2006/04/08 - 2006/04/08
715位(同エリア4212件中)
wiz さん
ミラノから日帰りでヴェネツィアへ。
晴天のウィークエンドを満喫できました♪
パスクア前のイタリアへの旅。
http://www.turismovenezia.it
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
-
イタリア国鉄 TRENITARIA の【 HAPPY TRAIN 】で
往復20(+1)EUR でミラノからヴェネツィア日帰り旅行♪
往: ES9493 Milano Centrale 11:55発
→ Venezia Mestre 14:40着 (10EUR)
※ Venezia Mestre → Venezia S.Lucia(1EUR)
復: IC630 Venezia S.Lucia 18:52発
→ Milano centrale 21:55着 (10EUR)ミラノ中央駅 駅
-
この旅行時イタリア国鉄HPで出していた
【HAPPY TRAIN】は、LAST MINUTE扱いの切符?らしく
TRENITALIA HP → ENGLISH → PROMOTION
→ HAPPY TRAIN から列車が選べました。
見てみるだけでも楽しい!
HPで予約して、現地の駅で切符発券して、いざ乗車!
★web: http://www.trenitalia.com/ -
安いから、もちろん2ndクラス席^^
ミラノ→ヴェネツィアは左側の席の方が景色が良いのね。
途中、車窓から見えた湖や山々
(ガルダ湖のあたり)が美しい! -
HAPPY TRAIN は、なぜか
ヴェネツィア・メストレまでの指定切符だったので、
メストレの駅でサンタ・ルチア駅までの切符購入。
ミラノやメストレの券売機で試したけれど
サンタ・ルチアまでの切符購入はできず。
結局、1番線のタバッキで買えば良かった。
簡単なことだったのに、ちょっと時間ロス^^;ベネチア メストレ駅 駅
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メストレ → サンタ・ルチア駅間の電車。
たった数分の短い時間乗るだけの列車だったけれど
このブルーの内装がなんだか
外の青空と混じり合い
水の都ベネツィアへの旅情を駆り立ててくれた。 -
まさに、映画 『 旅情 Summertime 』
キャサリン・ヘプバーンな気分〜♪ -
Venezia S.Lucia 着!
サンタ ルチア駅 駅
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サンタ・ルチア駅前
(ヴァポレット乗り場は右!) -
左手前に男の子が寝てるの・・ かわいかった^^
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ブリュッセルでも見たよ。
こんなインディアンな演奏家たちを(^−^) -
駅前の象さん。
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ヴァポレットの1日券を買って
★ http://www.actv.it/ -
(メストレ→サンタ・ルチア駅間の切符
+ ヴァポレット1日券) -
さっそく S.Stae で降りて・・
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サン・スタエ教会の脇を通って
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SOTTOPORTEGO
(建物の下を空けて道と道をつなぐトンネルのような通り)
を抜け、 -
Ca’ Pesaro へ♪
クリムトを見に・・ カ・ペーザロ Ca’Pesaro, Venezia by wiz さんカ ペーザロ国際近代美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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これを見に来たの!
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チケットを買って
愛しの彼の絵に逢いにいこう。 -
Gustav Klimt - Judith II (Salome) 1909
Oil on canvas. 178 x 46 cm
Galleria d'Arte Moderna, Venice, Italy
展示室は・・
http://media.museiciviciveneziani.it/album09/Ca_Pesaro_Salone_Centrale
絵の前に立ち、しばし・・ 隅々まで鑑賞。
日帰り旅の任務はだいたい?!完了^^ -
青空が気持ち良いなぁ〜。
ヴェネツィアを流れる177の運河には
計354の橋がかっかっているんだって。 -
ヴァポレットが来るまで
現地でGetした
Venezia Mapを広げてボーッと。 -
ヴァポレット上からリアルト橋をパチリ。
リアルト橋 建造物
-
カナル・グランデに架かる橋で一番有名な橋、
リアルト橋 は、16世紀末の建造で、
当時のコンペにはミケランジェロも参加したけれど
・・採用されたのはアントニオ・ダ・ポンテのプラン。 -
ゴンドラに 男子2人 と船頭さん ゴンドリエーレ。
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パラツィオ・バルバリーゴ Palazzo Barbarigo
http://en.wikipedia.org/wiki/Palazzo_Barbarigo
サン・ヴィオ広場のお隣。 16世紀建造の
ムラーノ・グラスの金のモザイクの外観が豪華な建物。
サン・マルコ寺院の外観のモザイクからヒントを得たようだ。 -
カナレット (Giovanni Antonio Canal) Canaletto
Il Canale Grande a San Vio
(Grand Canal Near the Campo San Vio, Looking
Towards the Church of Santa Maria della Salute)
「 サン・ヴィオ広場とカナル・グランデ 」
右手前が、サン・ヴィオ広場 Campo San Vio で、
その角に建つのが上に掲載した
金のモザイクが印象的な建物、パラツィオ・バルバリーゴ。
右奥に見えるのが、
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会 のクーポラ。 -
そして・・
(ヴァポレットに揺られ)
実際に見えてくる
ヴェネツィアン・バロックの
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会
Santa Maria della Salute
カナレットの絵の中のクーポラと同じだね♪サンタ マリア デッラ サルーテ教会 寺院・教会
-
-
印象派の画家モネも描いた
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
San Giorgio Maggiore
(サン・ジョルジョ=聖ゲオルギウス)サン ジョルジョ マッジョーレ教会 寺院・教会
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モネの・・「ヴェネツィア、黄昏」
-
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の隣に立つ
サン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院の
食堂のための絵 が、ルーヴル美術館にある
有名な「カナの婚宴」(ヴェロネーゼ)だね! -
イチオシ
ヴァポレットの上から・・
逆光のシルエットもまた美し。 -
絵になる街。
映画の舞台にしたくなる街。
分かるなぁ・・ 納得。 -
San Marco でヴァポレットを降り
-
サン・マルコ広場までの
FONDAMENTE
(運河に沿って続く道)を歩くと
これまたヴェネチアらしい!
カーニバル〜!
(”carne vale ” 肉よ、さらば・・)
アメリカのニューオリンズでも
こんな仮面が街にいっぱいだったわね。
(あそこでは、買っちゃったけどね^^;)
マルディグラ〜! -
有翼の獅子像
(ヴェネツィアの守護聖人聖マルコのシンボル)と、
ドゥカーレ宮殿。 奥に、サン・マルコ(聖マルコ)寺院。ドゥカーレ宮殿 城・宮殿
-
ヴェネツィア共和国の政治の中枢があった建物、
ドゥカーレ宮殿 Palazza Ducale。
最高指揮官である総督(ドージェ)の
住まいとしても使われた。 -
イチオシ
サン・マルコ寺院 Basilica di S.Marco
2人のヴェネツィア商人によって運ばれた
聖マルコの聖遺骸を安置するため建設された教会。
最初の建立は828年。 その後、
聖具室などの増築を経て現在に至る。サン マルコ寺院 寺院・教会
-
聖マルコ伝
-
東方貿易で富を得たヴェネツィアらしく、
寺院の装飾には東の影響が見られる。 -
ここにもマルコ、マルコ! ライオン、ライオン♪
-
ここにも有翼のライオン(獅子)!
もっとてっぺんには・・
ガブリエレ天使の黄金の像が!
(サン・マルコ広場内で最も高い場所) -
大鐘楼 カンパニーレ
鐘楼 建造物
-
サン マルコ広場 広場・公園
-
海運国ベネツィアの1000年にわたる繁栄を支えたのは、
ドロミーティの森なんだってね〜。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards723.html
「陸のベネチア」「山のベネチア」
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/invitation/archives/archive100111.htmlヴェネツィアとその潟 旧市街・古い町並み
-
9世紀以前のヴェネツィアの守護聖人テオドロス像と
9世紀以降のヴェネツィアの守護聖人
(聖マルコのシンボル)有翼の獅子像♪ -
パスクア(イースター)前の週末だったこともあり、
(小広場の向こうはヴァポレット乗り場だし)
人がうじゃうじゃ。 マンウォッチングが楽しい^^ -
ドゥカーレ宮殿前の小広場は
共和国時代には海からの玄関口として賑わった。 -
18世紀この地に侵攻してきたナポレオン曰く
・・ 「世界で一番美しい広場!」 -
フランチェスコ・グアルディ
「サン・マルコ広場と時計塔」
グアルディのヴェドゥータ(都市景観画)。
この絵好きなんだぁ。
時計塔は工事中だったけれど。 -
思い思いに過ごす時間を。
-
CALLE
気の向くままに迷宮を彷徨う
路地裏歩き。 -
ぶらぶら歩いて、サンタ・ルチア駅へ。
駅前のスカルツィ橋は、
ムッソリーニ時代の1934年につくられた
比較的新しい橋。
ベビーカー連れのママが大変そうだったな。スカルツィ橋 建造物
-
駅前のサン・シメオーネ・ピッコロ教会
San Simeone Piccolo とヴァポレット♪ -
イチオシ
一応・・ 参考まで。
クチコミ: ヴァポレット(水上バス)で釣銭詐欺
http://4travel.jp/overseas/area/europe/italy/venezia/tips/10131342/グランドキャナル大運河 滝・河川・湖
-
サンタ・ルチア駅隣りの
サンタ・マリア・デッリ・スカルツィ教会
Santa Maria degli Scalzi -
行きは、ユーロスター。
帰りは、インターシティ。 18:52発。 -
私が乗る列車だよ〜。
-
サンタ・ルチア駅でフルーツを買って
列車の中で、ビタミン補給^^ -
MADE IN ITALY Murano VENEZIA
こんな色調のものと、ブルー調のものを購入♪ -
インターネットで予約して、
ベルガモの駅券売機で発見した列車のチケット!
日帰りだったけれど、
晴天のヴェネツィアを、満喫できた1日でした^^
いい1日だったなぁ〜♪
旅は、フィレンツェ、モンティカティーニ、ルッカ、ピサ、ローマ、ヴァチカン、カプリ島へと続きます。
以下、興味のある方はどうぞ(*^^*) ・・・・・
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・・・・・ 最後に、イタリア人監督ルキノ・ヴィスコンティによる 映画『ヴェニスに死す』 と ハプスブルク、 ハプスブルク支配下のヴェネツィア、ミラノ、 死生観 などにについての興味深い記事がありますので、記しておきたいと思います。
学生時代、初めて観た時から、なんとなく(別々に観ていた)、世紀末ウィーンの芸術、映画『ヴェニスに死す』が醸し出す雰囲気、が好きだったのですが、この記事を読み、納得しました。
以下、
「わが青春のハプスブルク 皇妃エリザベートとその時代」
塚本哲也著 (文藝春秋/1996年第一刷) より
ナポレオンは1797年、オーストリアとのカンポフォルミオ条約でヴェネツィアをオーストリア領にしたのである。寄せては返す戦争の中で1806年、一時フランス領になったが、ナポレオン没落後の1815年のウィーン会議で、ヴェネツィアはオーストリアがハプスブルク領のベルギーを放棄した代わりに、オーストリア領になり、その周辺のロンバルディアともども、ロンバルド=ヴェネート王国となってオーストリア領に帰属し、オーストリア総督の統治をうけることになった。
映画「ヴェニスに死す」トーマス・マンの原作は1912年に出版され、主人公は作家だったが、映画ではこれを明らかにグスタフ・マーラーとみられる人物に移し変えた。ヴェネツィアは1866年、ビスマルクのプロイセンとの戦いに敗れたオーストリアからふたたびイタリア人の手に渡されたが、この本が出版された1912年はまだハプスブルク帝国が中欧に巨大な勢力を持ち、世紀末文化がつづいていた時であった。
原作者のトーマス・マンと監督のヴィスコンティは第二次世界大戦後の1951年8月27日、オーストリアの温泉保養地バードガスタインで、主人公をマーラーにおき変えることで了解に達し、これにトーマス・マンが署名している。
美少年の家族はポーランドからきた貴族だが、当時ポーランド南部のクラクフはハプスブルク領であり、多分この辺の貴族の一家という想定なのであろうが、この貴婦人にはヴィスコンティの母親のイメージが重なっているように思える。ヴィスコンティの母親に対する愛情と愛着は終生つづくが、母親は芸術を愛する世紀末の才女で、多くの音楽家や画家、劇作家や名優たちの出入りするヴィスコンティ家のサロンの女王でもあった。
シルヴァーナ・マンガーノ扮する貴婦人は、写真で見るかぎり、ヴィスコンティの母親のかもしだす雰囲気ともよく似ている。世紀末のミラノの貴族で、自分の時間があり余って、急ぐということを知らないような、ゆったり落ち着いた、いささかもの憂げなもの腰と動作の貴婦人は、母親そのもののようである。しつけがきびしくて行儀のよい子供たちも、兄や妹の多かったヴィスコンティ家と同じで、貴婦人が低い声でゆっくりと少年の名前を「タジュー、タジュー」と呼ぶのは、母親がヴィスコンティ監督に声をかける少年時代の思い出を再現したように思える。
トーマス・マンが「ヴェニスに死す」を書いた1912年の翌々年に、第一次世界大戦が始まったために、この病的な物語が戦争の前夜の緊張感をはらんでいる作品とも評されているが、私(塚本氏)にとってはこの映画が真正面から見据えた生と死の情景は、オーストリアの文化の基調をなす「死の想念」と何か共通点があることだろうと思われてならないのである。私(塚本氏)が「ヴェニスに死す」の映画を見たのは旧西独のボン・バートゴーデスベルクの小さな映画館だったが、見ながらずっと心に去来していたのはハプスブルクの死生観であった。
オーストリア人はその昔から、この世は神の摂理が支配する劇場で、人々も生きとし生けるもの被造物すべてが、この世という劇場でそれぞれの役割を果たすとし、現世では神に仕え、来生での救済を願うのである。天上の神こそ畏敬すべきただ一つの存在であり、力であった。
死ぬことは生の一部分であり、この世での最後の務めであった。人々はこの世を生と死の舞台として、受け止めていた。
ウィーンの芸術家たちは、多かれ少なかれ、このような心境を理解できていたようである。生のうつろいやすさや不確実さをよく認識していたがために、新しい考え方や、ものの見方を受け入れる柔軟性を持っていた。水のように流れて去っていくものといつまでも不変なもの、今あるものと昔あったもの、表面に現れているものと現れていないもの、という基本的な対立を見極めながら創作活動をつづけ、その中から新しい考え方やものの見方を育て、多様な独創性を展開していった。
ヴィスコンティ自身、ミラノの由緒ある貴族の生まれだが、ミラノも永いことハプスブルクの支配下にあった。14世紀末、大聖堂の建設をはじめ数々の建物を建造し、街の美化と都市計画を進めたミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティもその一人のようだ。今日の大商業都市ミラノの基礎を築いたのは、このヴィスコンティ公の治世の時代であった。したがって代々ハプスブルク家とは深いつき合いがあったのである。
映画監督ヴィスコンティが生まれた1908年は、まさに世紀末ヨーロッパ文化のただ中にあり、学問、芸術を愛する貴族の父と美しく教養の高い母親との間に生まれたヴィスコンティは、先祖代々の広大な館で育った。ヴィスコンティは晩年になってからも、世紀末文化の中で過ごした自らの少年時代にいつも郷愁の念を持っていたという。ヴィスコンティ家は、ミラノ・スカラ座に、自分の桟敷席を持っていて、一家そろって入りびたったが、そのスカラ座もハプスブルク家によって造られた。・・
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