1987/08 - 1987/08
997位(同エリア2526件中)
アリヤンさん
ユーレイル・パスでスイスからドイツへ。
当時はまだ西ドイツ。
東ベルリンを子供たちに見せようと、あえてベルリン訪問した。
実存の共産主義国家の国民の生活がどのようなものであるか?
を説明抜きにダイレクトに子供たちに教えようと、のコンタンでした。
同時に鉄道のタビの楽しさも味わえます。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道
-
ケルンの駅にて。
ゴチック建築の代表作のケルン大聖堂を見てきたが、サッパリ写真を撮っていない。
駅でカワイイ犬を見つけたのでパチリ。 -
西ベルリン。
東ドイツの中に孤立した西ベルリンだったが、その賑やかさや資本主義さは東京や大阪と変わりなかった。
東西を分けるカベ。
ブランデンブルグ門の近くのカベはこのようでしたが、そのウラはどんな落書きがあるのか?
と期待しましたが、その後行って見て分かった。
落書きなどは無かった。
厳しく柵で規制された寂しい壁があった。 -
イチオシ
東からの脱出を図って、途上で殺された人々のお墓。
カベが取り払われた現在からしてみれば、こうした人々の死はなんだったのか?
決して無駄死にではなかっただろうが、それにしてもムナシイ。 -
西側のチャーリー・チェック・ポイント。
今この写真を見て思い出したが、西側では何のチェックも無かった。
チェックの厳しさは東側である。
24時間滞在許可をもらって、一日東ベルリンをブラブラして、夕方違うポイントから西側へ出ようとして断られた。
同一ポイントでなければ東から西へ戻れなかったのだ。
我が一家はパニック状態になりながら、必死で元のポイントへ走った。 -
ブランデンブルグ門を東側から。
西側ではすぐそばまで行けたが、東側では近寄れない。
鉄砲を持った兵士が警備していたので、柵を乗り越えて西側に走ったら即、射殺だっただろう。
門の向こう(西側)では、遊園地のメリーゴーランドが見え、コチラでは殺風景でツマラナイ風景のみ。
誰しもが門の向こう側へ行きたい!と思っただろう。 -
東ベルリンは不思議なところでした。
人々の表情がクライ!
服装がクライ!
履物はゾウリが多かった。
食事をするところが極端に少ない。
あっても随分前からの予約客(地元の東ベルリン市民)で座る所なし。
しかたなく屋外の席で食べ物を頼んだ。
ウエイトレスはブッキラボー、ロクなクイモンはない。
でてきたコーラをのどが渇いていた子供たちが一気にのんだが、そのマズさに一気に吐きだした。
飲めたシロモノでなかった。
このように何から何まで、西側と比べ粗末であった。
後日、カベが自然と崩れたのは道理だ。 -
西ベルリンの動物園。
パンダが身近にみられた。
オランウータン舎がガラス張りになっており、すぐそばでオランウータンが面白い顔でコチラを見つめるので、子供たちはお腹を抱えて笑い転げた。
当時としては、中々考えたツクリの動物園でした。
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