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行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って! <br />( Va, pensiero, sull&#39;ali dorate! )<br /><br /><br />青空の Milano を ゆらりと。 <br /><br /><br />パスクア前のイタリアへの旅。<br /><br /><br />http://www.provincia.milano.it/turismo

パスクア前のイタリアへ(2) 行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って・・ ミラノ

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2006/04/07 - 2006/04/08

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旅行記グループ イタリア2006

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行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って!
( Va, pensiero, sull'ali dorate! )


青空の Milano を ゆらりと。


パスクア前のイタリアへの旅。


http://www.provincia.milano.it/turismo

旅行の満足度
4.0
航空会社
スイスインターナショナルエアラインズ
  • スフォルツェスコ城(スフォルツァ城)<br />Castello Sforzesco<br /><br />1450年にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが<br />ヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となった。<br /><br />フランチェスコに続き、息子ルドビコは<br />学芸の保護にも熱心で<br />レオナルド・ダ・ビンチをミラノに迎える。 <br /><br /><br />

    スフォルツェスコ城(スフォルツァ城)
    Castello Sforzesco

    1450年にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァが
    ヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となった。

    フランチェスコに続き、息子ルドビコは
    学芸の保護にも熱心で
    レオナルド・ダ・ビンチをミラノに迎える。 


  • 15世紀の北部イタリアの拡張時代の後の<br />1500年には、フランス軍がこの町を占領。<br /><br />このときレオナルドもミラノを去るが<br />のちに再訪、約20数年の滞在は<br />この地にミラノ派とよばれる画派を生む。<br /><br />スフォルツァ家はフランス、スイス、オーストリアに<br />あやつられながらも支配をつづけた。<br /><br />1535年にスフォルツァ家の血筋が途絶えると、<br />ミラノはスペインの統治下にはいった。<br /><br />18世紀初頭のスペイン継承戦争後、<br />1714年のラシュタット条約によって<br />オーストリア・ハプスブルク家に帰属することになる。<br /><br />ナポレオンは1796年にオーストリア人を追い出し、<br />ミラノをチザルピナ共和国の首都とした。<br /><br />1815年、ロンバルド=ヴェネト王国として<br />オーストリアの手に戻ったミラノは、<br />イタリアの抵抗運動の中心地となり、<br />1848年には短期間だがオーストリア人を追放した。<br /><br />1859年、フランスの援助を受けたサルデーニャ王国が、<br />ミラノをオーストリアから解放した。<br /><br />1861年にミラノはイタリア王国に加わり、引き続き発展。<br /><br />1859年の第二次イタリア独立戦争の結果<br />イタリア王国の一部に編入された。<br /><br />第二次世界大戦中に連合国による激しい爆撃をうけた<br />ミラノは、戦後急速に発展して復興をとげた。<br /><br />(参考:wikipedia)

    15世紀の北部イタリアの拡張時代の後の
    1500年には、フランス軍がこの町を占領。

    このときレオナルドもミラノを去るが
    のちに再訪、約20数年の滞在は
    この地にミラノ派とよばれる画派を生む。

    スフォルツァ家はフランス、スイス、オーストリアに
    あやつられながらも支配をつづけた。

    1535年にスフォルツァ家の血筋が途絶えると、
    ミラノはスペインの統治下にはいった。

    18世紀初頭のスペイン継承戦争後、
    1714年のラシュタット条約によって
    オーストリア・ハプスブルク家に帰属することになる。

    ナポレオンは1796年にオーストリア人を追い出し、
    ミラノをチザルピナ共和国の首都とした。

    1815年、ロンバルド=ヴェネト王国として
    オーストリアの手に戻ったミラノは、
    イタリアの抵抗運動の中心地となり、
    1848年には短期間だがオーストリア人を追放した。

    1859年、フランスの援助を受けたサルデーニャ王国が、
    ミラノをオーストリアから解放した。

    1861年にミラノはイタリア王国に加わり、引き続き発展。

    1859年の第二次イタリア独立戦争の結果
    イタリア王国の一部に編入された。

    第二次世界大戦中に連合国による激しい爆撃をうけた
    ミラノは、戦後急速に発展して復興をとげた。

    (参考:wikipedia)

    スフォルツェスコ城 城・宮殿

  • ヴィスコンティ家の紋章 @スフォルツェスコ城<br /><br />映画監督ルキーノ・ヴィスコンティ [1906.11.2-1976.3.17]<br />は、イタリア・ミラノの名門ヴィスコンティ家出身の伯爵。<br /><br /><br /><br />

    ヴィスコンティ家の紋章 @スフォルツェスコ城

    映画監督ルキーノ・ヴィスコンティ [1906.11.2-1976.3.17]
    は、イタリア・ミラノの名門ヴィスコンティ家出身の伯爵。



  • ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti<br />『 ロンダニーニのピエタ<br />  Pieta Rondanini 』<br /><br />ミケランジェロの伝記映画といえば・・<br />『 華麗なる激情:The Agony and the Ecstasy 』<br />も、Good ですね♪<br />

    ミケランジェロ Michelangelo Buonarroti
    『 ロンダニーニのピエタ
      Pieta Rondanini 』

    ミケランジェロの伝記映画といえば・・
    『 華麗なる激情:The Agony and the Ecstasy 』
    も、Good ですね♪

  • スフォルツェスコ城から<br />カドルナ駅を通り、<br />ジョスエ・カルドゥッチ通りを歩き、<br /><br />コルソ・マジェンタへ曲がると・・

    スフォルツェスコ城から
    カドルナ駅を通り、
    ジョスエ・カルドゥッチ通りを歩き、

    コルソ・マジェンタへ曲がると・・

  • サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会<br />Chiesa di Santa Maria delle Grazie のアプス<br /><br />この教会のアプス部分は1492年以降、<br />ドナト・ブラマンテにより改築されたものとされる。<br />当時ブラマンテはミラノに居住していた。<br /><br />レオナルド・ダ・ヴィンチと8歳年上のブラマンテは<br />同時期にミラノに滞在しており、レオナルドの手記にも<br />理想の教会堂のスケッチが残されており、<br />両者の交流があったことが考えられるのだそうだ。<br /><br />教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、<br />大きな被害を受けたが、『 最後の晩餐 』の前には<br />土嚢が積み上げてあったため、被害を免れたという。<br /><br />

    サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
    Chiesa di Santa Maria delle Grazie のアプス

    この教会のアプス部分は1492年以降、
    ドナト・ブラマンテにより改築されたものとされる。
    当時ブラマンテはミラノに居住していた。

    レオナルド・ダ・ヴィンチと8歳年上のブラマンテは
    同時期にミラノに滞在しており、レオナルドの手記にも
    理想の教会堂のスケッチが残されており、
    両者の交流があったことが考えられるのだそうだ。

    教会は第二次世界大戦中に連合軍の空襲を受け、
    大きな被害を受けたが、『 最後の晩餐 』の前には
    土嚢が積み上げてあったため、被害を免れたという。

    サンタ マリア デッレ グラツィエ教会 寺院・教会

  • レオナルド・ダ・ヴィンチの『 最後の晩餐 』<br />で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 前にて。

    レオナルド・ダ・ヴィンチの『 最後の晩餐 』
    で有名なサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 前にて。

  • 『最後の晩餐』のチケットブースのある建物

    『最後の晩餐』のチケットブースのある建物

  • チケットブースの建物の左脇から入られる中庭。<br />右手に入ると、スーヴェニアショップがある。

    チケットブースの建物の左脇から入られる中庭。
    右手に入ると、スーヴェニアショップがある。

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci<br />『 最後の晩餐 L&#39;Ultima Cena 』<br /><br />サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の<br />食堂の壁画として描かれたもの。<br />1495年から制作に取りかかり1498年に完成。

    レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci
    『 最後の晩餐 L'Ultima Cena 』

    サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の
    食堂の壁画として描かれたもの。
    1495年から制作に取りかかり1498年に完成。

  • 『 ダヴィンチ・コード 』では<br />聖ヨハネをマグダラのマリアとしていた問題の部分。<br />Vの構図・・ 聖杯・・。<br /><br />イタリア放送協会が制作した<br />ダ・ヴィンチのドキュメンタリー<br />『 ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯<br /> La Vita di Leonardo Da Vinci 』<br />を見ていくと、レオナルドの製作過程や<br />少年時代から晩年までの生涯がよく分かるのでオススメ♪<br />https://youtu.be/mygmWjsXqms<br /><br /><br /><br />西洋絵画では、通常、壁画や天井画には【 フレスコ画 】の技法を用いる。 しかしこのレオナルドの『最後の晩餐』はフレスコ画ではない。 ●フレスコ画は古代ローマ時代から用いられており、漆喰を塗り、それが乾ききる前に顔料を載せて壁自体をその色にする技法である。 ●この技法で描いた絵画は壁や天井と一体化し、ほぼ永続的に保存される。 しかし、●漆喰と一体化するため、使用できる色彩に限りがあり、漆喰を塗ってから乾ききるまでの8時間程度で絵を仕上げる必要がある。 ●重ね塗りや描き直しは基本的にできない。<br /><br />レオナルドは作業時間の制約を嫌い、写実的な絵画とするために重ね塗りは必要不可欠であることから(本作では白黒で陰影を描いた後、上から色味を重ねる手法が多用されている)、完全に乾いた壁の上に【 テンペラ画 】の技法で描いた。 ●テンペラは卵、ニカワ、植物性油などを溶剤として顔料を溶き、キャンバスや木の板などに描く技法であり(卵を使用せず、油を主たる溶剤にすれば油彩となる)、●時間的制約は無く、重ね塗り、書き直しも可能である。 ●テンペラや油絵は温度や湿度の変化に弱いため、壁画には向いていない。 (参考:wikipedia)<br /><br />

    『 ダヴィンチ・コード 』では
    聖ヨハネをマグダラのマリアとしていた問題の部分。
    Vの構図・・ 聖杯・・。

    イタリア放送協会が制作した
    ダ・ヴィンチのドキュメンタリー
    『 ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯
     La Vita di Leonardo Da Vinci 』
    を見ていくと、レオナルドの製作過程や
    少年時代から晩年までの生涯がよく分かるのでオススメ♪
    https://youtu.be/mygmWjsXqms



    西洋絵画では、通常、壁画や天井画には【 フレスコ画 】の技法を用いる。 しかしこのレオナルドの『最後の晩餐』はフレスコ画ではない。 ●フレスコ画は古代ローマ時代から用いられており、漆喰を塗り、それが乾ききる前に顔料を載せて壁自体をその色にする技法である。 ●この技法で描いた絵画は壁や天井と一体化し、ほぼ永続的に保存される。 しかし、●漆喰と一体化するため、使用できる色彩に限りがあり、漆喰を塗ってから乾ききるまでの8時間程度で絵を仕上げる必要がある。 ●重ね塗りや描き直しは基本的にできない。

    レオナルドは作業時間の制約を嫌い、写実的な絵画とするために重ね塗りは必要不可欠であることから(本作では白黒で陰影を描いた後、上から色味を重ねる手法が多用されている)、完全に乾いた壁の上に【 テンペラ画 】の技法で描いた。 ●テンペラは卵、ニカワ、植物性油などを溶剤として顔料を溶き、キャンバスや木の板などに描く技法であり(卵を使用せず、油を主たる溶剤にすれば油彩となる)、●時間的制約は無く、重ね塗り、書き直しも可能である。 ●テンペラや油絵は温度や湿度の変化に弱いため、壁画には向いていない。 (参考:wikipedia)

  • ACミランのホームスタジアム、<br />サン・シーロ(San Siro)行きの16番のトラム<br /><br />Rete tranviaria di Milano (Trams in Milan)<br />http://it.wikipedia.org/wiki/Rete_tranviaria_di_Milano

    ACミランのホームスタジアム、
    サン・シーロ(San Siro)行きの16番のトラム

    Rete tranviaria di Milano (Trams in Milan)
    http://it.wikipedia.org/wiki/Rete_tranviaria_di_Milano

  • 味のある・・ 路地裏のふる〜い建物

    味のある・・ 路地裏のふる〜い建物

  • 郵便局<br /><br />Poste Italiane Spa <br />Via Cordusio 4, Milano

    郵便局

    Poste Italiane Spa
    Via Cordusio 4, Milano

  • ミラノのドゥオーモ (ドゥオーモ・ディ・ミラーノ)<br />Duomo di Milano<br /><br />長らくファサードは工事中・・ 残念。

    ミラノのドゥオーモ (ドゥオーモ・ディ・ミラーノ)
    Duomo di Milano

    長らくファサードは工事中・・ 残念。

  • ドゥオーモ (ミラノ大聖堂) 寺院・教会

  • てっぺんには、マドンニーナ* が!<br /><br />* ミラネーゼに親しまれている聖母マリア(マドンナ)

    てっぺんには、マドンニーナ* が!

    * ミラネーゼに親しまれている聖母マリア(マドンナ)

  • ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア<br />Galleria Vittorio Emanuele II

    ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
    Galleria Vittorio Emanuele II

  • ヴィットーリオ エマヌエーレ2世のガッレリア 散歩・街歩き

  • SPQR = ラテン語で<br />Senatus Populus que Romanus の略語<br />(セナトゥス・ポプルス・クエ・ロマヌス)<br /><br />「元老院とローマの人民」<br /><br /><br />※ロームルスとレムス Romolo e Remo<br /> http://bit.ly/gWKenf

    SPQR = ラテン語で
    Senatus Populus que Romanus の略語
    (セナトゥス・ポプルス・クエ・ロマヌス)

    「元老院とローマの人民」


    ※ロームルスとレムス Romolo e Remo
     http://bit.ly/gWKenf

  • プラダ ガッレリア店<br /><br />お向かいは、マクドナルド。<br />化粧室をちょっと拝借^^;

    プラダ ガッレリア店

    お向かいは、マクドナルド。
    化粧室をちょっと拝借^^;

  • ガッレリアの前のポリスとお馬さん

    ガッレリアの前のポリスとお馬さん

  • ドゥオーモ駅から地下鉄でチェントラーレへ

    ドゥオーモ駅から地下鉄でチェントラーレへ

  • ミラノ地下鉄の切符<br /><br />Metropolitana di Milano<br />★ http://www.atm-mi.it/

    ミラノ地下鉄の切符

    Metropolitana di Milano
    ★ http://www.atm-mi.it/

  • ミラノ中央駅 Stazione Centrale di Milano<br />(ミラノ・チェントラーレ Milano Centrale)<br /><br />建築家フランク・ロイド・ライトにより<br />「世界でもっとも美しい鉄道駅」と称された駅。<br /><br />ここは、券売機がたくさんあるけれど、<br />治安 に少し注意かも・・。

    ミラノ中央駅 Stazione Centrale di Milano
    (ミラノ・チェントラーレ Milano Centrale)

    建築家フランク・ロイド・ライトにより
    「世界でもっとも美しい鉄道駅」と称された駅。

    ここは、券売機がたくさんあるけれど、
    治安 に少し注意かも・・。

    ミラノ中央駅

  • ミラノ・チェントラーレにて<br /><br />次は・・<br /><br />ルキーノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』<br />デイヴィッド・リーンの『旅情』 の世界へ!<br /><br />(大好きな・・グスタフ・マーラーの交響曲第5番<br /> 第4楽章アダージェット Gustav Mahler, <br /> Symphony No.5 4th movement Adagiettoが、<br /> 流れてくる・・)<br /><br /><br />これから、ヴェネツィアに日帰りの旅です^^<br /><br /><br />

    ミラノ・チェントラーレにて

    次は・・

    ルキーノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』
    デイヴィッド・リーンの『旅情』 の世界へ!

    (大好きな・・グスタフ・マーラーの交響曲第5番
     第4楽章アダージェット Gustav Mahler,
     Symphony No.5 4th movement Adagiettoが、
     流れてくる・・)


    これから、ヴェネツィアに日帰りの旅です^^


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