2006/05/30 - 2006/05/30
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井上@打浦橋@上海さん
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【炸銀絲卷】なる食べ物があるとか・・・・
上海では広東路の当年情という店にあるとか・・。
この【炸銀絲卷】なるもの、なんだかんだ中国に13年住んでます私は初めて聞く名です。我が家族は上海人なんですが、彼らも知りません。
コレが好きな女性(だと思います)が、上海でもあるでしょうか、と質問をぶつけてきました。彼女は、コレを香港やシアトルや横浜の中華街で食べたとか・・・・・・。
早速[炸銀絲卷]で検索かけて見ました。
日本系サイトでは彼女のブログしかヒットしません。
中国系サイトでは、いくつかチラホラ・・・その中でレスリー・クラブというブログがヒットしました。
http://shanghuanufang.gorgor.cn/dispbbs.asp?boardid=1&id=21992
コレを見ますと、広東路にある「当年情」という店にあるということなんです。そして、この店は港式茶餐庁となっています。
ということで、気になり出しました私は我が家の近くの港式茶餐庁を探索。
まずは、超有名な避風塘、次は上海で一番人気の新旺茶餐庁、最後は全く有名でない金雨点餐庁。「炸銀絲卷」と書いたメモを持って、この3軒をまわりました。残念ながら、どこにもありませんでした。そして、そのメモを見た彼らの表情は、なんじゃ、コリャという表情でした。
こうなると益々興味がわいてきました。
と言うことで、この日、「当年情」という店に調べに行こう、となったわけです。そして、もしそれがあれば、いかなる物なのか、実際、食してみようと・・・。
さて、その【炸銀絲卷】はあったのか、どうか・・・・
広東路の散策を絡ませた、この散歩記録の後半に結論が出てきます。請うご期待・・・・って期待してるのは彼女だけですね。
貼り付けた写真は【炸銀絲卷】ではありません。【炸】の付かない【銀絲卷】です。【炸】とは油で揚げることを言いますので、彼女が食べたのは、コレの揚げたタイプなんでしょう。揚げたほうがおいしいかもしれません。外はカラッと揚がっていて、中はホンワカ・ホンワカの食感なんでしょう。なんか、ホントに旨そうです。
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コレが【炸銀絲卷】です。
油で揚げたものです。
台湾のサイト
http://www.oranges.idv.tw/wp/?p=393
から、お借りしました。(無断ですけどね・・・) -
あるサイトに、炸銀絲卷と言う食い物が広東路の当年情と言う店にあると載ってましたので、それを確かめに出かけました。まずは17路バスで、金陵東路まで来ました。この金陵東路は楽器店が多く並ぶ道です。そして、ご覧のようにアーケードタイプの建物が並ぶ道でもあるわけです。こういうのを騎楼様式と言うらしいです。
さて、この17路バスをジックリ見ますとトロリーバスではありません。ここ数年は17路は全てトロリーバスに切り替わりました。いや、大昔から17路はトロリーバスだったんですが、98年当時にはトロリーバスと普通バスが半々状態でした。いずれトロリーは廃止なのかなと思ってましたら、そのうちトロリーの新車が投入され、普通バスは無くなってしまったんです。ああ、上海も環境のことを考えてるんだな、と当時は思ったわけです。そして、その後は、もうトロリー1本になったんです。しかし、この日、久しぶりにトロリーでない17路バスに乗りました。どうも雲行きが変ってきたのかな、上海も気が変ったのかな、やはりトロリーは消えていくのかな、などと思い始めてきましたが、今後、どうなるのかは、分かりません。 -
金陵東路から広東路の東端まで来ました。
広東路の東端から見た、北方向の外灘風景です。右の道は中山東一路、手前の道が広東路です。
左の黒っぽいビルは、昔の日清汽船のビルです。この屋上にはM on the Bundと言う外灘ビューが売りのレストランがあります。 -
この建物は昔の有利銀行です。
ユニオン・シュランス・カンパニズ・ビルです。
バンドをはじめ上海の主要建築の数々を手がけたパーマー&ターナー事務所の上海最初の仕事です。1916年竣工です。
今は外灘三号と言ったほうが通りが良いでしょう。
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/c_shanghai/03/
には・・・・・・・建物の外観は、当時のままの形を保っています。中には中国最大のギャラリー、アルマーニなどのブティック、EVIANのスパ、マイケル・グレーブスがデザインを手がけたJEAN GEORGESなどの世界的に有名なレストラン、等々が出店し、今後もさらに出店が予定されています。・・・・・と書かれています。 -
さて、広東路の東端から西端までぶらつきます。
左の建物が外灘3号ビルで、右が昔の日清汽船ビル・外灘5号ビルです。
左の2人の女性は親子のようでした。どう見ても上海人でしょう。 -
こちらは外灘3号の入り口です。
お2人は日本人の親子のようでした。
この外灘3号ビルの屋上には「M on the Bund」に対抗して、やはり外灘ビューが売りのレストラン「3 on the Bund」があります。外灘ビューから行きますと、こちらのほうが上ですね。 -
こちらは外灘5号の入り口です。
金地に黒文字で「number five」と書かれた看板が掲げられています。
そして、こちらの建物屋上にはM on the Bundがあるということです。 -
外灘3号ビルの飾り物(なんて言ったらよいのか・・・真@tokyoさん、お教えください)です。
なかなか凝ってますね。 -
こちらも外灘3号ビルの広東路側の外壁の模様です。
こうやって写真に撮って、改めて見直しますと、実物より素晴らしく見えてきます。 -
広東路を西へ行きます。
四川中路は、もうスグです。
右の建物は昔の三菱公司のビルです。
左の建物は中国民生銀行が入ってるビルです。
止まっていますバスは隧道9線バスです。
ココが始発バス停なんでしょう。
隧道9線は延安トンネルを抜けて浦東まで行きます。トンネルを抜けますと浦東大道から東方路に入りまして、南に下がり東方路の南端付近まで行きます。 -
古い建物の外壁にへばりつくように、洗濯物と靴が干されています。
この建物は広東路と四川中路の北東角にあります。
昔は三菱公司が使っていたらしいです。
今は中心医院問診部となってますが、使われてないような様子でした。 -
広東路と四川中路の北東角にあります昔の三菱公司ビルです。
やはり、今は、使われてないんでしょう。 -
四川中路を渡り振り返りました。
四川中路は、相変わらずバイクと自転車が多いです。 -
昔の三菱公司のビルの全様です。
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コチラは中国民生銀行が入っています建物です。
昔は永年人寿保険公司が入っていたようです。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・・・
1910年着工。全面花崗岩の外壁、大理石のホール床を採用した中国最初の建物と言われる。アトキンソン&ダラス事務所設計。3階建て。入り口ホール窓の華麗はローマ風ステンドグラスとドーム内装のレリーフがすばらしい古典主義建築。・・・・・・とあります。 -
中に入り、内部を撮りました。
コレが「ドーム内装のレリーフ」と言うことでしょうか・・・・。
カメラを構えてましたら、警備員がダメだ!!と近寄ってきました。
と言うことで、ボケたのが1枚しか撮れませんでした。 -
コレは民生銀行内部を広東路から窓越しに写したものです。
たまたま広東路側の窓が20cmほど開いてましたので、写せました。 -
広東路を更に西へ行きます。
古いビルの1階の小さな空間を利用した本屋です。
地図専門店なんでしょうか・・・。
左の張り紙には「六一児童節 図書8折優惠」と書かれています。
中国では6月1日が子供の日なんです。
ですから、児童本は8掛け(2割引)ということなんでしょう。
この日は5月30日です。 -
中山小区という住空間に入ってみました。
なんか面白いつくりですね、
緩やかな階段で2階へ行くようです。
初めて見ました、このスタイル・・・。 -
中山小区の出入り口部です。
向こうが広東路です。 -
こちらは雑誌や新聞を売る店です。
-
江西中路が近付いてきました。
-
江西中路との交差点で南西方向を見上げますとパイナップル・ビルが異様な、あるいは優雅な姿を現します。
5星ホテル・ウェスティン上海(威斯汀大酒店)が入ってるそうです。
去年の紅白でユーミンは、ここのどこかで歌ったそうです。
ホントは外灘ビュー最高の和平飯店か、黄浦江に接します黄浦公園での中継だったらしいですが、直前になって、当局からのお達しによりダメとなり、外灘から離れたココでやることになったとか・・・・。困ったもんだ!! -
江西中路を越えますと広東路の右側(北側)には、骨董品屋が並びます。
この一帯は1920年代頃から骨董品を扱う露店や商店が並び始めたそうです。
この店は上海文物商店と言いまして上海最大の骨董品店らしいです。 -
河南中路を越えて広東路を更に西へ行きます。
この左あたりに、私の家内の一家が昔住んでいました。
3階建ての長屋の集合住宅でして、その中の20?の小さな空間が家内一家の生活空間でした。
天井が高いので、中間部に棚のようなものを設けて、中2階という感じにして、そこも生活空間として利用していました。20年以上前は、この狭い部屋に一家5人が生活してたと、言うんですから驚きです。
トイレは外にある共同で、お勝手も外にあり、風呂は勿論ありません。
5・6年前に立ち退きにあいまして、18万元が支給されたとか・・・。
我が家族は、義父が時々泊まりに来るだけで、当時はもうここには住んでませんでしたが、立ち退きが早く来ないか、待っていました。
右にVILLAS HOTELと言うのが見えます。まだ開店営業していません。昔からあった古い建物を利用したホテルです。 -
山東中路まで来ました。
前を行く人はゴミ拾いでしょう。
袋の中は空のペットボトルやアルミ缶などなのでしょう・・・。 -
山東中路を越えた広東路に道端で、天秤棒担ぎのお姉さんが季節の果物を売っていました。
右からサクランボ、山桃、桑の実です。
サクランボは中国語で桜桃です。山桃は中国では楊梅と呼びます。我が家では、良く楊梅酒を作りました。
桑の実というのは、私は日本では知りませんでした。上海で初めて目にしました。甘酸っぱくて食べると口の周りが紫色になります。 -
コレは去年、初めて桑の実を見て、早速買い込み、写真に撮ったものです。
色素が非常に強いですね。手も口の周りも紫色になってしまいます。 -
広東路を更に行きましたら新建健康弄という変な名前の小区がありました。
中に入ってみました。
ゲートをくぐり、スグ脇の壁には、こういったレリーフがありました。
如何にも健康って感じですね。 -
新建健康弄の中の様子です。
-
はい、コレが・・・
♪♪パッと、サイデリヤ、パッと、サイデリヤ・・・♪♪の・・・・・・じゃなかった・・・・サイゼリヤですね。
上海で一番人気のピザ屋です。中国語では「薩莉亜」(サリヤ)と言います。
広東路が福建中路と交わるチョイ手前にあります。
私は、もう、1万回行っています・・・ってぇのは、勿論ウソですが、もう30回は行ってるでしょうね。
私が良く行きますのは徐家匯近くの天鑰橋路店です。最初に行ったのは去年の2月でした。
この広東路店は第2店のはずです。今は南京西路にもあり、虹橋地域にもあり、どんどん増殖しています。
昨日のNHKの朝のニュースでも、この上海のサイゼリヤが取り上げられていました。
この店、昼時や夕飯時は、いつもいつも、長い行列が出来るんです。私は行列は大っ嫌いですから、行列はカアちゃんに任せまして、近くのローソンで缶ビール2本を買って、カウンターで立飲みしながら時間をつぶしますけどね・・・。
サイゼリヤは当初は、ピザハット並みの料金設定だったらしいですね。1年それでやって、ダメなんで、一挙に半額以下にしたんです。そうしたら、客がワンサカ。今じゃ、上海では、若者や小学生、中学生、高校生、お年寄りにも大人気です。そうなんです、結構お年寄りの夫婦が、ココでピザなどを食べてるんです。
サラダが8元で、大盛りですし、スパゲッティ各種が9元から、ピザは9インチが19元から・・そして、酒飲みの私にとってチョー嬉しいのはビール大瓶(三得利・・サントリー)の冷えたやつが6元・・・最近8元になりましたが・・・もう、泣けてきますね。 -
こちらがサイゼリヤ(薩莉亜)対面にあります當年情です。
レスリー・チャンの歌に當年情というのがあるらしいですね、そこから取った店の名なんでしょう。
ということで、レスリー・ファンが良く、来るらしいです。
さて、果たして、ここに目指す【炸銀絲卷】があるのか、どうか・・・・・・・・ -
ジャジャァーン!!!・・・・・ありませんでした。
残念でした。
店員に、「炸銀絲卷」と書いたメモを見せながら聞きました。
今は無いです。じゃあ、昔はあったのかと聞いたら、昔はあったということです。
昔といっても2・3年前のことですが・・・・・。
店の中には、なんか知りませんが客が居ませんでした。3時11分と言う時間だからでしょうか・・・。 -
コレは当年情のメニューの一部です。
港式飲品、港式焼味、小炒、粥、面、飯、
広式点心、老火靚湯・・・とあります。
とにかく香港式、広東式の茶餐庁ということなんでしょう。
老火靚湯とは・・・・??どうも広東人が好きなスープのようです。
このメニューの精美点心の項目にも炸銀絲卷はありません。
面白いのは、「出前一丁」料理があることです。
これこそ、香港っぽいです。 -
福建中路との交差点です。
左には徳興館という古くからあるレストランがあります。 -
福建中路を右に曲がってすぐの所にあります香港式茶餐庁です。
元朗茶餐庁と言う店です。
やはり、ココにも炸銀絲卷はありませんでした。
元朗とは香港の地名でしょう。 -
コレが古くからあるレストラン・徳興館です。
「百年老店創建于一八七八年光緒年間」と言う看板が掛かっています。
中をチラッと覗いてみましたら、サントリー・ビールが5元になってましたから、店構えはなかなか立派ですが、結構、大衆的なのかもしれません。
調べましたら、上海料理の大元はココだとか・・・・大元ですので、味も濃く、油っぽく、どちらかと言うと田舎くさい料理だったようです。今はどうか知りませんが・・・。
そうそう、思い出しました、この場所での営業は2代目か3代目かでして、元祖は東門路にあったんです。去年だか一昨年に、その元祖の店は取り壊されています。 -
湖北路との交差点に来ました。
右へ行く道が湖北路で、左向こうに行く道が海口路です。
広東路は手前の道ですが、その延長はポストの向こうに伸びる道です。
正面の三角ビルは、昔は中央旅社というビルでした。1930年竣工の建物です。
この海口路と湖北路は、昔は競馬場のレースコースだったそうです。
ですから、このあたりは孤を描いています。 -
湖北路を右にまっがてスグのところにも香港式茶餐庁がありました。
「味皇」というのか・・・・。
ココにも、炸銀絲卷はありませんでした。 -
浙江中路との交差点。
左に見えますのは上海のエリート高校・上海市格致中学です。
上海歴史ガイドマップでは格知中学となってますが、元々は格知書院と言ったらしいです。
ガイドマップによりますと・・・・
1874年中国人学者と英国の宣教師によって設立され、理工教育に重点をおく。1913年工部局が管理を引き継ぎ、1916年に福州路より現在地に移り新校舎を建てる。(中略)1980年以来進学率95%以上の市内有数のエリート高校。市重点中学。・・・・・となっています。 -
浙江中路を越えましたら北へ抜ける小道がありましたので入り込んで見ました。
平望街という道です。
そうしましたら桶を扱ってる店を発見。 -
桶に水が張ってあります。
この桶は、水漏れしないよ、という意思表示なんでしょう。
何に使うのか・・・・やはり風呂なのか・・・・・
中国人は買うのか、買いそうもないなぁ・・・・じゃあ・・・となると、やはり日本人か・・。
いや、私の知り合いの日本人の中に、このような桶を買った人がいましたから・・。 -
広西北路との交差点にあります小吃店です。
南京鶏汁湯包とあります。
豚肉でなく鶏肉の小籠包子ということでしょうか。
南京湯包は1両、2.5元です。1両で何個なのか。
鍋貼・・・焼き餃子は4個で、1.8元ですね。 -
雲南南路を越えますと、左に見えてきますのは市工人文化宮です。
昔の東方飯店です。1929年に出来た建物です。
今も一部はホテルに使われてるようです。名前は東方賓館です。 -
広東路もココで終わりです。
前の道は西蔵中路、そしてその向こうには人民広場が広がります。
昔はココに競馬場があったということですね。
ということで、南京路が大馬路、一本南の九江路が二馬路、その次の漢口路が三馬路、次の福州路が四馬路、そして、この広東路が五馬路ということだったらしいです。 -
コレはおまけです。
東方飯店の1つ南にあります遠東飯店です。
1934年に建てられたものです。
コレで「上海に炸銀絲卷を求めて・広東路を行く」は終わりです。
結局、炸銀絲卷は見つけられませんでした。
しかし、いつか上海で見つけるつもりです。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ちまめさん 2006/06/02 23:10:09
- トホホ・・・残念
- 色んな香港系のお店探して下さったのですね。
感謝いたします。
「炸銀絲卷」、今回は残念でしたが色んな事が解ったのでうれしいです!
・炸銀絲卷は上海料理じゃない疑惑
・炸銀絲卷は台湾の方がよく食す
・香港系の店では昔はあった
(炸銀絲卷は時代に合ってないのか?!)
ナタデココのように現代人が食さない食べ物になってないことを祈って・・・
そしていつか見つかることも祈って・・・
晩安♪
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2006/06/09 09:34:14
- 炸銀絲卷情報
- ちまめさん、どうも。
炸銀絲卷に関しまして、ある方からメールにて情報提供がありました。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
「銀絲卷」は宴席の最後の腹ごしらえ用点心として
山東や北京で何度か食べたことがあります。
炸銀絲卷は硬くなったものを再び油で焼いたものだったように
記憶しています。
変わりマントウの一種で少し甘みがあったと思います。
広東系より粉食文化の北方系料理の店に案外あるかもしれませんね。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
このメールに対して、私も大元は山東と見てます、
という返信メールをしましたところ、
また、返事が返ってきました。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
頂いたメールで思い出しました!!最初に食したのは豊澤園です!
なにしろ約20〜30年前の「銀絲卷」の記憶ですし、
そのころはいまほど「食」に関心があったわけでなかったものですから、
「ふーん、北方人はめんどくさいこともやるんだ」ぐらいの印象しかありませんでした。
その後、仕事の関係で何度も中国に行きましたが、
宴席も仕事なので食べ物に関心を払う余裕もなくすごしてきたものですから。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
やはり、どうも、山東のようですね。
でも、それが、何故、上海を飛び越して香港や台湾で広まったか・・・・
いや、広まったと言っても、ヒッソリのようですが・・・。
しかし、上海には無い・・・
イヤイヤ、上海には北京料理屋や東北料理屋はありますが、
山東料理屋ってのは、あるのかどうか・・・。
どうも、ないような・・・・。
- ちまめさん からの返信 2006/06/09 11:39:47
- そんなに珍しいものだったのか?炸銀絲卷・・・
- 山東料理ですか・・・(実は初めて聞いたw)
色々見ると、炸銀絲卷は台湾で良く食べられているみたいですね。
台湾ではポピュラーな物のようです。
昔、一緒に炸銀絲卷をランチで食べた香港人いわく・・・
「これは朝食べるものなんだよ」 だったか?
「これは夜食べるものなんだよ」 だったか?
はたまた「昼」だったか? そんなことを言っていました。
どっちだったかなー?
-
- ちまめさん 2006/05/30 14:46:12
- やっぱり台湾なのかっ・・・
- この旅行記へのコメント、
そのまま「教えてトラベラー」に貼り付けたいですねw。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/china/shanghai/qa/?QID=2099
貴重な情報うれしいです!
-
- ajiajiroさん 2006/05/29 22:48:46
- (^o^)食べたことあります!
- 井上…さん、どうも。
だいぶ前のお話なのですが…
行きつけで贔屓にしていた台湾人経営の中華料理屋さんでよく食べました。
その店のものはお探しの油で揚げたもので、色はこんがりきつね色で中はふっくら、ほかほか、ほのかな甘みで美味しゅうございました。
難点はちょっと油っぽいので手がギトギトになります。
そのお店も今は経営者が替わってしまいまして、昔の味とは違うものになってしまいました。
では、また。 再 見 (^_^)/~
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2006/05/30 06:36:41
- 炸銀絲卷、既に食べられていましたか・・・
- ajiajiroさん、どうも、
炸銀絲卷普及委員会副会長です。
さすがajiajiroさん・・・
そうでしたか、食していましたか。
ところで、その贔屓にしていた台湾人経営の中華料理屋というのは、
日本ですよね・・。
でしたら、メニューでは、どう表示されていたんでしょうか?
とにかく炸銀絲卷で検索かけますと、
どういうわけだか繁体字のサイトばかりヒットします。
つまり、香港か台湾のようです。
大陸系では引っかかってこなかったような・・・・・。
銀絲卷と言うものが北京の有名な山東料理屋にある、
と言うことですので、もともとは山東のもので、
それを揚げたやつが香港か台湾で、広まった。
・・・・・そう、推測しています。
まあ、今日の午後、広東路の当年情にホントにそれがあるのかどうか、
そしてあれば、体験してきます。
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