2006/03/09 - 2006/03/09
159位(同エリア168件中)
ソフィさん
2006年3月9日(木)
ようやく探し当てたロードスの中華料理店で、久々に食べたチャーハンと焼ソバは、美味しかった。
帰途は、静かな住宅街を抜けて、再び海岸通を歩く。
海岸を歩きながら、この海岸に建っていた、「ロードスの巨像」を空想する。
造られたのは2300年前、奈良の大仏が造られたのは1300年ほど前だから、ずい分古い話である。
巨像は太陽神ヘリオスをかたどり、世界七不思議の一つとされている。
像自体の高さは34メートルだが、台座を含めると50メートルになり、ニューヨークの自由の女神並の大きさだった。
現存する奈良の大仏は、仏像の高さ15メートルで、大仏殿の高さが57メートルだ。
アレキサンダー大王が死んだあと、後継者がいなかったので帝国は分裂し、ロードスはエジプトを領土とする、プトレマイオス王朝に帰属する。
しかし小アジアを領土としたのアンティゴノスが、息子のデメトリオスを派遣して、ロードスを攻略しようとする。
デメトリオスは、4万人の軍で攻めるが、守りが堅くて攻め切れない。
そこで大型の攻城塔「ヘレポリス」で攻めようとするが、城内から出撃したロードス軍に、阻止される。
そこにプトレマイオスの応援軍が到着し、デメトリオスは慌てて島から撤退する。
ロードスの人々はこの勝利を祝い、太陽神「ヘリオス」への感謝の証として彫像を作ることとした。
先ずロードス港の入り口付近に、大理石製の台座を造り、その上に鉄骨の骨組を立てて、青銅板で外装を仕上げた。
青銅は、デメトリオス軍の遺棄した武器や攻城塔を、鋳潰して利用する。
しかし紀元前284年の完成から56年後に地震があり、この像は膝が折れて倒れる。
巨像は800年間にわたってそのまま放置され、その間に残骸を見物するために多くの人が訪れた。
その親指さえ、なかなか人間が抱え込めなかったほど、大きかったと伝えられる。
654年イスラム軍がロードスを征服した後、巨像の残骸はスクラップとして売られるが、運搬にはラクダ900頭を要したようだ。
巨像は港を跨いでいたと永年伝えられていたが、最近は構造的に無理だろうと考えられるようになっている。
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