リマ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
5月21日(土)曇<br /><br />機内で入国票を書く。この半券は帰るとき必要なのでとっておかなければならない。リマ6:55着。入国審査に時間をとられた。やっと終わって、荷物を持って外に出ると「風の旅行社」の黄色い旗を持った女性が待っていてくれた。金城さんである。車で、ペンション・カンツータに到着。金城さんは11時に迎えに来るからそれまで休んで、と言って帰った。シャワーを浴び、さっそく洗濯をする。<br /><br />カンツータの中庭はきれいな花が一杯咲いている。小鳥がたくさん飼われていて雰囲気がいい。ペンションの1、2階部分が「ポコ ア ポコ」という民芸品のギャラリーになっていて、素敵な織物がいっぱい。3階が宿泊施設になっていた。部屋にはつっかけやぞうりが備え付けてあった。ご主人がお茶をいれてきてくれた。「わぁ、美味しい。私は静岡県出身ですから、お茶は好きなんですよ」「ウチの家内も富士の出ですよ」「あらまぁ、ご近所だ」リマではNHKテレビが入る。<br /><br />11時お迎えが来たので、車でリマ市内見物に行く。ガイドの金城さんは結婚してリマに来て35年という女性。ペルーの歴史から政治まで広範囲に話してくれる。12時に行われる大統領官邸の衛兵の交代を見に行ったのだが、交代式はなし。庭先を修理中だとかで、明日からまた交代式は行われるのことだった。ジャカランダの花を見た。紫の桐のような花がきれいだった。<br /><br />大統領府の屋根に旗が二つ翻っている。一つはペルー国旗。もう一つは虹色の旗だ。「あれ、虹色の旗!」と指差すと「あれはインカの旗ですよ」「そうなんですか。以前、フィレンツェで大きなデモがあったんですけど、その時使用されていたのが虹色の旗、真ん中にPACE、平和って書いてあったんですけどね。ふ〜ん、インカの旗だったんですか。なんでインカの旗を使ったのかな。どういう意味なんだろう。」<br /><br />ボリーバル・ホテルに残る大理石のホール、その上には花模様のステンドグラスがある。昔の金持ちの家はこういう形式の家作りをしたとのこと。古い形式と言うと、広場に面して続くバルコニーのついた家並み。バルコニーは精緻な木彫りで模様で作ってある。単なる張り出しはなく、部屋の一部として作られ、そこから外を見ながら生活していたようだ。特に女性は外に出られないので、そこから外を見て楽しんでいたらしい。こんな話、どこかでもきいたな。インドのマハラジャの王妃たちの話だったかな。リマの古い町並みは世界遺産に指定されている。スペイン風の町並みである。<br /><br />「ボリーバルというとシモン・ボリーバルを思い出しますけど、なにか関係あるんですか?」「ええ、シモン・ボリーバルと関係があるんですよ。シモン・ボリーバル、よくご存知ですね」「ええ、私が育てていたバラの花の名前だったんですよ。シモン・ボリーバルってどういう人だったんだろうって、それで教えてもらったのです。もともと南米にバラはなかったんですね」<br /><br />大統領府、市役所、以前は市役所の前の噴水のところにピサロの騎馬像が設置されていた。しかし侵略者の像を市役所の前に置くのはどうかという意見で、現在は取り払われ、新しい公園に移されている。歩いてもすぐのところにある。ピサロの像が立つその後は建築廃材の捨て場になっている。面白い対称だった。リマの通りの名前は国名や都市名、そして有名人の名前が多い。そして教会が多い町でもある。もちろん教会は立派である。カトリックの神父さんは超富豪であったようだ。<br /><br />食事に行く。ペルー料理だ。ペルー料理は食材も豊富で美味しいとは聞いていた。だからぜひ食べたいと楽しみにしていた。なるほど、セビッチェは美味しい。生魚、カニ、エビ、タコ、貝、紫玉ネギなどなどが、レモンの酢であえてある。アロス コン マレス、魚介類をサフランではないが、黄色く色づけるものと炊き込んだご飯、カニの炒め物、カニやタコを煮込んだスープ、料理の付け合せにはタロイモのゆでたもの、この地ではユカという、揚げたものも美味しいといってわざわざ揚げてもらった。ほんと、ほくほくして美味しかった。真っ白な大きな実のとうもろこし、黄色い甘いサツマイモ、どれも美味しかった。飲み物は眠くなってはいけないので、アルコールは抜きにして、紫とうもろこしのジュースをとった。ブドウ液のようにきれいな紫だ。しかし、甘すぎて私にはどうも。Papasanは3種類のビールを飲み比べている。ピルセンとクリスタルとクスコーニャ。一番クスコーニャが気に入ったみたいだ。<br /><br />ここで5種類の芋を食べた。ジャガイモもとうもろこしもトマトもペルー原産だ。「唐辛子の原産地をご存知?」と金城さんが聞く。「メキシコと聞いていますけど」「ペルーから行ったものだと思いますよ。食物はペルー原産のもの多いのですよ」「ペルーかどうかはっきりしませんが、アマゾン原産のもの多いですね。パイナップルもそうだし・・」「そうなんですよ」<br />ペルーでレモンと呼ばれているすだちに似た小さな青い柑橘、さっぱりした酸味だ。これがあるからペルーのセビッチェは美味しいのだと金城さんはいう。そうかもしれない。お腹一杯食べた。日本人向けに量を半分にしてもらい、それを3人で分けて食べたのだが、それでも残してしまった。 <br /><br />黄金博物館に行く。緑豊かな敷地に建つ博物館。このオーナーは武器や武具のコレクターだったのだそうだ。発掘されたおびただしい黄金の細工物、陶器、や装飾品の見事な細工。金城さんが簡単に年表を作ってきてくれた。ペルーに起こったプレインカの文化をまとめてくれたのである。分かりやすい。<br /><br />ところがここに来て、いきなりふらっとしてしまった。あやうく倒れそうになってPapasanにしがみついた。気を失うと言うのはこういうことなのだろうか。眠気からである。車に乗っても眠くて眠くて、こっくりこっくり。海岸を案内されたあと、ホテルに帰り寝てしまう。<br /><br />8時から食事。<br /><br />ここのオーナーの奥さんの香苗さんは美大出で、染色と織物を追及して、とうとうここに居ついてしまったと言っていたが、センスがいいのだろう、並んでいる作品はとても素敵だ。当然、ペルーの文化にも造詣が深い。実際に遺跡などにも行っている。カラル遺跡の写真もみせてくれた。カラル遺跡についてはテレビでみている。こりゃぁ、いいところに来た。めずらしいことに、買い物には興味のないオバサンがスウェーターやマフラーを買った。もちろん寒さを警戒してのこともあったが。<br /><br />食事は和食を出してくれるとあったが、なるほど、てんぷら、うどん、アボガドの刺身、漬物各種、白いご飯、というものだった。ウドンは食べないし、てんぷらもよそではたくさんは食べない。ご飯も日本のものに比べたら、味は落ちるが、ジャポニカ米だしいける。ちょうどナスカへ行ってきたご夫妻と仕事で来ている男性二人にカンツータのご夫妻と私たちで、にぎやかな食事。<br /><br />参考:金城さんが手書きしてくれたペルー共和国の年表<br /><br />1821年7月28日 独立宣言<br />1532年      スペイン 植民地<br />           インカ 9〜13代<br />1400年  チムー文化  チャンカイ文化(天野)<br />1200年  シカン文化      <br />       ランパジェケ文化<br />1000年 ________  <br />       ワリ文化<br /> 600年 ________<br />       モチカ文化 ナスカ文化 <br /> 300年  リマ文化<br />0年<br /> 100年  チャビン文化 パラカス文化<br />2500年  コトシュ    カラル遺跡<br />5000年  農耕文化<br />(註:農耕文化はリマの博物館ではBC8000年ごろと教わった)<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />NB:2004年12月5日の私の日記から抜粋<br /><br />6時から遺跡ロマンで、アンデスのカラル遺跡を取り上げていた。私たちは古代文明を4大古代文明として教わっている。しかしそれにふたつ加えて6大古代文明というのだという。エジプト、メソポタミア、インド、中国、メキシコ、ペルーの6つである。<br /><br />人類は食料とねぐらを求めてその日暮をしていた。それが都市を建設し、文明を築き上げるようになる。なぜ文明が生まれたのか。この都市建設の時点をGreat devide(大分水嶺)というのだそうだ。<br /><br />文明の共通点は土器をや金属をもち、巨大建造物をつくっている。<br />建造をつくるにはリーダーがいなければならない。<br /><br />多くの考古学者たちの共通の意見は都市を作る源には戦争の恐怖があったからだ、という。これにはちょっとひっかかった。狩猟民族の欧米人らしい発想だ。まぁともかくと、最後まで見ていた。それを証明するためにマザーシティと言われる古代の都市を発掘し、そこから証拠品を見つけて学説を証明しなければならない。<br /><br />多くの遺跡は、その上に新しい都市が築かれているので、古い遺跡を探し出すのは至難の業だ。その点、手付かずに残されているのが南米の遺跡だ。<br /><br />カラルに残っている小高い丘、そこにはピラミッドが埋もれていた。カラルは5000年前に栄えた都市文明の後である。しかも繁栄した都市であった。いくら調べても、カラルには戦争の形跡は微塵もなかった。学者たちは戦争がなくても、都市が築かれ栄えた例として学説を変える。カラルの人々は楽しむことをしっていた。笛やコカや媚薬が見つかった。宗教儀式は行われ、コカで興奮状態になることがあったのだという。<br /><br />カラルのまわりには川があり、アンデスをくだり、太平洋に注いでいる。この川から灌漑し、豊かな農村が出来ていたのだろう。海から遠いこの地で海の魚の骨が見つかっている。綿の実も布も見つかっている。それ以外に綿で出来た魚網も見つかっている。これから海の地域の人たちとも交易も盛んだったことがわかる。アンデスの山の奥地からの物質もある。交易のネットワークがカラルを中心にして広がっていたのだろうと、学者たちは推測する。そして、文明を作り出したのは、戦争ではなく、交易であった、と結論した。<br /><br />うん、これはうれしい結論だ。<br />

アンデスへ3

1いいね!

2005/05/21 - 2005/05/21

550位(同エリア679件中)

0

10

buchijoyce

buchijoyceさん

5月21日(土)曇

機内で入国票を書く。この半券は帰るとき必要なのでとっておかなければならない。リマ6:55着。入国審査に時間をとられた。やっと終わって、荷物を持って外に出ると「風の旅行社」の黄色い旗を持った女性が待っていてくれた。金城さんである。車で、ペンション・カンツータに到着。金城さんは11時に迎えに来るからそれまで休んで、と言って帰った。シャワーを浴び、さっそく洗濯をする。

カンツータの中庭はきれいな花が一杯咲いている。小鳥がたくさん飼われていて雰囲気がいい。ペンションの1、2階部分が「ポコ ア ポコ」という民芸品のギャラリーになっていて、素敵な織物がいっぱい。3階が宿泊施設になっていた。部屋にはつっかけやぞうりが備え付けてあった。ご主人がお茶をいれてきてくれた。「わぁ、美味しい。私は静岡県出身ですから、お茶は好きなんですよ」「ウチの家内も富士の出ですよ」「あらまぁ、ご近所だ」リマではNHKテレビが入る。

11時お迎えが来たので、車でリマ市内見物に行く。ガイドの金城さんは結婚してリマに来て35年という女性。ペルーの歴史から政治まで広範囲に話してくれる。12時に行われる大統領官邸の衛兵の交代を見に行ったのだが、交代式はなし。庭先を修理中だとかで、明日からまた交代式は行われるのことだった。ジャカランダの花を見た。紫の桐のような花がきれいだった。

大統領府の屋根に旗が二つ翻っている。一つはペルー国旗。もう一つは虹色の旗だ。「あれ、虹色の旗!」と指差すと「あれはインカの旗ですよ」「そうなんですか。以前、フィレンツェで大きなデモがあったんですけど、その時使用されていたのが虹色の旗、真ん中にPACE、平和って書いてあったんですけどね。ふ〜ん、インカの旗だったんですか。なんでインカの旗を使ったのかな。どういう意味なんだろう。」

ボリーバル・ホテルに残る大理石のホール、その上には花模様のステンドグラスがある。昔の金持ちの家はこういう形式の家作りをしたとのこと。古い形式と言うと、広場に面して続くバルコニーのついた家並み。バルコニーは精緻な木彫りで模様で作ってある。単なる張り出しはなく、部屋の一部として作られ、そこから外を見ながら生活していたようだ。特に女性は外に出られないので、そこから外を見て楽しんでいたらしい。こんな話、どこかでもきいたな。インドのマハラジャの王妃たちの話だったかな。リマの古い町並みは世界遺産に指定されている。スペイン風の町並みである。

「ボリーバルというとシモン・ボリーバルを思い出しますけど、なにか関係あるんですか?」「ええ、シモン・ボリーバルと関係があるんですよ。シモン・ボリーバル、よくご存知ですね」「ええ、私が育てていたバラの花の名前だったんですよ。シモン・ボリーバルってどういう人だったんだろうって、それで教えてもらったのです。もともと南米にバラはなかったんですね」

大統領府、市役所、以前は市役所の前の噴水のところにピサロの騎馬像が設置されていた。しかし侵略者の像を市役所の前に置くのはどうかという意見で、現在は取り払われ、新しい公園に移されている。歩いてもすぐのところにある。ピサロの像が立つその後は建築廃材の捨て場になっている。面白い対称だった。リマの通りの名前は国名や都市名、そして有名人の名前が多い。そして教会が多い町でもある。もちろん教会は立派である。カトリックの神父さんは超富豪であったようだ。

食事に行く。ペルー料理だ。ペルー料理は食材も豊富で美味しいとは聞いていた。だからぜひ食べたいと楽しみにしていた。なるほど、セビッチェは美味しい。生魚、カニ、エビ、タコ、貝、紫玉ネギなどなどが、レモンの酢であえてある。アロス コン マレス、魚介類をサフランではないが、黄色く色づけるものと炊き込んだご飯、カニの炒め物、カニやタコを煮込んだスープ、料理の付け合せにはタロイモのゆでたもの、この地ではユカという、揚げたものも美味しいといってわざわざ揚げてもらった。ほんと、ほくほくして美味しかった。真っ白な大きな実のとうもろこし、黄色い甘いサツマイモ、どれも美味しかった。飲み物は眠くなってはいけないので、アルコールは抜きにして、紫とうもろこしのジュースをとった。ブドウ液のようにきれいな紫だ。しかし、甘すぎて私にはどうも。Papasanは3種類のビールを飲み比べている。ピルセンとクリスタルとクスコーニャ。一番クスコーニャが気に入ったみたいだ。

ここで5種類の芋を食べた。ジャガイモもとうもろこしもトマトもペルー原産だ。「唐辛子の原産地をご存知?」と金城さんが聞く。「メキシコと聞いていますけど」「ペルーから行ったものだと思いますよ。食物はペルー原産のもの多いのですよ」「ペルーかどうかはっきりしませんが、アマゾン原産のもの多いですね。パイナップルもそうだし・・」「そうなんですよ」
ペルーでレモンと呼ばれているすだちに似た小さな青い柑橘、さっぱりした酸味だ。これがあるからペルーのセビッチェは美味しいのだと金城さんはいう。そうかもしれない。お腹一杯食べた。日本人向けに量を半分にしてもらい、それを3人で分けて食べたのだが、それでも残してしまった。 

黄金博物館に行く。緑豊かな敷地に建つ博物館。このオーナーは武器や武具のコレクターだったのだそうだ。発掘されたおびただしい黄金の細工物、陶器、や装飾品の見事な細工。金城さんが簡単に年表を作ってきてくれた。ペルーに起こったプレインカの文化をまとめてくれたのである。分かりやすい。

ところがここに来て、いきなりふらっとしてしまった。あやうく倒れそうになってPapasanにしがみついた。気を失うと言うのはこういうことなのだろうか。眠気からである。車に乗っても眠くて眠くて、こっくりこっくり。海岸を案内されたあと、ホテルに帰り寝てしまう。

8時から食事。

ここのオーナーの奥さんの香苗さんは美大出で、染色と織物を追及して、とうとうここに居ついてしまったと言っていたが、センスがいいのだろう、並んでいる作品はとても素敵だ。当然、ペルーの文化にも造詣が深い。実際に遺跡などにも行っている。カラル遺跡の写真もみせてくれた。カラル遺跡についてはテレビでみている。こりゃぁ、いいところに来た。めずらしいことに、買い物には興味のないオバサンがスウェーターやマフラーを買った。もちろん寒さを警戒してのこともあったが。

食事は和食を出してくれるとあったが、なるほど、てんぷら、うどん、アボガドの刺身、漬物各種、白いご飯、というものだった。ウドンは食べないし、てんぷらもよそではたくさんは食べない。ご飯も日本のものに比べたら、味は落ちるが、ジャポニカ米だしいける。ちょうどナスカへ行ってきたご夫妻と仕事で来ている男性二人にカンツータのご夫妻と私たちで、にぎやかな食事。

参考:金城さんが手書きしてくれたペルー共和国の年表

1821年7月28日 独立宣言
1532年      スペイン 植民地
           インカ 9〜13代
1400年  チムー文化  チャンカイ文化(天野)
1200年  シカン文化      
       ランパジェケ文化
1000年 ________  
       ワリ文化
 600年 ________
       モチカ文化 ナスカ文化 
 300年  リマ文化
0年
 100年  チャビン文化 パラカス文化
2500年  コトシュ    カラル遺跡
5000年  農耕文化
(註:農耕文化はリマの博物館ではBC8000年ごろと教わった)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

NB:2004年12月5日の私の日記から抜粋

6時から遺跡ロマンで、アンデスのカラル遺跡を取り上げていた。私たちは古代文明を4大古代文明として教わっている。しかしそれにふたつ加えて6大古代文明というのだという。エジプト、メソポタミア、インド、中国、メキシコ、ペルーの6つである。

人類は食料とねぐらを求めてその日暮をしていた。それが都市を建設し、文明を築き上げるようになる。なぜ文明が生まれたのか。この都市建設の時点をGreat devide(大分水嶺)というのだそうだ。

文明の共通点は土器をや金属をもち、巨大建造物をつくっている。
建造をつくるにはリーダーがいなければならない。

多くの考古学者たちの共通の意見は都市を作る源には戦争の恐怖があったからだ、という。これにはちょっとひっかかった。狩猟民族の欧米人らしい発想だ。まぁともかくと、最後まで見ていた。それを証明するためにマザーシティと言われる古代の都市を発掘し、そこから証拠品を見つけて学説を証明しなければならない。

多くの遺跡は、その上に新しい都市が築かれているので、古い遺跡を探し出すのは至難の業だ。その点、手付かずに残されているのが南米の遺跡だ。

カラルに残っている小高い丘、そこにはピラミッドが埋もれていた。カラルは5000年前に栄えた都市文明の後である。しかも繁栄した都市であった。いくら調べても、カラルには戦争の形跡は微塵もなかった。学者たちは戦争がなくても、都市が築かれ栄えた例として学説を変える。カラルの人々は楽しむことをしっていた。笛やコカや媚薬が見つかった。宗教儀式は行われ、コカで興奮状態になることがあったのだという。

カラルのまわりには川があり、アンデスをくだり、太平洋に注いでいる。この川から灌漑し、豊かな農村が出来ていたのだろう。海から遠いこの地で海の魚の骨が見つかっている。綿の実も布も見つかっている。それ以外に綿で出来た魚網も見つかっている。これから海の地域の人たちとも交易も盛んだったことがわかる。アンデスの山の奥地からの物質もある。交易のネットワークがカラルを中心にして広がっていたのだろうと、学者たちは推測する。そして、文明を作り出したのは、戦争ではなく、交易であった、と結論した。

うん、これはうれしい結論だ。

  • カンツータの庭

    カンツータの庭

  • カンツータのごんた

    カンツータのごんた

  • 庭のチリモジャ<br />美味しい果物だ

    庭のチリモジャ
    美味しい果物だ

  • 大統領府<br />翻るのは7色の旗、インカの旗だ。

    大統領府
    翻るのは7色の旗、インカの旗だ。

  • ボリーバル・ホテル

    ボリーバル・ホテル

  • ボリーバルホテル

    ボリーバルホテル

  • ボリーバルホテルの天井

    ボリーバルホテルの天井

  • テラスのある建物の通り

    テラスのある建物の通り

  • 打ち寄せる太平洋の波

    打ち寄せる太平洋の波

  • ゴミをにらむピサロ<br />ピサロの像は市庁舎の前にあったが、<br />国民感情からここに移されゴミをにらんでいる。<br />いっそのことゴミにしてもよさそうなのに。

    ゴミをにらむピサロ
    ピサロの像は市庁舎の前にあったが、
    国民感情からここに移されゴミをにらんでいる。
    いっそのことゴミにしてもよさそうなのに。

この旅行記のタグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ペルーで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ペルー最安 718円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ペルーの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP