バナーラス (バラナシ)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
私がガンジス川のバナーラシーに行きたくなったのは、山折哲男先生の「太陽が東から上がり、西に沈む」という他界感の話を聞いてからであった。それ以来どんなところなのか写真や資料を読んだりしていたのである。今回その願いがやっとかなえたのである。 <br /> <br /> 釈尊(ブッダ)がたどった仏跡巡礼地は、「四大聖地」としてルンビニ(生誕地)・ブッダガヤ(成道の地)・サールナート(初転法輪の地)・クシーナガラ(涅槃の地)がある。<br /> また、これにラージギル(王舎城の竹林精舎)・ヴァイシャリー(広厳城)・シュラーバスティー(舎衛城の祇園精舎)・サンカーシャを加えた「八大仏跡地」がある。<br /><br /> 私は,今回以下の仏跡地を一人で巡ってきた。以下は、その巡礼記録である。<br /> <br />2001年<br />4.29 日本〜デリー<br />4.29 デリー〜バナーラシー〜ブッダガヤ<br />4.30 ブッダガヤ<br />5.1  ブッダガヤ<br />5.1  ブッダガヤ〜バナーラシー<br />5.2  バナーラシー<br /><br /> バナーラシー(ベナレス)は、ガンジス川の沐浴場で有名ですが、ここはヒンドゥー教の聖地であるので仏教そのものは見られません。<br /> 特に火葬が行われているマニカルニカ・ガード付近は、何故か殺気立っています。我々日本人が近づくには大変危険な場所であります。なるべく船から見学することをお奨めします。<br /> この周辺には、ヒンドゥー教の寺院が沢山ありますが信者でないと中に入る事が出来ません。インド人の夢は、このガンジス川のバナーラシーにきて死を迎えて荼毘に付されるのが最高の生き方のようで死を間近に控えた人達がこの地に沢山来ています。<br /><br />■私とヴァラナシーの出逢い<br /><br /> ブツダガヤからの長距離ドライブのあと、やっとヴァラナシーのホテルについた、するとカウンターで添乗員にメッセージが届いているとメモがわたされた。すると添乗員は、私の会社の世話できた日本の学生が4日間何も食べずにホテルで下痢を繰り返し今日デリーから帰国なのに動けないということであった。この為にすぐ病院に連れて行かなければならないので1人でリキシャに乗ってガンガーへ見学に行ってほしいということになった。そして明日早朝ガンガーで船に乗り見学するので8時にホテル出発という事をつげて行ってしまった。私1人のお抱え添乗員なのに・・・。よほど大変なことになっていたのであろう。<br /> 仕方なくホテルの従業員にリキシャを手配してもらいガンガーへと向かった。しかしリキシャのおじさんがガリガリで70歳位だったので中々前に進まないのです。後ろからすいすいと抜かされていくのにです。踏切をわたりいよいよ賑やかな街中に入ってきました。およそ40度位の暑さだったでしょうか、リキシャの老人が「ちょっと待ってくれ」という汗びっしょりでジェスチャー。何をするのかなと見ていると道路脇に大きな壺が置いてあってその水をすくって飲んでいたのである。お金を払っていなかったので誰が飲んでも良い水だったのでしょう。しばらくすると車と自転車と牛と牛の糞それに人間がもうぐちゃぐちゃになりラッシュアワーの状態になりました。リキシャの後ろに座っているのですが車のクラクションと人の叫ぶ声それに両側の店や屋台のおいしそうな臭いが漂い、時々ヒンドゥー教の小さい寺院の祠がありお参りするインド人の姿が沢山見られました。<br /> リキシャを降りると銃を肩にかけた警官が数名いました。何かあったのかなと思いながら歩いていると老人の物乞いや屋台の親父さんに呼び止められましたが、一目散に長い階段を下りてガンガー目指して降りて行きました。 <br /><br /> ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

世界遺産 The world heritage 釈尊の聖地を巡礼「インド・ネパールの仏陀遺跡」?バナーラシー(ベナレス)

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2000/05/01 - 2000/05/02

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koi

koiさん

私がガンジス川のバナーラシーに行きたくなったのは、山折哲男先生の「太陽が東から上がり、西に沈む」という他界感の話を聞いてからであった。それ以来どんなところなのか写真や資料を読んだりしていたのである。今回その願いがやっとかなえたのである。 
 
 釈尊(ブッダ)がたどった仏跡巡礼地は、「四大聖地」としてルンビニ(生誕地)・ブッダガヤ(成道の地)・サールナート(初転法輪の地)・クシーナガラ(涅槃の地)がある。
 また、これにラージギル(王舎城の竹林精舎)・ヴァイシャリー(広厳城)・シュラーバスティー(舎衛城の祇園精舎)・サンカーシャを加えた「八大仏跡地」がある。

 私は,今回以下の仏跡地を一人で巡ってきた。以下は、その巡礼記録である。
 
2001年
4.29 日本〜デリー
4.29 デリー〜バナーラシー〜ブッダガヤ
4.30 ブッダガヤ
5.1  ブッダガヤ
5.1  ブッダガヤ〜バナーラシー
5.2  バナーラシー

 バナーラシー(ベナレス)は、ガンジス川の沐浴場で有名ですが、ここはヒンドゥー教の聖地であるので仏教そのものは見られません。
 特に火葬が行われているマニカルニカ・ガード付近は、何故か殺気立っています。我々日本人が近づくには大変危険な場所であります。なるべく船から見学することをお奨めします。
 この周辺には、ヒンドゥー教の寺院が沢山ありますが信者でないと中に入る事が出来ません。インド人の夢は、このガンジス川のバナーラシーにきて死を迎えて荼毘に付されるのが最高の生き方のようで死を間近に控えた人達がこの地に沢山来ています。

■私とヴァラナシーの出逢い

 ブツダガヤからの長距離ドライブのあと、やっとヴァラナシーのホテルについた、するとカウンターで添乗員にメッセージが届いているとメモがわたされた。すると添乗員は、私の会社の世話できた日本の学生が4日間何も食べずにホテルで下痢を繰り返し今日デリーから帰国なのに動けないということであった。この為にすぐ病院に連れて行かなければならないので1人でリキシャに乗ってガンガーへ見学に行ってほしいということになった。そして明日早朝ガンガーで船に乗り見学するので8時にホテル出発という事をつげて行ってしまった。私1人のお抱え添乗員なのに・・・。よほど大変なことになっていたのであろう。
 仕方なくホテルの従業員にリキシャを手配してもらいガンガーへと向かった。しかしリキシャのおじさんがガリガリで70歳位だったので中々前に進まないのです。後ろからすいすいと抜かされていくのにです。踏切をわたりいよいよ賑やかな街中に入ってきました。およそ40度位の暑さだったでしょうか、リキシャの老人が「ちょっと待ってくれ」という汗びっしょりでジェスチャー。何をするのかなと見ていると道路脇に大きな壺が置いてあってその水をすくって飲んでいたのである。お金を払っていなかったので誰が飲んでも良い水だったのでしょう。しばらくすると車と自転車と牛と牛の糞それに人間がもうぐちゃぐちゃになりラッシュアワーの状態になりました。リキシャの後ろに座っているのですが車のクラクションと人の叫ぶ声それに両側の店や屋台のおいしそうな臭いが漂い、時々ヒンドゥー教の小さい寺院の祠がありお参りするインド人の姿が沢山見られました。
 リキシャを降りると銃を肩にかけた警官が数名いました。何かあったのかなと思いながら歩いていると老人の物乞いや屋台の親父さんに呼び止められましたが、一目散に長い階段を下りてガンガー目指して降りて行きました。 

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同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
タクシー
航空会社
タイ国際航空
  • バナーラシーのガンジス川<br /><br />ここはヒンズー教の聖地で、仏教そのもは見られません。特に火葬が行われているマニカルニカ・ガード付近は、何故か殺気立っていて我々日本人が近ずくには大変危険な場所である。このバナーラシーは、最近色々トラブルが発生しているようで、路上には,銃をかまえた警察官が多数待機している。また大通りには、リキシャや三輪オートバイが行きかい、ガンジス川沿いの沐浴場やガートには、チップを目的の臨時のガイドが次々に声をかけて来るのでゆっくりと見学することが出来ない。<br /> 日本人は、このあたりで色々な風土病にかかったり下痢で苦しんで予定の帰国便に間に合わず帰国出来なくなった人達が続出している。中には日本のマスコミも報道していないようで日本人の死者も出ているようです。<br /> 写真のような沐浴は、日本人なら避けた方が無難です。日本人には、免疫力がないため体に水が入るととんでもない病気になりますよ。ある学生は、この場所に興奮してしまい沐浴をしたのは良かったのですが、現地でひどい下痢が続き帰国後入院して検査したところインドでしか見られないインドの風土病にかかっていることが判明しそれに効く薬で何とか助かったようです。また同時に行ったもう一方の学生は、帰国後も下痢が泊まらず大学病院で良く調べて見ると骨髄炎になり3週間ほど入院するという事態になったようです。<br /> もし、これが嘘だと思われた方は、自分でためして見てください。きっと思い出深いインドの旅となることでしょう。<br /><br /> ところで貴方は、死について真剣に考えたことがありますか?<br />死について何も考えたことのない人は、まだ一人前ではありません。<br /> 死については、それぞれの立場について考え方も変わってきます。たとえば貴方のご両親が亡くなったときは、相続や家長として降りかかってきます。また、夫婦の内のどちらかが死に直面したときは、立場が変わります。今まで夫婦一緒に過ごしてきた家族として今後どの様に生きていけばよいのか、考えざるをえません。子供が何歳かによってもどの様にしていけばよいのか悩みます。<br /> サラリーマンの場合は、定年間近か定年になってからかによっても変わってきます。いずれにしても自分が一人になるときは、次の人生の始まりでもあるわけです。ふつうこの場合は、「うつ」という病気にかかることが多いと言われています。現在人は、ほとんどが大なり小なり「うつ」にかかっているとさえ言われます。本人はも気づいていないのですが。<br /> 独身の場合は、案外気楽かも知れませんが。しかし、自分の代で家が廃れてしますという寂しさがおそって来るでしょう。<br /> しかし、人生どの様な立場に立ってみても「なるようにしかならない」と過ごしてしまう方もあります、しかし、私などのばあいは、「考えようによってどのようにでもなる」と思えば良いのですがなかなかそのように考えられないのです。特に真面目でがんばり屋の人は、なかなか吹っ切りがつかなくて駄目であり、何時までも悩んでしまい銅賞もなくなるのです。それが人生だと思ってもいても駄目なのです。<br /><br />《五木寛之流エイジング》<br />日本の小説家、エッセイスト、評論家の五木 寛之氏は、ある番組の中で以下のような事を述べられた。<br />「年をとると、怖い物が無くなり、青春の自由さが沸いてくる。思ったことを言い、思ったことに出られる。権力と名誉欲、勲章ではなく、老いをエンジョイすること…。腹八分で、物忘れは20歳で一杯になる。故に古い物は、消え、新しい情報を持つ毎に消えていく。ガンジス河の流れのように流れていく。新しい物が入り、古い物は消えていく。忘れない人は、新しい情報を入れてない人…。」<br /> 実にすばらしい言葉ではないか。私の人生そのもの?かも知れない!?<br />

    バナーラシーのガンジス川

    ここはヒンズー教の聖地で、仏教そのもは見られません。特に火葬が行われているマニカルニカ・ガード付近は、何故か殺気立っていて我々日本人が近ずくには大変危険な場所である。このバナーラシーは、最近色々トラブルが発生しているようで、路上には,銃をかまえた警察官が多数待機している。また大通りには、リキシャや三輪オートバイが行きかい、ガンジス川沿いの沐浴場やガートには、チップを目的の臨時のガイドが次々に声をかけて来るのでゆっくりと見学することが出来ない。
     日本人は、このあたりで色々な風土病にかかったり下痢で苦しんで予定の帰国便に間に合わず帰国出来なくなった人達が続出している。中には日本のマスコミも報道していないようで日本人の死者も出ているようです。
     写真のような沐浴は、日本人なら避けた方が無難です。日本人には、免疫力がないため体に水が入るととんでもない病気になりますよ。ある学生は、この場所に興奮してしまい沐浴をしたのは良かったのですが、現地でひどい下痢が続き帰国後入院して検査したところインドでしか見られないインドの風土病にかかっていることが判明しそれに効く薬で何とか助かったようです。また同時に行ったもう一方の学生は、帰国後も下痢が泊まらず大学病院で良く調べて見ると骨髄炎になり3週間ほど入院するという事態になったようです。
     もし、これが嘘だと思われた方は、自分でためして見てください。きっと思い出深いインドの旅となることでしょう。

    ところで貴方は、死について真剣に考えたことがありますか?
    死について何も考えたことのない人は、まだ一人前ではありません。
     死については、それぞれの立場について考え方も変わってきます。たとえば貴方のご両親が亡くなったときは、相続や家長として降りかかってきます。また、夫婦の内のどちらかが死に直面したときは、立場が変わります。今まで夫婦一緒に過ごしてきた家族として今後どの様に生きていけばよいのか、考えざるをえません。子供が何歳かによってもどの様にしていけばよいのか悩みます。
     サラリーマンの場合は、定年間近か定年になってからかによっても変わってきます。いずれにしても自分が一人になるときは、次の人生の始まりでもあるわけです。ふつうこの場合は、「うつ」という病気にかかることが多いと言われています。現在人は、ほとんどが大なり小なり「うつ」にかかっているとさえ言われます。本人はも気づいていないのですが。
     独身の場合は、案外気楽かも知れませんが。しかし、自分の代で家が廃れてしますという寂しさがおそって来るでしょう。
     しかし、人生どの様な立場に立ってみても「なるようにしかならない」と過ごしてしまう方もあります、しかし、私などのばあいは、「考えようによってどのようにでもなる」と思えば良いのですがなかなかそのように考えられないのです。特に真面目でがんばり屋の人は、なかなか吹っ切りがつかなくて駄目であり、何時までも悩んでしまい銅賞もなくなるのです。それが人生だと思ってもいても駄目なのです。

    《五木寛之流エイジング》
    日本の小説家、エッセイスト、評論家の五木 寛之氏は、ある番組の中で以下のような事を述べられた。
    「年をとると、怖い物が無くなり、青春の自由さが沸いてくる。思ったことを言い、思ったことに出られる。権力と名誉欲、勲章ではなく、老いをエンジョイすること…。腹八分で、物忘れは20歳で一杯になる。故に古い物は、消え、新しい情報を持つ毎に消えていく。ガンジス河の流れのように流れていく。新しい物が入り、古い物は消えていく。忘れない人は、新しい情報を入れてない人…。」
     実にすばらしい言葉ではないか。私の人生そのもの?かも知れない!?

  • ガンジス川で沐浴する人々(バナーラシー又はベナレス)<br /><br />ヒマラヤから流れ込む大河ガンジス川は、いにしえより“聖なる河”として信仰を集めてきた。なかでもバナーラシーは、シバ神を祀る町として栄えヒンドゥー教の聖地である。このガンジス川にあるガートは、いつも信者と観光客で賑わっている。<br /> インド人は、輪廻転生の業からこのバナーラシーで死を迎えガートで火葬してその灰をガンジス川に流してもらうことを最大の喜びとしている。<br /> バラナシの旧市街は狭い路地が迷路のように入り組んでいて、路地を挟んで小さい商店が無数に連なっている。そこには、牛や犬がうじゃうじゃしていていかにも不潔そのもの。こんな所は、世界中どこに行ってもありません。嘘だと思った方は是非ハナラシーへ行って確かめて下さい。<br /> <br /> 私は、少し時間があったのでこの川沿いの路地を歩きネパール寺院に行ったりして迷路を歩いて見ることにした。すると牛が歩道を歩いていたり数人で肩に担いだタンカーに死者を乗せた列に次々出会った。そのうちに何処にいるのか迷ってしまい不気味なヒンドゥー教寺院などのある薄暗い狭い路地に入り込み元に戻れなくなってしまいました。跡から考えるとゆっくり曲線を描いていたようでガンジス川からかなり離れたところに来ていたようでした。<br /><br />【エピソード】<br /> インドのバナラシーでは、ガートで公開火葬が毎日おこなわれています。一応私は、民俗学を専攻しているのでここに来たのですがガートの周辺に牛が多くいてうろうろしていたのです。しかも、少し階段を上がった所に大きな牛小屋がありそこにも数頭の牛が待機していました。私はその牛小屋の少し前当たりで一部始終見下ろしながらしばらく観察していました。詳細については、それらの専門書の所で発表したいと思いますが、1つだけ疑問な所があるのです。薪で遺体を消却し終って燃えがらの灰をガンガーに捨てるのですが、たしかその時に急に牛が数頭周辺を動き回ったのです。そして岸辺の水の中に入ったように記憶しています。何故に今までじっとしていた牛が急に動き出したのかはっきりとわからなかったのです。これをお読みになった方で誰かおわかりの方がおられましたらお教え頂きたいのですが。<br /> 私が思うのには、<br />1.完全に燃えてない部分を牛がきれいにたいらげてくれた・・・。<br />2.インドの牛は、聖なる動物であり神の使い?なので、牛が死者を天国につれていってくれた・・・という思想・・・。<br />3.牛も火が近くにあって熱いのでガンガーに入り水浴びして水を補給した・・・。<br />4.バナラシーは、路地や街中に牛がうろうろしているので、何のいみもない・・・。<br />5.その他・・・。<br />と思うのですが。読者の皆さんは、どの様に思われますか。<br /><br /> もう一つ、一番有名なマニカルニカ・ガートだと思うのですが、ここの真ん中通路の中央後ろに地下へらせん階段状に6メーターほど降りていく階段があり、その地下に何かが祀られています。暗かったので何も見えず上がって来たのですが、それに気づいた代表と思われる人がヒンドゥー語で何やら「ガミガミ」しかっていたのです。一応、中に入る時に良いかどうかを確かめてOKだったので入ったのですが。<br /> あれは、何だったのでしょうか。ヒンドゥー教徒以外見てはならないものだったのでしょうか。とにかく大事になると困るので背を向けてそのまま何も言わず坂を上がって街中の路地に消えて逃げ出したのですが。<br /><br />哲学者の山折哲男は、ベナレスを以下のように述べている。<br /> 天国と地獄のあるところ<br /> 死を迎え入れる町<br /><br />

    ガンジス川で沐浴する人々(バナーラシー又はベナレス)

    ヒマラヤから流れ込む大河ガンジス川は、いにしえより“聖なる河”として信仰を集めてきた。なかでもバナーラシーは、シバ神を祀る町として栄えヒンドゥー教の聖地である。このガンジス川にあるガートは、いつも信者と観光客で賑わっている。
     インド人は、輪廻転生の業からこのバナーラシーで死を迎えガートで火葬してその灰をガンジス川に流してもらうことを最大の喜びとしている。
     バラナシの旧市街は狭い路地が迷路のように入り組んでいて、路地を挟んで小さい商店が無数に連なっている。そこには、牛や犬がうじゃうじゃしていていかにも不潔そのもの。こんな所は、世界中どこに行ってもありません。嘘だと思った方は是非ハナラシーへ行って確かめて下さい。
     
     私は、少し時間があったのでこの川沿いの路地を歩きネパール寺院に行ったりして迷路を歩いて見ることにした。すると牛が歩道を歩いていたり数人で肩に担いだタンカーに死者を乗せた列に次々出会った。そのうちに何処にいるのか迷ってしまい不気味なヒンドゥー教寺院などのある薄暗い狭い路地に入り込み元に戻れなくなってしまいました。跡から考えるとゆっくり曲線を描いていたようでガンジス川からかなり離れたところに来ていたようでした。

    【エピソード】
     インドのバナラシーでは、ガートで公開火葬が毎日おこなわれています。一応私は、民俗学を専攻しているのでここに来たのですがガートの周辺に牛が多くいてうろうろしていたのです。しかも、少し階段を上がった所に大きな牛小屋がありそこにも数頭の牛が待機していました。私はその牛小屋の少し前当たりで一部始終見下ろしながらしばらく観察していました。詳細については、それらの専門書の所で発表したいと思いますが、1つだけ疑問な所があるのです。薪で遺体を消却し終って燃えがらの灰をガンガーに捨てるのですが、たしかその時に急に牛が数頭周辺を動き回ったのです。そして岸辺の水の中に入ったように記憶しています。何故に今までじっとしていた牛が急に動き出したのかはっきりとわからなかったのです。これをお読みになった方で誰かおわかりの方がおられましたらお教え頂きたいのですが。
     私が思うのには、
    1.完全に燃えてない部分を牛がきれいにたいらげてくれた・・・。
    2.インドの牛は、聖なる動物であり神の使い?なので、牛が死者を天国につれていってくれた・・・という思想・・・。
    3.牛も火が近くにあって熱いのでガンガーに入り水浴びして水を補給した・・・。
    4.バナラシーは、路地や街中に牛がうろうろしているので、何のいみもない・・・。
    5.その他・・・。
    と思うのですが。読者の皆さんは、どの様に思われますか。

     もう一つ、一番有名なマニカルニカ・ガートだと思うのですが、ここの真ん中通路の中央後ろに地下へらせん階段状に6メーターほど降りていく階段があり、その地下に何かが祀られています。暗かったので何も見えず上がって来たのですが、それに気づいた代表と思われる人がヒンドゥー語で何やら「ガミガミ」しかっていたのです。一応、中に入る時に良いかどうかを確かめてOKだったので入ったのですが。
     あれは、何だったのでしょうか。ヒンドゥー教徒以外見てはならないものだったのでしょうか。とにかく大事になると困るので背を向けてそのまま何も言わず坂を上がって街中の路地に消えて逃げ出したのですが。

    哲学者の山折哲男は、ベナレスを以下のように述べている。
     天国と地獄のあるところ
     死を迎え入れる町

  • インド・ヒンズー教の女神「ラーマのクリシュナ」<br /><br />インドには沢山の神がいます。山岳信仰(ヒンズー教の聖地)を、あらわしています。シバ・リンガ・ナンディーがいます。後ろには、シバが住んでいるヒマラヤがそびえたっています。<br /><br /> 髪にガンジス川の神様がいて水を流しています。これは聖なる水です。その行き先は、シバリンガです。<br /> 首には、コブラが巻きつき、手には字が描かれています。この字は、ヒンズー教の聖なる名前です。<br /> これらが理解できれば、貴方はインド通になった証拠です。<br /><br />

    インド・ヒンズー教の女神「ラーマのクリシュナ」

    インドには沢山の神がいます。山岳信仰(ヒンズー教の聖地)を、あらわしています。シバ・リンガ・ナンディーがいます。後ろには、シバが住んでいるヒマラヤがそびえたっています。

     髪にガンジス川の神様がいて水を流しています。これは聖なる水です。その行き先は、シバリンガです。
     首には、コブラが巻きつき、手には字が描かれています。この字は、ヒンズー教の聖なる名前です。
     これらが理解できれば、貴方はインド通になった証拠です。

  • インド・ヒンズー教の女神<br /><br /> ヒンドゥー教は多神教で、神話にも様々な神が登場します。その中でも、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーが三大神です。ブラフマー神が世界の創造の神、ヴィシュヌ神が世界の創造の神、シヴァ神が破壊と再生の神とされています。<br /><br />【インドの宗教的構成】<br /><br /> ヒンドゥー教・・・80%以上<br /> イスラム教・・・・12%弱<br /> キリスト教・・・・ 2.5%<br /> スイーク教・・・・ 2%弱<br /> 仏教・・・・・・・0.5%以上<br /> ジャイナ教・・・・0.5%以下<br /><br /> 現在佛教は、ヒンドゥー教の中に入っているということでした。<br /> えらそうに行っている私も、実は仏教がヒンズー教の中にあるということを知りませんでした。これを知るためにインドの旅を続けてきました。ネパールやチベットへも行きました。しかし、それぞれ仏教と言う物が少しずつ違っています。現在の日本人の仏教がかなり変わった思想として伝わってしまったと思われます。シルクロードの最終地点である日本にたどり着くまでに色々な場所でミックスされて伝わったためにかなり複雑になっているといえます。<br /> 私は、陸のシルクロードだけではなしに海のシルクロードがあったのではないかと思っています。タイやベトナムそれにラオスなどを歩いていると中国とは、違った仏教遺跡に出会います。

    インド・ヒンズー教の女神

     ヒンドゥー教は多神教で、神話にも様々な神が登場します。その中でも、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーが三大神です。ブラフマー神が世界の創造の神、ヴィシュヌ神が世界の創造の神、シヴァ神が破壊と再生の神とされています。

    【インドの宗教的構成】

     ヒンドゥー教・・・80%以上
     イスラム教・・・・12%弱
     キリスト教・・・・ 2.5%
     スイーク教・・・・ 2%弱
     仏教・・・・・・・0.5%以上
     ジャイナ教・・・・0.5%以下

     現在佛教は、ヒンドゥー教の中に入っているということでした。
     えらそうに行っている私も、実は仏教がヒンズー教の中にあるということを知りませんでした。これを知るためにインドの旅を続けてきました。ネパールやチベットへも行きました。しかし、それぞれ仏教と言う物が少しずつ違っています。現在の日本人の仏教がかなり変わった思想として伝わってしまったと思われます。シルクロードの最終地点である日本にたどり着くまでに色々な場所でミックスされて伝わったためにかなり複雑になっているといえます。
     私は、陸のシルクロードだけではなしに海のシルクロードがあったのではないかと思っています。タイやベトナムそれにラオスなどを歩いていると中国とは、違った仏教遺跡に出会います。

  • インド・ヒンズー教の女神「ナタラージャ」<br /><br />インド・ヒンズー教の女神です。一般にはダンシング・シバといいます。<br /><br /> シバが悪い輩に怒っています。おでこにある目で悪い奴らをやっつけています。また、足で鬼をふんずけています。<br /><br /> 土産物屋さんの店先には、このヒンドゥー教の女神「ナタラージャ」が沢山売っています。<br /> この像には、感動を覚えます。日本の仏像にはない大変面白い姿をしています。しかし、日本に同じような像があるのです。密教寺院の仏像をしっかり見て下さい。きっと驚かれるでしょうね。<br />

    インド・ヒンズー教の女神「ナタラージャ」

    インド・ヒンズー教の女神です。一般にはダンシング・シバといいます。

     シバが悪い輩に怒っています。おでこにある目で悪い奴らをやっつけています。また、足で鬼をふんずけています。

     土産物屋さんの店先には、このヒンドゥー教の女神「ナタラージャ」が沢山売っています。
     この像には、感動を覚えます。日本の仏像にはない大変面白い姿をしています。しかし、日本に同じような像があるのです。密教寺院の仏像をしっかり見て下さい。きっと驚かれるでしょうね。

  • 五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺<br /><br /> 日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。顔が3つ、手が6つある。<br /><br /> 五大明王の降三世明王と金剛夜叉明王は、平安時代中期の製作で檜材で作った等身大の物であった。平成九年度に寿宝寺の新築にあたり、地蔵堂の中でバラバラになっていたのを(財)美術院国宝修理所の小野寺久幸所長らにより修理した。その結果この像は、素地仕上げ古色で普通百年ごとに修理しているので現在までに三回修理していることが分かった。第一回は平安時代に、二回目は鎌倉時代頃に、第三回目は幕末か明治時代頃に修理していた。<br /><br /> 目は「彫眼」 で、平安末期から鎌倉時代の玉眼でなく、平安時代中旬の作と言える。本来、五大明王(または五大尊・五忿怒)は、密教の中心的仏像で不動明王を中心に降三世明王(東)・金剛夜叉明王(北)・大威徳明王(西)・軍茶利明王(南)の五体からなっている。 これらの像は、中央の大日如来である不動明王以下の五仏が、衆生教化のため姿を忿怒形にかえたものである。つまりおろかな衆生は菩薩の慈悲に甘えるだけでは救われない場合があり、これらのしからねばならない衆生に対しては牙をあらわす憤怒相の三眼の姿で命令を持って教化している。 明王は如来の厳しい命令を実行する使者である。このため炎が上に燃え広がっているような髪で、沢山の手には悪をこらしめるための持仏を持った力強い姿をしていて腰等に薄い衣を巻き付けている。 <br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved. <br />

    五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺

     日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。顔が3つ、手が6つある。

     五大明王の降三世明王と金剛夜叉明王は、平安時代中期の製作で檜材で作った等身大の物であった。平成九年度に寿宝寺の新築にあたり、地蔵堂の中でバラバラになっていたのを(財)美術院国宝修理所の小野寺久幸所長らにより修理した。その結果この像は、素地仕上げ古色で普通百年ごとに修理しているので現在までに三回修理していることが分かった。第一回は平安時代に、二回目は鎌倉時代頃に、第三回目は幕末か明治時代頃に修理していた。

     目は「彫眼」 で、平安末期から鎌倉時代の玉眼でなく、平安時代中旬の作と言える。本来、五大明王(または五大尊・五忿怒)は、密教の中心的仏像で不動明王を中心に降三世明王(東)・金剛夜叉明王(北)・大威徳明王(西)・軍茶利明王(南)の五体からなっている。 これらの像は、中央の大日如来である不動明王以下の五仏が、衆生教化のため姿を忿怒形にかえたものである。つまりおろかな衆生は菩薩の慈悲に甘えるだけでは救われない場合があり、これらのしからねばならない衆生に対しては牙をあらわす憤怒相の三眼の姿で命令を持って教化している。 明王は如来の厳しい命令を実行する使者である。このため炎が上に燃え広がっているような髪で、沢山の手には悪をこらしめるための持仏を持った力強い姿をしていて腰等に薄い衣を巻き付けている。

    ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
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  • 五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺<br /><br /> 日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。足下にシバ神を踏みつけている。<br /><br /> 寿宝寺で修理された降三世明王の特色は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、煩悩の根本である食欲・怒り・迷いを降伏させる明王である。<br /> 三つの右手には金剛鈴・剣・矢を、三つの左手には三叉げき・弓・索を持ち、さらに前の両手を中央で交差させた忿怒拳(降三世印)をつくり人差し指を立てている。 そして、この像の右足の下には上向きに寝転んだ男の大自在天(シヴァ)を、右足には女の妃の烏摩(ウマー)の異教神を踏み付けている。これは煩悩退治を象徴しているようである。 烏摩(ウマー)は、インドの神話シヴァの神妃の一人で優美さと穏和さを表している。彼女は「最も美しいヒマラヤの娘」と呼ばれして『ラーマーヤナ』においては、ラクシュミー、ガンガーと並んで崇拝されている。<br /><br /> もう一体の金剛夜叉明王は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、金剛杵(堅固)の威力で人間の障害を夜叉の力で取り除いてくれる明王である。六つの手には剣・矢・弓・宝輪・五鈷・金剛鈴などをもつ。特徴は中央の顔に五眼を持っている。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

    五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺

     日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。足下にシバ神を踏みつけている。

     寿宝寺で修理された降三世明王の特色は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、煩悩の根本である食欲・怒り・迷いを降伏させる明王である。
     三つの右手には金剛鈴・剣・矢を、三つの左手には三叉げき・弓・索を持ち、さらに前の両手を中央で交差させた忿怒拳(降三世印)をつくり人差し指を立てている。 そして、この像の右足の下には上向きに寝転んだ男の大自在天(シヴァ)を、右足には女の妃の烏摩(ウマー)の異教神を踏み付けている。これは煩悩退治を象徴しているようである。 烏摩(ウマー)は、インドの神話シヴァの神妃の一人で優美さと穏和さを表している。彼女は「最も美しいヒマラヤの娘」と呼ばれして『ラーマーヤナ』においては、ラクシュミー、ガンガーと並んで崇拝されている。

     もう一体の金剛夜叉明王は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、金剛杵(堅固)の威力で人間の障害を夜叉の力で取り除いてくれる明王である。六つの手には剣・矢・弓・宝輪・五鈷・金剛鈴などをもつ。特徴は中央の顔に五眼を持っている。

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  • 五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺<br /><br /> 日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。足下にシバ神を踏みつけている。<br /><br /> 寿宝寺で修理された降三世明王の特色は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、煩悩の根本である食欲・怒り・迷いを降伏させる明王である。<br /> 三つの右手には金剛鈴・剣・矢を、三つの左手には三叉げき・弓・索を持ち、さらに前の両手を中央で交差させた忿怒拳(降三世印)をつくり人差し指を立てている。 そして、この像の右足の下には上向きに寝転んだ男の大自在天(シヴァ)を、右足には女の妃の烏摩(ウマー)の異教神を踏み付けている。これは煩悩退治を象徴しているようである。 烏摩(ウマー)は、インドの神話シヴァの神妃の一人で優美さと穏和さを表している。彼女は「最も美しいヒマラヤの娘」と呼ばれして『ラーマーヤナ』においては、ラクシュミー、ガンガーと並んで崇拝されている。<br /><br /> もう一体の金剛夜叉明王は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、金剛杵(堅固)の威力で人間の障害を夜叉の力で取り除いてくれる明王である。六つの手には剣・矢・弓・宝輪・五鈷・金剛鈴などをもつ。特徴は中央の顔に五眼を持っている。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

    五大明王像 京都府京田辺市 寿宝寺

     日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。足下にシバ神を踏みつけている。

     寿宝寺で修理された降三世明王の特色は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、煩悩の根本である食欲・怒り・迷いを降伏させる明王である。
     三つの右手には金剛鈴・剣・矢を、三つの左手には三叉げき・弓・索を持ち、さらに前の両手を中央で交差させた忿怒拳(降三世印)をつくり人差し指を立てている。 そして、この像の右足の下には上向きに寝転んだ男の大自在天(シヴァ)を、右足には女の妃の烏摩(ウマー)の異教神を踏み付けている。これは煩悩退治を象徴しているようである。 烏摩(ウマー)は、インドの神話シヴァの神妃の一人で優美さと穏和さを表している。彼女は「最も美しいヒマラヤの娘」と呼ばれして『ラーマーヤナ』においては、ラクシュミー、ガンガーと並んで崇拝されている。

     もう一体の金剛夜叉明王は、三面六ぴの口を開いて牙を出した忿怒像で、金剛杵(堅固)の威力で人間の障害を夜叉の力で取り除いてくれる明王である。六つの手には剣・矢・弓・宝輪・五鈷・金剛鈴などをもつ。特徴は中央の顔に五眼を持っている。

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  • 明王展のポスター <br /><br /> 日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。顔が3つ、手が6つある。<br /><br />この部分は「京都観光ガイドメールマガジン」と藤井正浩氏の「五大明王」から頂きました.<br /><br /> 明王はもともとはインドの神々で、密教が仏教の世界にスカウトしたものです。<br />明王の「明」は、善法を守り悪法をさえぎる力を意味し、「王」は王様を意味します。<br /> 明王は大日如来の真意を奉持し、霊的な力で悪を砕く役目を持っています。すなわち、大日如来は温和にしてまともに法を説きますが、煩悩のとりこになって救い<br />がたいとされた者を教化する時は、明王に命じてその憤怒の相をもって正法に導くとされています。<br />

    明王展のポスター 

     日本の密教寺院にある五大明王像は、インドのヒンドゥー教の流れを伺うことができる。顔が3つ、手が6つある。

    この部分は「京都観光ガイドメールマガジン」と藤井正浩氏の「五大明王」から頂きました.

     明王はもともとはインドの神々で、密教が仏教の世界にスカウトしたものです。
    明王の「明」は、善法を守り悪法をさえぎる力を意味し、「王」は王様を意味します。
     明王は大日如来の真意を奉持し、霊的な力で悪を砕く役目を持っています。すなわち、大日如来は温和にしてまともに法を説きますが、煩悩のとりこになって救い
    がたいとされた者を教化する時は、明王に命じてその憤怒の相をもって正法に導くとされています。

  • 「十一面千手観音立像・聖徳太子像十六歳の立像」京都府京田辺市 寿宝寺<br /><br /> 十一面千手観音立像は,大阪河内の「葛井寺」と奈良「東招提寺」の観音とともに,三大傑作の一つとして学者間に研究せられ,東招提寺の天平仏に見る手法であるが,しかし藤原期の穏やかなまとまりを見せていると言われている。<br /><br /> この像は白木造りにもかかわらず,虫食い等でいたんでいないのは,本堂で護摩木を焚く護摩祈祷の法要などをしていたからである。このため像は真っ黒に輝き,地獄の苦しみを救うて諸願を成就せしめて下さるにふさわしいお姿である。 <br /><br /> 境内には明治初年の神仏分離令により,明治八年二月廃寺となった蓮華寺(飯岡の西方南方斜面中腹にあった)から移された聖徳太子立像(鎌倉時代の作,京都の仏師,尾の道浄信師作,太子十六才の像と伝える)と大般若経六百巻それに弘法大師,同じく明治初年に廃寺となった恵日寺から移された本尊の不動明王尊像や五大明王の脇立二体,それに経本三百巻(残り三百巻は江津の正福寺にある)も安置されている。<br /><br />聖徳太子像十六歳の立像(中央)<br /><br />  鎌倉時代に作られたと伝える,聖徳太子像十六歳の立像は高さ一メ―トル余り,頭髪は耳でかくし,目にはガラス(玉眼)が入っており,顔は豊頬円満にして優雅な趣を持っている。

    「十一面千手観音立像・聖徳太子像十六歳の立像」京都府京田辺市 寿宝寺

     十一面千手観音立像は,大阪河内の「葛井寺」と奈良「東招提寺」の観音とともに,三大傑作の一つとして学者間に研究せられ,東招提寺の天平仏に見る手法であるが,しかし藤原期の穏やかなまとまりを見せていると言われている。

     この像は白木造りにもかかわらず,虫食い等でいたんでいないのは,本堂で護摩木を焚く護摩祈祷の法要などをしていたからである。このため像は真っ黒に輝き,地獄の苦しみを救うて諸願を成就せしめて下さるにふさわしいお姿である。 

     境内には明治初年の神仏分離令により,明治八年二月廃寺となった蓮華寺(飯岡の西方南方斜面中腹にあった)から移された聖徳太子立像(鎌倉時代の作,京都の仏師,尾の道浄信師作,太子十六才の像と伝える)と大般若経六百巻それに弘法大師,同じく明治初年に廃寺となった恵日寺から移された本尊の不動明王尊像や五大明王の脇立二体,それに経本三百巻(残り三百巻は江津の正福寺にある)も安置されている。

    聖徳太子像十六歳の立像(中央)

      鎌倉時代に作られたと伝える,聖徳太子像十六歳の立像は高さ一メ―トル余り,頭髪は耳でかくし,目にはガラス(玉眼)が入っており,顔は豊頬円満にして優雅な趣を持っている。

  • 「十一面千手観音立像」京都府京田辺市 寿宝寺 <br /><br /> 本尊の十一面千手観音立像(十一面千手千眼観自在菩薩)は,等身大の素木造りで左右二十の大脇手の前に,小脇手を扇状に隙間もなく光背状に配して静的な平衡が保たれ,左右合わせて千の手には,目を印している。顔は温雅で浅い衣文の刀法に藤原中期の様式を示し,大正二年四月国宝に,昭和二十五年八月二十五日に国の重要文化財に指定された。体内には,伝教大師四十二歳の御作にして,厄除けの所願成就のために作られたものであるという,寛文年間(一六六一〜一六七二年)の考証銘文が収められ ている。又,京都府乙訓郡の柳谷の観音と同じ樹で作られたものといわれ,願病治癒の願をもって参詣する人多く,霊験不思議なることで知られる。<br /><br /> 十一面千手観音立像(十一面千手千眼観自在菩薩)千手観音像は,初訳の「千眼千ぴ経」によると,七世紀初めにインドから本がもたらされたが歓迎されず,その世紀半ばに翻訳され,観音の最高の徳をあらわすものとして信仰された。日本では八世紀半ばごろに盛んに信仰された,河内葛井寺の十一面千手観音座像は,天平時代のものでわが国で最も古く,奈良東招提寺の十一面千手観音立像と共に有名であるが,京都府綴喜郡田辺町大字三山木小字塔ノ島廿番地にある寿宝寺の十一面千手観音立像は,秘仏とされていて余り知られていない。一方,十一面の他に二十七面を持った京都法性寺の「二十七面千手観音像」もある。なお,京都の三十三間堂の千手観音像は,二十八部衆と雷神・風神を安置していて,裏側の廊下に侍者の二十八部衆を率いる像があり,菩薩を深く信仰するものを護衛している。<br /><br /> 観音の本願は慈 悲(仏・菩薩が衆生に楽を与えるを慈,苦を除くを悲という)を第一とする。千手千眼は,千の慈眼(衆上を慈悲の心で見る仏・ 菩薩の眼),千の慈手をして,衆上の苦海にあるのを救い出す,つまり,人の煩悩を除いて悟りを開かすことから,中国では大悲観音として信仰をみた尊像である。<br /><br /> 千手とは,菩薩救済の手の及ぶ範囲が広大で,その方便が無量であることをあらわす。普通は千手千眼でなく,中央の二手を除いて左右に二十手づつ,合わせて四十手像である。それは,一手が二十五有界の衆生をすくい四十手に二十五を乗じて千手といい,一手ごとに一眼を持っているので千眼という。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.  

    「十一面千手観音立像」京都府京田辺市 寿宝寺 

     本尊の十一面千手観音立像(十一面千手千眼観自在菩薩)は,等身大の素木造りで左右二十の大脇手の前に,小脇手を扇状に隙間もなく光背状に配して静的な平衡が保たれ,左右合わせて千の手には,目を印している。顔は温雅で浅い衣文の刀法に藤原中期の様式を示し,大正二年四月国宝に,昭和二十五年八月二十五日に国の重要文化財に指定された。体内には,伝教大師四十二歳の御作にして,厄除けの所願成就のために作られたものであるという,寛文年間(一六六一〜一六七二年)の考証銘文が収められ ている。又,京都府乙訓郡の柳谷の観音と同じ樹で作られたものといわれ,願病治癒の願をもって参詣する人多く,霊験不思議なることで知られる。

     十一面千手観音立像(十一面千手千眼観自在菩薩)千手観音像は,初訳の「千眼千ぴ経」によると,七世紀初めにインドから本がもたらされたが歓迎されず,その世紀半ばに翻訳され,観音の最高の徳をあらわすものとして信仰された。日本では八世紀半ばごろに盛んに信仰された,河内葛井寺の十一面千手観音座像は,天平時代のものでわが国で最も古く,奈良東招提寺の十一面千手観音立像と共に有名であるが,京都府綴喜郡田辺町大字三山木小字塔ノ島廿番地にある寿宝寺の十一面千手観音立像は,秘仏とされていて余り知られていない。一方,十一面の他に二十七面を持った京都法性寺の「二十七面千手観音像」もある。なお,京都の三十三間堂の千手観音像は,二十八部衆と雷神・風神を安置していて,裏側の廊下に侍者の二十八部衆を率いる像があり,菩薩を深く信仰するものを護衛している。

     観音の本願は慈 悲(仏・菩薩が衆生に楽を与えるを慈,苦を除くを悲という)を第一とする。千手千眼は,千の慈眼(衆上を慈悲の心で見る仏・ 菩薩の眼),千の慈手をして,衆上の苦海にあるのを救い出す,つまり,人の煩悩を除いて悟りを開かすことから,中国では大悲観音として信仰をみた尊像である。

     千手とは,菩薩救済の手の及ぶ範囲が広大で,その方便が無量であることをあらわす。普通は千手千眼でなく,中央の二手を除いて左右に二十手づつ,合わせて四十手像である。それは,一手が二十五有界の衆生をすくい四十手に二十五を乗じて千手といい,一手ごとに一眼を持っているので千眼という。

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  • ネパールの仏像<br /><br /> 

    ネパールの仏像

     

  • 「十一面千手観音立像」京都府京田辺市 寿宝寺 <br />  <br /> 寿宝寺の十一面千手観音立像は,十一面千手千眼観自在菩薩といい,実際に千の手を持ち千の眼によって人々を救ってくれるもので日本広しといえども大阪河内の「葛井寺」と奈良「東招提寺」の観音とともに三体しかありません。四十手を大きく造りそれに持ち物を持たせ,他は扇を広げたように何層にも手を配置している。そして,持物を持たない手には,一つづつの眼を描いている。また,普通は中央に二手を持つものが殆どであるが,この像は四本の手を持ち二本は中央で合掌,二本は中央下で定印している。<br /><br /> この様に千本の手は観音の慈悲が極限・無限 を意味しており,最も強い力を持った観音と言える。十一面とは,頭上に十一の面を載せている事から付けられたものである。この十一の面には五種類の表情があり,中央髪の上の仏面は如来で頭を丸く盛り上げ,大乗を習い行ずるものに対して最終最上の仏道を説く,その正面の手前三面は慈悲面でやさしく善良な衆生を見て大慈悲を生じ楽を与え,その右横の三面は忿怒面でこわい顔をし悪い衆生を見ては一慈悲を生じ苦を抜く,左横の三面は狗牙上出面で口元に上向きの牙を出し浄業者を見て希有の讃を発し仏道を勧進する,真後ろの一面は大悪笑面で大きな口を開けて笑い善悪雑穢の衆生を見て快笑し悪を改め道に向かわせる。このお姿は,人間の災厄に際して十一面観音が大きい力を示して下さる事を現している。<br /><br />  ■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

    「十一面千手観音立像」京都府京田辺市 寿宝寺 
      
     寿宝寺の十一面千手観音立像は,十一面千手千眼観自在菩薩といい,実際に千の手を持ち千の眼によって人々を救ってくれるもので日本広しといえども大阪河内の「葛井寺」と奈良「東招提寺」の観音とともに三体しかありません。四十手を大きく造りそれに持ち物を持たせ,他は扇を広げたように何層にも手を配置している。そして,持物を持たない手には,一つづつの眼を描いている。また,普通は中央に二手を持つものが殆どであるが,この像は四本の手を持ち二本は中央で合掌,二本は中央下で定印している。

     この様に千本の手は観音の慈悲が極限・無限 を意味しており,最も強い力を持った観音と言える。十一面とは,頭上に十一の面を載せている事から付けられたものである。この十一の面には五種類の表情があり,中央髪の上の仏面は如来で頭を丸く盛り上げ,大乗を習い行ずるものに対して最終最上の仏道を説く,その正面の手前三面は慈悲面でやさしく善良な衆生を見て大慈悲を生じ楽を与え,その右横の三面は忿怒面でこわい顔をし悪い衆生を見ては一慈悲を生じ苦を抜く,左横の三面は狗牙上出面で口元に上向きの牙を出し浄業者を見て希有の讃を発し仏道を勧進する,真後ろの一面は大悪笑面で大きな口を開けて笑い善悪雑穢の衆生を見て快笑し悪を改め道に向かわせる。このお姿は,人間の災厄に際して十一面観音が大きい力を示して下さる事を現している。

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