2006/03/12 - 2006/03/12
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ソフィさん
2006年3月12日(日)
今オリンピアの、聖地に来ている。
2000年前、ここに集った若者たちの歓声が聞こえてくるようだ。
古代オリンピックの時代、神聖な大会の期間とその前後の移動の期間3ヶ月ほどを、オリンピア祭のための休戦期間とした。
ゼウスが男神であることかららしいが、オリンピア大会は女人禁制であった。
体操を行う際、裸体となることが関係していたなどの、異説もある。
しかし別に、「へライア」という女子競技の祭りが、行われていた時代もある。
これは女神ヘラに捧げる祭りで、オリンピックと重ならない年に行われていた。
この競技は短距離走のみで、着衣で行われたと考えられている。
オリンピア祭では体育だけでなく、詩の競演も行われた。
近代オリンピックでも、コントラクト・ブリッジのような非体育系の種目もある。
競技会の行われた季節は麦の刈り入れが終わり、農民が少し暇になる、ユリウス暦の8月だったと考えられている。
最初はエリスとスパルタの2国のみだったオリンピア大祭は、正確に4年に一度開催され続け、しだいに参加国が増え、ついに全ギリシャ諸国が参加するようになった。
この大会はギリシャ共通の暦の単位にもなった。
オリンピアードという単位で、あるオリンピア大祭が開催されてから、次の大祭が開催されるまでの4年間を示す。
年を特定するためには「第○○オリュンピアードの第×年」と数える。
格闘技で相手を殺した勝者には、オリーブの冠は贈られなかった。
逆に、勝者であれば死者でも冠が贈られた。
審判はきわめて初期はエリス王自身が当たったが、競技の数が多くなるとエリス市民からくじで選ばれた。
選ばれた審判たちは、オリンピック期間中、神官として扱われた。
審判はエリスに設けられた専門の施設で競技規則につき、10か月に渡り専門家から教えを受けた。
その間に、続々と各国から選手が集まり、1か月前になると、選手とともに合宿練習をして、練習試合の間にまた規則の確認を行ったという。
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