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シルクロードを巡るツアーに行きたく以前から調べていたが8日間以上のコースしか無かったので日程の関係で行けなかった。<br /> そこで今回「シルクロード感動紀行」ウルムチ・トルファン・敦煌・西安6日間のコースが出来て休みの方も取れたので行くことが出来た。<br /> このコース私としては、久しぶりのツアーによる旅行であった。さすがにこのコースを選んで参加した人達は、皆さん海外旅行好きの人達ばかりで帰国後も連絡を取り合ってお会いした方が多かった。<br /><br /> 絹の道シルクロードは、この道を通じて文化や、人、物などさまざまな交流が行われた。玄奘三蔵やマルコポーロを初め多くの僧侶などがインドを往来するなど東西の文化交流などが行われた道である。現在は、砂漠となってしまった地域が多く当時の遺跡がそのまま残っている。それらの多くは、佛教芸術の宝庫であり、また民俗の交流点として私の心を引きつけた。<br /><br /> コース<br />7/19 西安着後 漢陽陵博物館観光<br />     夕方西安発 ウルムチ着後にホテルへ<br />7/20 ウルムチ郊外・市内観光<br />      天地・新彊ウイグル自治区博物館・紅山など<br />     観光後トルファン泊<br />7/21 トルファン観光<br />      アスターナ古墳・高昌故城・火焔山・ベセクリフ千仏洞・カレーズ(地下水道)・バザール等<br />     夜に寝台列車で柳園へ<br />7/22 柳園駅着後にバスで敦煌へ<br />     午後「世界遺産」敦煌莫高屈観光<br />             敦煌観光(鳴沙山・月牙泉など)<br />     夕食は名物シシカバブと敦煌名物料理<br />7/23 朝 敦煌発 西安へ<br />     着後 西安市内観光(陜西歴史博物館・大雁塔・花清地・秦の始皇帝陵など<br />     空路帰国の途へ<br /><br /> 西安は、数十年前に日中友好協会のツアーで行ったことがあるが、時代も変わり西安市内のビル群や陜西歴史博物館など立派な観光地として発展した。しかし大雁塔・花清地・秦の始皇帝陵などは、昔のままで残っていてほっとした。秦の始皇帝陵である周辺は、現在発掘調査が行われていて帝陵の規模の大きさが判りつつある。その中でも兵馬俑で名高い兵馬博物館は、始皇帝の陵墓を守る陪葬物として作られた等身大の兵士像や馬の焼き物の表情が全て違っていて壮観である。<br /><br />【エピソード】<br />敦煌のホテルで骨董品が売られていたので出発間際に友人が「青銅鏡売ってるわ」と教えてくれた。その彼、実は後から知ったが中国の青銅器について大変詳しくすぐに何時頃の時代の物であるとすぐに言えるほどであった。<br />特に鏡については、直径5センチの古ぼけた一見偽物しか見えない鏡を数万円で買っていた。そして私が興味を示していた25センチ程の青銅鏡があると教えてくれた。どうせ偽物だろうと見に行くと模様の輪郭もくっきりしていてなかなかの年代物に見えた。そこで店の人に値段を聞いて「高い」と行ってかまして出てきた。本当は気に入って手に入れたかったが足下を見られては値下げ交渉出来ないのですぐに出てきたのである。すると店の人は、追っかけてきて「負けるよ・・、いくらなら買う?」とロビーまで追っかけてきた。そこで中国の青銅器に詳しい彼に相談し値段をいうと「半値以下なら値打ちあるな」と答えた。実は、その彼も私より前に交渉済みであったらしいが、先に年代の古いのを買っていたのと持って帰るのに税関で見つかると没収されるかも知れないので買わなかったらしい。<br />ところがである。たまたま交渉していた時に、他の客が入ってきて陳列棚を動かしたかで神事に使う高価な「象牙の錫杖」が床に落ち二つに割れてしまった。それ以来店主のきげんが悪くなり「今日の儲けが無い」とブツブツ・・・。半分以下に負けなかったのと出発の時間だったのであきらめてバスに乗りに行こうとしたところ、店主が追いかけてきて「わかった」と言ってこちらの買値で買えた。多分偽物だろうが私の宝物の1つに加わったのである。<br />その後訪れた、西安でも現地ガイドが連れていってくれたレストランに同様の青銅鏡が売られていた。ここはさすがに本場と偽物が同居しているらしく沢山の物が並んでいて非常に高かった。偽物の安い値札が付いた青銅器を半値以下で買うため交渉し2個買うのでさらに安くしてくれと迫った。しかし、まけなかったので店を出たところ追っかけてきて「3個買うなら安く売る」という事になった。この為、値段交渉と包装するのに7分ほど出発が遅くなってしまいツアーの皆さんに待たせて迷惑をかけてしまった。そしたら皆さんが大変興味を示してバスの中でどの様な物か是非見せてくれとせがまれ紐でしっかり縛ったのをお見せした。さすがシルクロードへ行くツアーの一行だけに年代や模様を彼が詳しく説明していると、そんなのがあったのなら買いたかったという人が多くいた。<br />ところがである。わたしは、空港に近づくに連れ、彼が話していた「税関で見つかると没収されるかも知れない・・」という言葉が気になりだした。X線を通した直後に案の定「中身を開けて見せろ」と言うことになった。落としたり飛行機の中でバウンドしたりすると割れる事があるので布で1つずつ新聞紙や布で重ねて梱包したのでなかなか開けられなかつたのである。<br />中身を見た係員は、「これは何だ・・」と言ったので「ミラー イミテーション ミラー・・」と答えて無事に通過し手続きが完了したのである。<br /><br /> ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

「シルクロード感動紀行」? 西安 2001年07月23日

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2001/07/23 - 2001/07/23

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koi

koiさん

シルクロードを巡るツアーに行きたく以前から調べていたが8日間以上のコースしか無かったので日程の関係で行けなかった。
そこで今回「シルクロード感動紀行」ウルムチ・トルファン・敦煌・西安6日間のコースが出来て休みの方も取れたので行くことが出来た。
 このコース私としては、久しぶりのツアーによる旅行であった。さすがにこのコースを選んで参加した人達は、皆さん海外旅行好きの人達ばかりで帰国後も連絡を取り合ってお会いした方が多かった。

 絹の道シルクロードは、この道を通じて文化や、人、物などさまざまな交流が行われた。玄奘三蔵やマルコポーロを初め多くの僧侶などがインドを往来するなど東西の文化交流などが行われた道である。現在は、砂漠となってしまった地域が多く当時の遺跡がそのまま残っている。それらの多くは、佛教芸術の宝庫であり、また民俗の交流点として私の心を引きつけた。

 コース
7/19 西安着後 漢陽陵博物館観光
     夕方西安発 ウルムチ着後にホテルへ
7/20 ウルムチ郊外・市内観光
      天地・新彊ウイグル自治区博物館・紅山など
     観光後トルファン泊
7/21 トルファン観光
      アスターナ古墳・高昌故城・火焔山・ベセクリフ千仏洞・カレーズ(地下水道)・バザール等
     夜に寝台列車で柳園へ
7/22 柳園駅着後にバスで敦煌へ
     午後「世界遺産」敦煌莫高屈観光
             敦煌観光(鳴沙山・月牙泉など)
     夕食は名物シシカバブと敦煌名物料理
7/23 朝 敦煌発 西安へ
     着後 西安市内観光(陜西歴史博物館・大雁塔・花清地・秦の始皇帝陵など
     空路帰国の途へ

 西安は、数十年前に日中友好協会のツアーで行ったことがあるが、時代も変わり西安市内のビル群や陜西歴史博物館など立派な観光地として発展した。しかし大雁塔・花清地・秦の始皇帝陵などは、昔のままで残っていてほっとした。秦の始皇帝陵である周辺は、現在発掘調査が行われていて帝陵の規模の大きさが判りつつある。その中でも兵馬俑で名高い兵馬博物館は、始皇帝の陵墓を守る陪葬物として作られた等身大の兵士像や馬の焼き物の表情が全て違っていて壮観である。

【エピソード】
敦煌のホテルで骨董品が売られていたので出発間際に友人が「青銅鏡売ってるわ」と教えてくれた。その彼、実は後から知ったが中国の青銅器について大変詳しくすぐに何時頃の時代の物であるとすぐに言えるほどであった。
特に鏡については、直径5センチの古ぼけた一見偽物しか見えない鏡を数万円で買っていた。そして私が興味を示していた25センチ程の青銅鏡があると教えてくれた。どうせ偽物だろうと見に行くと模様の輪郭もくっきりしていてなかなかの年代物に見えた。そこで店の人に値段を聞いて「高い」と行ってかまして出てきた。本当は気に入って手に入れたかったが足下を見られては値下げ交渉出来ないのですぐに出てきたのである。すると店の人は、追っかけてきて「負けるよ・・、いくらなら買う?」とロビーまで追っかけてきた。そこで中国の青銅器に詳しい彼に相談し値段をいうと「半値以下なら値打ちあるな」と答えた。実は、その彼も私より前に交渉済みであったらしいが、先に年代の古いのを買っていたのと持って帰るのに税関で見つかると没収されるかも知れないので買わなかったらしい。
ところがである。たまたま交渉していた時に、他の客が入ってきて陳列棚を動かしたかで神事に使う高価な「象牙の錫杖」が床に落ち二つに割れてしまった。それ以来店主のきげんが悪くなり「今日の儲けが無い」とブツブツ・・・。半分以下に負けなかったのと出発の時間だったのであきらめてバスに乗りに行こうとしたところ、店主が追いかけてきて「わかった」と言ってこちらの買値で買えた。多分偽物だろうが私の宝物の1つに加わったのである。
その後訪れた、西安でも現地ガイドが連れていってくれたレストランに同様の青銅鏡が売られていた。ここはさすがに本場と偽物が同居しているらしく沢山の物が並んでいて非常に高かった。偽物の安い値札が付いた青銅器を半値以下で買うため交渉し2個買うのでさらに安くしてくれと迫った。しかし、まけなかったので店を出たところ追っかけてきて「3個買うなら安く売る」という事になった。この為、値段交渉と包装するのに7分ほど出発が遅くなってしまいツアーの皆さんに待たせて迷惑をかけてしまった。そしたら皆さんが大変興味を示してバスの中でどの様な物か是非見せてくれとせがまれ紐でしっかり縛ったのをお見せした。さすがシルクロードへ行くツアーの一行だけに年代や模様を彼が詳しく説明していると、そんなのがあったのなら買いたかったという人が多くいた。
ところがである。わたしは、空港に近づくに連れ、彼が話していた「税関で見つかると没収されるかも知れない・・」という言葉が気になりだした。X線を通した直後に案の定「中身を開けて見せろ」と言うことになった。落としたり飛行機の中でバウンドしたりすると割れる事があるので布で1つずつ新聞紙や布で重ねて梱包したのでなかなか開けられなかつたのである。
中身を見た係員は、「これは何だ・・」と言ったので「ミラー イミテーション ミラー・・」と答えて無事に通過し手続きが完了したのである。

 ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

  • 西安の兵馬俑博物館<br /><br /> 20世紀の大発見、秦の始皇帝陵を守るために地下に作られた世界文化遺産の「兵馬俑博物館」。<br /> 現場は、大変広いため現在も発掘中です。

    西安の兵馬俑博物館

     20世紀の大発見、秦の始皇帝陵を守るために地下に作られた世界文化遺産の「兵馬俑博物館」。
     現場は、大変広いため現在も発掘中です。

  • 西安の兵馬俑博物館   <br /><br /> 兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではない。<br />  顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちであった。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

    西安の兵馬俑博物館

     兵隊俑の平均身長は180センチ、上半身は空洞だが下半身は空洞ではない。
    顔の表情はそれぞれ異なり、身分により服装もまちまちであった。

    ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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  • 秦の始皇帝陵陵の随葬抗から「武人俑と馬俑が出土」した記事 中国画報1975.11.5発行<br /><br />私が「友好の翼・京都府民友好訪中団」で 西安(1976.2.17〜2.20)に訪問した時は、「兵馬俑」についてあまり重要視されておらず博物館すら無かったので知りませんでした。しかし、今回当時の資料を出して調べている内にこの記事が見つかりました。<br /><br />ところが1974年3月に、干魃のため地元農民が井戸を掘り始めたところ、二、三メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかりました。その時の記事によると「中国を統一した秦の始皇帝の雄図を連想させる」と記されていました。<br />その後に考古学者の発掘により、始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかったようです。

    秦の始皇帝陵陵の随葬抗から「武人俑と馬俑が出土」した記事 中国画報1975.11.5発行

    私が「友好の翼・京都府民友好訪中団」で 西安(1976.2.17〜2.20)に訪問した時は、「兵馬俑」についてあまり重要視されておらず博物館すら無かったので知りませんでした。しかし、今回当時の資料を出して調べている内にこの記事が見つかりました。

    ところが1974年3月に、干魃のため地元農民が井戸を掘り始めたところ、二、三メートル掘ると変わった陶器の破片が見つかりました。その時の記事によると「中国を統一した秦の始皇帝の雄図を連想させる」と記されていました。
    その後に考古学者の発掘により、始皇帝の地下近衛軍団が配置されていることが初めてわかったようです。

  • 秦の始皇帝陵陵の随葬抗から「武人俑と馬俑が出土」した記事 中国画報1975.11.5発行<br /><br />ゆえに私が訪問した時は、1976年でしたのでまだ全容がわかっていない時だったと思われます。近くを通っているのに説明もなく見学ルートにすら入っていませんでした。<br /><br />兵馬俑博物館は、20世紀の大発見といえましょう。<br />秦の始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に墓を守るために地下に埋められたのでしょうか。それとも死後の世界の死者を守るためにこれだけ多くの武人俑と馬俑を必要としたのでしょうか。とにかく等身大の大きさには、驚かされます。日本の古墳には、埴輪がありますが全部ミニチュアですので規模が全然違います。

    秦の始皇帝陵陵の随葬抗から「武人俑と馬俑が出土」した記事 中国画報1975.11.5発行

    ゆえに私が訪問した時は、1976年でしたのでまだ全容がわかっていない時だったと思われます。近くを通っているのに説明もなく見学ルートにすら入っていませんでした。

    兵馬俑博物館は、20世紀の大発見といえましょう。
    秦の始皇帝陵から東へ1.5キロの地点に墓を守るために地下に埋められたのでしょうか。それとも死後の世界の死者を守るためにこれだけ多くの武人俑と馬俑を必要としたのでしょうか。とにかく等身大の大きさには、驚かされます。日本の古墳には、埴輪がありますが全部ミニチュアですので規模が全然違います。

  • 秦の始皇帝陵陵の随葬抗から「武人俑と馬俑が出土」した記事 中国画報1975.11.5発行<br /><br />秦始皇帝の陵は、中国で最初の皇帝であった。13歳で即位したあと成人後に周囲の国を制圧して中国を初めて統一しました。 秦を建国して中央集権制度をとりいれ、その後の中国王朝に大きな影響を及ぼしました。 <br />秦は始皇帝のあと大きな氾濫があいつぎ、15年で滅びました。始皇陵には70万人を動因して作られたといわれ、宝石で満たされ、それを盗まれない ようなさまざまな仕掛けがしてあるといわれています。<br /><br />殉死制度のあった時代において、生身の人間を埋めていたのに代わって陶製の人形を殉死品としていたことから、人類文明の進歩を窺うことができることからも貴重な文化財と言えるでしょう。

    秦の始皇帝陵陵の随葬抗から「武人俑と馬俑が出土」した記事 中国画報1975.11.5発行

    秦始皇帝の陵は、中国で最初の皇帝であった。13歳で即位したあと成人後に周囲の国を制圧して中国を初めて統一しました。 秦を建国して中央集権制度をとりいれ、その後の中国王朝に大きな影響を及ぼしました。
    秦は始皇帝のあと大きな氾濫があいつぎ、15年で滅びました。始皇陵には70万人を動因して作られたといわれ、宝石で満たされ、それを盗まれない ようなさまざまな仕掛けがしてあるといわれています。

    殉死制度のあった時代において、生身の人間を埋めていたのに代わって陶製の人形を殉死品としていたことから、人類文明の進歩を窺うことができることからも貴重な文化財と言えるでしょう。

  • 大雁塔(慈恩寺)だいがんとう(じおんじ) <br /><br /> 阿倍仲麻呂は長安に54年も住み、宗教と文化の伝播と日中両国の友好のために貢献した。<br /> 日本の僧侶空海は青龍寺で密宗の法を受け、密宗文化を一心に学び、漢学の研究にも力を入れ、その造詣は非常に深い。<br /><br />塔は煉瓦でできており、当初は五層の塔であったが、則天武后の時代に大改造を行い十層になった。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、現在は七層で、高さは64メートルしかない。内部の木製のらせん階段を登ると、最上部まで行くことができる。<br />塔の入口の両側には、玄奘三蔵法師の功徳をたたえるために、太宗と高宗の筆による「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」と書かれた石碑が納められている。

    大雁塔(慈恩寺)だいがんとう(じおんじ)

     阿倍仲麻呂は長安に54年も住み、宗教と文化の伝播と日中両国の友好のために貢献した。
     日本の僧侶空海は青龍寺で密宗の法を受け、密宗文化を一心に学び、漢学の研究にも力を入れ、その造詣は非常に深い。

    塔は煉瓦でできており、当初は五層の塔であったが、則天武后の時代に大改造を行い十層になった。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、現在は七層で、高さは64メートルしかない。内部の木製のらせん階段を登ると、最上部まで行くことができる。
    塔の入口の両側には、玄奘三蔵法師の功徳をたたえるために、太宗と高宗の筆による「大唐三蔵聖教序」と「大唐三蔵聖教序記」と書かれた石碑が納められている。

  • 鼓楼(ころう) <br /><br />大太鼓が中にあり、時刻を知らせるためにそれを鳴らしていました。1380年に立てられたもので、現在も人や車が通過しています。<br /><br />私達が訪れた時は、瓦葺きの民家がずらっと並んでいましたが、現在は高い建物などが見られ当時とは全然違う町に変わっていました。<br /><br />【エピソード】<br />シルクロードを一番多く紹介したのは、やはり平山郁夫画伯でしょう。私が中国及びシルクロードへ行ってもその絵が頭に浮かびそれとだぶって見てしまうのである。先生の仏教を主題にした幻想的な絵に何時も魅了されてしまうのは、私だけでしょうか。古本として先日売られていた『平山郁夫シルクロードの美と心』実業之日本車刊、昭和53年発行を手にしてときも同じ気持ちになった。私が一番好きなのは、「西都長安大街」1976年の作品である。絵の中には、満月と思われる星空のもと大雁塔、鼓楼、町並み、道を歩く人、などが夜景の俯瞰描写で浮かび上がる長安街を描いている。<br /> 一説には、海のシルクロードもあったようであるが遺跡が見つからないので余り強調されないようであるが…。<br />

    鼓楼(ころう)

    大太鼓が中にあり、時刻を知らせるためにそれを鳴らしていました。1380年に立てられたもので、現在も人や車が通過しています。

    私達が訪れた時は、瓦葺きの民家がずらっと並んでいましたが、現在は高い建物などが見られ当時とは全然違う町に変わっていました。

    【エピソード】
    シルクロードを一番多く紹介したのは、やはり平山郁夫画伯でしょう。私が中国及びシルクロードへ行ってもその絵が頭に浮かびそれとだぶって見てしまうのである。先生の仏教を主題にした幻想的な絵に何時も魅了されてしまうのは、私だけでしょうか。古本として先日売られていた『平山郁夫シルクロードの美と心』実業之日本車刊、昭和53年発行を手にしてときも同じ気持ちになった。私が一番好きなのは、「西都長安大街」1976年の作品である。絵の中には、満月と思われる星空のもと大雁塔、鼓楼、町並み、道を歩く人、などが夜景の俯瞰描写で浮かび上がる長安街を描いている。
     一説には、海のシルクロードもあったようであるが遺跡が見つからないので余り強調されないようであるが…。

  • 小雁塔(薦福寺)しょうがんとう(せんぷくじ) <br /><br />大雁塔が建てられて約50年後に立てられました。大雁塔より小さいため小雁塔と名づけられています。唐の時代に義浄によってサンスクリッドの経典が持ち帰られ、ここで翻訳作業が行われました。<br />大雁塔に比べて曲線を帯びた形が特徴です。

    小雁塔(薦福寺)しょうがんとう(せんぷくじ)

    大雁塔が建てられて約50年後に立てられました。大雁塔より小さいため小雁塔と名づけられています。唐の時代に義浄によってサンスクリッドの経典が持ち帰られ、ここで翻訳作業が行われました。
    大雁塔に比べて曲線を帯びた形が特徴です。

  • 西安 華清池 <br /><br />華清池は温泉地で楊貴妃と玄宗皇帝のロマンスを偲ばせる美しい庭園です。<br />楊貴妃が入ったといわれる風呂に行きましたが当時と変わっていないのにほっとしました。 <br /><br />市内から東へ30キロ行った郊外の驪山のふもとにある有名な温泉池である。周代から三千年以上の歴史を持つ。歴代の皇帝も、ここを行楽地として大掛かりな造営をした。唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスがこの地を最も有名にしている。「春寒くして浴を賜う華清の池、温泉の水滑らかに凝脂を洗う。」白楽天の「長恨歌」は二人の愛情を如実に歌うと同時に二人の贅沢を極めた生活振りをも反映している。楊貴妃が入浴したとされる「海棠湯」は、海棠の花の形をしている。玄宗が入ったといわれている「蓮花湯」と「海棠湯」、「星辰湯」は復元され華清宮御湯遺跡博物館として一般公開されている。湯泉は、現在でも入浴でき、リューマチや関節炎に効果があるという。華清池は、1936年に西安事件が起きた場所としても有名である。 <br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.<br /><br />

    西安 華清池

    華清池は温泉地で楊貴妃と玄宗皇帝のロマンスを偲ばせる美しい庭園です。
    楊貴妃が入ったといわれる風呂に行きましたが当時と変わっていないのにほっとしました。

    市内から東へ30キロ行った郊外の驪山のふもとにある有名な温泉池である。周代から三千年以上の歴史を持つ。歴代の皇帝も、ここを行楽地として大掛かりな造営をした。唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスがこの地を最も有名にしている。「春寒くして浴を賜う華清の池、温泉の水滑らかに凝脂を洗う。」白楽天の「長恨歌」は二人の愛情を如実に歌うと同時に二人の贅沢を極めた生活振りをも反映している。楊貴妃が入浴したとされる「海棠湯」は、海棠の花の形をしている。玄宗が入ったといわれている「蓮花湯」と「海棠湯」、「星辰湯」は復元され華清宮御湯遺跡博物館として一般公開されている。湯泉は、現在でも入浴でき、リューマチや関節炎に効果があるという。華清池は、1936年に西安事件が起きた場所としても有名である。

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  • さすらいおじさんさん 2007/01/29 02:07:11
    シルクロードのたび
    koiさん

    シルコロード、懐かしいです。鏡を買われて、前田さんと税関を心配されておられた様子、覚えていますが、検査、かなり大変だったのですね。
    でもいいおみやげになられたことでしょう。

    私は11月25日にヨーロッパから帰国し、日本で休養しています。
    koiさんはお元気で新年をお迎えでしょうか。

    今年もご活躍をお祈りしております。

    koi

    koiさん からの返信 2007/01/31 02:03:16
    RE: シルクロードのたび
     久しぶりに訪れましたら「さすらいおじさん」のザルツブルク旅行記などがありモーツアルトの生誕地へ行かれたようでうらやましい限りです。
     妻は美術系なので昔一人旅で行ったようで時々テレビで見て興奮して話してくれます。私は、後一年で定年なので長期の休暇が取れそう?ゆっくりとヨーロッパを楽しみたいと思っていますが。はたして実現できるかどうか未定です。ウイーン周辺は、高校の頃に音楽の某先生がシュテファン等へ行き指揮された時にスライドを見せて頂きました。それ以来暇が出来れば音楽家の家に何時か行ってみたいと思っていたところです。
     あの時の鏡は、なかなかの掘り出し物で家宝になりそうです。四川省でもありましたがやはり古都の西安や敦煌の方が面白そうです。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2007/01/31 09:42:32
    西安の鏡
    koiさん

    お元気そうで安心しました。

    私のほうは一足お先に旅三昧の日々を過ごさせていただき昨年は250日海外でした。
    来年からはたくさんの団塊の世代が旅に出られるだろうと思います。
    どうぞヨーロッパの長期旅行をお楽しみください。かぐや姫研究もさらに進められることでしょう。

    鏡はやはり掘り出し物だったのですね。家宝になりましたね。
    どうぞお元気でご活躍なさってください。


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