2006/05/31 - 2006/06/01
886位(同エリア1095件中)
テツじいさん
高野山金剛峰寺&奥之院
昨年11月8日に八十八番大窪寺で結願を迎えていたが、その後体調を崩し、入退院を繰り返していたりして、お礼参りがすっかり遅れてしまった。
そんなこともあって、キャンピングカーによるくるま旅遍路も変更せざるを得ず(キャンピングカーは処分し、マイカーはホンダアコードワゴンをVWゴルフワゴンに更新)今回はマイカーによる移動となった。
東名阪桑名IC→名阪国道道の駅針TRS→榛原→大宇陀町→吉野町→五條市→橋本町→R371→高野山
詳しくはHP URL:http://www.geocities.jp/tetsujii05/ をご覧下さい。
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高野山表門参道
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早めに自宅を出、往路は奈良盆地の街並みは避け山道をたどる。橋本からカーナビに従ってR371を走ったが、これが意外に難路であった。
高野山に着き、先ずは高野山真言の総本山である金剛峰寺から参拝を始める。檜皮葺の大屋根を持つ大主殿(内部参拝は有料)で参拝後、内部を拝観。関白豊臣秀次が自刃した柳の間もある。高野山の中で最大の格式と威厳を誇っている。
写真:金剛峰寺表門 -
金剛峰寺大主殿
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金剛峰寺東門?にて
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金剛峰寺東門?にて
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金剛峰寺入口の左側には「六時の鐘」が建っている
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金剛峰寺で参拝の後、奥之院の中の橋駐車場に移動する。正式には一の橋、中の橋を通って御廟橋に至る2KMが表参道だが、中の橋駐車場からは中の橋も経ずに御廟橋に至る。
奥之院は弘法大師信仰が生んだ「天下の菩提所」江戸時代幕府の政策もあって、高野山は宗派を超えた霊場となった。そのため武将から庶民まで、高野山を安住の地として選び、納骨する人が絶えず、その結果天下の菩提所と称される程広大な墓域群が築かれた
写真:中の橋駐車場と奥之院入口 -
中の橋駐車場からの奥之院入口
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参道に足を踏み入れると、樹齢400年を超える杉の巨木が立ち並び、参道の両側は、無数の墓石で埋め尽くされている。その数20万基と云われるが、土の中に埋もれているものもあり、正確な数は不明という。
写真:参道の風景 -
御廟橋の手前にはずらりと仏像が並んでいて、水をかけて供養祈願する。
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御廟橋、ここから先はお大師様のお住まい。
空海は今でも生きていると信じられていて、毎日決まった時刻に給仕が行われている。
橋板37枚は金剛界37尊を表し、それぞれの裏面に、その一々の種子(梵字)が刻まれている。
古くから、お大師様が参詣する者をこの橋までお迎えくださり、帰りにはお見送りくださると信じられている。従ってこの橋の手前では合掌礼拝する慣わしとなっている。 -
御廟にお参りし納経もすまし、休憩所にて一休み、参道を引き返す。
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中の橋駐車場に引き返すつもりが、周囲の霊気に引き込まれるように、一の橋の近くまで行ってしまった。その近くで草刈をしていたお坊さんに道を尋ねると、こちらのお遍路姿のためか、「御参りご苦労様です」と丁寧に応対して下さった。
教えられた裏道を駐車場に引き返す。説明にあったように、その道の傍らにはずらりと四国八十八ヶ所の札所のご本尊の石仏が並んでおわす。再度お遍路を繰り返したような気分になる。損して得とれとはこのような事か。 -
第75番善通寺、本尊薬師如来の石仏
善通寺は真言宗善通寺派の総本山。弘法大師誕生の地である。 -
最後の方は、石灯籠がまだ建っていない。これからなのか、予算のせいで、途中で打ち切られたのか不明である。
左写真:左端が結願寺である第88番大窪寺のご本尊薬師如来石仏。その右が第87番長尾寺のご本尊聖観世音菩薩石像。 -
金剛峰寺と奥之院でお礼参りを済ませた後、「一乗院」の宿坊にて宿泊する。
この一乗院は、創建以来約一千年以上もの遥かな昔から僧坊が営まれてきた。その長い歴史の中、霊元天皇をはじめ、九条家、戦国・江戸期の諸大名等数多くの人々の厚い帰依を受けてきた。
写真:一乗院の門前
当日団体客が一組あり(左端のバス、岩手県の教職員OBの方たちであった) -
一乗院、門をくぐると右手に玄関、突き当りが本堂
翌朝の朝6時半から本堂で朝の勤行が行われる。ご住職たちが声明や読経をされ、自然に敬虔な気持ちになっていく。参加者はご焼香をさせてもらえる。
勤行が終わり部屋に帰ると朝食の精進料理が用意されている。 -
阿字観体験の希望者は朝食後8時半から本堂で、副住職の指導の下に行われた。禅宗の座禅と同じで、真言宗の座禅といえば解りやすい。阿字観の初歩ともいうべき「阿息観作法」の指導を受ける。
写真:一乗院本堂。
恐れ多くも我が愛車(VWゴルフワゴンの新車)は本堂前に駐車させていただく。 -
玄関の間、かって大名など高貴な人物が泊ったという上段の間、そこここに見られる重要文化財の襖絵、掛け軸(曼荼羅、仏像、書)などなど、旅館では味わえない風雅な趣がある。
写真:一乗院の泉水庭園 -
先ずは風呂に入り疲れを癒す。
今日は団体があったので夕食を早めに(18時前)ということで準備してくれる。若い修行僧?の人達が部屋に運んでくれる。
泊った部屋は2階で配膳もなかなか大変だろうと思う。アルコールは我慢する積りであったが(食事の後に写経をすることになっている)、般若湯のこともあるし、尋ねられたのでビールを1本つけて貰った。
精進料理は三の膳あって、なかなかの美味であった。
左写真:宿坊の部屋と精進料理 -
一乗院宿坊の予約はインターネットで行った。この頃は何でもインターネットでやれるので便利な世の中になったと感心する。
夕食後に行う写経も、翌朝の阿字観もその時同時に予約しておいた。写経は部屋でするように、万端準備を整えてもらえる。筆は普通筆ペンのようだが、毛筆は300円の有料だ。毛筆は使用後に頂いて帰ることが出来た。自宅に帰ってからも、今後おりに触れて写経をやっていく積りだ。香を焚き、すずりで墨をすりながら気持ちを整え、般若心経の写経に取り組む。 -
一乗院宿坊を10時前にチェックアウトする。今日は霊宝館と壇上伽藍を訪ねてから帰途に付くことにする。
写真:霊宝館入り口
霊宝館には国宝21件をはじめ、約28千点の指定文化財を収蔵保管し展示している。また収蔵美術品をモチーフにした土産品も販売している。 -
壇上伽藍
弘法大師空海が最初に開いた修禅道場で奥之院とともに高野山の二大聖地となっている 空海が描いた立体曼荼羅といわれる。中央に金堂を据え、東には胎蔵界の根本大塔を西には金剛界の西塔を建立、そのほか御社、六角経蔵、三王院、准胝堂、孔雀堂、御影堂、不動堂、愛染堂、大会堂、東塔が建立されていて壮大な曼荼羅の世界を形成している。
左写真:壇上に見える金堂、手前には中門が建立される予定 -
金堂正面
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根本大塔
伽藍の中心的存在で根本道場として建てられた。わが国で初めて作られた多宝塔。内部中央には金色に輝く大日如来が鎮座しこの内部空間も曼荼羅の世界を現している。 -
御影堂
檜皮葺の屋根が美しい。かって弘法大師の住坊だった。大師の入定後、ここに真如が描いた大師御影が祀られ、こう呼ばれるようになった。 -
御社
一段と高い場所にある。高野山の中で最も早い時期に開かれた。この頃神々に対する信仰も厚かった。 -
六角経蔵、美しいたたずまいである
この後商店街で買い物をする。写経用紙、曼荼羅色紙、塗香、土産物等。以下のルートにて帰路につく
大門→R480→R370→R24→五條市→R24→郡山IC→名阪国道→東名阪自動車道→桑名IC→自宅
四国遍路のお礼参りも済ませ、写経、阿字観の体験も出来、精進料理も味わえて、満ち足りた気分で高野山を後にした。これでまた病と付き合っていける自信が付いたといえようか。弘法大師に感謝である。
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