2005/05/26 - 2005/05/26
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buchijoyceさん
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クスコ
5月26日(木)晴
今日一日はフリーである。8時ごろ出かけようとして階段にカメラを落とした。フリーなので気を使って軽いEOS55にしたのだった。バッグにレンズとカメラを入れておいたのだが、開いている口から落ちたのだ。「肩にかけとかなければダメじゃない」とPapasanに怒られた。シャッターを切るとちゃんと機能している。大丈夫だ。
アマルス広場に出かけていくが、暑いと思って薄着できたら寒い。Papasanが写真を撮ろうと思ったら電池がないとメッセージが出ていると言う。昨夜ちゃんと充電したはずなのに。毎日Papasanのデジカメは映像をパソコンに移し、電池は充電させる。これは日課になっているのだが、カードを入れたかどうか確認したとき、電源を切りそこなったのかもしれない。いそいでホテルに戻り、充電をする。充電には時間がかかるので、私はPCで遊んでいる。後になって気がついたのだが、私はストロボのために同じ電池を4本持っていたのだ。これを使っていればよかったのだが、全然思いつかなかった。全部充電しなかったが、出かけて行く。
クスコはインカの帝国の首都だった。クスコとは「へそ」という意味だそうだ。インカの人びとにとって、ここはまさにへそ、帝国の、いや宇宙の中心地であったのだろう。
1533年、13代皇帝アタワルパを殺したスペイン人たちはクスコに到着する。皇帝を殺されたインカの民は抵抗もできず、スペイン人たちのなすがままにまかせた。スペイン人たちは太陽の神殿にあった金を手当たり次第に略奪、溶かして金の延べ棒にし本国に送った。命を助けるからとアタワルパに部屋いっぱいの金を差し出させながらも彼を殺害し、その金も全て延べ棒にして本国に送ってしまってもいる。そして金を奪った神殿を破壊し、その上に教会をつくった。その後、クスコを襲った数回の地震により、スペイン人が建てた教会は大きなダメージを受けたが、インカがつくった石組はびくともしなかった。この石組みはクスコのあちこちで見ることが出来る。
今日はお祭り。アマルス広場はすごい人出だ。近在近郷から押し寄せたのだろう。カテドラルの前に純銀で出来た祭壇が台車に乗せられて鎮座している。見事な細工だ。それが広場を巡回するのだろう。祭壇の横の階段の上にはひな壇が出来、白に赤い十字架のついた僧服を着た聖職者たちが並んでいる。右手にはベールをかぶった修道女たち、聖歌隊の子どもたちもいる。司祭が“PADRE、ESPERANTE・・”といったお祈りの呼びかけを始めた。それに群集が唱和する。聖歌が始まった。日ごろ歌いなれているからか、修道女たちの合唱はきれいだ。ソプラノのソロが入った。このソロがとても美しかった。それは信仰心が声になったような清楚な美しさだった。
セレモニーは延々と続きそうなので、人ごみを離れて、広場近くにある12角形の石積みの道を探して出かけた。石積みはすぐに見つかった。写真を撮りながら坂を上っていった。少し歩くとハーハー、やはり坂はきつい。思い出したように「マリアさまにご挨拶しなくっちゃ」とサンブラス教会に入ろうとしたのだが、鍵がかかっていて入れない。
今日のお祭りで出払ってしまっているみたいだ。今日は教会はダメだ、そこでインカ博物館へ行く。博物館は素敵な建物だ。BGMに澄んだケーナの音が響いている。深山幽谷にこだまするような清澄な音だった。じっくりと展示物を見て回った。この博物館が出来た由来書ものっていた。展示だけでなく、伝統を守り続ける目的もある。中庭では伝統にのっとった糸つむぎ、織のデモンストレーションが行われていた。写真を撮らしてもらった。ここで気がついた。落としたときにレンズはMFになっていたのである。「昨日から、どうかしてるよ」とPapasanが言う。「うん、高度のせいかな」と私もしょげている。「よ〜し、挽回しよう!」
ちょうど12時だった。教会の鐘が鳴った。
インカ博物館のすぐ横に屋台がずらっと並んでいる。お祭りだからだろう。串焼き屋さん、飲み物やさん、おもちゃ屋さん、お好み焼きのようなパンにいろんな具をのせて食べる、オープンサンドの屋台、ずらっとならんだ具のひとつに子豚の丸焼きみたいなものが重なっていた。子豚にしては小さい。そこで「クイか」と聞いてみた。「そうだ」とうなづいている。「美味しいよ」といわれたが、これからレストランへ行くので、その前にちょっと味見は、もう出来ない。「いらない」というとお姉さんが笑っている。きっと変わった食べ物だから敬遠したと思ったのだろうね。いやしいオバサンはほんとは食べたかったんだ。
広場はいまや人が通れないほどの混みよう。Papasanの背中につかまり、人を押し分けながらホテルの方向に進む。ようやく通りに出た。角に日本人の経営するプカラというレストランがあるはず。簡単に見つかった。でも中はだれもいない。ガラス越しにのぞいていると、中から女の人が開けてくれた。招じられるままに中に入り席に着いた。さて、何を頼もうか。なんせ量が多いいから、やたらには頼めない。
ここは写真入で料理の説明に日本語が書いてある。私はチキンのトマト煮込み、Papasanはハツの串焼きとダイエット・スープ。ダイエット・スープといっても具はたくさん入っているし、どこがダイエット??でも味は美味しい。私のチキンはよく煮込んであってやわらかいし、フライドポテトもついている。とても美味しい。自分の分はちゃんと平らげた。Papasanは串焼き分が多かったようだ。飲み物はPapasanがすっかり気にいったコカ茶を私の分も注文した。ここのはレモンと砂糖がついてきた。なるほど、砂糖を入れてレモンティにすると美味しい。
レストランを出ると山車が動き始めている。聖母マリアや聖ドミンゴの大きなきらびやかな人形の乗った山車が広場をゆっくりと回っていく。
風邪の具合がよくないので、ホテルに戻って、午後から私は寝ている。水がおいてなかったのでフロントにいうと届けてくれた。それを受け取ってから、Papasanは一人で出かけ、床屋まで行ってきた。床屋代は5ソルだったそう。私も切ってもらいたかったな。夕食は外に出るのが面倒なのでホテルで食事をした。私はスープとクレープを。それで十分。
部屋に戻っているとノックの音。Papasanが出ると先ほど夕食の給仕をしてくれた女性が立っている。なにかと聞くとさっきボーイが水を届けたと思うが、あれは無料ではないという。毎日部屋に水はついているのではないかというと、違うから代金を払ってもらいたいと請求書を持ってきた。代金は10ドル。Papasanが即座に10ドル払った。後になって、「水2本で10ドルは高すぎるよ、日本だってそんなにはしないよ。やられたね」というと、「そうだね、明日フロントで払うと言えばよかったね。まぁいいよ」と笑っている。もしかして常習犯かもね、不意をつかれるとびっくりしてしまうから。それにしても思考力が低下している。ミチコさんに言ったら叱られそうだから黙っていよう。
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