1970/05/14 - 1970/05/14
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KAUBEさん
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貧乏客船の35日(10)バルセロナ、バルセロナ
船はスエズ運河で一昼夜停泊し、翌日運河を抜けた。
抜けるともう地中海。
貧乏客船にもヨーロッパの匂いが漂ってきた。
そしてシチリア島の南をかすめた翌朝、船は濃い朝霧の中にいた。
スエズ運河5月11日〜5月14日バルセロナ
●朝霧の海
霧が深く立ち込めて船の回りを包み隠していた。
海は凪ぎ、船はスピードを極端に落として霧の中をゆっくりと前進していた。
ちょうど朝食が終わった時間だったので、船客はみんな上甲板に集まり、立ち込めた朝霧のその先を見詰めていた。この霧の向かうには、もうそんなに遠くはなくバルセロナの町があるはずだ。
船の右舷にヌッと小舟が現れた。
釣り舟のようだった。
小舟はまたすぐに霧の中に消えた。
ブォー! と、汽笛がひびいて、白い霧の幕がかすかに揺れたと思った。
そのときだった。
「ごらんよ、町だ!」
誰かが叫んだ。英語だった。
「町が見えた!」
静かなざわめきが上甲板を包み、前方の深い霧の幕に、幻のような町並みのシルエットが浮かんだ。
バルセロナの町もやってくれる。この現れ方は、この絵に描いたような演出は何なんだ。
シルエットは秒刻みに現実味を増しながら、視界一杯に広がっていき、人々は声を呑んで、霧が演出するドラマの開幕に見とれた。
防波堤を入る頃には、霧はだいぶ薄れてきて、町並みのシルエットはもうシルエットなんかではなく、南欧らしい明るい色に彩られたバルセロナの町並みがはっきりと現実味を帯びて広がっていた。
黒々としたカテドラルの尖塔や、港に近いコロンブスの塔も、もうはっきりと見えた。
「着いたわね」
美恵子さんが立っていた。
「うん…」
言葉もなかった。
ただ、
この人がそばにいるのもあとわずかになったな、
と思いながら、目の前の彼女の小さな背中を見つめた。
長い黒髪をたらした彼女の肩の向こうに、まだ少し霧のかかったバルセロナの町が光っていた。
船が接岸する頃には、さっきの霧はなんだったのだと思うぐらいに、明るい五月の日差しが照りつけ、春とも初夏ともつかない陽気が、この明るい南欧の港を包んでいた。
船が接岸して、太いロープが突堤に向けて投げられたり、タラップがするすると下ろされたりするときの岸壁の様子というのは、それは楽しげなものだし、こんな長い航海のあとならなおのこと感慨深い。
だが、とうとうヨーロッパに着いた、ということですっかり舞い上がっていたぼくは、そういう風景を甲板からゆっくり眺める楽しみを犠牲にして、真っ先に下船手続きの列に並び、誰よりも早くタラップを駆け下りることを選んだ。
いや、本当にそのときカンボジュ号から最初に港に飛び出したのはぼくだった。
北川たちにも、「ここは単独行動な」と話しておいた。
夜八時の出航だから七時には戻りなさいと、ピンポンが下手な英語で声をかけた。
●ランブラスの花市
ランブラス通りに花市が立っていた。
春風と太陽と花と、そして陽気な人々のざわめきを胸いっぱいに呼吸しながら、ぼくは一人うきうきと歩き回った。
ベレーの男が花売りの少女を冷やかしていた。
パラパラと陽気なスペイン語のシラブルが乾いた風に乗って流れてくる。
男は黄色い花を一抱え買って、不器用そうな太い手で抱えた。
「ha、ha、ha ……」
少女が何か言って男が笑ったら、少し出っ張った男の腹のところでフリージアの黄色が揺れた。
心が和んで、ぼくは港の案内所でもらった市街地図を頼りに旧市街に入り、ほの暗い石畳の道をカテドラルに向かった。
カテドラルの前の広場には明るい日差しがあふれていて、とてもまぶしかった。
広い石段の下から尖塔を見上げると、塔の向こうに薄いベールを流した初夏の空が光っていた。
カテドラルの中は暗かった。外の明るさに慣れた目には、それは一瞬立ち止まってしまうほどの暗闇だった。
その暗さの中に、低い、不協和な、しかし一つのリズムを持ったざわめきが流れていた。
ミサが行われていた。
高い、それはもう考えられないくらいに高い天井の下で、地を這うように人々はひざまずき、うずくまって、祈りの声が淀み流れた。
人々がひざまずき祈る方向に一筋の光の流れがあった。
正面の高いステンドグラスの小窓から差し込む日光が、祭壇の前に一点の明るみを投げかけているのだった。
ぼくは思わず立ちすくんで、闇の中をきらきらと走る光の筋をじっと見詰めた。
そしてそうしていると、とうとうヨーロッパに来たのだという実感が、ぼくをますます立ちすくませた。
俗世を離れたそんな光景を振り切って、ぼくはまた初夏の光の中に出た。
昼食は花屋の二階にあるカサ・ホセという小さな店でとった。
渋い石畳の小道に惹かれてランブラス通りをちょっと入ったところにその店はあった。
ぼくはタラのフライにサラダのついた簡単なランチを選んだ。タラには大きなレモンを半分に切ったのが添えられていた。
籐の、小ぶりな椅子が心地よくて、ぼくはちょっと疲れた足を思い切り休ませながら、カリッと揚がったタラにたっぷりレモンを絞った。
タラは、ランブラスの花市みたいに陽気で、そして初夏の風のように爽やかな味がした。
デザートのオレンジに爪を立てると、甘酸っぱいしぶきがきらきらと光りながら飛び散った。
それを口に運びながらふと顔を上げると、ジェラニウムを飾った窓の外の、古びて茶色っぽくなった赤屋根に鳩がたくさん止まって日を浴びていた。
それからぼくは床屋に入ってひと月ぶりに髪を切った。
床屋の親父は、私が理解しようがしまいがそんなことにはお構いなくひっきりなしにぼくに話し掛けた。
もちろん何一つ理解できなかったが、そんなことはこれっぽっちも気にしなくていいのだとぼくは思い、適当に相槌を打ったり無視したりした。
髪がさっぱりして、ぼくはまたランブラスに戻った。
サン・ホセ市場を冷やかした。
カメラを持ったぼくに市場の人たちが群がり、写真を撮れと迫った。
フラッシュもついてないこんなカメラでは、ここは暗すぎて写らないと、どう説明しても理解してもらえず、ぼくは仕方なく写るわけもないサン・ホセ市場従業員一同の記念写真のシヤッターを切った。
市場でサクランボをひとつかみ買って、カタルニア広場の噴水の前で鳩と遊びながら食べた。
急に冷えびえとした風が半そでシャツから出たぼくの腕を撫でた。
日が傾いていた。ランブラス通りを港に向かってゆっくり歩いて船に戻る途中、港に近い店でまた魚のフライとフレンチフライドポテトをつまんだ。
船ではもう夕食が始まっている時間だ。
船に戻ったのは出航間際の八時。
それぞれ町に出ていた船客たちもみんな船に戻っているに違いない。
タラップを上がったところでピンポンが待っていた。自分の時計を指差してちょっと口の端をゆがめた。
「ごめん」
と、ぼくは軽く手を上げて謝った。待ちかねたようにタラップがするすると引き上げられた。
食堂には北川たちがなにやらまたバカ話に興じていた。
「あ、遅かったですねえ」
「何してたんですかぁ」
そしてこう言った。
「彼女、さがしてましたよ」
美恵子さんのことだ。
そうだ、昼ぐらいいっしょに食べようと、どうして思いつかなかったんだ。
ぼくは初めてのヨーロッパの町、ということですっかり舞い上がっていた今日一日の自分を振り返って苦笑した。
バルセロナ5月14日〜5月15日マルセイユ
●船旅の終わり、そして放浪の始まり
船は翌日の午後マルセイユに着き、三十五日の船旅は終わった。
三等船室の小社会は解散し、みんなそれぞれの行く先へと散って行く日が来た。
親しくなった者同士握手を交わし、連絡先を交換する風景がひとしきり見られた。
ぼくたちもテーブルの係りだったベトナム人のウェイターにわずかなチップを渡し、白服のパーサーやピンポンにも礼を言って別れた。
その日の夕方、マルセイユ中央駅サン・シャルルで待ち合わせて、ぼくたちは別れの夕食会をした。
ムール貝の皿を突つきながら、みんなもうあまりしゃべらなかった。
長い航海だったねとも、それなりに楽しい船旅だったねとも、誰ももうそんなことは言わなかった。
いつもの駄洒落もジョークも影をひそめ、みんな自分なりの何かを見詰めているようだった。
北川はヒッチハイクで「とりあえず」北に向かい、曽我部は列車でロンドンへ、酪農実習の加藤は列車でデンマークに向かうのだと言った。
ぼくは、とりあえず今夜は最寄のユースホステルに泊まり、放浪の第一歩を踏み出そうとしていた。
その席に美恵子さんがいないことを、ぼくはずっと気にしていた。
サン・シャルルで待ち合わせることは伝えた。
「行くわ」
と彼女も確かにそう言った。
でもなぜ?
そんな思いを残したまま、ぼくはまた北川たちといっしょに駅に向かい、そしてみんなそれぞれの方向に散って行った。
こうしてぼくたちの一つの旅は終わり、そしてまた新しいそれぞれの旅が始まった。
(バルセロナの項は、1978年、国際情報社「すばらしい世界」第8巻<イベリアの詩情>に掲載した記事に手を加えたものです。)
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