1970/07 - 1970/08
71位(同エリア75件中)
KAUBEさん
- KAUBEさんTOP
- 旅行記34冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 54,765アクセス
- フォロワー5人
美しい眺めの庭で起こったこと
●菩提樹
ヨーロッパ放浪3年目の初夏、ぼくはその美しい湖畔のYHに住み込んでいた。
ベルンから南へ、アルプスの山並みに向かって30キロ余り下ったところに、トゥーン湖という、東西に細長い、静かな湖がある。
湖畔にはちょっとしたメルヘン調のシャトーがあるけれども、それが観光客にうけているという感じでもなく、いつも人けのないひっそりとした湖面に白鳥が優雅に漂っている。
YHはそのシャトーのすぐ隣りにあり、いかにもスイスらしい、古い、荒削りな木造の建物が、湖畔の広い庭園を従えて建っている。
YHにはちょっと似つかわしくないこのぜいたくな庭園つきの建物は、お金持ちの別荘跡だと聞いている。
ぼくの部屋はその建物に増築した部分の2階にあって、古い木製のベッドと、荒削りな椅子・テーブルを置いただけの簡素な部屋だが、窓の外の眺めだけは飛び切り素晴らしい。
花がいっぱいに咲き乱れる広い庭園の向こうに湖が逆光に光り、その向こうには黒々とした山並みの上に、アイガーやユングフラウに連なるアルプスの山々が4000メートル級の白い稜線を連ねている。
そんな、花と湖とアルプスの、絵に描いたような風景がベッドに寝転んだまま手に入るなんて、こんなぜいたくなことはない。
そして、そんなぜいたくな眺めの一番手前の、ぼくの部屋の窓からほんの5、6メートルのところに、一本の古い、大きな菩提樹 (リンデンバウム) が、花壇を見下ろすような形で立っていた。
●マウアーさんのこと
ぼくがここに来る前、ここにはサイトウという日本人が住み込んでいた。彼は若い登山家で、スイス南部のピッツ・ベルニナに登るためにスイスに来ていたが、夏の天候がまだしばらく安定しないということで、手持ちの金を減らさないためにここに住み込みで働きながら、天候が安定するのを待っていたわけだ。
ぼくが仕事を求めてここにやってきたのは、彼が本来の目的のために、スイス各地に散っていた仲間と連絡をとってここを出ようとしているところだった。
主人との話し合いはちょっと難航した。サイトウは無給だったというので、ぼくにも給料は払えないと、ここの主人は言い張った。部屋と食事が保証されるのだからいいだろうと主人は言うが、それではぼくはいつもどこかに住み込んでいなけばならず、少し働いては小旅行を楽しむ、というぼくの放浪スタイルが成り立たなくなる。
それに今まで働いてきたYHでは安くても給料はくれた。
話し合いが難航しているところへ、ベルン州YH協会のマウアーさんがやってきた。
マウアーさんはベルン州YH協会の役員で、去年の夏グリンデルワルトのYHで働いていたときにも何度か姿を見せた。こうして州内のYHを見て回るのが彼の仕事らしい。
マウアーさんはいつもセンスのいいジャケットを着こなした初老の紳士で、YHを訪れると必ず、主人だけではなくぼくたちヘルパーにも声をかけていく。
何か困ったことはないか、仕事はきつすぎないか、休日はもらっているか…
そしてこのときも結局、マウアーさんの取りなしでぼくにも少しだが給料が出ることになった。そして、
「私はこの近くのトゥーンの町に住んでいる。困ったことがあったらいつでも電話しなさい」
と、自宅の電話番号を残していった。
●菩提樹の花を摘め!
YHの主人は、ちょっと腹の出た中年の男で、脂ぎってギトギトした幅の広い赤鼻を膨らませて、ぼくに命令する。
「玄関を掃除しろ!」
「倉庫からジャガイモを取って来い!」
「町へ行ってパンを買って来い!」
そして用がなくなると、
「リンデン・ブリューテン・アプフリュッケン(菩提樹の花を摘め!)」
と怒鳴る。
菩提樹の花はからからに干してお茶として用いる。スイス人やドイツ人はよくこれを「健康にいい」などと言って飲む。とくにおいしいものとは、ぼくには思えないけれども。
ぼくはそんなふうに、一日に何回か庭の菩提樹の大木に梯子をかけた。そしてちょうど二階のぼくの部屋の見える高さに、適当な木の股を見つけてそこに腰を下ろし、膝に置いた籐の籠に、白っぽいクリーム色をしたリンデンの花を摘んだ。
濃い緑の葉をいっぱいにつけた菩提樹の枝越しに湖面がちらちらと光り、足元には夏の花をたくさんつけた広い庭が見下ろせる。乾いた、爽やかな風が湖を渡ってきて、豊かなリンデンの緑がさわぐ。
それは誰に邪魔されることもないぼくだけの時間。そこにいるときだけがぼくの憩いの時間だった。
だがそんな憩いの時はいつもそう長くは続かない。それを言いつけるのはよほどほかに仕事が見つからないときであり、ほかにどんな小さな仕事でも見つかると、すぐに木の下から声がかかる。
「下りて来い。牛乳を買ってくるんだ。すぐだぞ。わかったな!」
そんなふうにいちいち大声で威嚇しないと人は動かせないと信じているみたいだ。
●交渉
親父のそういう横柄な物言いは何とかやり過ごせるにしても、ほとんど休み時間も休日もない勤務条件にはちっょと困っていた。
ぼくはもう何軒かのYHで働いてきたから、朝は6時から朝食の用意、午前中は掃除や雑用、午後は休憩時間で、あとは夕食の準備と後片付け、というYHの仕事のリズムは理解していたが、ここでは午後も雑用を言いつけるし、何もないと菩提樹に追い上げるから、労働時間は1日14、5時間にもなる。
「どうだ、元気でやってるか」
マウアーさんが様子を見に来てくれたとき、ぼくはよほどそのことを話そうかと思ったけれども、その前に自分できちんと親父に話してみるのが先だと思った。
宿泊者が一人もいない日があった。そんなある日の午後、ぼくはちょっと自室に入って手紙を書いていた。
いきなり扉が荒々しく開いて親父の赤ら顔が飛び込んできた。
「どういうつもりだ。え、いつ休んでよいと言った。すぐ来るんだ!」
怒りで赤鼻がぴくぴく膨らんでいた。
そしてまたぼくをリンデンバウムに追い上げた。
その日の夕食の席で、ぼくは切り出した。
「昼の片付けが終わったら夕方まで休みにしてくれませんか…」
「黙って働きゃよい!」
親父はぼくの言葉を遮ってどなった。赤鼻がひくひくしていた。
「ほかのところでも午後は休みでした。これでは手紙一本書く暇がない」
「あたしたちだって休まずに働いてるのよ」
「文句を言うな、わかったか!」
かみさんがくちばしを入れ、親父がかぶせるようにどなった。
かみさんともども、あまり知性を感じさせる人種ではない。ちょっとどうしようもないかな、という気がした。
「サイトウは文句を言わなかったぞ。あいつはいつも黙って働いた」
といっても、彼は日本語以外の言葉は何も話せなかったのである。
親父だって、あいつには買い物も頼めなくて不便だったなんて、ぼやいていたではないか。
「いいだけこき使われるよ」
あのときサイトウはぼくに言った。
●サイトウは…
そのサイトウが死んだ、という情報は、去年の夏、グリンデルワルトのYHでいっしょに働いていたセイコーから入った。
ピッツ・ベルニナでの登山訓練中に転落死したらしい。
一度しか会ったことはないサイトウだけれども、とてもショッキングな出来事だった。
そしてぼくはそのときそれを、親父に伝える気にはならなかった。
ある日、予約の入っていた30人のグループの到着が、バス会社の手違いで遅れた。30人分の夕食の準備を始めていたキッチンは待ったをかけられ、とりあえずわれわれだけ夕食を済ませた。
「今夜は客が来るまで自室で待機だ。寝るんじゃないぞ!」
グループが着いたのは結局12時を過ぎていた。
30人に夕食を食べさせ、後片付けを終えたのは2時過ぎだった。
片付けがようやく終わったところで親父が言ったのは、
「明日の朝はいつもの通り6時だ。え、わかったな!」
であった。
翌朝、言われたとおりに6時にキッチンに出ると、親父が、ゲストの朝食は8時からだと言った。
だっらこんなに早く起きなくてもいいじゃないかと、口を尖らせたぼくに、親父のいつものだみ声が降ってきた。
「それまでに玄関を掃除しておけ!」
結局朝食は9時だった。
ゲストが遅い朝食を終えて行ってしまうと、いつもならそれから始まる掃除もほとんど終わっていて、親父もキッチンの隅でかみさんとコーヒーを飲んだりしてちょっとほっとしている様子だった。
チャンスかもしれない…
ぼくはもう一度だけ言ってみることにした。
「この前の話ですけど、やっぱり午後の休憩時間をくれませんか」
親父はコーヒーカップを受け皿に叩きつけるように置くと、不機嫌にまた叫びだした。
「またそれか! だめだと言ったらだめだ!」
「それと週休も、べつに日曜じゃなくてもいい、週に1日は…」
今日はぼくのほうもあとへは引けないという覚悟があった。
親父は赤ら顔にむっとした表情を浮かべて何か言おうとした。
「ぼくはそれほど無理を言っているとは思いませんがね」
「つべこべ言わずに働け。オレたちだって休みなんかなしで働いてるんだ。サイトウは…」
「サイトウは…」
「何だ」
「サイトウは、…死にました」
「何だと」
「彼は死にました」
「…ほんとか?」
「ピッツ・ベルニナで」
「それは、気の毒だったな。いつだ?」
「2週間ほど前です」
「なんで言わなかった?」
「あなたに言ってどうかなりますか?」
「……」
親父はしばらくかみさんと顔を見合わせていたが、またいつもの口調に戻って言った。
「ともかく、午後の休みだの週休だの、そんなものはないんだ。いいか。今度言い出したらクビだ。わかったな!」
●黙って働け
その日の午後、ぼくはマウアーさんに電話した。
それがどんな結果を生むかについてはわかっていた。労働条件がそれで改善されたにせよされないにせよ、ぼくは次の働き場所をどうするか、ということを視野に入れながらその電話をかけた。
「どうした?」
マウアーさんはちょうど家にいて、フォルクスワーゲンを飛ばしてすぐに来てくれた。
YH協会としても、外国人ヘルパーをこんな劣悪な条件で働かせることを黙って見ているわけにはいかないはずだ、という、ぼくには自信のようなものがあった。
ぼくの話を聞き終わったマウアーさんは、今度は親父の言い分を聞き、それからあいまいにぼくのほうに向き直りながら言った。
「話はわかった。キミの言うことはよくわかる。だがな…」
マウアーさんはそこでぼくの肩に手を置いたが、視線はアサッテを向いたまま、言葉を少し引きずりながら続けた。
「事情はわかるが、わかるが、仕方ないんだ。もう、黙って働け。黙って、働くんだ…」
そしてマウアーさんは、ぼくにも親父にもあいさつもなく、そそくさと去っていった。
「菩提樹の花を摘め!」
親父が勝ち誇ったように叫び、ぼくはもう何も言わずに菩提樹に梯子をかけた。
ぼくはいつもより少し上の、よく繁った葉の隙間から湖が透けて見えるところに腰を下ろした。乾いた風がざわざわと吹き抜ける心地よい午後だった。
まだ信じられない思いのまま、菩提樹の花を摘む単純な作業の中で、マウアーさんを「味方」だなどといっときでも思い込んだ自分の甘さを恥じた。
そして、放浪は孤独なのだ、味方などいないのだという、わかりきったことを改めて思い、これでいいのだと自分に言い聞かせた。
そんなに悪い気分でもなかった。
その日からぼくは、どんな不愉快な労働の中からも見えるあの美しいリンデンバウムの庭と、その向こうに光る湖水の眺めに気持を集めて、赤鼻の怒声に黙々と従った。
セイコーに書いた手紙に返事が来た。
「スイス人が外国人に親切なのは、自分たちと利害関係がないときだけだ。本心から外国人の味方になろうなんてスイス人はいない。それだけのことだよ」
そうかもしれない…。
そしてマウアーさんはもう二度とそこに現れることはなかった。
あの美しいリンデンバウムの庭がなかったら、ぼくはあの日のうちにもそこを引き払っていたに違いない。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
トゥーン(スイス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
0