1996/05 - 1996/05
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buchijoyceさん
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リスボンのサンタ・アポローニャ駅から海岸沿いに北上し、コインブラへ。コインブラは11世紀から13世紀まではポルトガルの首都であった。また、ポルトガルのハイデルベルクともいう大学の町でもある。駅の近くのホテル・アストリアに宿を取った。
旧カテドラルを見て、COINBURA大学へ行った。COINBURA大学は1260年に建てられたポルトガル最初の大学である。図書館にも寄った。大学から見下ろす町はモンテゴ川が流れ、きれいだ。
私達は階段を上ったが、下からトロリーバスが来ていた。大学生達とお茶を飲んでちょっと話をした。学生達は真面目でいい。バスはやたらと乗って、終点から折り返してきた。
涙の館、この館には、あんまりぞっとしないが、悲しい話がある。裏手には涙の泉があり、石碑に詩が刻まれている。「哀れな死をとげたモンテゴ川の娘、流れ出た涙は愛の名をもって水となり、清らかな泉となって生き、花々を育てる」というのだそうだ。ここはイネス・デ・カストロが住んでいた館だった。
アルフォンソ4世の息子ペドロは政略結婚で、カスティージャのコンスタンサと結婚することになっていた。ところがこの姫に付き添ってきた侍女で、気品も高く美しいイネス・デ・カストロに心を奪われ、二人は恋におちた。二人には3人の子どもも生まれた。カスティージャの圧力を恐れて、イネスを不法な裁判にかけ処刑してしまった。
やがて父アルフォンソ4世がなくなり王座についたペドロは、イネスが忘れられず、教会にイネスとの結婚が正当であると認めさせ、なきがらに衣服を着せ、コインブラからアルコサバに運ばせ王妃の座に着かせた。イネス殺害に手を貸した者どもは全て首をはねられた、というのだ。
ホテル・アストーリアにはレストランがあった。ウェイターがハウスワインを勧めたので、そればかり飲んでいた。
コインブラの町は気に入ったので、ネコの名前にコインブラとつけた。
翌日、コインブラからポルトへでかけた。電車で2時間ぐらい。もちろん、本場ポルト酒を飲むためである。ポルトはアルコール強化ワインである。ある程度、発酵が進んだワインにブランディを添加して発酵を抑える。すると甘いワインができる。川べりで船を見ながらポルトをいろいろ飲んでみた。うん、私には甘すぎた。
カテドラルにも行ったし、宝物殿も見た。町も歩いた。
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