2006/04/25 - 2006/04/25
102位(同エリア111件中)
早島 潮さん
ホテル・ジャンプールを朝出発してタラス川古戦場の遺跡を見学した後、アイシャ・ビビ廟を見学した。道中大草原をバスで疾駆すればタラス・アラトー山脈が雪を頂いた美しい姿が目を楽しませてくれた。また時折牧童達の騎乗姿も目撃でき牧歌的な光景は異国ならではでの旅情をそそるに充分である。
タラス川の戦いとは東洋史辞典・東京創元社によれば以下のようなものであった。
751年(天保10年)に唐とイスラム帝国(アッバース朝)との間に行われた戦争。唐将高仙芝はイスラム軍と中央アジアのタラス河畔で衝突したが、唐軍の大敗に終わり、それより唐の西方における勢力が後退しはじめた。タラス川は東西交通の要路で、タラス城は天山北方の重要な貿易場であった。かつて西突厥が本拠を置いて威をふるったが、唐の西域経略によりその勢力はパミール以西に及んだ。あたかも新興のアラビア人がササン朝を滅ぼして東方へ伸びた。アッバース朝の時、東西両帝国の衝突となり、この戦いが起こった。このとき捕虜となった紙漉き工から紙の製法がイスラム世界に伝わり、サマルカンドに製紙工場が作られ、西ヨーロッパの印刷技術発達の伏線となった。引用終わり。
注 西側 アラブ軍 統率者はクタイバ(シリヤ出身) 5万人
東側 唐軍 統率者は高仙芝(高句麗出身) 5万人
この大激戦は五日間続いた。
古戦場跡の丘の上には11世紀に建てられたテクトルマズ廟がある。
アイシャ・ビビ廟は12世紀のものであるが、施された幾何学模様は様々で美しい装飾である。隣に寄り添うように乳母ババジ・ハトゥン廟がある。
アイシャ・ビビには悲恋の伝説が残されている。以下の純愛物語である。
戦いに敗れたカラハン王子は一時サマルカンドに軍を引き揚げていた。そこで商人の娘アイシャと恋に陥るがアイシャの父は結婚を許さなかった。王子はやむなく軍とともにタラスへ戻っていった。娘を哀れに思った母親は乳母のババジ・ハトゥンをつけてアイシャをタラスへ送った。愛する王子に会う前に川で身を清めたアイシャは草の上に置かれた花嫁衣装に手を伸ばした時、毒蛇に噛まれてしまった。乳母に急を告げられた王子は川辺に駆けつけ瀕死のアイシャを抱き上げて、息を引き取る前に結婚式を挙げた。王子は彼女以外の妻を娶らないことと彼女のために立派な廟を建てることを誓った。
PR
-
ジャンプール・ホテルの近くで見た戦士像。
-
ホテル・ジャンプール周辺のこの一画にはピンク色の建物が並んでいた。
-
ホテル・ジャンプール周辺のこの一画にはピンク色の建物が並んでいた。
-
大激戦いのあったタラス川
-
タラス川の畔の丘の上に建つテクトルマズ廟(11世紀)
-
テクトルマズ廟近くでサッカー遊びをしていた子供達
-
乳母ババジ・ハトゥン廟
-
アイシャ・ビビ廟の壁面の彫刻
-
左 アイシャ・ビビ廟
右 乳母ババジ・ハトゥン廟 -
トイレ
概ね汚いところが多いがここのはましなほう。 -
タラス・アラトー山脈
-
タラス・アラトー山脈と放牧された羊
-
牧童
-
坂道をあえぎながら登ってくる旧ソ連製の車
-
坂道をあえぎながら登ってくる旧ソ連製の車
-
チムケントのレストラン、クルグルバイ・アタで麺入りスープ(ナルン)
-
チムケントのレストラン、クルグルバイ・アタで串焼き(シャシリク)
-
国境チョルノ、カザフスタンからウズベキスタンへ
入国審査を終え待機する迎えのバスまで歩く
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
早島 潮さんの関連旅行記
その他の都市(カザフスタン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
その他の都市(カザフスタン) の人気ホテル
カザフスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
カザフスタン最安
653円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
18