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昨晩会社の納会を終え、二次会を避けるようにして品川23:00発の夜行列車に乗り込む。<br /> 5時過ぎ、乗り換えの大垣に着くとすでに雪が見られたが、大阪を経由して南海線で山を登るようにして高野山へ向かう途中、その雪はいつしか大降りに変わっていた。昨今の東京では滅多に見られない白銀の世界を関西で見るとは夢にも思っていなかったが、その覚悟をしていなかったために、スーツの軽装で着てしまった。<br />途中ケーブルカーに乗り換え、さらにバスに乗り継いで、高野山奥の院に到着。雪のためか訪れる人も少なく、11時過ぎより小一時間ほど、読経供養をしていただいた。<br /><br />帰路の参道には天皇・皇族から、文化人に至る供養塔が立ち並ぶ。<br />東京で言えば青山墓地に墓を建てるのと同様、弘法大師の住む高野山に墓を建てることは、一種のステータスであり、名立たる大名家の供養塔も数多く、18万石であった森家の墓所も例に漏れず鎮座する。<br /><br />巨大な墓石の並ぶこの森家墓地の中央には、一際大きな津山藩祖・森忠政公の墓石がある。なくなったのは寛永11年7月7日。<br />七夕に亡くなったことから、本国津山では七夕を8日に行う習慣があったことがその命日を証明するが、この墓石には寛永7年11月7日と刻まれている。<br />明らかな刻銘ミス。それも、こともあろうか主要墓石にである。<br />この墓域を管理する高野山の塔頭、釈迦文院を訪ね、文書を拝見するが、やはり7月7日が命日とある。<br /><br />お上人の話では、当時は巨石を山の麓から、丸太を転がしながら運んだという。おそらく運んでから刻銘したのであろうか、結局取り返しの付かない結果で終わったのかもしれない。<br /><br /> 釈迦文院はその縁起を平安時代に遡ることができ、阿闍梨と呼ばれる高僧が歴代の住職であり、貴重な古文書類については内閣文庫が保管しているほどの大寺院である。<br />本堂は天保年間の建立で、土蔵造りであったことから、後年の火災にも焼けずに残ったという。本堂の本尊、大日如来の裏手には、丈が1メートル近くある忠政公の位牌が控えている。<br />江戸時代の当時、筆頭檀家は森家であり、唯一の大名檀家であったという。津山藩が改易した後は、赤穂藩森家がそれを引き継ぎ、明治を向かえ、その後森家の庇護がなくなり、現在に至っているとのことであった。<br /> 現在は宿坊として、130名を収容する塔頭として知られている。<br />

高野山で初雪を拝む

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2003/12/27 - 2003/12/27

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正雅堂

正雅堂さん

昨晩会社の納会を終え、二次会を避けるようにして品川23:00発の夜行列車に乗り込む。
 5時過ぎ、乗り換えの大垣に着くとすでに雪が見られたが、大阪を経由して南海線で山を登るようにして高野山へ向かう途中、その雪はいつしか大降りに変わっていた。昨今の東京では滅多に見られない白銀の世界を関西で見るとは夢にも思っていなかったが、その覚悟をしていなかったために、スーツの軽装で着てしまった。
途中ケーブルカーに乗り換え、さらにバスに乗り継いで、高野山奥の院に到着。雪のためか訪れる人も少なく、11時過ぎより小一時間ほど、読経供養をしていただいた。

帰路の参道には天皇・皇族から、文化人に至る供養塔が立ち並ぶ。
東京で言えば青山墓地に墓を建てるのと同様、弘法大師の住む高野山に墓を建てることは、一種のステータスであり、名立たる大名家の供養塔も数多く、18万石であった森家の墓所も例に漏れず鎮座する。

巨大な墓石の並ぶこの森家墓地の中央には、一際大きな津山藩祖・森忠政公の墓石がある。なくなったのは寛永11年7月7日。
七夕に亡くなったことから、本国津山では七夕を8日に行う習慣があったことがその命日を証明するが、この墓石には寛永7年11月7日と刻まれている。
明らかな刻銘ミス。それも、こともあろうか主要墓石にである。
この墓域を管理する高野山の塔頭、釈迦文院を訪ね、文書を拝見するが、やはり7月7日が命日とある。

お上人の話では、当時は巨石を山の麓から、丸太を転がしながら運んだという。おそらく運んでから刻銘したのであろうか、結局取り返しの付かない結果で終わったのかもしれない。

 釈迦文院はその縁起を平安時代に遡ることができ、阿闍梨と呼ばれる高僧が歴代の住職であり、貴重な古文書類については内閣文庫が保管しているほどの大寺院である。
本堂は天保年間の建立で、土蔵造りであったことから、後年の火災にも焼けずに残ったという。本堂の本尊、大日如来の裏手には、丈が1メートル近くある忠政公の位牌が控えている。
江戸時代の当時、筆頭檀家は森家であり、唯一の大名檀家であったという。津山藩が改易した後は、赤穂藩森家がそれを引き継ぎ、明治を向かえ、その後森家の庇護がなくなり、現在に至っているとのことであった。
 現在は宿坊として、130名を収容する塔頭として知られている。

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