チチカカ湖周辺旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ティティカカ湖<br /><br />5月28日(土)晴<br /><br />6時から朝食なので6時に行ったらまだ電気もついていなかった。早すぎた。でもスタッフは丁寧にストーブまでつけて歓迎してくれた。食事をして、インターネットでボリビア情勢を探して見た。ラパスにおりる途中でストが行われているらしく、車が通れない。荷物を引きずりながら空港に向かう客の姿もある。空港はまだ閉鎖はされてはいないが、国際便が運行を取りやめているとあった。こりゃぁダメだ、諦めよう。縁がなかったってことだ。政情不安では客は来ない、平和こそが一番の観光だ。<br /><br />ミチコさんに「死ぬかと思った」とPapasanが言うと<br />「起こしてくれればいいのに。酸素も持ってきているし、このホテルにも酸素は常備されています。」と。<br />なるほど、フロントの横で白人ご夫妻がマスクをあてて酸素を吸っている。<br />「ほら、同じような人がいるよ。無理しないで!吸ってみる?」「いや、もう大丈夫。治った」<br />チベットで酸素ボンベを買って試したが、私には効果がなかったので買ってこなかったが、クスコで買ってきてやればよかった。なんてったって高地は私の方が先輩なんだから。<br /><br />7時半、ホテルを出て港へ行く。船着場のまわりはアオコがいっぱい。浄化施設がないのかもしれない。船は小型の遊覧船、内部はベンチにクッションが敷き詰められ、床もカーペットがひいてある。6角形のテーブル、救命胴衣がうずたかく積んであった。階上にはデッキがあり、同様ベンチとクッションがある。乗員は私たち3人に運転手と助手の2人、ローカルガイドのアルフォンソさんが加わって6人。スタッフの方が多い。まことに贅沢な旅である。<br /><br />ティティカカ湖は標高3810m、船が運航している湖としては世界一の高さにある。大きさは琵琶湖の13倍、兵庫県に等しい。5分の3はペルー領、5分の2はボリビア領。<br /><br />ティティカカ湖のウロス島とタキーレ島へ行く。ウロス島は半島に囲まれた湾内にある。船がトトラの島に着いた。島に下りたつと足元がやわらかい。ローカルガイドのアルフォンソさんが説明してくれた。<br /><br />ウロス島はトトラ(湖などに群生するカヤツリグサ科のフトイの一種)で作った浮き島のことである。トトラの根を組み合わせ、その上にトトラの茎を3mほど敷き詰め島を作っていく。トトラの島の上にはトトラを乾燥させて小屋を作り、少し高くしてベッドが出来ている。乾燥したトトラは燃料にもなる。トトラの島では火は一番気を使う。島全体が燃料だからだ。だからかまどの周りに絶えず水をかけている。<br /><br />主食のパンは揚げたパン。ご馳走してくれたが、私はあぶらものは敬遠しているので食べなかった。トトラの根から出た芽を切って、皮をむいて白い部分を食べる。幼児が食べていた。私も食べてみたが、さくっとした感触、塩でもつければ美味しいかも。もともとティティカカ湖に生息していたカラチという魚を教えてくれた。小さな魚だ。これを開いて天日干しする。塩に漬けるわけではないそうだ。カラチは湖に移植されたマスやペヘレイのために生息数が少なくなってきているという。ペヘレイはもうずいぶん前になるが、神奈川県のフィッシングセンターで飼育していたので、視察に行ったことがある。刺身は高級魚だ。そのとき、たしかアルゼンチンの魚だと教わった。ペヘレイというのが覚えにくくて「ベ平連」と覚えた。いま、若い人たちに「べ平連」と言って通じるかなぁ。<br /><br />隅の方にウロス島のニワトリといわれるチョカという鳥がいる。全体に黒くて、嘴が長い水鳥だ。エサを与えて飼っている。傍に五位サギの幼鳥(ホシゴイ)もいる。そのゴイちゃんが嘴を突き出してチョカを追う。おかしい。<br /><br />ここの人たちはアイマラ語を話す。「こんにちは」は「カミサラキ」、「ありがとう」は「ワラキ」、「かわいい」は「ママーリャ」・・と幾つか教わった。ここの島には4家族が住む。この島の名はコンティキ。コンティキ号からとった名だ。若いお母さんが赤ちゃん連れで私たちの横で仕事をしていたので彼女が作った壁掛けを買った。<br /><br />ウロスには40ほどの島があるが、各島には代表者がいて、さらに選挙で一人の代表者が選ばれている。収入は漁業が主で、後は刺繍などの民芸品を作り、観光収入でまかなっている。野菜などは市が立つ日、たいてい土日に買いに行く。トトラで作った船に乗った。大きな船だが、製作に1ケ月かかった。1年半ぐらいの寿命。船の乗り心地はまことにいい。ゆっくりと動く船は太古にかえったような安らぎを覚える。船代は一人5ソル。<br /><br />トトラの船が違う浮島についた。カミサラキ島だ。さっき覚えたばかりの「こんにちは」が名前の島だ。ここは8家族の島。すると三つ揃えを着込んだ男性が上陸してきた。愛想良く私たちを歓迎してくれた。この島はプロテスタントの島で、今の紳士は牧師さん。ウロス島に刺繍の技術を伝えたのはプロテスタントのヨーロッパ人で、現金収入を考えてのことだったそうだ。この島には観光用のトトラの家(宿泊施設)がある。きれいに出来ていたが、でも、寒いだろうな。近くの島には保健所、学校もある。この学校と保健所を作ったのはフジモリ元大統領だったそうだ。<br /><br />トトラの森を過ぎると、湖は深くなる。最深度は21mあるそうだ。水も澄んできれいだ。ここから湾を出て、タキーレ島まで2時間余り、カモメが舞い、この地点が3810mだと気にしなければ、どこにでもある静かな、美しい湖の風景だ。<br />タキーレ島に着く。普通は反対側から入って山道を歩くのだが、私が歩くのを嫌がるので、違う船着場に船をつけてくれたのだった。島の回りの水は透明度が高い。船着場近くでは数人が洗濯をしている。湖の水は生活すべてをまかなっている。しかし洗濯しているのを見ると使っているのは粉末の合成洗剤だ。おやまぁ。タキーレも観光の島だ。織物を男性がする。<br /><br />湖はもう海といっていいほど。島影や遠くに対岸が見え、その向こうに白い山々が連なる。「ここからこっちはペルー。こちら側はボリビア。」ボリビア領内の白い山並みがややぼやけて、でも青空に溶け込んで美しく見える。6千メートル級の山々だ。ティティカカ湖の島やボリビアではアイマラ語が使われているが、ここタキーレ島と隣のアマンターニ島ではインカと同じケチュア語が話されている。ここもユーカリが植えられている。<br /><br />船着場からゆっくりと坂を上り始めると、子どもたちにあった。姉妹だということだった。写真を撮ると手を出す。アメを頂戴というのだ。アメは歯医者がいないからあげてはいけないと旅のしおりに書いてあったのでためらうと、ミチコさんがパンをあげた。それですんだ。観光ずれして子どもたちが観光客さえ見れば、アメ頂戴とかお金頂戴とか言って困っている。他の島では子どもにモノをあげないでくださいと書いてあるとのことだった。観光客はどこでも躾を悪くしてしまっているようだ。文化を壊すことにもなりかねない。<br /><br />アルフォンソさんが「ムニャ」という草を取ってくれた。香りが強く、ミントと胡椒を混ぜたような香りがする。高山病に効くということだった。Papasanが香りをかいで、「すっとする。部屋に帰って飲んでみよう」と袋に入れた。<br /><br />坂の途中でおばあさんに会った。ショッキングピンクの上着を着て、黒いスカートに黒い長いショールをしている。私たちがおなじみのアンデスの山高帽はスペインが持ち込んだもの、もともとはこういう風にショールをかけていたのだと言う。ちょっと見には年齢の区別はつかないが、前から見るとおばあさんで、目が白くにごっているし、歯もだいぶ抜けている。<br /><br />いくつかと聞いたが答えはなかった。私がカンツータの花を撮ろうとしていると察知して花を摘んできてくれた。鮮やかなショッキングピンクの花だ。帽子にさして、ホテルに帰ってから押し花にした。ミチコさんがパンをあげた。かなり多い量だと思ったが、おばあさん、私たちの横に座ってたいらげた。あんがい私たちと同じくらいか、むしろ下かもしれない。パンを平らげると足元も軽く坂を上っていってしまった。私たちは数歩上ってはフ〜、と大きく息をしているのに。ここは高度3800m以上はあるのだ。<br /><br />途中で待っていれば、食事を買ってきてくれると、アルフォンソさんが村まで食べ物を買いに行った。上の村まで上るのは大変だろうと思ったらしい。「上にはなにがあるの?」「広場があってお土産物を売っているだけ」私は行けそうな気がしたが、Papasanは呼吸が苦しくて無理だったようだ。<br /><br />野鳥がたくさんいる。蝶もいる。そんなものを眺めていると、上から少女が降りてくるのが見えた。洗濯に行くらしく背中に荷物を背負っている。私たちを見つけてやってきた。「アメ頂戴」「ダメ」「フォト撮って」「いらない」papasanがスケッチをしているのを覗き込んでいる。ちいとも離れない。「ねばるなぁ、いくつ」「8歳」「小銭があるからあげようか」「ダメです」とミチコさん。「なら働いてもらいましょう」と言って私がカメラを向ける。数枚とると、ミチコさんがパンをあげた。すると女の子、お金も頂戴と手を出す。「うんまぁ。」「これですよ」「仕方がない」といって50渡すと、1ソルにしてという。「ダメ」というとふいと向きを変え、ふんとした顔で、さっさと下っていってしまった。「あれですよ。」「ほんとだなぁ」<br /><br />程なく民族衣装の男女が荷物をかついで下りてきた。男性は幅広い帯をしている。この島の正装だという。格好いいから写真とってもいいかとミチコさんに聞くと、あの二人はレストランの人だからどうぞという。カメラを向けるとお二人さんテレている。草の上の昼食としゃれるつもりだったが、船ですることにする。なんとスープ皿や大きなお皿やスプーンセットを持って、ここまで給仕に来てくれたのだった。キヌアのスープ、ペヘレイの焼き魚、ご飯と野菜。キヌアのスープは美味しかった。ペヘレイの焼魚は淡白で味はカマスに似ている。小さいので身が少ない。スープは美味しく全部平らげたが、魚は残してしまった。するとそのレストランの女性が残りをそばにいた洗濯のオバサンにあげた。オバサンの手は泡だらけ、すると男の子がサラの上から残り物の魚を食べた。後の残りはそのまま袋の中に、家畜の餌にするのだろうということだ。<br />無駄はない。<br /><br />船は再び走り始めた。階上のデッキに座って景色を眺めていた。アマンターニ島はエイに似ているとか、例によって私が騒いでいる。<br />すぐ目と鼻の先で政情不安のストライキとデモが行われていることなど、まったく感じさせないのどかさだ。ストライキは人民の権利だ。やるのは仕方がない。観光客は、事の成り行きが人民にとって良く解決するようにと、黙って見守るしかない。もちろん政情不安の原因が何であるかも知らない。しかし根底には貧困があるんだろうなぁ。その先には植民地支配も大きく起因している。<br />(後日:大統領は辞任した。とうとう死者もでたという。しかし新大統領就任で、事態は収まりそうだときいた)<br /><br />そのうちに寒くなってきたので、風邪を慮って下りて船内のベンチでミチコさんが貸してくれたひざ掛けをかけて寝てしまった。「トトラの林に入ったよ」とPapasanが起こしてくれた。もうじきだ。夕方の光がまたいい。カメラを出して船尾から狙っている。<br />ウロス島に来た。近くにいた人たちが手を振っている。こちらも振り返す。<br /><br />やがて港に着いた。山の端に夕日が沈んだ。日が沈むといきなり寒くなる。さっきまで暑いくらいに照りつけたあの余熱など残っていないかのようだ。<br />ホテルに戻る。部屋に入って毛布とオイルヒーターの点検をし、急いで強力にして暖房する。2台のストーブ(頼んで2台貸してもらった)が温めるのと、寒さが襲うのと、時間を争っているようだ。どっちかというと寒さに軍配があがる。オイルヒーターに触ると実に熱いのだが、部屋の割りに小さいのかもしれない。トイレも暖房がないので冷え切っている。<br /><br />外に行かないでホテルで食事をすることにする。ホテルの食事はスープも鳥のカツレツも美味しかった。Papasanはペヘレイだが。こんどの魚は大きい。それでも、のど元過ぐれば・・で、懲りないオジサンはビールを飲んでいる。<br /><br />明日は7時出発。「さぁ、もうこれで薬を飲まなくていいぞ!ボリビアに行けないのはちょっと残念だけど」というとPapasan、「これで高地を離れられると思うとうれしい」とよろこんでいる。よほど懲りたんだ。<br />

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2005/05/28 - 2005/05/28

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buchijoyce

buchijoyceさん

ティティカカ湖

5月28日(土)晴

6時から朝食なので6時に行ったらまだ電気もついていなかった。早すぎた。でもスタッフは丁寧にストーブまでつけて歓迎してくれた。食事をして、インターネットでボリビア情勢を探して見た。ラパスにおりる途中でストが行われているらしく、車が通れない。荷物を引きずりながら空港に向かう客の姿もある。空港はまだ閉鎖はされてはいないが、国際便が運行を取りやめているとあった。こりゃぁダメだ、諦めよう。縁がなかったってことだ。政情不安では客は来ない、平和こそが一番の観光だ。

ミチコさんに「死ぬかと思った」とPapasanが言うと
「起こしてくれればいいのに。酸素も持ってきているし、このホテルにも酸素は常備されています。」と。
なるほど、フロントの横で白人ご夫妻がマスクをあてて酸素を吸っている。
「ほら、同じような人がいるよ。無理しないで!吸ってみる?」「いや、もう大丈夫。治った」
チベットで酸素ボンベを買って試したが、私には効果がなかったので買ってこなかったが、クスコで買ってきてやればよかった。なんてったって高地は私の方が先輩なんだから。

7時半、ホテルを出て港へ行く。船着場のまわりはアオコがいっぱい。浄化施設がないのかもしれない。船は小型の遊覧船、内部はベンチにクッションが敷き詰められ、床もカーペットがひいてある。6角形のテーブル、救命胴衣がうずたかく積んであった。階上にはデッキがあり、同様ベンチとクッションがある。乗員は私たち3人に運転手と助手の2人、ローカルガイドのアルフォンソさんが加わって6人。スタッフの方が多い。まことに贅沢な旅である。

ティティカカ湖は標高3810m、船が運航している湖としては世界一の高さにある。大きさは琵琶湖の13倍、兵庫県に等しい。5分の3はペルー領、5分の2はボリビア領。

ティティカカ湖のウロス島とタキーレ島へ行く。ウロス島は半島に囲まれた湾内にある。船がトトラの島に着いた。島に下りたつと足元がやわらかい。ローカルガイドのアルフォンソさんが説明してくれた。

ウロス島はトトラ(湖などに群生するカヤツリグサ科のフトイの一種)で作った浮き島のことである。トトラの根を組み合わせ、その上にトトラの茎を3mほど敷き詰め島を作っていく。トトラの島の上にはトトラを乾燥させて小屋を作り、少し高くしてベッドが出来ている。乾燥したトトラは燃料にもなる。トトラの島では火は一番気を使う。島全体が燃料だからだ。だからかまどの周りに絶えず水をかけている。

主食のパンは揚げたパン。ご馳走してくれたが、私はあぶらものは敬遠しているので食べなかった。トトラの根から出た芽を切って、皮をむいて白い部分を食べる。幼児が食べていた。私も食べてみたが、さくっとした感触、塩でもつければ美味しいかも。もともとティティカカ湖に生息していたカラチという魚を教えてくれた。小さな魚だ。これを開いて天日干しする。塩に漬けるわけではないそうだ。カラチは湖に移植されたマスやペヘレイのために生息数が少なくなってきているという。ペヘレイはもうずいぶん前になるが、神奈川県のフィッシングセンターで飼育していたので、視察に行ったことがある。刺身は高級魚だ。そのとき、たしかアルゼンチンの魚だと教わった。ペヘレイというのが覚えにくくて「ベ平連」と覚えた。いま、若い人たちに「べ平連」と言って通じるかなぁ。

隅の方にウロス島のニワトリといわれるチョカという鳥がいる。全体に黒くて、嘴が長い水鳥だ。エサを与えて飼っている。傍に五位サギの幼鳥(ホシゴイ)もいる。そのゴイちゃんが嘴を突き出してチョカを追う。おかしい。

ここの人たちはアイマラ語を話す。「こんにちは」は「カミサラキ」、「ありがとう」は「ワラキ」、「かわいい」は「ママーリャ」・・と幾つか教わった。ここの島には4家族が住む。この島の名はコンティキ。コンティキ号からとった名だ。若いお母さんが赤ちゃん連れで私たちの横で仕事をしていたので彼女が作った壁掛けを買った。

ウロスには40ほどの島があるが、各島には代表者がいて、さらに選挙で一人の代表者が選ばれている。収入は漁業が主で、後は刺繍などの民芸品を作り、観光収入でまかなっている。野菜などは市が立つ日、たいてい土日に買いに行く。トトラで作った船に乗った。大きな船だが、製作に1ケ月かかった。1年半ぐらいの寿命。船の乗り心地はまことにいい。ゆっくりと動く船は太古にかえったような安らぎを覚える。船代は一人5ソル。

トトラの船が違う浮島についた。カミサラキ島だ。さっき覚えたばかりの「こんにちは」が名前の島だ。ここは8家族の島。すると三つ揃えを着込んだ男性が上陸してきた。愛想良く私たちを歓迎してくれた。この島はプロテスタントの島で、今の紳士は牧師さん。ウロス島に刺繍の技術を伝えたのはプロテスタントのヨーロッパ人で、現金収入を考えてのことだったそうだ。この島には観光用のトトラの家(宿泊施設)がある。きれいに出来ていたが、でも、寒いだろうな。近くの島には保健所、学校もある。この学校と保健所を作ったのはフジモリ元大統領だったそうだ。

トトラの森を過ぎると、湖は深くなる。最深度は21mあるそうだ。水も澄んできれいだ。ここから湾を出て、タキーレ島まで2時間余り、カモメが舞い、この地点が3810mだと気にしなければ、どこにでもある静かな、美しい湖の風景だ。
タキーレ島に着く。普通は反対側から入って山道を歩くのだが、私が歩くのを嫌がるので、違う船着場に船をつけてくれたのだった。島の回りの水は透明度が高い。船着場近くでは数人が洗濯をしている。湖の水は生活すべてをまかなっている。しかし洗濯しているのを見ると使っているのは粉末の合成洗剤だ。おやまぁ。タキーレも観光の島だ。織物を男性がする。

湖はもう海といっていいほど。島影や遠くに対岸が見え、その向こうに白い山々が連なる。「ここからこっちはペルー。こちら側はボリビア。」ボリビア領内の白い山並みがややぼやけて、でも青空に溶け込んで美しく見える。6千メートル級の山々だ。ティティカカ湖の島やボリビアではアイマラ語が使われているが、ここタキーレ島と隣のアマンターニ島ではインカと同じケチュア語が話されている。ここもユーカリが植えられている。

船着場からゆっくりと坂を上り始めると、子どもたちにあった。姉妹だということだった。写真を撮ると手を出す。アメを頂戴というのだ。アメは歯医者がいないからあげてはいけないと旅のしおりに書いてあったのでためらうと、ミチコさんがパンをあげた。それですんだ。観光ずれして子どもたちが観光客さえ見れば、アメ頂戴とかお金頂戴とか言って困っている。他の島では子どもにモノをあげないでくださいと書いてあるとのことだった。観光客はどこでも躾を悪くしてしまっているようだ。文化を壊すことにもなりかねない。

アルフォンソさんが「ムニャ」という草を取ってくれた。香りが強く、ミントと胡椒を混ぜたような香りがする。高山病に効くということだった。Papasanが香りをかいで、「すっとする。部屋に帰って飲んでみよう」と袋に入れた。

坂の途中でおばあさんに会った。ショッキングピンクの上着を着て、黒いスカートに黒い長いショールをしている。私たちがおなじみのアンデスの山高帽はスペインが持ち込んだもの、もともとはこういう風にショールをかけていたのだと言う。ちょっと見には年齢の区別はつかないが、前から見るとおばあさんで、目が白くにごっているし、歯もだいぶ抜けている。

いくつかと聞いたが答えはなかった。私がカンツータの花を撮ろうとしていると察知して花を摘んできてくれた。鮮やかなショッキングピンクの花だ。帽子にさして、ホテルに帰ってから押し花にした。ミチコさんがパンをあげた。かなり多い量だと思ったが、おばあさん、私たちの横に座ってたいらげた。あんがい私たちと同じくらいか、むしろ下かもしれない。パンを平らげると足元も軽く坂を上っていってしまった。私たちは数歩上ってはフ〜、と大きく息をしているのに。ここは高度3800m以上はあるのだ。

途中で待っていれば、食事を買ってきてくれると、アルフォンソさんが村まで食べ物を買いに行った。上の村まで上るのは大変だろうと思ったらしい。「上にはなにがあるの?」「広場があってお土産物を売っているだけ」私は行けそうな気がしたが、Papasanは呼吸が苦しくて無理だったようだ。

野鳥がたくさんいる。蝶もいる。そんなものを眺めていると、上から少女が降りてくるのが見えた。洗濯に行くらしく背中に荷物を背負っている。私たちを見つけてやってきた。「アメ頂戴」「ダメ」「フォト撮って」「いらない」papasanがスケッチをしているのを覗き込んでいる。ちいとも離れない。「ねばるなぁ、いくつ」「8歳」「小銭があるからあげようか」「ダメです」とミチコさん。「なら働いてもらいましょう」と言って私がカメラを向ける。数枚とると、ミチコさんがパンをあげた。すると女の子、お金も頂戴と手を出す。「うんまぁ。」「これですよ」「仕方がない」といって50渡すと、1ソルにしてという。「ダメ」というとふいと向きを変え、ふんとした顔で、さっさと下っていってしまった。「あれですよ。」「ほんとだなぁ」

程なく民族衣装の男女が荷物をかついで下りてきた。男性は幅広い帯をしている。この島の正装だという。格好いいから写真とってもいいかとミチコさんに聞くと、あの二人はレストランの人だからどうぞという。カメラを向けるとお二人さんテレている。草の上の昼食としゃれるつもりだったが、船ですることにする。なんとスープ皿や大きなお皿やスプーンセットを持って、ここまで給仕に来てくれたのだった。キヌアのスープ、ペヘレイの焼き魚、ご飯と野菜。キヌアのスープは美味しかった。ペヘレイの焼魚は淡白で味はカマスに似ている。小さいので身が少ない。スープは美味しく全部平らげたが、魚は残してしまった。するとそのレストランの女性が残りをそばにいた洗濯のオバサンにあげた。オバサンの手は泡だらけ、すると男の子がサラの上から残り物の魚を食べた。後の残りはそのまま袋の中に、家畜の餌にするのだろうということだ。
無駄はない。

船は再び走り始めた。階上のデッキに座って景色を眺めていた。アマンターニ島はエイに似ているとか、例によって私が騒いでいる。
すぐ目と鼻の先で政情不安のストライキとデモが行われていることなど、まったく感じさせないのどかさだ。ストライキは人民の権利だ。やるのは仕方がない。観光客は、事の成り行きが人民にとって良く解決するようにと、黙って見守るしかない。もちろん政情不安の原因が何であるかも知らない。しかし根底には貧困があるんだろうなぁ。その先には植民地支配も大きく起因している。
(後日:大統領は辞任した。とうとう死者もでたという。しかし新大統領就任で、事態は収まりそうだときいた)

そのうちに寒くなってきたので、風邪を慮って下りて船内のベンチでミチコさんが貸してくれたひざ掛けをかけて寝てしまった。「トトラの林に入ったよ」とPapasanが起こしてくれた。もうじきだ。夕方の光がまたいい。カメラを出して船尾から狙っている。
ウロス島に来た。近くにいた人たちが手を振っている。こちらも振り返す。

やがて港に着いた。山の端に夕日が沈んだ。日が沈むといきなり寒くなる。さっきまで暑いくらいに照りつけたあの余熱など残っていないかのようだ。
ホテルに戻る。部屋に入って毛布とオイルヒーターの点検をし、急いで強力にして暖房する。2台のストーブ(頼んで2台貸してもらった)が温めるのと、寒さが襲うのと、時間を争っているようだ。どっちかというと寒さに軍配があがる。オイルヒーターに触ると実に熱いのだが、部屋の割りに小さいのかもしれない。トイレも暖房がないので冷え切っている。

外に行かないでホテルで食事をすることにする。ホテルの食事はスープも鳥のカツレツも美味しかった。Papasanはペヘレイだが。こんどの魚は大きい。それでも、のど元過ぐれば・・で、懲りないオジサンはビールを飲んでいる。

明日は7時出発。「さぁ、もうこれで薬を飲まなくていいぞ!ボリビアに行けないのはちょっと残念だけど」というとPapasan、「これで高地を離れられると思うとうれしい」とよろこんでいる。よほど懲りたんだ。

  • ウロス島

    ウロス島

  • トトラの森

    トトラの森

  • ウロス コンティキ島の母子

    ウロス コンティキ島の母子

  • かまどの前で

    かまどの前で

  • カラチの干物

    カラチの干物

  • コンティキ島で

    コンティキ島で

  • カミサラキ島で<br />石臼をひく

    カミサラキ島で
    石臼をひく

  • タキーレ島の女の子

    タキーレ島の女の子

  • おばあさん

    おばあさん

  • レストランの二人

    レストランの二人

  • タキーレ島の周りの水の透明度

    タキーレ島の周りの水の透明度

  • 遠くにボリビアの山々

    遠くにボリビアの山々

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