2001/05/27 - 2001/05/27
1331位(同エリア1655件中)
osdさん
来た!見た!兵馬俑!<世界8番目の不思議>天下の奇観なり!
・秦始皇帝陵兵馬俑博物館(正式館名)
1974年兵馬俑1号坑発見。その後2、3号坑、数多くの俑坑が発見されている。始皇帝陵全体が<始皇帝テーマパーク>の如く、徐々にその姿を現出してきている。それに伴い、ここ20年くらい、文化大革命後の開放経済の波に乗って、すさまじい勢いで観光化されているようだ。発見の状況、経過は岳南著「秦始皇帝陵の謎」講談社現代新書に面白く書かれている。
・博物館は1975年 正式名称、建設決定。
この当時、中国は文化大革命末期の混乱さなかにあった。
翌年1976年1月周恩来死去、小平3度目の失脚、4月第1次天安門事件、9月毛沢東死去。文化大革命終結。
発掘保存に立ち会った関係者の苦労心労、大変な重労働だったとと思うのでR。バーミアン大仏の例もあるのだ。
-
・博物館前広場にびっしり並んでいる休憩所や土産物屋。
広場のお店の賑わい、売り子の多さ…小さな子供まで「5元、5元!」と姦しく追いかけてくる。兵馬俑も一山いくらの売りに見えてくるのだ。 -
・兵馬俑1号坑
東西230m、南北62m、総面積14,260平方m。6000体余の兵士俑、木製戦車数十乗と馬俑、青銅兵器数十万点が確認されている。軍列は始皇帝陵を背にし東面、戦国の雄(BC400〜220年位、燕・斉・楚・韓・魏・趙)に将に出征せんとする歩兵軍団のようである。 -
・右、東方向を見据える兵馬俑軍団
-
・兵馬俑2号坑(発掘作業中をそのまま展示公開。撮影不可のため隠し撮り、ピンボケ写真1枚のみ)
1号坑の北側20mの至近位置で発見。L字型、東西96m、南北84m、総面積6,000平方m。2000体以上の兵馬俑を発掘。立射の強弩兵、跪射の弓兵、騎兵馬俑と89乗の木製戦車を中心として構成された機甲軍団である。数万点の青銅兵器も出土し、当時最強のハイテク機甲軍団だったようである。
・未完成の俑坑 2号坑と3号坑の間に未完成の俑坑が発見されている。坑はほぼ掘削されていたが中に陶俑は無い。古代戦闘配置から見て典型的な中軍(中央軍団)の位置にあり、なんらかの理由で造営が遅れ、放棄された坑と推測されている。 -
・兵馬俑3号坑
わずか総面積300平方mの不規則な凹字形坑。64体の武士俑は戦闘兵士ではなく警備護衛体制で並立し、戦車には華美な装飾画など描かれている。2つある部屋はどちらも帷幕が掛けられていたようで、兵器も装飾儀杖的な刃の無い槍だけであった。こうした事から戦闘部隊でなく幕舎=統帥部(指揮所)と判断されているが、軍団指揮者たる大将軍・元帥とおぼしき陶俑は発見されなかった。
・未発掘の大古墓 3号坑の後側に発掘されていない大きな古墓の存在が知られている。3号坑に存在しなかった大将軍の幕舎が埋蔵されているとの見解もある。
確かに、東の敵6カ国軍に対戦するに当り、右側に歩兵の大密集軍団(1号坑)。左側1列目に強弩兵・騎兵・戦車兵の機甲軍団(2号坑)、2列目に中央軍団(中軍)、3列目に作戦本部幕舎(3号坑)、4列目に大将軍営舎(大古墓)を配した兵馬俑の軍陣は、古代兵法の「雁行の陣」の実戦配置のようである。 -
・3号坑
坑の兵馬俑の状態は良くない。後世、人為的に破壊されたようである。 -
・銅車馬館
1号・2号の2乗の銅車馬が展示されている。
1980年10月、兵馬俑坑の反対側、始皇帝陵の西側の垣牆内から2体の銅車馬が発見された。
中国最初の統一大帝国・秦、始皇帝の業績は史記<始皇本紀>などに記されているが、行政プログラムとしては統一後の5回にわたる全国巡行が最大の事業であろう。銅車馬の出現はそれが事実であり、車馬行列の再現そのものであると推定されている。秦の強力な軍事力=兵馬俑が統一の直接的なハードパワーとすれば、この華麗・壮大な皇帝巡行が、帝国の威光を広布する行政ソフトであり、古代、圧倒的な治世イベントだったのであろう。始皇帝陵の東側に兵馬俑軍陣、西側に銅車馬の対置が、始皇帝の武官、文官への意識的配置と思えば興味深いものがある。 -
・2号銅車馬(安車)
1号、2号の銅車馬の2号車。4頭のたくましい馬、前座の御者、乗室の屋根・囲い・窓・扉など、金銀、豪華な装飾・絵画で彩色されているが、始皇帝用ではない、高級官僚用と推定される。
車馬と御者は青銅で鋳造、手綱・面繋など馬具・馬頭飾りは金。全部で3462の部品があり、金部品は700余で3kg以上、銀部品は900余4kg以上。実物の2分の1で総重量1243kg。古代世界史上最高の冶金鋳造技術作品であり、芸術性からみても世界最高級の美術工芸品なのだ。
皇帝巡行・お伴の銅車馬でさえコレだ…!始皇帝座乗の車馬は6頭の馬が1列に並んで牽いた金銀車、5色の立車・安車を従えていたと史書にある。豪華絢爛!玉、真珠、ダイヤモンドだ…お宝だ!
1983年10月1日 1号より先に修復・公開された。 -
・1号銅車馬(立車)
銅馬4頭引きの銅車馬、御者も乗員とも起立乗車の形式。先導車的役割や連絡など、軽快・敏捷な供回り的車馬だったのだろう。内側の2頭が轅(ながえ)を牽き、外側の2頭は直接車を牽く。額には輝かしい金と銀の飾りものをつけ、前方を見つめ、まっすぐ耳をたて御者の命令をまつ駿馬には力感が溢れている。ヒゲをはやした御者は戴冠帯剣、秦帝国の威厳をもって堂々としている。
1987年修復公開。2号銅車馬公開から4年後、1・2号そろって銅車馬館での完全公開となった。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
9