです。でも、さすがに原画の迫力は違います。原画のサイズはよく見かける複写よりずっと大きいので、間近で見ると印象が変わります。すでに見慣れていて見飽きたように思っていた作品も、やっぱりすばらしいなぁと改めて感動しました。<br /><br />展示はワン・フロアで、作品数は思ったより少なかったですが(もっと大規模な美術館を想像していたので)、ビデオ鑑賞を含めて1時間20分、かえってじっくり鑑賞できたと思います。説明パネルの英語は、全部読みました。今までミュシャの作品については、1つ1つの作品の由来や主題や、描かれている細部にあまり注意を払ったことがなかったので、説明を読みながらじっくり鑑賞することができて良かったです。<br /><br />セクションは、最後のビデオコーナーを含めて7つに分かれていました。セクション1は、19世紀後半、アールヌーヴォーのパリ時代の装飾パネル画。最初に一番有名な作品群で、原画の迫力に圧倒し、ぐっと惹きつけられました。セクション2は、パリ時代のポスターの原画。特に、女優サラ・ベルナールの舞台宣伝のために描かれたものが多く展示されていました。<br /><br />セクション3は、宝飾やインテリア、コマーシャル・アートのデザイナーとしてのミュシャの一面を示す展示。この中で特に興味深かったのは、「装飾資料集」です。その原画の一部も展示されていました。まるで、デザイナーをめざす人向けの教科書のようでした。いや、たぶん、これは、いまでもデザイナーをめざす人にとって、教科書やバイブルとして通用するのではないでしょうか。また、ミュシャがこういうものを出版していた、というところも、とても興味深いと思いました。アイデアを出し惜しみしない彼の気前のよさ、というか、一般大衆の芸術面の啓蒙と、庶民の暮らしもアートで潤うことをめざした彼の理想が、具体的な形になったものの一つと言ってよいのでしょう。<br /><br />セクション4は、チェコ時代制作のポスター。「スラブ叙事詩」が圧巻でした。といっても、言われてみないと、スラブ民族らしい衣装やシンボルがそろっていることは、私にはわからなかったと思います。スラブ民族らしさというのをあまり知らないし、描かれた美女・美少女たちは、パリ時代からそう変わらぬ(と私には思えた)ミュシャらしい美女・美少女たちでしたから。ミュシャは、パリ時代から後は、生涯、絵の傾向はほとんど変わっていないように思えます。少なくとも私には、違いはあまり分かりませんでした。<br /><br />セクション5は、絵画と写真のセクションで、アトリエの雰囲気がうかがえる写真の展示でした。モデルたちがポーズをとっている写真と、その隣に、ミュシャがそれをもとに描いた絵が並べて展示されてあったのが、大変興味深かったです。<br /><br />セクション6は、素描とパステル画でした。多作な天才によくあると思いますが、ミュシャも、思い立ったら手元のものになんでもメモしてしまう人だったようです。レストランのメニューの裏や使用済みの封筒やら、いろんなものに描かれたスケッチが展示されていました。ちなみに私も、外出先などで、よい(と自分で思う)文章やネタを思いついたら、大抵いつも持参している文庫本のカバーなどに書いてしまいます。歩いているときだろうが、電車の中だろうがお構いなく。だから、一刻も早く書き留めたいという気持ちはよくわかります(だから天才、という理屈にならないのが残念@)。最後のセクション7はビデオコーナーでした。<br /><br />日本人親子4人連れが来ていました。そのこと自体は別に珍しくありませんが、5歳くらいの男の子が可愛かったです。ミュシャらしい美女のポスターの原画を見て、「こんな怖い絵はヤダ! 奥の方へ行こうよ」と言っていたのがおかしくて、思わず吹き出しそうになってしまいました。でも、なんとなく子供の気持ちはわかる気がします。特に日本人の子供は、まるっこい可愛いキャラクターに見慣れているから、それに比べると、ミュシャの美女たちは、写実的で、訴えるような目でこちらを凝視し、髪を妖しく乱していたりしますから、「怖い」女の人の絵に見えなくもないでしょう。<br /><br />ちなみに男の子が見ていたのは、最初のセクションのミュシャのパリ時代の作品「一日の四つの時間帯 (Four Times of Day)」(1899年)シリーズ(「朝のめざめ」「昼の輝き」「夕べの夢想」「夜のやすらぎ」)でした。大人の私の目から見ると、夢のような美しい自然の中に妖精のように溶け込んだ、清涼さと艶やかさが同居する美女ぞろいです。<br /><br />(写真は、日本語の「ミュシャ 美術館展示ガイド」と、旅のノートのスクラップページに貼り付けたムハ博物館のチケットの半券です。チケットの150チェコ・コルナは、日本語ガイドの30チェコ・コルナとの合計です。ちなみに、黄色いブタは、お・ま・け@)

    <ムハ美術館 (Mucha Museum)>

    入場料は120チェコ・コルナ(約600円)(2004年7月当時。換算レートは1チェコ・コルナを円安めに約5円としています)。また、チケット売り場の人に薦められるままに買った「ミュシャ 美術館展示ガイド」という日本語の説明書が30チェコ・コルナ(約150円)でした。

    チケットもぎりのところで、係員のおじさんに、奥でちょうどミュシャ紹介ビデオが始まったばかりだよ、と見に行くように薦められました。だいたい30分くらいのビデオでした。最初だけちょっと見逃しましたが、鑑賞する前に見ることができて、タイミングが良かったです。ミュシャの経歴については、女優サラ・ベルナールの舞台宣伝用のポスターを手がけたことによってパリで大成功を収めたくらいしか知りませんでした。パリでの活躍は彼のほんの一部でしかなかったことを、初めて知りました。

    もっとも、彼の1番有名な作品として特に日本でよく目にするのは、そのパリ時代に制作されたものが多いのも確かです。ミュシャが成功を収めるきっかけはチェコ国外においてですが(チェコ国内では学生のときにアカデミーから入学拒否され、画家には向いていないと言われたようです)、彼自身は、私が思っていた以上に、祖国とスラブ民族を愛し、それを作品に込めていました。そして晩年は祖国のために尽くしていました。

    30チェコ・コルナで買った日本語の説明書の内容は、各展示セクションの最初にある説明パネルにも、そのままチェコ語に英語併記で書かれてありました。はじめは、そうと分かっていれば日本語の説明書まで買わなかったよ!―――と、ちょっと腹立たしく思いました。でも、よくよく読んでみると、記述は全く同じではありませんでした。それに、パネルの説明は美術館を後にしたら大半は忘れてしまいますが、冊子を買って持って帰れば、後で記憶を掘り起こすことができます。冊子には少しばかり写真も載っているので、記念にもなります。

    ミュシャの装飾パネル画やポスターは、見覚えがあるものが多かったです。でも、さすがに原画の迫力は違います。原画のサイズはよく見かける複写よりずっと大きいので、間近で見ると印象が変わります。すでに見慣れていて見飽きたように思っていた作品も、やっぱりすばらしいなぁと改めて感動しました。

    展示はワン・フロアで、作品数は思ったより少なかったですが(もっと大規模な美術館を想像していたので)、ビデオ鑑賞を含めて1時間20分、かえってじっくり鑑賞できたと思います。説明パネルの英語は、全部読みました。今までミュシャの作品については、1つ1つの作品の由来や主題や、描かれている細部にあまり注意を払ったことがなかったので、説明を読みながらじっくり鑑賞することができて良かったです。

    セクションは、最後のビデオコーナーを含めて7つに分かれていました。セクション1は、19世紀後半、アールヌーヴォーのパリ時代の装飾パネル画。最初に一番有名な作品群で、原画の迫力に圧倒し、ぐっと惹きつけられました。セクション2は、パリ時代のポスターの原画。特に、女優サラ・ベルナールの舞台宣伝のために描かれたものが多く展示されていました。

    セクション3は、宝飾やインテリア、コマーシャル・アートのデザイナーとしてのミュシャの一面を示す展示。この中で特に興味深かったのは、「装飾資料集」です。その原画の一部も展示されていました。まるで、デザイナーをめざす人向けの教科書のようでした。いや、たぶん、これは、いまでもデザイナーをめざす人にとって、教科書やバイブルとして通用するのではないでしょうか。また、ミュシャがこういうものを出版していた、というところも、とても興味深いと思いました。アイデアを出し惜しみしない彼の気前のよさ、というか、一般大衆の芸術面の啓蒙と、庶民の暮らしもアートで潤うことをめざした彼の理想が、具体的な形になったものの一つと言ってよいのでしょう。

    セクション4は、チェコ時代制作のポスター。「スラブ叙事詩」が圧巻でした。といっても、言われてみないと、スラブ民族らしい衣装やシンボルがそろっていることは、私にはわからなかったと思います。スラブ民族らしさというのをあまり知らないし、描かれた美女・美少女たちは、パリ時代からそう変わらぬ(と私には思えた)ミュシャらしい美女・美少女たちでしたから。ミュシャは、パリ時代から後は、生涯、絵の傾向はほとんど変わっていないように思えます。少なくとも私には、違いはあまり分かりませんでした。

    セクション5は、絵画と写真のセクションで、アトリエの雰囲気がうかがえる写真の展示でした。モデルたちがポーズをとっている写真と、その隣に、ミュシャがそれをもとに描いた絵が並べて展示されてあったのが、大変興味深かったです。

    セクション6は、素描とパステル画でした。多作な天才によくあると思いますが、ミュシャも、思い立ったら手元のものになんでもメモしてしまう人だったようです。レストランのメニューの裏や使用済みの封筒やら、いろんなものに描かれたスケッチが展示されていました。ちなみに私も、外出先などで、よい(と自分で思う)文章やネタを思いついたら、大抵いつも持参している文庫本のカバーなどに書いてしまいます。歩いているときだろうが、電車の中だろうがお構いなく。だから、一刻も早く書き留めたいという気持ちはよくわかります(だから天才、という理屈にならないのが残念@)。最後のセクション7はビデオコーナーでした。

    日本人親子4人連れが来ていました。そのこと自体は別に珍しくありませんが、5歳くらいの男の子が可愛かったです。ミュシャらしい美女のポスターの原画を見て、「こんな怖い絵はヤダ! 奥の方へ行こうよ」と言っていたのがおかしくて、思わず吹き出しそうになってしまいました。でも、なんとなく子供の気持ちはわかる気がします。特に日本人の子供は、まるっこい可愛いキャラクターに見慣れているから、それに比べると、ミュシャの美女たちは、写実的で、訴えるような目でこちらを凝視し、髪を妖しく乱していたりしますから、「怖い」女の人の絵に見えなくもないでしょう。

    ちなみに男の子が見ていたのは、最初のセクションのミュシャのパリ時代の作品「一日の四つの時間帯 (Four Times of Day)」(1899年)シリーズ(「朝のめざめ」「昼の輝き」「夕べの夢想」「夜のやすらぎ」)でした。大人の私の目から見ると、夢のような美しい自然の中に妖精のように溶け込んだ、清涼さと艶やかさが同居する美女ぞろいです。

    (写真は、日本語の「ミュシャ 美術館展示ガイド」と、旅のノートのスクラップページに貼り付けたムハ博物館のチケットの半券です。チケットの150チェコ・コルナは、日本語ガイドの30チェコ・コルナとの合計です。ちなみに、黄色いブタは、お・ま・け@)

  • (写真は、旧市街広場の旧市庁舎の塔です。有名な天文時計のある側です。後述のメラントリホヴァ通りから旧市街広場に入ると、真っ先に目に飛び込んでくる場面です。ガイドブックなどの写真で見慣れていたつもりでいても、自分の目で初めて見ることができて、やはりとても感激しました。)<br /><br /><ろう人形館 (Museum Voskov&amp;yacute;ch Figur&amp;iacute;n = Wax Museum)><br /><br />明日の晩に見に行くオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が上演されるエステート劇場は、旧市街広場へ行く途上にあります。近くなので場所をきちんと下見しておこうと思いました。その途中で、ろう人形館を見かけました。ろう人形館はチェスキー・クルムロフにもありましたが、あのときは帰りのバスが気にかかって入るのをあきらめました。そのせいか、余計にそそられました。それに、チェコの歴史上の著名人のろう人形があるかもしれません。この旅行に来るためにチェコの歴史を大急ぎで勉強しましたが、その手の著書に著名人の写真や肖像画が載っているものはあまりなかったので、名前は覚えても顔がわからない人物ばかりなのです。<br /><br />入場料は120チェコ・コルナ(約600円)(2004年7月当時)。ムハ美術館と同じ値段でしたが、結論から言うと、ムハ美術館ほど充実した時間は過ごせませんでした。展示されている人形は、思ったよりずっと少なかったです。それに、チェコ人でわかったのは、ヴァーツラフ・ハヴェル (1936-)(劇作家にして政治家。チェコスロヴァキア共和国とチェコ共和国双方の初代大統領)とマサリク父子 (父1850-1937、息子1886-1948)(父子ともにチェコの独立に尽くしました。父は第一次大戦中、息子は第二次大戦中に活躍)、それから、前から知っていた有名人のミュシャとカレル・チャペックくらいでした。私としては、中世から近代にかけての、その時代のモードもわかるような衣装を身につけた歴史上の有名人、というのを期待していたのです。別に、ブッシュ大統領とかマイケル・ジャクソンとか、そういう人たちをわざわざプラハのろう人形館で拝みたいとは思いません。もっと、チェコならでは、という人物の人形が見たかったのです。<br /><br />もっとも、スポーツ選手やタレントなどは、私には誰だかさっぱりわからず素通りしましたが、中には、チェコ人ならたいてい知っているような有名な、チェコの国民的ヒーローやアイドルがいたかもしれません。また、「地球の歩き方」を後でひっくり返してみたら、チェコ史上重要なカレル4世の人形くらいはあったようです。そういうチェコ史上の有名人に、単に私が気付かなかっただけかもしれません。<br /><br />ろう人形館では、興味をひかない人形が多かったせいもありますが、たったの10分で見終わってしまいました。これで120チェコ・コルナとは高かったです。<br /><br /><ムーステク通り (M&#367;stek) からメラントリホヴァ通り (Melantrichova) を通って旧市街広場 (Starom&#283;stsk&amp;eacute; n&amp;aacute;m.) へ><br /><br />ろう人形館は期待外れでしたので、気分直しに、すぐそばのハヴェルスカー通り (Havelsk&amp;aacute;) に沿ってずらっと並んでいた市場を覗きました。みやげ物屋台が中心の市場です。ろう人形館に入る前からちょっと興味がありました。でも、ひやかしのつもりで覗いていても、私のことだから、つい何か買ってしまうにちがいないのです。だから、そもそも覗かないことで自制しようと思ったのですが、そんな気はなくなりました。<br /><br />案の定、手ごろな値段の小物があったので、ちょこちょこ買い物をしてしまいました。プラハの写真入りのパンフレットも買いました。複数の屋台で違うバージョンが販売されていたので、店を渡り歩いて比べ、一番気に入ったのを買いました。結果的には最近に刊行されたばかりの、一番写真が美しい本を選びました。プラハの町を、ゴシックから始まって、アールヌーヴォーからモダンまでの様式別に紹介している、構成も面白い本です。各国語版がそろっていましたので、日本語版を買いました。190チェコ・コルナ(約950円)。<br /><br />旧市街広場へ続く狭く曲がりくねった通り(メラントリホヴァ通り)に、「Sex Machines Museum」なるミュージーアムがありました。18歳以下お断りとなっています。一体、何の展示をしているのでしょう。大人のおもちゃとか!?―――非常に好奇心が沸いて、ひやかしと話のタネに、ぜひ入ってみたくなりました。でも、なにしろこちらは女一人。少しでも怪しいところに一人で足を踏み入れるのは、安全上、よくありません。後ろ髪が引かれる思いでしたが、やめておきました。<br /><br />ただ、Sex Machinesのミュージーアムにしては、入口付近の雰囲気は、あっけらかんと明るかったです。恥じらいも後ろめたさもなく、堂々としています。というか、ネオンがちょっと毒々しくて、パチスロってかんじでした。ある意味、そういう度ぎつさの方が、「らしい」のかもしれません。また、入口の扉は開放されていて、チケットもぎりあたりまでは外から見えました。そして、立ち去ろうとした私の目の前を、高校生か大学生くらいの女の子2人連れが入って行くのが見えました。あーあ、私だって、好奇心の強い女友達と2人連れなら、入ることができたでしょうね。ちょっとうらやましかったです。

    (写真は、旧市街広場の旧市庁舎の塔です。有名な天文時計のある側です。後述のメラントリホヴァ通りから旧市街広場に入ると、真っ先に目に飛び込んでくる場面です。ガイドブックなどの写真で見慣れていたつもりでいても、自分の目で初めて見ることができて、やはりとても感激しました。)

    <ろう人形館 (Museum Voskov&yacute;ch Figur&iacute;n = Wax Museum)>

    明日の晩に見に行くオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が上演されるエステート劇場は、旧市街広場へ行く途上にあります。近くなので場所をきちんと下見しておこうと思いました。その途中で、ろう人形館を見かけました。ろう人形館はチェスキー・クルムロフにもありましたが、あのときは帰りのバスが気にかかって入るのをあきらめました。そのせいか、余計にそそられました。それに、チェコの歴史上の著名人のろう人形があるかもしれません。この旅行に来るためにチェコの歴史を大急ぎで勉強しましたが、その手の著書に著名人の写真や肖像画が載っているものはあまりなかったので、名前は覚えても顔がわからない人物ばかりなのです。

    入場料は120チェコ・コルナ(約600円)(2004年7月当時)。ムハ美術館と同じ値段でしたが、結論から言うと、ムハ美術館ほど充実した時間は過ごせませんでした。展示されている人形は、思ったよりずっと少なかったです。それに、チェコ人でわかったのは、ヴァーツラフ・ハヴェル (1936-)(劇作家にして政治家。チェコスロヴァキア共和国とチェコ共和国双方の初代大統領)とマサリク父子 (父1850-1937、息子1886-1948)(父子ともにチェコの独立に尽くしました。父は第一次大戦中、息子は第二次大戦中に活躍)、それから、前から知っていた有名人のミュシャとカレル・チャペックくらいでした。私としては、中世から近代にかけての、その時代のモードもわかるような衣装を身につけた歴史上の有名人、というのを期待していたのです。別に、ブッシュ大統領とかマイケル・ジャクソンとか、そういう人たちをわざわざプラハのろう人形館で拝みたいとは思いません。もっと、チェコならでは、という人物の人形が見たかったのです。

    もっとも、スポーツ選手やタレントなどは、私には誰だかさっぱりわからず素通りしましたが、中には、チェコ人ならたいてい知っているような有名な、チェコの国民的ヒーローやアイドルがいたかもしれません。また、「地球の歩き方」を後でひっくり返してみたら、チェコ史上重要なカレル4世の人形くらいはあったようです。そういうチェコ史上の有名人に、単に私が気付かなかっただけかもしれません。

    ろう人形館では、興味をひかない人形が多かったせいもありますが、たったの10分で見終わってしまいました。これで120チェコ・コルナとは高かったです。

    <ムーステク通り (Můstek) からメラントリホヴァ通り (Melantrichova) を通って旧市街広場 (Staroměstsk&eacute; n&aacute;m.) へ>

    ろう人形館は期待外れでしたので、気分直しに、すぐそばのハヴェルスカー通り (Havelsk&aacute;) に沿ってずらっと並んでいた市場を覗きました。みやげ物屋台が中心の市場です。ろう人形館に入る前からちょっと興味がありました。でも、ひやかしのつもりで覗いていても、私のことだから、つい何か買ってしまうにちがいないのです。だから、そもそも覗かないことで自制しようと思ったのですが、そんな気はなくなりました。

    案の定、手ごろな値段の小物があったので、ちょこちょこ買い物をしてしまいました。プラハの写真入りのパンフレットも買いました。複数の屋台で違うバージョンが販売されていたので、店を渡り歩いて比べ、一番気に入ったのを買いました。結果的には最近に刊行されたばかりの、一番写真が美しい本を選びました。プラハの町を、ゴシックから始まって、アールヌーヴォーからモダンまでの様式別に紹介している、構成も面白い本です。各国語版がそろっていましたので、日本語版を買いました。190チェコ・コルナ(約950円)。

    旧市街広場へ続く狭く曲がりくねった通り(メラントリホヴァ通り)に、「Sex Machines Museum」なるミュージーアムがありました。18歳以下お断りとなっています。一体、何の展示をしているのでしょう。大人のおもちゃとか!?―――非常に好奇心が沸いて、ひやかしと話のタネに、ぜひ入ってみたくなりました。でも、なにしろこちらは女一人。少しでも怪しいところに一人で足を踏み入れるのは、安全上、よくありません。後ろ髪が引かれる思いでしたが、やめておきました。

    ただ、Sex Machinesのミュージーアムにしては、入口付近の雰囲気は、あっけらかんと明るかったです。恥じらいも後ろめたさもなく、堂々としています。というか、ネオンがちょっと毒々しくて、パチスロってかんじでした。ある意味、そういう度ぎつさの方が、「らしい」のかもしれません。また、入口の扉は開放されていて、チケットもぎりあたりまでは外から見えました。そして、立ち去ろうとした私の目の前を、高校生か大学生くらいの女の子2人連れが入って行くのが見えました。あーあ、私だって、好奇心の強い女友達と2人連れなら、入ることができたでしょうね。ちょっとうらやましかったです。

  • <聖ミクラーシュ教会 (Kostel sv. Mikula&#353;e)><br /><br />チェコの教会は、ミサのとき以外は施錠されていて中に入れないところが多かったですが、この教会はガイドブックにちゃんと解説があるので、入れるだろうと期待してきました。そして、期待どおり、とりあえず中に入って見学できました。ただし、信者席に座らせてくれず、ナワで立ち入り禁止にされていましたけれど。<br /><br />中は、白亜のバロック様式の外観からイメージできるとおりの、すばらしいバロックの内装でした。華麗かつ重厚。私の好きな、ロココ様式が加味されたドイツ・バロック風で、ドイツ・ミュンヘンにあるニンフェンブルク宮殿の一室を思い出しました(注)。ひと目でも見ることができて、本当によかったです。フレスコ画と古代のスラブかラテン風の王冠の形をしたシャンデリアもすばらしかったです。<br /><br />教会の入口付近にチラシがありました。それによると、ここでほぼ毎晩、オルガンコンサートが行われるようです。そのせいか、しばらくすると、オルガンの練習をする音が聞えてきました。ただし、音を抑える装置を使っているのか、音響効果で知られている教会にしては、音はあまり響きませんでした。そろそろ出ようかなぁと思ったら、数少ないイスが空いたので、すかさず座らせてもらいました。本当は係員のためのイスだと思いましたが、私を含め、観光客に代わる代わる占領されっぱなしでした。<br /><br />(写真は、旧市街広場の旧市庁舎の塔から見下ろした、聖ミクラーシュ教会です。上から眺めることでやっと、全貌写真を撮ることができました。)<br /><br />注:キリアン・イグナティウス・ディーツェンホーファー<br /><br />後で調べてたら、聖ミクラーシュ教会は、バロック建築の奇才キリアン・イグナティウス・ディーツェンホーファー (Kilian Ignatius Diezenhofer) の設計によるものでした。私の大好きな南ドイツ・バロック様式の名高い建築家一族ディーツェンホーファー(バンベルクのノイエ・レジデンツの建築家レオンハルト・ディーツェーンホーファ等)の中でもよく名前を聞くのが、彼です。ディーツェンホーファーの名前になじみになったのは南ドイツを旅行したときです(2001年)。なので、チェコでもこの名前に何度か遭遇して驚きました。<br /><br />もっとも、考えてみたら、当時(18世紀)のドイツは、神聖ローマ帝国とは名ばかりの群雄割拠時代でプロイセンやバイエルン公国が強大でした。そしてハプスブルグ家が広大な土地を支配した時代で、国境の概念が今と違うので、驚くべきことではなかったのでしょう。ちなみに、マラー・ストラナ(小地区)にある聖ミクラーシュ教会も、キリアン・イグナティウス・ディーツェンホーファーが父の後を引き継いで完成させています。<br /><br />また、内装のドームのフレスコ画の作者は、南ドイツ・バイエルンの画家コスマス・ダミアン・アザム (1686-1739)。このアザム兄と、建築家の弟エーギット・クヴィリン・アザム(1692-1750)が2人で手がけた通称アザム教会(正式名はザンクト・ヨハン・ネポムーク教会)が、ミュンヘンにあります。これも私の大好きな典型的なドイツ・バロック教会の一つです。といっても、あちらは私の一番好みの、豪華・華麗ながら清楚な印象のあるドイツ・バロックというよりは、かなり派手派手で、バロックらしいどぎつさがありました。一方、こちらの聖ミクラーシュ教会の内装は、色彩的に白が基調となっていたので、清楚な印象がありました。

    <聖ミクラーシュ教会 (Kostel sv. Mikulaše)>

    チェコの教会は、ミサのとき以外は施錠されていて中に入れないところが多かったですが、この教会はガイドブックにちゃんと解説があるので、入れるだろうと期待してきました。そして、期待どおり、とりあえず中に入って見学できました。ただし、信者席に座らせてくれず、ナワで立ち入り禁止にされていましたけれど。

    中は、白亜のバロック様式の外観からイメージできるとおりの、すばらしいバロックの内装でした。華麗かつ重厚。私の好きな、ロココ様式が加味されたドイツ・バロック風で、ドイツ・ミュンヘンにあるニンフェンブルク宮殿の一室を思い出しました(注)。ひと目でも見ることができて、本当によかったです。フレスコ画と古代のスラブかラテン風の王冠の形をしたシャンデリアもすばらしかったです。

    教会の入口付近にチラシがありました。それによると、ここでほぼ毎晩、オルガンコンサートが行われるようです。そのせいか、しばらくすると、オルガンの練習をする音が聞えてきました。ただし、音を抑える装置を使っているのか、音響効果で知られている教会にしては、音はあまり響きませんでした。そろそろ出ようかなぁと思ったら、数少ないイスが空いたので、すかさず座らせてもらいました。本当は係員のためのイスだと思いましたが、私を含め、観光客に代わる代わる占領されっぱなしでした。

    (写真は、旧市街広場の旧市庁舎の塔から見下ろした、聖ミクラーシュ教会です。上から眺めることでやっと、全貌写真を撮ることができました。)

    注:キリアン・イグナティウス・ディーツェンホーファー

    後で調べてたら、聖ミクラーシュ教会は、バロック建築の奇才キリアン・イグナティウス・ディーツェンホーファー (Kilian Ignatius Diezenhofer) の設計によるものでした。私の大好きな南ドイツ・バロック様式の名高い建築家一族ディーツェンホーファー(バンベルクのノイエ・レジデンツの建築家レオンハルト・ディーツェーンホーファ等)の中でもよく名前を聞くのが、彼です。ディーツェンホーファーの名前になじみになったのは南ドイツを旅行したときです(2001年)。なので、チェコでもこの名前に何度か遭遇して驚きました。

    もっとも、考えてみたら、当時(18世紀)のドイツは、神聖ローマ帝国とは名ばかりの群雄割拠時代でプロイセンやバイエルン公国が強大でした。そしてハプスブルグ家が広大な土地を支配した時代で、国境の概念が今と違うので、驚くべきことではなかったのでしょう。ちなみに、マラー・ストラナ(小地区)にある聖ミクラーシュ教会も、キリアン・イグナティウス・ディーツェンホーファーが父の後を引き継いで完成させています。

    また、内装のドームのフレスコ画の作者は、南ドイツ・バイエルンの画家コスマス・ダミアン・アザム (1686-1739)。このアザム兄と、建築家の弟エーギット・クヴィリン・アザム(1692-1750)が2人で手がけた通称アザム教会(正式名はザンクト・ヨハン・ネポムーク教会)が、ミュンヘンにあります。これも私の大好きな典型的なドイツ・バロック教会の一つです。といっても、あちらは私の一番好みの、豪華・華麗ながら清楚な印象のあるドイツ・バロックというよりは、かなり派手派手で、バロックらしいどぎつさがありました。一方、こちらの聖ミクラーシュ教会の内装は、色彩的に白が基調となっていたので、清楚な印象がありました。

  • <市庁舎の塔 (City Hall Tower)><br /><br />入場料は40チェコ・コルナ(約200円)(2004年7月当時。換算レートは1チェコ・コルナを円安めに約5円としています)。上りも下りも、楽するためにエレベータを利用しました。実はエレベータの周りはスロープになっていて、歩いて上り下りできるようになっていたのです。ちなみに、エレベータを利用したからといって、その部分は有料でも何でもありません。<br /><br />上からの景色はなかなかよかったです。天気もよいし、見渡す限り、オレンジ色の屋根の家並みでほぼ埋まっています。プラハは「百塔の都市」と言われますが、なるほどと思いました。100あるかわかりませんが、塔はたくさんあります。塔のある建物というとすぐに教会を連想しますが、塔のある屋敷もあるので、塔の数だけ教会がなくても、「百塔」にはなりそうです。<br /><br />市庁舎の塔の有名な天文時計は、仕掛け時計でもあります。時間になると、まずは装飾の骸骨が縄を引っ張って小さな鐘を鳴らし、持っていた砂時計を逆さにすると、時計の周りの人形たちが動きます。それから、上にある2つの窓から、キリストの12使徒が順番に顔を見せるようです。もっとも、実際に動いているところを外から見ることはできませんでした。この仕掛けが動くのは9時から21時の毎正午なので、見る機会は何度もあったかもしれません。でも、あまり見ることにこだわっていなかったので、結局、仕掛けが動く時間に塔の下に居合わせることはできませんでした。ただし、中から見ることはできました。詳しくは後述します。<br /><br />(写真は、旧市庁舎の塔から眺めたプラハの街並みです。王宮の方向で、彼方に聖ヴィート教会が見えます。)

    <市庁舎の塔 (City Hall Tower)>

    入場料は40チェコ・コルナ(約200円)(2004年7月当時。換算レートは1チェコ・コルナを円安めに約5円としています)。上りも下りも、楽するためにエレベータを利用しました。実はエレベータの周りはスロープになっていて、歩いて上り下りできるようになっていたのです。ちなみに、エレベータを利用したからといって、その部分は有料でも何でもありません。

    上からの景色はなかなかよかったです。天気もよいし、見渡す限り、オレンジ色の屋根の家並みでほぼ埋まっています。プラハは「百塔の都市」と言われますが、なるほどと思いました。100あるかわかりませんが、塔はたくさんあります。塔のある建物というとすぐに教会を連想しますが、塔のある屋敷もあるので、塔の数だけ教会がなくても、「百塔」にはなりそうです。

    市庁舎の塔の有名な天文時計は、仕掛け時計でもあります。時間になると、まずは装飾の骸骨が縄を引っ張って小さな鐘を鳴らし、持っていた砂時計を逆さにすると、時計の周りの人形たちが動きます。それから、上にある2つの窓から、キリストの12使徒が順番に顔を見せるようです。もっとも、実際に動いているところを外から見ることはできませんでした。この仕掛けが動くのは9時から21時の毎正午なので、見る機会は何度もあったかもしれません。でも、あまり見ることにこだわっていなかったので、結局、仕掛けが動く時間に塔の下に居合わせることはできませんでした。ただし、中から見ることはできました。詳しくは後述します。

    (写真は、旧市庁舎の塔から眺めたプラハの街並みです。王宮の方向で、彼方に聖ヴィート教会が見えます。)

  • (写真は、旧市庁舎の塔から眺めたプラハの街並みです。テレビ塔のある方向を撮ってみました。)<br /><br /><「水に沈んだプラハ (Praha pod vodu = Prague Underwater)」展><br /><br />市庁舎の中は、ガイドツアーを申し込めば見学可能とのことです。早速、チケットを買ってガイドツアーの予約をしましたが、あいにく次の英語ガイドツアーの出発は15時10分。あと30分もあります。その待ち時間をどうしましょう。同じく旧市街広場にある聖ティーン教会くらいなら見学できるかも、と思いましたが、旧市街広場は意外と広いです。そして混んでいます。市庁舎の建物の外に出て、聖ティーン教会へ行くにしても、もし教会が気に入ってゆっくり見学したいと思ったら、30分で往復するのは、ちょっとせわしなくなりそうです。代わりに、すぐ隣の建物、といっても同じ旧市庁舎に属する建物ですが、そこで開催されていたこの写真展に入ってみることにしました。入場料50チェコ・コルナ(約250円)。<br /><br />実は、はじめはなんの写真展か、ろくにわからずに入りました。外からちらっと見えた大パネルの写真がなかなかステキだったので、興味を持ったのです。展示のタイトルは英語でUnderwaterとあるので、プラハにもパリのような下水道網でもあって、その写真かな、などと思ったりしながら。でも、一枚目のパネル写真とそのタイトルを見て、2002年8月大洪水のときの写真だと気付きました。そう、この事件のことを、私はすっかり忘れていました。<br /><br />「Prague Underwater」を意訳すると、「水に沈んだプラハ」ぐらいになるでしょうか。最近は不幸にして、プラハに限らず、川の氾濫による町の沈没の映像をニュースでよく目にするようになり、見慣れて麻痺したと思っていました。ですが、展示の写真は、かなり衝撃的でした。2年後の今日、プラハの街中を歩いていて、そんな洪水の跡はほとんどわかりませんでした。写真を見てやっと、復旧の苦労がしのばれました。身につまされるような思いがしました。<br /><br />もっとも、実ははじめの方は、かなり無責任な感想を抱きながら眺めていました。というのも、泥水とはいえ、道がすべて水に浸されたため、中にはその水が鏡のように街並みを写し出していて、あたかも川辺か運河沿いの街の景色の写真であるかのように美しいものもあったのです。変わったプラハの写真が見れたなぁ、なんてのん気なことを考えて。しかし、家財が水浸しになって嘆く人々、ダメになってしまった貴重な思い出の品を手にうなだれる人、救助活動や復旧作業の様子、建物のダメージの跡、図書館の蔵書が泥まみれになっている写真……視覚に訴えられるものは、とても強烈でした。

    (写真は、旧市庁舎の塔から眺めたプラハの街並みです。テレビ塔のある方向を撮ってみました。)

    <「水に沈んだプラハ (Praha pod vodu = Prague Underwater)」展>

    市庁舎の中は、ガイドツアーを申し込めば見学可能とのことです。早速、チケットを買ってガイドツアーの予約をしましたが、あいにく次の英語ガイドツアーの出発は15時10分。あと30分もあります。その待ち時間をどうしましょう。同じく旧市街広場にある聖ティーン教会くらいなら見学できるかも、と思いましたが、旧市街広場は意外と広いです。そして混んでいます。市庁舎の建物の外に出て、聖ティーン教会へ行くにしても、もし教会が気に入ってゆっくり見学したいと思ったら、30分で往復するのは、ちょっとせわしなくなりそうです。代わりに、すぐ隣の建物、といっても同じ旧市庁舎に属する建物ですが、そこで開催されていたこの写真展に入ってみることにしました。入場料50チェコ・コルナ(約250円)。

    実は、はじめはなんの写真展か、ろくにわからずに入りました。外からちらっと見えた大パネルの写真がなかなかステキだったので、興味を持ったのです。展示のタイトルは英語でUnderwaterとあるので、プラハにもパリのような下水道網でもあって、その写真かな、などと思ったりしながら。でも、一枚目のパネル写真とそのタイトルを見て、2002年8月大洪水のときの写真だと気付きました。そう、この事件のことを、私はすっかり忘れていました。

    「Prague Underwater」を意訳すると、「水に沈んだプラハ」ぐらいになるでしょうか。最近は不幸にして、プラハに限らず、川の氾濫による町の沈没の映像をニュースでよく目にするようになり、見慣れて麻痺したと思っていました。ですが、展示の写真は、かなり衝撃的でした。2年後の今日、プラハの街中を歩いていて、そんな洪水の跡はほとんどわかりませんでした。写真を見てやっと、復旧の苦労がしのばれました。身につまされるような思いがしました。

    もっとも、実ははじめの方は、かなり無責任な感想を抱きながら眺めていました。というのも、泥水とはいえ、道がすべて水に浸されたため、中にはその水が鏡のように街並みを写し出していて、あたかも川辺か運河沿いの街の景色の写真であるかのように美しいものもあったのです。変わったプラハの写真が見れたなぁ、なんてのん気なことを考えて。しかし、家財が水浸しになって嘆く人々、ダメになってしまった貴重な思い出の品を手にうなだれる人、救助活動や復旧作業の様子、建物のダメージの跡、図書館の蔵書が泥まみれになっている写真……視覚に訴えられるものは、とても強烈でした。

  • <旧市庁舎 (Starom. Radnice) 見学><br /><br />時間どおり、15時10分から旧市庁舎内のガイド付ツアーが開始されましたが、なんと、参加者は私一人でした。チェコ語のツアーなら、もう少し繁盛していたようですが。プラハは見どころが多いから、外国人観光客は塔だけで満足して、旧市庁舎内見学は省略してもよいと思ってしまうのでしょう。それにしても、1対1かぁ。どちらかというと内向的で人見知りする私には、ちょいと緊張を強いられそうです。説明に対して、いつもより大げさに反応しないと、聞いてるんだかき聞いていないんだかわかりにくいでしょうから、一生懸命説明してくれるガイドに悪いですもの。でも、たった一人でテンションを上げるのは、つらいものがあります。<br /><br />最初に1階のホールの説明を受けたあと、地下に潜りました。そこには、発掘された昔の街の跡が残っていました。このあたりはよくモルダウ川の氾濫の被害にあったため、近世に、中世にあった町を4mほど埋め立てて、川岸を高くしたそうです。埋め立てられる前の町は、1軒1軒に飲料のための井戸がありましたが、後にこの土地の上にこの市庁舎が建てられ、中に裁判所も設けられるようになると、その井戸跡は、重罪人の生き埋めの刑場に使われたそうです。そんな、ぞっとするエピソードも含めて、いろいろ興味深い話がきけました。また、旧市庁舎は、外から見ると、ゴシック様式やらルネサンス様式やら様式の異なる何軒もの人家に見えますが、実際、もともと人家だったものを順々に買い取って拡張し、その際に外観はそのまま残しておいたからだそうです。<br /><br />チェコ史上有名なカレル4世は、プラハの歴史においても重要です。中世においてプラハをヨーロッパで一番の進んだ都市にしたのは、神聖ローマ皇帝としてプラハをその首都に据えた彼の業績といってよいでしょう。だから当然、ガイドの説明に彼の名が頻繁に出てきます。だけど、「カレル」を英語読みにすると、チャールズとなります。英語でのガイドだから、当然、カレルではなく、チャールズ、チャールズ、と言われます。最初、私はそのことに気付かず、チャールズなる英国系の王侯貴族がプラハの街づくりに手を貸したのかな、などとボケたことを考えていました。途中で、ジョージも出てきました。「あれぇ、さっきはチャールズって言ってなかったかしら」と首を傾げながらも、詳細はほとんど初めて聞く複雑なプラハの歴史を、1度や2度の説明で、しかも案内された執務室や裁判所、市の議事堂の歴史や、そこに飾られた紋章や歴史画の説明と織り交ぜて断片的に紹介されても、頭の中ではなかなか整頓できませんから、聞き返せすことはできませんでした。質問というのは、それなりのレベルまで理解できてこそ、できるものですから。<br /><br />しかし、その議場に飾られていた歴史画の一つが、「チャールズ1世」によって「中欧で最初の大学を創設されたことを場面を描いた絵」と教えてもらったとき、はじめてピン!―――ときました。中欧で最初に大学を創設したのはカレル4世(チェコ王としてはカレル1世)だ、ということは覚えていたので。<br /><br />言われてみれば、なぁるほど、さっき言っていた「チャールズ4世ブリッジ」も「カレル橋」のことか、などと、やっとピンときました。つまり、それまではわかっていなくて、ガイドに「チャールズ4世ブリッジには、もう行った?」と聞かれたときも、内心、そんな橋があるのか、初耳だ!―――と思いながら、「まだ」と返事をしてしまいました。もっとも、実際、カレル橋にはまだ行っていないのだから、ウソにはなりませんでした。<br /><br />だけど、途中でジョージが出てきたのは、もしかしたらガイドが英名を間違えたのかしら、と疑ったりしましたが、帰国後、もう一度、プラハとボヘミアの歴史をひっくり返したら、ガイドは確かにジョージと言いたかったんだろうな、と納得できました。英名のジョージは、チェコ名ではイジーとなります。「ポディェブラディーのイジー」(注1)と呼ばれた人が、一度、チェコ王位についています。こうなると、ガイドの説明にウィリアムが出てきたのも、彼の間違いではなく、私の知識不足にすぎないのでしょうね(注2)。<br /><br />ヨーロッパ史上の有名な人物の名前が、ヨーロッパの主要言語の間ではまるきり違う風に発音されてしまうことはよくありますが、チェコ語と英語では、ドイツ語を知っているのであれば、間にドイツ名を挟むと連想しやすいです。たとえば、チャールズ(英名)→カール(独名)→カレル(チェコ名)。ウィリアム(英名)→ヴィルヘルム(独名)→ヴァーツラフ(チェコ名)。ジョージ(英名)→ゲオルク(独名)→イジー(チェコ名)。ただ、最後のは、ドイツ語を仲介させても、ちょっとわかりづらいですね。<br /><br />最後に訪れた旧市庁舎最上階の礼拝堂では、天文時計の仕掛け人形のキリスト12使徒が動くからくりを裏側から覗くことができました。教会に飾られてもよさそうな聖人たちの像が、下半身はなく、上半身だけが歯車のようなものの上に乗っている、というのは、なかなか面白かったです。ただ、裏側からでは12使徒も背中向きでしか見られないので、仕掛け時計の演出自体は、表から見た方が面白かったでしょう。<br /><br />(写真は、旧市庁舎の天文時計の仕掛け人形を裏から撮ったものです。正面の窓の外には上半身しか見せないから必要なかったろうとはいえ、下半身がない聖人像は、なんだか違和感がある、というか、どこか可笑しかったです@)<br /><br />注1:ポディェブラディーのイジー (1420年-1471年)<br /><br />フス戦争でカトリック勢力に抑えられそうになっていたプラハを軍事制圧したフス派の貴族で、チェコ国会によって1458年にチェコ王に選出されました。イジーは異端の王。貴族であっても大貴族でもなく、その軍績により王に選ばれましたが、カトリック派の巻き返しに成功したローマ法王率いるカトリック勢力に、王位簒奪者とのレッテルを貼られてしまいました。彼自身はフス戦争終焉の前になくなりましたが、チェコ史はその後、「白山の戦い」でプロテスタント派が完敗し、反宗教革命の旗手ハプスブルグ家の統治下に入ったせいです。それを知るまで、いったいどんなひどいことをして王位を正当な後継者から奪ったら、そんな不名誉な別名がつくのだろう、と思ってしまいました。しかし、彼の名は、プラハの地名に残っています(イジーホ・ス・ポディエブラット・イジー広場として。それから地下鉄やトラムの駅名でもある)。<br /><br />注2:ウィリアム(英名)すなわちヴァーツラフ(チェコ名)<br /><br />プラハの発展に寄与したカレル4世は、チェコ王としてはルクセンブルグ家のカレル1世です。在位1346年-1378年。1347年に神聖ローマ帝国の皇帝の位につき、カール4世となりました。ただし、親につけてもらった名前はチェコ風で「ヴァーツラフ」です。幼少時代に教育のためにフランス宮廷に預けられたとき、カレルのもととなる「シャルル」という名前を、フランス国王から賜っています。<br /><br />ちなみにカレル4世ほどではないですが、プラハの歴史の一ページを飾るにふさわしい「ヴァーツラフ」は他にもいました。まずは、ヴァーツラフ1世(在位1230年-1253年)。13世紀にプラハ市が建設されたときの王です。旧市街を市壁で囲ませ、これをプラハ市としました。カレル4世は、プラハをさらに神聖ローマ帝国の首都として発展させた王です。それから、聖ヴァーツラフ(907年頃から935年の人)。彼は、プラハというよりチェコ史上の重要な王で、聖人にまで列せられています。私が旧市庁舎のガイドの話の中で耳にした「ウィリアム」は、この2人のいずれかだった可能性が高そうです。

    <旧市庁舎 (Starom. Radnice) 見学>

    時間どおり、15時10分から旧市庁舎内のガイド付ツアーが開始されましたが、なんと、参加者は私一人でした。チェコ語のツアーなら、もう少し繁盛していたようですが。プラハは見どころが多いから、外国人観光客は塔だけで満足して、旧市庁舎内見学は省略してもよいと思ってしまうのでしょう。それにしても、1対1かぁ。どちらかというと内向的で人見知りする私には、ちょいと緊張を強いられそうです。説明に対して、いつもより大げさに反応しないと、聞いてるんだかき聞いていないんだかわかりにくいでしょうから、一生懸命説明してくれるガイドに悪いですもの。でも、たった一人でテンションを上げるのは、つらいものがあります。

    最初に1階のホールの説明を受けたあと、地下に潜りました。そこには、発掘された昔の街の跡が残っていました。このあたりはよくモルダウ川の氾濫の被害にあったため、近世に、中世にあった町を4mほど埋め立てて、川岸を高くしたそうです。埋め立てられる前の町は、1軒1軒に飲料のための井戸がありましたが、後にこの土地の上にこの市庁舎が建てられ、中に裁判所も設けられるようになると、その井戸跡は、重罪人の生き埋めの刑場に使われたそうです。そんな、ぞっとするエピソードも含めて、いろいろ興味深い話がきけました。また、旧市庁舎は、外から見ると、ゴシック様式やらルネサンス様式やら様式の異なる何軒もの人家に見えますが、実際、もともと人家だったものを順々に買い取って拡張し、その際に外観はそのまま残しておいたからだそうです。

    チェコ史上有名なカレル4世は、プラハの歴史においても重要です。中世においてプラハをヨーロッパで一番の進んだ都市にしたのは、神聖ローマ皇帝としてプラハをその首都に据えた彼の業績といってよいでしょう。だから当然、ガイドの説明に彼の名が頻繁に出てきます。だけど、「カレル」を英語読みにすると、チャールズとなります。英語でのガイドだから、当然、カレルではなく、チャールズ、チャールズ、と言われます。最初、私はそのことに気付かず、チャールズなる英国系の王侯貴族がプラハの街づくりに手を貸したのかな、などとボケたことを考えていました。途中で、ジョージも出てきました。「あれぇ、さっきはチャールズって言ってなかったかしら」と首を傾げながらも、詳細はほとんど初めて聞く複雑なプラハの歴史を、1度や2度の説明で、しかも案内された執務室や裁判所、市の議事堂の歴史や、そこに飾られた紋章や歴史画の説明と織り交ぜて断片的に紹介されても、頭の中ではなかなか整頓できませんから、聞き返せすことはできませんでした。質問というのは、それなりのレベルまで理解できてこそ、できるものですから。

    しかし、その議場に飾られていた歴史画の一つが、「チャールズ1世」によって「中欧で最初の大学を創設されたことを場面を描いた絵」と教えてもらったとき、はじめてピン!―――ときました。中欧で最初に大学を創設したのはカレル4世(チェコ王としてはカレル1世)だ、ということは覚えていたので。

    言われてみれば、なぁるほど、さっき言っていた「チャールズ4世ブリッジ」も「カレル橋」のことか、などと、やっとピンときました。つまり、それまではわかっていなくて、ガイドに「チャールズ4世ブリッジには、もう行った?」と聞かれたときも、内心、そんな橋があるのか、初耳だ!―――と思いながら、「まだ」と返事をしてしまいました。もっとも、実際、カレル橋にはまだ行っていないのだから、ウソにはなりませんでした。

    だけど、途中でジョージが出てきたのは、もしかしたらガイドが英名を間違えたのかしら、と疑ったりしましたが、帰国後、もう一度、プラハとボヘミアの歴史をひっくり返したら、ガイドは確かにジョージと言いたかったんだろうな、と納得できました。英名のジョージは、チェコ名ではイジーとなります。「ポディェブラディーのイジー」(注1)と呼ばれた人が、一度、チェコ王位についています。こうなると、ガイドの説明にウィリアムが出てきたのも、彼の間違いではなく、私の知識不足にすぎないのでしょうね(注2)。

    ヨーロッパ史上の有名な人物の名前が、ヨーロッパの主要言語の間ではまるきり違う風に発音されてしまうことはよくありますが、チェコ語と英語では、ドイツ語を知っているのであれば、間にドイツ名を挟むと連想しやすいです。たとえば、チャールズ(英名)→カール(独名)→カレル(チェコ名)。ウィリアム(英名)→ヴィルヘルム(独名)→ヴァーツラフ(チェコ名)。ジョージ(英名)→ゲオルク(独名)→イジー(チェコ名)。ただ、最後のは、ドイツ語を仲介させても、ちょっとわかりづらいですね。

    最後に訪れた旧市庁舎最上階の礼拝堂では、天文時計の仕掛け人形のキリスト12使徒が動くからくりを裏側から覗くことができました。教会に飾られてもよさそうな聖人たちの像が、下半身はなく、上半身だけが歯車のようなものの上に乗っている、というのは、なかなか面白かったです。ただ、裏側からでは12使徒も背中向きでしか見られないので、仕掛け時計の演出自体は、表から見た方が面白かったでしょう。

    (写真は、旧市庁舎の天文時計の仕掛け人形を裏から撮ったものです。正面の窓の外には上半身しか見せないから必要なかったろうとはいえ、下半身がない聖人像は、なんだか違和感がある、というか、どこか可笑しかったです@)

    注1:ポディェブラディーのイジー (1420年-1471年)

    フス戦争でカトリック勢力に抑えられそうになっていたプラハを軍事制圧したフス派の貴族で、チェコ国会によって1458年にチェコ王に選出されました。イジーは異端の王。貴族であっても大貴族でもなく、その軍績により王に選ばれましたが、カトリック派の巻き返しに成功したローマ法王率いるカトリック勢力に、王位簒奪者とのレッテルを貼られてしまいました。彼自身はフス戦争終焉の前になくなりましたが、チェコ史はその後、「白山の戦い」でプロテスタント派が完敗し、反宗教革命の旗手ハプスブルグ家の統治下に入ったせいです。それを知るまで、いったいどんなひどいことをして王位を正当な後継者から奪ったら、そんな不名誉な別名がつくのだろう、と思ってしまいました。しかし、彼の名は、プラハの地名に残っています(イジーホ・ス・ポディエブラット・イジー広場として。それから地下鉄やトラムの駅名でもある)。

    注2:ウィリアム(英名)すなわちヴァーツラフ(チェコ名)

    プラハの発展に寄与したカレル4世は、チェコ王としてはルクセンブルグ家のカレル1世です。在位1346年-1378年。1347年に神聖ローマ帝国の皇帝の位につき、カール4世となりました。ただし、親につけてもらった名前はチェコ風で「ヴァーツラフ」です。幼少時代に教育のためにフランス宮廷に預けられたとき、カレルのもととなる「シャルル」という名前を、フランス国王から賜っています。

    ちなみにカレル4世ほどではないですが、プラハの歴史の一ページを飾るにふさわしい「ヴァーツラフ」は他にもいました。まずは、ヴァーツラフ1世(在位1230年-1253年)。13世紀にプラハ市が建設されたときの王です。旧市街を市壁で囲ませ、これをプラハ市としました。カレル4世は、プラハをさらに神聖ローマ帝国の首都として発展させた王です。それから、聖ヴァーツラフ(907年頃から935年の人)。彼は、プラハというよりチェコ史上の重要な王で、聖人にまで列せられています。私が旧市庁舎のガイドの話の中で耳にした「ウィリアム」は、この2人のいずれかだった可能性が高そうです。

  • (写真は、旧市街広場で見かけました。自転車タクシーですねっ。)<br /><br /><ティーン教会 (Kostel sv. Tyn)(入れず)><br /><br />2つの鐘楼がすごく印象的な建物です。私は建築にあまり詳しくありませんが、ティーン教会の鐘楼の屋根は、すごくチェコ的、あるいは少なくとも中欧的だと思えました。なかなかステキで華やかな屋根なのですが、ピエロのとんがり帽子を連想してしまいます。旧市街広場に立って見渡すと、このティーン教会がオレンジ色の屋根のルネサンス様式の屋敷の向こうから上半身だけが見えます。全貌が見えないのは惜しいですが、これはこれで面白いです。<br /><br />ガイドブックには、修復中で入れないかも、とあったのであまり期待しないようにしていましたが―――案の定、入れませんでした(2004年7月現在)。あるいは違う時間帯なら入れたのでしょうか。でも、入れなかったティーン教会を最後に、今回のプラハ滞在中、旧市街広場の観光はもう終わりにする予定です。残りの3日半のプラハ滞在中、うち2日は日帰り旅行でプラハを出てしまいます。残りの1日、この教会が確実に見学できるという確信はないので、ついででもない限り、もうわざわざ旧市街広場に足を運ばないでしょう。<br /><br /><カルロヴァ通り (Karlova) 〜カレル橋 (Karlovy most)(途中まで)><br /><br />旧市街広場の見どころの見学がだいたい終わったところで、16時すぎとなりました。今晩予約を入れているマリオネット劇は、18時開演です。劇場は、旧市街広場から歩いて15分から20分程度をみておけばよいでしょう。時間が中途半端に余ってしまいました。なので、カレル橋を見に行くことにしました。<br /><br />カレル橋に至る道筋は、途中から旧市街きってのショッピング・ストリートであるカルロヴァ通り (Karlova) となります(カルロヴァは、「カレルの」くらいの意味だろうゆえ、「地球の歩き方」の地図などではわかりやすく「カレル通り」と書かれてあります)。いやはや、聞きしに勝る繁華街ぶりでした。旧市街らしい石畳の道で、道路は乗用車が一台、ぎりぎり通れるくらいという細い道。それが、ひと目で観光客とわかる人々でぎっしり混雑しています。しかし、ゆっくりとしたペースで歩く分には、歩きにくいというほどではありませんでした。それより、通りの両サイドに並ぶ店のショーウィンドウに目が引き寄せられます。特に、ボヘミア名物・ガーネットのお店は、ガーネットのネックレスにリングでショーウインドウが見事にぎっしり。でも、ディスプレイの中の商品を、あんまり熱心に見ることはしないようにしました。でないと、私のことだから、また買いたくなってしまうからです。<br /><br />カルロヴァ通りで、マリオネットやブラックライトシアターの劇場を3つ見かけました。ムーステク付近まで範囲を広げ、場所の確認に行ったエステート劇場を含めると、それほど広い地区ではないのに今日は劇場を6つも見かけたことになります。旧市街地区には、それだけ集中しているということでしょう。カルロヴァ通りの劇場は、表から見る限り、お店に埋もれるか、お店と間違えられそうなささやかな所ばかりでしたが、看板に出ている演目には惹かれました。まだプラハ滞在中の夜の予定にまだ空きがあったなら、すぐにでもチケットを買ったかもしれません。<br /><br />マリオネット人形のお店も、いくつも見かけました。店員が観光客の気を引くために、店頭で人形を操って動かしてみせていたりします。少しだけ立ち止まって眺めました。お店に寄りたい気がしましたが、マリオネット劇の開演には時間のゆとりを持って劇場に向かいたいため、カレル橋へ急ぐことにしました。<br /><br />カレル橋に到着しました。当たり前のことですが、橋にいると橋が見えません。カレル橋の写真を撮るとしたら、別の橋から撮った方がサマになりそうです。ということで、写真は撮りませんでした。<br /><br />夕方のせいか、観光ピークの7月半ばの今日でも、橋付近は思ったより混んでいませんでした。両脇の聖人像を一つ一つ眺めながら橋を渡ることは、プラハ観光中にいずれするつもりですが、今は時間が気になるので途中で引き返しました。<br /><br />橋の入口に旧市街橋塔があります。かっこよくて気に入りました。ゴシック様式だと思いますが、フランスのゴシック様式の教会のような、いかにも天上を目指しています!―――という印象はなく、細長い箱型のどっしりした建物の上にドーンと屋根が乗っかった、腰の重そうな建物に見えます。黒ずみ具合や、建物の表面の実に細やかな模様が、ゴシックらしさをかもし出し、年月の重みを感じさせて、いいかんじです(……車の排気ガス等のせいで汚れているだけかもしれないけれど)。ガイドブックによると、この塔の上に登ってプラハの景観を楽しめるはずですが、時間はすでに17時近く。やはりマリオネット劇場の開演時間が気になるのでやめておきまた。(そして結局、このときの旅行では行きそびれたところの一つとなり、2005年7月の再訪でリベンジを果たしました。)<br /><br />旧市街広場へ戻る前に、旧市街橋塔の近くにある聖フランティシェック教会に寄り、再びカルロヴァ通りを通りました。行きは両サイドの店構えに目が引き寄せられましたが、帰りは店ではなく、建物に注目するようにしてみました。すると、店に目を奪われていたときには気付かなかったちょっとした発見がたくさんありました。プラハは第二次世界大戦では焼け落ちずにすんだと言われますが、なるほどと思わせる由緒ありそうな建物が目白押しです。ルネサンス様式やバロック様式の屋敷が色とりどりな可愛いパステルカラーで、建物の装飾の石像彫刻などがとても古めかしくて趣があります。カルロヴァ通りは、後日、もう1往復しましたが、1階の店を覗いても、2階以上の建物の外観に注目しても、何かしら発見がありました。あら、と気になって目を留めたくなるものが、次から次へと現れます。ただ歩くだけでも楽しい通りでした。

    (写真は、旧市街広場で見かけました。自転車タクシーですねっ。)

    <ティーン教会 (Kostel sv. Tyn)(入れず)>

    2つの鐘楼がすごく印象的な建物です。私は建築にあまり詳しくありませんが、ティーン教会の鐘楼の屋根は、すごくチェコ的、あるいは少なくとも中欧的だと思えました。なかなかステキで華やかな屋根なのですが、ピエロのとんがり帽子を連想してしまいます。旧市街広場に立って見渡すと、このティーン教会がオレンジ色の屋根のルネサンス様式の屋敷の向こうから上半身だけが見えます。全貌が見えないのは惜しいですが、これはこれで面白いです。

    ガイドブックには、修復中で入れないかも、とあったのであまり期待しないようにしていましたが―――案の定、入れませんでした(2004年7月現在)。あるいは違う時間帯なら入れたのでしょうか。でも、入れなかったティーン教会を最後に、今回のプラハ滞在中、旧市街広場の観光はもう終わりにする予定です。残りの3日半のプラハ滞在中、うち2日は日帰り旅行でプラハを出てしまいます。残りの1日、この教会が確実に見学できるという確信はないので、ついででもない限り、もうわざわざ旧市街広場に足を運ばないでしょう。

    <カルロヴァ通り (Karlova) 〜カレル橋 (Karlovy most)(途中まで)>

    旧市街広場の見どころの見学がだいたい終わったところで、16時すぎとなりました。今晩予約を入れているマリオネット劇は、18時開演です。劇場は、旧市街広場から歩いて15分から20分程度をみておけばよいでしょう。時間が中途半端に余ってしまいました。なので、カレル橋を見に行くことにしました。

    カレル橋に至る道筋は、途中から旧市街きってのショッピング・ストリートであるカルロヴァ通り (Karlova) となります(カルロヴァは、「カレルの」くらいの意味だろうゆえ、「地球の歩き方」の地図などではわかりやすく「カレル通り」と書かれてあります)。いやはや、聞きしに勝る繁華街ぶりでした。旧市街らしい石畳の道で、道路は乗用車が一台、ぎりぎり通れるくらいという細い道。それが、ひと目で観光客とわかる人々でぎっしり混雑しています。しかし、ゆっくりとしたペースで歩く分には、歩きにくいというほどではありませんでした。それより、通りの両サイドに並ぶ店のショーウィンドウに目が引き寄せられます。特に、ボヘミア名物・ガーネットのお店は、ガーネットのネックレスにリングでショーウインドウが見事にぎっしり。でも、ディスプレイの中の商品を、あんまり熱心に見ることはしないようにしました。でないと、私のことだから、また買いたくなってしまうからです。

    カルロヴァ通りで、マリオネットやブラックライトシアターの劇場を3つ見かけました。ムーステク付近まで範囲を広げ、場所の確認に行ったエステート劇場を含めると、それほど広い地区ではないのに今日は劇場を6つも見かけたことになります。旧市街地区には、それだけ集中しているということでしょう。カルロヴァ通りの劇場は、表から見る限り、お店に埋もれるか、お店と間違えられそうなささやかな所ばかりでしたが、看板に出ている演目には惹かれました。まだプラハ滞在中の夜の予定にまだ空きがあったなら、すぐにでもチケットを買ったかもしれません。

    マリオネット人形のお店も、いくつも見かけました。店員が観光客の気を引くために、店頭で人形を操って動かしてみせていたりします。少しだけ立ち止まって眺めました。お店に寄りたい気がしましたが、マリオネット劇の開演には時間のゆとりを持って劇場に向かいたいため、カレル橋へ急ぐことにしました。

    カレル橋に到着しました。当たり前のことですが、橋にいると橋が見えません。カレル橋の写真を撮るとしたら、別の橋から撮った方がサマになりそうです。ということで、写真は撮りませんでした。

    夕方のせいか、観光ピークの7月半ばの今日でも、橋付近は思ったより混んでいませんでした。両脇の聖人像を一つ一つ眺めながら橋を渡ることは、プラハ観光中にいずれするつもりですが、今は時間が気になるので途中で引き返しました。

    橋の入口に旧市街橋塔があります。かっこよくて気に入りました。ゴシック様式だと思いますが、フランスのゴシック様式の教会のような、いかにも天上を目指しています!―――という印象はなく、細長い箱型のどっしりした建物の上にドーンと屋根が乗っかった、腰の重そうな建物に見えます。黒ずみ具合や、建物の表面の実に細やかな模様が、ゴシックらしさをかもし出し、年月の重みを感じさせて、いいかんじです(……車の排気ガス等のせいで汚れているだけかもしれないけれど)。ガイドブックによると、この塔の上に登ってプラハの景観を楽しめるはずですが、時間はすでに17時近く。やはりマリオネット劇場の開演時間が気になるのでやめておきまた。(そして結局、このときの旅行では行きそびれたところの一つとなり、2005年7月の再訪でリベンジを果たしました。)

    旧市街広場へ戻る前に、旧市街橋塔の近くにある聖フランティシェック教会に寄り、再びカルロヴァ通りを通りました。行きは両サイドの店構えに目が引き寄せられましたが、帰りは店ではなく、建物に注目するようにしてみました。すると、店に目を奪われていたときには気付かなかったちょっとした発見がたくさんありました。プラハは第二次世界大戦では焼け落ちずにすんだと言われますが、なるほどと思わせる由緒ありそうな建物が目白押しです。ルネサンス様式やバロック様式の屋敷が色とりどりな可愛いパステルカラーで、建物の装飾の石像彫刻などがとても古めかしくて趣があります。カルロヴァ通りは、後日、もう1往復しましたが、1階の店を覗いても、2階以上の建物の外観に注目しても、何かしら発見がありました。あら、と気になって目を留めたくなるものが、次から次へと現れます。ただ歩くだけでも楽しい通りでした。

  • (写真は、旧市庁舎の塔から眺めたプラハの街並みです。王宮方向を縦でも撮影してみました。)<br /><br /><マリオネット「フィガロの結婚 (La Nozze di Figaro)」鑑賞(ムーステク通りのマリオネット劇場 (Marionette Theatre at Mustek))><br /><br />18時の開演より余裕をもって劇場に着いていようとあせったあまり、早くに着きすぎてしまいました。開場は、開演10分前とのこと。なのに、45分前に着いてしまいました。いまから出直すのも中途半端だし、少し休みたかったので、チケット売り場の窓口の前のイスで待たせてもらいました。もっとも、チケットを持っているということで、先にトイレだけは使わせてもらい、後は旅日記を書いていたら、時間はあっという間にすぎました。<br /><br />観客は少なかったです。10余人くらいしかいませんでした。だから、もともと自由席ですが、好きな席に座り放題でした。どうせなので1番前の席に座って、人形をじっくり見ることにしました。ところが、これは失敗でした。見えすぎて、かえって興ざめしてしまいました。人形自体は、グロテスクすれすれの、独特の味わいがあります。でも、マリオネットを操る透明な糸と、首の継ぎ目、ピノキオのような手足、それに時々、操る人の手が見えてしまって、興をそがれてしまいました。去年(2003年)の夏、ザルツブルグで初めてマリオネット劇を見たときは、人形のなめらかでとても人間らしい動きに、まるで人形に魔法で命が吹きこまれたような錯覚がして、非常に感動したものです。あちらの舞台は、衣装や舞台装置も、人形劇とは思えないほど洗練されていました。あのときの感動とはほど遠くて、がっかりしてしまいました。<br /><br />それに、舞台背景は、室内とバルコニーのシーンがほぼ交互に出てくるのですが、バルコニーの位置が高すぎでした。人形がバルコニーに立つと、手すりのすぐそばにいればかろうじて顔が見えますが、少しでも奥へ移動してしまうと、人形は全然見えなくなってしまうのです。要するに席が前すぎたわけですが、後ろの席でも、前の席との段差がほとんどないので、バルコニーで飛び跳ねる人形たちが見えたかどうかは怪しいです。上演の半分近く、そんなバルコニーを見上げることになったので、首が疲れました。<br /><br />「フィガロの結婚」というオペラ自体は、生身の人間にしろマリオネットにしろ、今まで聴いたことも見たこともありません。なので、プラハでこの演目をマリオネット劇で見る機会があるかもしれない、と日本で下調べしていてわかった時点で、インターネットでストーリーなどの予習をしておきました。おかげでかろうじて、それぞれのシーンがどういうシーンかわかりましたが、残念ながら、あいにくなんのシーンかわからずに進んでしまうところが半分以上ありました。<br /><br />それに、マリオネット劇なので音楽は録音テープで、人形は手足や首は自由に動きますが、口パクはできません。なので、誰が歌っているのか、わけがわからなくなるシーンも多かったです。特に、優男の従者ケルビーノは女声なので、ケルビーノが伯爵夫人ロジーナに迫る2人だけのシーンでは、どっちがどっちか、さっぱりわからなりませんでした。それ以上に見分けづらかったが、まだ若い伯爵夫人と、実はフィガロの母親であった女中頭マルチェリーナ。この二人は身分差も年齢差もあるので、服装や人形の顔つきですぐに区別がつくと思っていたのですが、伯爵夫人の人形が思ったほど美人でも若々しくもなく(人形の顔としては面白味があったのですが)、服装も豪華に見えなかったので、どっちがどっちか、最初は全然わからなくて混乱しました。<br /><br />そんな風に、あれぇ、あれぇと首を傾げている間に、あっという間にフィナーレ。登場人物が全員で歌うことで有名らしいフィナーレは、私の中、録音テープの歌声と、飛び跳ねる人形たちが、完全に分離してしまいました。それに、上演時間は1時間15分でした。よくわからないけれど、「フィガロの結婚」って、そんなに短いオペラでしたっけ?(後日、ネットで調べてみたところ、どこも上演時間は約3時間とありました。とすると、このマリオネット劇は、カットされていたということになりますね。)

    (写真は、旧市庁舎の塔から眺めたプラハの街並みです。王宮方向を縦でも撮影してみました。)

    <マリオネット「フィガロの結婚 (La Nozze di Figaro)」鑑賞(ムーステク通りのマリオネット劇場 (Marionette Theatre at Mustek))>

    18時の開演より余裕をもって劇場に着いていようとあせったあまり、早くに着きすぎてしまいました。開場は、開演10分前とのこと。なのに、45分前に着いてしまいました。いまから出直すのも中途半端だし、少し休みたかったので、チケット売り場の窓口の前のイスで待たせてもらいました。もっとも、チケットを持っているということで、先にトイレだけは使わせてもらい、後は旅日記を書いていたら、時間はあっという間にすぎました。

    観客は少なかったです。10余人くらいしかいませんでした。だから、もともと自由席ですが、好きな席に座り放題でした。どうせなので1番前の席に座って、人形をじっくり見ることにしました。ところが、これは失敗でした。見えすぎて、かえって興ざめしてしまいました。人形自体は、グロテスクすれすれの、独特の味わいがあります。でも、マリオネットを操る透明な糸と、首の継ぎ目、ピノキオのような手足、それに時々、操る人の手が見えてしまって、興をそがれてしまいました。去年(2003年)の夏、ザルツブルグで初めてマリオネット劇を見たときは、人形のなめらかでとても人間らしい動きに、まるで人形に魔法で命が吹きこまれたような錯覚がして、非常に感動したものです。あちらの舞台は、衣装や舞台装置も、人形劇とは思えないほど洗練されていました。あのときの感動とはほど遠くて、がっかりしてしまいました。

    それに、舞台背景は、室内とバルコニーのシーンがほぼ交互に出てくるのですが、バルコニーの位置が高すぎでした。人形がバルコニーに立つと、手すりのすぐそばにいればかろうじて顔が見えますが、少しでも奥へ移動してしまうと、人形は全然見えなくなってしまうのです。要するに席が前すぎたわけですが、後ろの席でも、前の席との段差がほとんどないので、バルコニーで飛び跳ねる人形たちが見えたかどうかは怪しいです。上演の半分近く、そんなバルコニーを見上げることになったので、首が疲れました。

    「フィガロの結婚」というオペラ自体は、生身の人間にしろマリオネットにしろ、今まで聴いたことも見たこともありません。なので、プラハでこの演目をマリオネット劇で見る機会があるかもしれない、と日本で下調べしていてわかった時点で、インターネットでストーリーなどの予習をしておきました。おかげでかろうじて、それぞれのシーンがどういうシーンかわかりましたが、残念ながら、あいにくなんのシーンかわからずに進んでしまうところが半分以上ありました。

    それに、マリオネット劇なので音楽は録音テープで、人形は手足や首は自由に動きますが、口パクはできません。なので、誰が歌っているのか、わけがわからなくなるシーンも多かったです。特に、優男の従者ケルビーノは女声なので、ケルビーノが伯爵夫人ロジーナに迫る2人だけのシーンでは、どっちがどっちか、さっぱりわからなりませんでした。それ以上に見分けづらかったが、まだ若い伯爵夫人と、実はフィガロの母親であった女中頭マルチェリーナ。この二人は身分差も年齢差もあるので、服装や人形の顔つきですぐに区別がつくと思っていたのですが、伯爵夫人の人形が思ったほど美人でも若々しくもなく(人形の顔としては面白味があったのですが)、服装も豪華に見えなかったので、どっちがどっちか、最初は全然わからなくて混乱しました。

    そんな風に、あれぇ、あれぇと首を傾げている間に、あっという間にフィナーレ。登場人物が全員で歌うことで有名らしいフィナーレは、私の中、録音テープの歌声と、飛び跳ねる人形たちが、完全に分離してしまいました。それに、上演時間は1時間15分でした。よくわからないけれど、「フィガロの結婚」って、そんなに短いオペラでしたっけ?(後日、ネットで調べてみたところ、どこも上演時間は約3時間とありました。とすると、このマリオネット劇は、カットされていたということになりますね。)

  • (写真は、旧市街広場のフス像です。フスの頭のてっぺんにハトがとまったところを狙って撮りました。右側に見える華やかな建物は、キンスキー宮殿です。)<br /><br /><ブラックライトシアター「ファウスト (Faust)」鑑賞(ブラックライト・オールカラー・シアター (Black Light Theatre) http://www.blacktheatre.cz/ )><br /><br />楽しみにしていたマリオネット劇「フィガロの結婚」は、悪くはないけれど、良くもない、というところでした。はっきり言って、充実したナイトライフを過ごせたという気はせず、物足りません。ここからほど近い、エステート劇場のそばにあるブラックライト・オールカラー・シアターの「ファウスト」は19時半開演です。まだ間に合うので、直接窓口で、本日の公演の空き席がないかどうか、当たってみることにしました。<br /><br />チケットは窓口であっさり買えました。450チェコ・コルナ(約2,250円)(2004年7月当時。換算レートは1チェコ・コルナを円安めに約5円としています)。ブラックライトシアターのチケットがこうもあっさり買えるとは。初日のプレイガイドで払った手数料1件につき60チェコ・コルナはなんなのでしょう。こういうのは当日こうやって窓口でチケットを買うんで充分なのだと思い知りました。しかし、プラハでブラックライトシアターを絶対に見るんだ!と息巻いていましたからね、私。昨日はプレイガイドで手数料を払っても、確実にチケットをゲットしたいと思ったのです。<br /><br />ブラックライト・オールカラー・シアターの「ファウスト」は、ゲーテの戯曲をベースにしたおどろおどろしいものを想像していましたが、はじめはまるで様子が違いました。主人公は、陽気で純朴な農夫のおじさん、というかんじです。まずは、酔っ払って朝帰りして母ちゃん(奥さん)に家に入れてもらえなくて追っ払われます。おっちゃんは家に戻るのをあきらめ、動物や花や魚や郵便ポストのフェルトのぬいぐるみのようなものに、こんにちはと挨拶されたり、からかわれたりしながら、丘を越え、海を渡り、嵐に会い、見知らぬ町を珍しそうに歩き……と、気ままな旅をします。予想に反した、実にのどかなシーンが続いて、「なんじゃ、こりゃぁ」と思いました。<br /><br />今にして思えば、このあたりののどかなシーンが一番、ブラックライトシアターらしい演出が続いていたのですが、このときは、これは本当に「ファウスト」伝説と関係があるのか、と怪しみながら見ていたので、それどころではありませんでした。一応、ときどき悪魔サタンが、契約をしないか、と誘惑しに来ることは来ました。そして1幕の終わりで、主人公はついに、悪魔との契約にサインをしてしまいます。第2幕は、主人公が妖艶な美女たちに囲まれた怪しげな宴で浮かれているところから始まりました。うーん、一応、「ファウスト」でしたね。<br /><br />ブラックライト・オールカラー・シアターの「ファウスト」は、そのタイトルからは予測もつかないファンタジーな演出でしたが、それにこだわらわなければ、なかなかよかったです。人間の登場人物たちは、どこかバレエに通じる踊りを次々と披露し、優雅で美しかったです。歌も、各国からの観光客を意識しているのでしょう、スペイン語の歌もあれば、イタリア語の歌、英語の歌と、色々な言語で歌われていました。<br /><br />それにしても、同じブラックライトシアターでも、昨日のイメージ・シアターと、ここブラックライト・オールカラー・シアターのものとでは、随分、印象が違いました。「地球の歩き方」のブラックライトシアターの紹介文も少しずつ違うので、劇場によって特徴が違うのだろうと予測していたにしても、これほど違うものかと驚きました。<br /><br />昨日のイメージ・シアターの上演は、「ベスト・オブ・イメージ」のタイトルどおり、ストーリー性のあるものやテーマのあるものというより、それまでの複数の演目の中から、人気のあったハイライトをピックアップしてまとめていました。言うなれば、ブラックライト効果を使った幻想的なマジックショーというかんじでした。<br /><br />一方、今晩のブラックライト・オールカラー・シアターは、「地球の歩き方」の紹介文でも「マリオネットを使った」というところが特徴的でした。ロングランなのか、「地球の歩き方」にはこの「ファウスト」の紹介もあり、「役者とマリオネットによるミュージカル仕立て」とありました。「マリオネット」という言葉から想像していたのとは全く違う、とても可愛らしいマスコットたちが登場しました。光と影をうまく使って、いわゆる黒子が見えないようにしていましたが、言われてみれば、あれは確かに、操り人形、マリオネットでした。<br /><br /><ホテルに戻れたのは夜中近く><br /><br />「ファウスト」は全2幕でした。間に15分の休憩を挟み、閉幕時にはとっくに22時をすぎてしまいました。さすがに帰路が心配になってきました。劇場の前には、エステート劇場も近いせいか、タクシーがずらりと待機していました。でも今回は、地下鉄とトラムを乗り継いで帰ることにします。少なくとも、ムーステク駅周辺は、まだまだ店のネオンや照明で明るく、人通りも多く、賑わっていたので。ムゼウム駅でそれほど待たされることなく、無事、トラムをつかまえましたと。これでそのままホテル前に直行、ひと安心!―――と思ったら、ホテルに戻るにはヴィノフラスカー通りをこのまま真っ直ぐ行けばよいはずなのに、このトラムは途中で曲がってしまったのです。あせったのなんのって!<br /><br />慌てて、運転手に、このトラムはホテル最寄りの停留所「ソリダリタ(Solidarita)」に行かないのか、と尋ねたら、このまま車庫入りするんだ、と言われてしまいました。ひえーっ。もうっ、教えてよね、と言いたいところですが、たとえ車内放送があったのだとしても、チェコ語では私にはわからなかったでしょう。放送があっても無視していた可能性があります。<br /><br />慌てて、すぐ直後の停留所でトラムを下りて、元のヴィノフラスカー通りまで2駅分ほど歩きました。そして、今度こそ、ソリダリタまで行くトラムをつかまえました。もっとも、このとき、さきほどのトラムが途中で路線変更をして車庫入りしてしまうトラムだと知らなかったのは、私だけではありませんでした。何人もの人が同じように慌てて私と一緒に下車し、歩いてヴィノフラスカー通りまで戻り、トラムをつかまえ直しました。おかげで、あんまり心細くありませんでした。ただし、トラム2駅分は意外に距離があって、ほとんど小走りに近いペースでも15分ほど歩きました。結果、ホテルに着いたのは23時15分。慣れない旅先にしては、我ながら結構な時間まで夜歩きしてしまいましたよ。<br /><br />後から思い出したのですが、途中で車庫入りしたあのトラムは、停留所の時刻表に※印がついていて、欄外になにやら注意書きがなされていたやつでした。チェコ語なので読めず、構わず乗ったのです。今度からは、その※印付のトラムには乗らないようにしましょう。<br /><br />さらに後日譚。その時刻表の欄外の注意書きを、翌日、旅日記帳の余白に書き写しておきました。誰かチェコ語が読める人に意味を聞こうと思って。そして、ついでのときに、忙しくなさそうなのを見計らって、レセプションの男性に尋ねてみました。彼はメガネの縁をクイッと持ち上げながら、目を細めてジッと眺め、「私にはわからない」と言いました。「えっ、あの、チェコ語がわからないんですか?」と思わず失礼な聞き返し方をしたら、「意味をなさない」と言い返されました。<br /><br />うーん、スペルミスのないように、丁寧に書き写してきたはずなのに、本当に意味をなさない文章だったのだでしょうか。トラム停留所の時刻表の欄外の説明文なのに。たとえ多少の書き写しミスがあっても、推測くらいできないものでしょうか。あるいは、そこまで考えてあげる必要はない、とバッサリ切られたかな。このホテルのレセプションに対する私の評価はよくないので、疑い出したらきりがありませんでした。

    (写真は、旧市街広場のフス像です。フスの頭のてっぺんにハトがとまったところを狙って撮りました。右側に見える華やかな建物は、キンスキー宮殿です。)

    <ブラックライトシアター「ファウスト (Faust)」鑑賞(ブラックライト・オールカラー・シアター (Black Light Theatre) http://www.blacktheatre.cz/ )>

    楽しみにしていたマリオネット劇「フィガロの結婚」は、悪くはないけれど、良くもない、というところでした。はっきり言って、充実したナイトライフを過ごせたという気はせず、物足りません。ここからほど近い、エステート劇場のそばにあるブラックライト・オールカラー・シアターの「ファウスト」は19時半開演です。まだ間に合うので、直接窓口で、本日の公演の空き席がないかどうか、当たってみることにしました。

    チケットは窓口であっさり買えました。450チェコ・コルナ(約2,250円)(2004年7月当時。換算レートは1チェコ・コルナを円安めに約5円としています)。ブラックライトシアターのチケットがこうもあっさり買えるとは。初日のプレイガイドで払った手数料1件につき60チェコ・コルナはなんなのでしょう。こういうのは当日こうやって窓口でチケットを買うんで充分なのだと思い知りました。しかし、プラハでブラックライトシアターを絶対に見るんだ!と息巻いていましたからね、私。昨日はプレイガイドで手数料を払っても、確実にチケットをゲットしたいと思ったのです。

    ブラックライト・オールカラー・シアターの「ファウスト」は、ゲーテの戯曲をベースにしたおどろおどろしいものを想像していましたが、はじめはまるで様子が違いました。主人公は、陽気で純朴な農夫のおじさん、というかんじです。まずは、酔っ払って朝帰りして母ちゃん(奥さん)に家に入れてもらえなくて追っ払われます。おっちゃんは家に戻るのをあきらめ、動物や花や魚や郵便ポストのフェルトのぬいぐるみのようなものに、こんにちはと挨拶されたり、からかわれたりしながら、丘を越え、海を渡り、嵐に会い、見知らぬ町を珍しそうに歩き……と、気ままな旅をします。予想に反した、実にのどかなシーンが続いて、「なんじゃ、こりゃぁ」と思いました。

    今にして思えば、このあたりののどかなシーンが一番、ブラックライトシアターらしい演出が続いていたのですが、このときは、これは本当に「ファウスト」伝説と関係があるのか、と怪しみながら見ていたので、それどころではありませんでした。一応、ときどき悪魔サタンが、契約をしないか、と誘惑しに来ることは来ました。そして1幕の終わりで、主人公はついに、悪魔との契約にサインをしてしまいます。第2幕は、主人公が妖艶な美女たちに囲まれた怪しげな宴で浮かれているところから始まりました。うーん、一応、「ファウスト」でしたね。

    ブラックライト・オールカラー・シアターの「ファウスト」は、そのタイトルからは予測もつかないファンタジーな演出でしたが、それにこだわらわなければ、なかなかよかったです。人間の登場人物たちは、どこかバレエに通じる踊りを次々と披露し、優雅で美しかったです。歌も、各国からの観光客を意識しているのでしょう、スペイン語の歌もあれば、イタリア語の歌、英語の歌と、色々な言語で歌われていました。

    それにしても、同じブラックライトシアターでも、昨日のイメージ・シアターと、ここブラックライト・オールカラー・シアターのものとでは、随分、印象が違いました。「地球の歩き方」のブラックライトシアターの紹介文も少しずつ違うので、劇場によって特徴が違うのだろうと予測していたにしても、これほど違うものかと驚きました。

    昨日のイメージ・シアターの上演は、「ベスト・オブ・イメージ」のタイトルどおり、ストーリー性のあるものやテーマのあるものというより、それまでの複数の演目の中から、人気のあったハイライトをピックアップしてまとめていました。言うなれば、ブラックライト効果を使った幻想的なマジックショーというかんじでした。

    一方、今晩のブラックライト・オールカラー・シアターは、「地球の歩き方」の紹介文でも「マリオネットを使った」というところが特徴的でした。ロングランなのか、「地球の歩き方」にはこの「ファウスト」の紹介もあり、「役者とマリオネットによるミュージカル仕立て」とありました。「マリオネット」という言葉から想像していたのとは全く違う、とても可愛らしいマスコットたちが登場しました。光と影をうまく使って、いわゆる黒子が見えないようにしていましたが、言われてみれば、あれは確かに、操り人形、マリオネットでした。

    <ホテルに戻れたのは夜中近く>

    「ファウスト」は全2幕でした。間に15分の休憩を挟み、閉幕時にはとっくに22時をすぎてしまいました。さすがに帰路が心配になってきました。劇場の前には、エステート劇場も近いせいか、タクシーがずらりと待機していました。でも今回は、地下鉄とトラムを乗り継いで帰ることにします。少なくとも、ムーステク駅周辺は、まだまだ店のネオンや照明で明るく、人通りも多く、賑わっていたので。ムゼウム駅でそれほど待たされることなく、無事、トラムをつかまえましたと。これでそのままホテル前に直行、ひと安心!―――と思ったら、ホテルに戻るにはヴィノフラスカー通りをこのまま真っ直ぐ行けばよいはずなのに、このトラムは途中で曲がってしまったのです。あせったのなんのって!

    慌てて、運転手に、このトラムはホテル最寄りの停留所「ソリダリタ(Solidarita)」に行かないのか、と尋ねたら、このまま車庫入りするんだ、と言われてしまいました。ひえーっ。もうっ、教えてよね、と言いたいところですが、たとえ車内放送があったのだとしても、チェコ語では私にはわからなかったでしょう。放送があっても無視していた可能性があります。

    慌てて、すぐ直後の停留所でトラムを下りて、元のヴィノフラスカー通りまで2駅分ほど歩きました。そして、今度こそ、ソリダリタまで行くトラムをつかまえました。もっとも、このとき、さきほどのトラムが途中で路線変更をして車庫入りしてしまうトラムだと知らなかったのは、私だけではありませんでした。何人もの人が同じように慌てて私と一緒に下車し、歩いてヴィノフラスカー通りまで戻り、トラムをつかまえ直しました。おかげで、あんまり心細くありませんでした。ただし、トラム2駅分は意外に距離があって、ほとんど小走りに近いペースでも15分ほど歩きました。結果、ホテルに着いたのは23時15分。慣れない旅先にしては、我ながら結構な時間まで夜歩きしてしまいましたよ。

    後から思い出したのですが、途中で車庫入りしたあのトラムは、停留所の時刻表に※印がついていて、欄外になにやら注意書きがなされていたやつでした。チェコ語なので読めず、構わず乗ったのです。今度からは、その※印付のトラムには乗らないようにしましょう。

    さらに後日譚。その時刻表の欄外の注意書きを、翌日、旅日記帳の余白に書き写しておきました。誰かチェコ語が読める人に意味を聞こうと思って。そして、ついでのときに、忙しくなさそうなのを見計らって、レセプションの男性に尋ねてみました。彼はメガネの縁をクイッと持ち上げながら、目を細めてジッと眺め、「私にはわからない」と言いました。「えっ、あの、チェコ語がわからないんですか?」と思わず失礼な聞き返し方をしたら、「意味をなさない」と言い返されました。

    うーん、スペルミスのないように、丁寧に書き写してきたはずなのに、本当に意味をなさない文章だったのだでしょうか。トラム停留所の時刻表の欄外の説明文なのに。たとえ多少の書き写しミスがあっても、推測くらいできないものでしょうか。あるいは、そこまで考えてあげる必要はない、とバッサリ切られたかな。このホテルのレセプションに対する私の評価はよくないので、疑い出したらきりがありませんでした。

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この旅行記へのコメント (11)

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  • とんちゃん健康一番さん 2006/09/09 11:11:44
    見つけた♪
    まみさんへ お邪魔します!!
    ぶぅ〜ちゃん みっけ!可愛い!!
    あっ。旅行記のコメントを書かなくてすみません。
    また、ゆっくりお邪魔させて頂きます!!

    まみ

    まみさん からの返信 2006/09/12 00:39:25
    RE: 見つけた♪
    とんちゃん健康一番さん、こんにちは。

    ぶうちゃん、見つけましたね。
    もしかしたら3人目の旅のおともに連れていくかもしれません。
    プロフィールのひよこと、ポーランドのお食事編で活躍している「ゆかいなお友達」に続いて。
    ひよことゆかいなお友達はなにかにたてかけさせないと立ちませんが、ぶうちゃんは四つ足のおかげで一人で立つので、ファンダーに入れるのがなにかと楽そうで。

    旅行記の方もなっがーいですから、ゆっくり読んでくださいませ。きっと読むだけで一苦労しちゃいますよね。。。
  • babyananさん 2006/09/07 22:37:19
    私は、「ドン・ジョバンニ」
    とても興味深い旅行記です!

    私も2004年にプラハを訪れました☆
    時間はあまり無かったので、軽く市内を回っただけなのですが(汗)
    (近いうちに、アップしたいと思います♪)

    チェコなら人形劇かしら?と単純に考え、まみさんと同じく国立マリオネット劇場へ人形劇を観に行きました〜私は「ドン・ジョバンニ」でしたよ。

    最初で最後の(今のトコ)人形劇なので比べられず、「人形劇って、こんなものなのかぁ」と思っていましたが。他の国はまた、ちょっと違った趣のようですね?
    まみさんの言うように、端々がちょっと雑に思えてしまったところもありましたが・・・というか、解りにくかったですね。予め、内容を把握しておいたから、まだ良かったですけど。

    カレル橋を渡っていると、中央あたりの「聖ヤン・ネポムツキー像」のところに人だかりが。。見てみると皆、台の金色のところをしきりに触れていました。???とりあえず私も触れておきましたが、未だに理由がわかりません(笑)

    歴史的な背景は、とても勉強になりました。私も前出の萌愛さん(突然すみません。はじめましてです。)のように、学生時代は歴史(特に世界史・汗)はさっぱりでしたが(今もなお・汗汗)、旅行でいろいろな国を訪れるようになってから興味が出てきたクチです。なので、行った事の無い国は未だに???ですね・笑

    これからも、アップ楽しみにしていますね♪

    旅行の準備は、順調ですか〜?

    まみ

    まみさん からの返信 2006/09/08 22:49:44
    RE: 私は、「ドン・ジョバンニ」
    babyananさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    国立マリオネット劇場にbabyananさんも行かれたんですね。
    私も再訪の翌年に行ってますよ〜@
    もしまだでしたら、こちらもぜひ覗いてくださいませ。

    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10032214/

    babyananさんのプラハも楽しみです。

    カレル橋のネポムツキー像の足もとをみんなが触っててつるつるになっているのは、どうやら「逆さに吊るされたネポムツキーを触ると、きっと良いことがある」と地元で伝えられているから、だそうです。
    旅名人ブックスの「プラハ・チェコ 中世のおもかげを残す中欧の町々」
    にありました。
    この本、ご存じでしたか。いいですよ。写真はきれいですし、プラハについては詳しいです。そしてチェコのめぼしい観光都市をくまなく紹介してくれています。
    私はまずこの本を読んで、ルートを決めました。
    もちろん、この本以外にもたくさん見どころがありますが、初チェコ旅行としては行程を決めるのにちょうどわかったです。
    このシリーズは「ハンガリー 千年王国への旅」もあるんですよね。
    ルーマニアもあればいいのに。

    旅行準備は、1ヵ所をのぞき、ホテル予約を先週終え、いまはLonely Planetを読み、ネットで情報を補充しているところです。
    はじめてのオンライン予約、それからなかなか返事のくれないハンガリーの小さなホテルやペンション。インターバルがあったとはいえ、まる1ヶ月かかりましたねぇ。
    ま、別にその間1日24時間ずーっと旅行の準備をしていたわけでもありませんが。
    (ご存じ、お花を求めて行ける範囲や近所の近場を廻ってますし、撮った花の名前を本やネットで調べるのも楽しいです@)

    まあ後は、のりのりのときには楽しいけれど、だいたいにおいてちょっとやっかいなのが、持ち物リストですね。
    荷物が多い人なのですよ、私。なかなか減らせない。
    それに当たり前のように機内に持ち込んでいた保湿化粧水やヘアースプレーとか、そういうのを機内に持ち込むのはやめておいたり。
    去年まで夏だったので、防寒も考えたいけれどかさばるのは嫌だし、洗濯の都合を考えるとどんな服を持って行くか。
    持参する医薬品の賞味期限@をチェックして、補充するものかあるか。
    資料は何を持っていか。
    なにをどこに収納するか。スーツケースか、手荷物のバッグか、とりやすいポケットに入れるものは何にするか。
    前回の旅行で要らないと思ったもの、あると便利だと思ったものをもう一度見直すとか。

    ま、なんだかんだいって、楽しいんでしょうね、進んでこういうことに頭を悩ませようとするわけですから@
  • 義臣さん 2006/09/06 17:50:00
    別世界
    まみさん、素晴らしい紀行文で、
    とても最後まで一遍には読みきれません。
    申し訳ないですがプリントさせてください、
    是非 ゆっくり全部読ませてください、

    まみ

    まみさん からの返信 2006/09/07 03:02:46
    RE: 別世界
    義臣さん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    オンラインで読むにはちょっと不便な量になってしまいました。書いた私も何日にも分けてドラフトし、こちらにアップするために推敲を重ねました@
    敬遠されそうな長さですが、プリントアウトして読んでいただけるなんてうれしいです。
    2004年の旅行記はことさら長くなってしまって、あと少しのところで挫折してしまいました。
    翌日のカルロヴィ・ヴァリとその日のプラハの分だけ、なんとか旅行に行く前にアップできそうです@

    義臣

    義臣さん からの返信 2006/09/07 07:15:11
    RE: 別世界
    有難うございます。
    あまり興味の無かった国々が急に身近に感じまして。
    多分 一生行く事はでき無いでしょうが。
    地図を見る時はキット目をこの付近に行く事と思います。
    楽しみで、
  • 萌愛さん 2006/09/05 11:54:58
    カール、ジョージ、ジェームズ…
    罪つくりな名前ですよ。(キッパリ)
    ヨーロッパ史で、いろんなお国で出てくるんですよねぇ。これが、世界史挫折の原因のひとつでありました。

    まみさんは、本当に行動的ですね。時間配分とか感心します。
    私が同じだけ観光しようとしたら3倍はかかります(泣く)私は、聖ミクラーシュ教会がクローズドで、イージー教会は見学できました。(ド派手でありました♪)旧市庁舎のガイドツアーも流石!でありまする。私の英語力では苦しいかったかも??しれません。ミュシャ美術館へは行かなかったのですが(聖フランチェスコ教会の特別展で満足してしまったので)ミュシャについて深く知りたいのなら行くべきでしょうが…しかし、私が特別展に行った日に美術館へ行った方は、絵に関しては同情しますよ。(多分、特別展の方が内容が良かったと確信しているので)

    さて、ミュシャの絵のアルバムとプラハ教会特集のアルバムをアップしようかどうか、考えています。ウンチクが皆無に近いので…最近、薀蓄が書けないとアルバムが作れなくなっている?って、私のウンチクも読みたい方もそういないでしようが…

    まみさんの豊富な知識と薀蓄に脱帽の萌愛でございます。

    まみ

    まみさん からの返信 2006/09/05 22:29:34
    RE: カール、ジョージ、ジェームズ…
    萌愛さん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    長々な旅行記を読んでいただいてありがとうございます。

    チャールズがカレルとわかったときの衝撃!
    いやぁ、あちらのお国の人は聖人から名前を取るから名前がワンパターンですよね。父も子も同性同名なんてざらですもの。だからあだ名やミドルネームが発達するのでしょう。
    ヨーロッパは国境が激変しましたし、王族貴族って狭い世界ですよね。いりくんでいて、なんじゃこりゃーと思いますが、現代史よりは近代や中世が好きな私は、ヨーロッパ王国や名家の横のつながりのパズルが1つ解けると、その以外なつながりがすごく面白いです。
    東欧旅行にはまって歴史を下調べするようになって、西欧史に意外に食い込んでいる東欧史の存在に、西欧史を見る目が変わって面白いですう。
    だいたい日本で世界史、欧州史として紹介されるのは西欧に偏り過ぎなんです、とすごーく思います。

    というか、日本での稀少とわかればわかるほど追いかけたくなるような、我が道を行くぜ!みたいな天の邪鬼がちょっと頭をもたげてるかもしれません。

    そうそう、チェコ史だけでなく、今度の行き先のハンガリー史を英語で読んでいて衝撃だったのは、初代国王であるイシュトヴァーン一世、ご存知でした?
    英語ではなんと、ステーブンです。えええーっ、でしょお?
    名前から感じる印象が違いすぎます。

    それから、ムハの特集、ぜひやってくださいませよ。
    蘊蓄もいいけど、蘊蓄を無視した萌愛さんの感想も面白いと思いますよ。
    まとめ方にも個性が出るので楽しみです@

    萌愛

    萌愛さん からの返信 2006/09/05 23:37:46
    RE: RE: カール、ジョージ、ジェームズ…とステーブン
    まみさん、こんばんは。
    イシュトバァーン1世がステーブンって、2002年に知って「打撃」でありましたよお〜!「ハンガリーのイメージがあぁ〜!!」って思ってしまった私です。その後、ハンガリーの自分のイメージを死守すべく?とりあえず忘却してます(って自分の願望で…)

    私は大人になってというか、具体的に色々な国に旅行し始めてから、むしろ高校の頃より、世界史が少しは分るようになりました♪
    ひとつひとつの国の歴史(特に中世、近世)って東欧、西欧って区別も??なくらい、血族が入り組んでいますよねえ。まあ、戦争阻止の各国の政略の一致とか勢力関係とか…調べていると結構面白いです(これは、試験ってのがない気楽さからきているのかも?)

    絵に説明を加えるのは、とっても苦手です!ミュシャの絵はアップしてもエピソードくらいしか…書けませんよ。って、アップはまだ未定でありまするm(__)m

    まみ

    まみさん からの返信 2006/09/07 03:10:22
    RE: RE: RE: カール、ジョージ、ジェームズ…とステーブン
    萌愛さん、こんにちは。

    おお、イシュトヴァーンvsスティーブンの衝撃の洗礼は、すでに経験済みでしたか。私はごく最近です。
    2年前にハンガリーに行ったとき、メインはチェコだったので、どうしても後ろでにまわりがちでした。
    ま、今年の旅行ではルーマニアがそうですけど。

    そう、私も萌愛さんと同じく、その国に行くようになって、いりくんだ世界史のいろんな面を知り、理解できるようになった気がします。
    その国に行こうと思うと関心がわきますしね。
    個人で旅行する場合はなおさら、説明してくれるガイドさんもいないし、知らないと面白みが半減しますから。
    東欧の現代史に関心を抱くようになったのも、東欧を旅行するようになってからですしね。
    東欧革命が実際におきているときは、せいぜいロシアのペレストロイカくらいしか関心がありませんでしたから。

    ミュシャの旅行記。エピソードも歓迎@
    ゆっくりアップしてくださいませ@
    2004年のチェコ旅行は、あと1日分はドラフトがあるので、行く前にアップできそうです。
    テルチ編は、チェコで開拓し、お気に入りとなった画家の絵、実際にはポストカードですが、その写真をアップできそうです@
    嬉しいことにあの旅行記はおかげさまで投票率が私の旅行記の中では一番よくて、先日自分でも読みなおし……タイポも見つけたから訂正するついでに。

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