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20枚の写真候補の中から最終に残された記念すべき写真の人物達である。それは各地へ訪問して直接ラマ9世から手を差し伸べられた或いは渡されたなどカナリ貴重な体験をさえた人々の中から選ばれた5枚の写真の人物達なのです。<br />現時点で既に2名の身元が確認残る3名が確認されると6月9日60周年記念の祝賀会に呼ばれるはずである・・・・誰もがその写真を見て涙したと言われた写真・・・当時何故3歳くらいの子供が其処にひれ伏したのか???誰にもそれは分からない・・ただ・母親に足元にひざまずいて来るように言われた事だけを覚えていると翌日その写真が公開され記念に家に貼られていたと当の本人は話している・・これからそのときの写真がどういうときのもので・・何故選ばれ・・そして現在如何しているかを調べてUP していこうと思います。<br />取り合えずその記念すべき選ばれた人々の写真をご覧下さい。<br /><br />そしてテレビのコマーシャルなどでは直接の関係は語られていませんが・60周年を記念して昔の友人が自分の名前をもう一度書く練習を毎日繰り返し・・・やっと掛けるようになりバンコクの王宮に出向き記帳すると言うコマーシャルも流れています・タイを旅している間に見るチャンスがあるはずですので・・きに止めておいて下さいね・・・・<br /><br />今日3月31日は朝から雨・・昨晩の突風で町中の木が折れたり看板が倒れたりしてカナリの被害が出たチェンマイです。<br />毎年ソンクラーンの時期になると必ずある季節風ですが・・昨晩はチェンマイの一部でも氷河が降りました。・・<br /><br /><br />この写真の男の子は<br />仏暦2516年西暦1973年<br />現在では南部深海部として問題が起きている県・・プラタニー県へ訪れた時の者で直ぐ側にはシリキツト女王様もいる・・<br />この時この男の子は4歳で母親に足元へ膝待ついて挨拶するように言われて本人は全くイミも判らないながらも挨拶をしていたと言われてた・・現在37歳で土地局に勤める公務員である。<br />その時ラマ9世は知らん振りで通り過ぎることなく・・ラマ9世は体を子供の背丈に合わせて挨拶をしてくれたのである。しかしその時まだこの重要な意味をまだ良く理解していないのであるが・・その昔皇室の人々が平民に合わせてくれることなどありえないと言うのが極普通の考え方であったのであるそれが・・立ち止まり子供に合わせてくれた事は生涯彼にとり素晴らしいことになるであろうと誰もにいわれたのである。そして2年前に調度自分の上司からこの写真の人物がじぶんであることなどを聞かれて改めてその時の素晴らしい出会いに感謝したと話している。<br /><br />この時この子は飛行場で皇室の方々を待ちながら何時来るかと待ち望んでいたのだそうだ・・しかし定刻ゆより多少遅れながらも到着した飛行機から姿を見せた皇室の家族の方々へラマ9世そしてシリキツト女王・・そしてシリントン王女など全ての人々に対してこうして挨拶して廻ツたのである。<br />この時この光景を偶然撮影していたのがタイラツク新聞社の人で仏暦2517年西暦1974年の写真展で最優秀賞を受賞して喜びが多きかった写真の一つである・・それだけ偶然と運が重なり・その時のタイの国のまだすれていない素晴らしい時代を感じるそう言う時間であったのです。<br /><br /><br /><br /><br />***もっと大きな報道でこのことを全国に伝えて欲しかった***<br /><br />托鉢をしてる国王の写真から・・・<br />プミポン国王陛下も今は亡きお母様のために出家されていたのです。毎朝托鉢に歩かれたその姿を見られた人は少なかっ他だろうといわれています。<br />やはり危険なことでしたから・・それだけ誰にも知らせずに托鉢に歩かれていたと思いますので・・それに出会えた人々はどれだけ喜びが大きいものだつたことだろうと・・思います。<br />この写真のお年寄りなすでに亡き人でしょう・・・ひざまずいている人が現在も生きているかどうか・・ヒひたすら現在行方を捜しています。<br /><br />この写真は仏暦2499年西暦1956年のバンコクのペチャブリー通りで皇室のカメラマンにより撮影されたものである。<br />この時しゃがみこんでいる女性はこの時30歳であった。<br />友人が別の県へタンブーンに行くために準備をしていた時に警察の人々の行列と大きな車などが沢山来るのを目にして驚いて見ていると・・其れがラマ9世だと知らされて急いで近付きタンブーンをしたということだった、その時誰かがナイルアン(当時の人はラマ9世をそう呼んだのである)だと言わなければ誰も判らなかったんだそうだ・・其れは自分の生涯の中で偶然と素晴らしい運が同時に訪れた瞬間でタンブーンしている姉は既にこの世の人ではないにしてもこの時の写真はそれから今までズート家の宝物として飾られ毎朝祈られてきたのだそうそうだ・・・<br /><br />先日テレビ番組へ出演し現在の心境を語る部分で・・涙を流しながら・・ナイルアンが(ラマ9世のこと)気の毒でならない・・それは自分の国所謂自分の子供達・・が何故喧嘩をしなければならないのか?そう考えると・・どんなに哀しいだろうと・・話していた。<br />家の近所で会議だと呼び出されても行かないしそう言うことで自分の国を怪我されたくないと私でさえ思うものを・・ナイルアンはどんなに苦しんでいるのだろうか??と考えると涙が止まらないと・・・<br />こう言う話はもっとテレビで流れて欲しいと思える瞬間であった・・・

チェンマイは最高に面白い 145 ラマ9世から選ばれた5名の人々

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2006/03/26 - 2006/03/30

42329位(同エリア51661件中)

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adsawin

adsawinさん

20枚の写真候補の中から最終に残された記念すべき写真の人物達である。それは各地へ訪問して直接ラマ9世から手を差し伸べられた或いは渡されたなどカナリ貴重な体験をさえた人々の中から選ばれた5枚の写真の人物達なのです。
現時点で既に2名の身元が確認残る3名が確認されると6月9日60周年記念の祝賀会に呼ばれるはずである・・・・誰もがその写真を見て涙したと言われた写真・・・当時何故3歳くらいの子供が其処にひれ伏したのか???誰にもそれは分からない・・ただ・母親に足元にひざまずいて来るように言われた事だけを覚えていると翌日その写真が公開され記念に家に貼られていたと当の本人は話している・・これからそのときの写真がどういうときのもので・・何故選ばれ・・そして現在如何しているかを調べてUP していこうと思います。
取り合えずその記念すべき選ばれた人々の写真をご覧下さい。

そしてテレビのコマーシャルなどでは直接の関係は語られていませんが・60周年を記念して昔の友人が自分の名前をもう一度書く練習を毎日繰り返し・・・やっと掛けるようになりバンコクの王宮に出向き記帳すると言うコマーシャルも流れています・タイを旅している間に見るチャンスがあるはずですので・・きに止めておいて下さいね・・・・

今日3月31日は朝から雨・・昨晩の突風で町中の木が折れたり看板が倒れたりしてカナリの被害が出たチェンマイです。
毎年ソンクラーンの時期になると必ずある季節風ですが・・昨晩はチェンマイの一部でも氷河が降りました。・・


この写真の男の子は
仏暦2516年西暦1973年
現在では南部深海部として問題が起きている県・・プラタニー県へ訪れた時の者で直ぐ側にはシリキツト女王様もいる・・
この時この男の子は4歳で母親に足元へ膝待ついて挨拶するように言われて本人は全くイミも判らないながらも挨拶をしていたと言われてた・・現在37歳で土地局に勤める公務員である。
その時ラマ9世は知らん振りで通り過ぎることなく・・ラマ9世は体を子供の背丈に合わせて挨拶をしてくれたのである。しかしその時まだこの重要な意味をまだ良く理解していないのであるが・・その昔皇室の人々が平民に合わせてくれることなどありえないと言うのが極普通の考え方であったのであるそれが・・立ち止まり子供に合わせてくれた事は生涯彼にとり素晴らしいことになるであろうと誰もにいわれたのである。そして2年前に調度自分の上司からこの写真の人物がじぶんであることなどを聞かれて改めてその時の素晴らしい出会いに感謝したと話している。

この時この子は飛行場で皇室の方々を待ちながら何時来るかと待ち望んでいたのだそうだ・・しかし定刻ゆより多少遅れながらも到着した飛行機から姿を見せた皇室の家族の方々へラマ9世そしてシリキツト女王・・そしてシリントン王女など全ての人々に対してこうして挨拶して廻ツたのである。
この時この光景を偶然撮影していたのがタイラツク新聞社の人で仏暦2517年西暦1974年の写真展で最優秀賞を受賞して喜びが多きかった写真の一つである・・それだけ偶然と運が重なり・その時のタイの国のまだすれていない素晴らしい時代を感じるそう言う時間であったのです。




***もっと大きな報道でこのことを全国に伝えて欲しかった***

托鉢をしてる国王の写真から・・・
プミポン国王陛下も今は亡きお母様のために出家されていたのです。毎朝托鉢に歩かれたその姿を見られた人は少なかっ他だろうといわれています。
やはり危険なことでしたから・・それだけ誰にも知らせずに托鉢に歩かれていたと思いますので・・それに出会えた人々はどれだけ喜びが大きいものだつたことだろうと・・思います。
この写真のお年寄りなすでに亡き人でしょう・・・ひざまずいている人が現在も生きているかどうか・・ヒひたすら現在行方を捜しています。

この写真は仏暦2499年西暦1956年のバンコクのペチャブリー通りで皇室のカメラマンにより撮影されたものである。
この時しゃがみこんでいる女性はこの時30歳であった。
友人が別の県へタンブーンに行くために準備をしていた時に警察の人々の行列と大きな車などが沢山来るのを目にして驚いて見ていると・・其れがラマ9世だと知らされて急いで近付きタンブーンをしたということだった、その時誰かがナイルアン(当時の人はラマ9世をそう呼んだのである)だと言わなければ誰も判らなかったんだそうだ・・其れは自分の生涯の中で偶然と素晴らしい運が同時に訪れた瞬間でタンブーンしている姉は既にこの世の人ではないにしてもこの時の写真はそれから今までズート家の宝物として飾られ毎朝祈られてきたのだそうそうだ・・・

先日テレビ番組へ出演し現在の心境を語る部分で・・涙を流しながら・・ナイルアンが(ラマ9世のこと)気の毒でならない・・それは自分の国所謂自分の子供達・・が何故喧嘩をしなければならないのか?そう考えると・・どんなに哀しいだろうと・・話していた。
家の近所で会議だと呼び出されても行かないしそう言うことで自分の国を怪我されたくないと私でさえ思うものを・・ナイルアンはどんなに苦しんでいるのだろうか??と考えると涙が止まらないと・・・
こう言う話はもっとテレビで流れて欲しいと思える瞬間であった・・・

  • ラマ9世が山岳民族の村々へポリオのワクチンを飲ませる為に歩いて子供達に飲ませた写真で、この写真はメーホーソンにあるモン族の村で2歳の男の子(タイ暦2513年・西暦直すと1970年)だとされているが・・ところが名乗り出たのが同じ村から当時1歳の子供と3歳の子供だと言う事で当時の子供達の中から2名が名乗り出てしまう事件となり現在本物が誰なのか??取調べ中である。<br /><br />モン族にとって誰が本物でも構わない・・と其れは同じモン族でイザカイを起したくないということで誰が本物なのか??下手をすると調べられないかも知れない哀しい現実がある・何しろこの当時ここでワクチンを飲む為に待つ子供達は沢山いたのである。

    ラマ9世が山岳民族の村々へポリオのワクチンを飲ませる為に歩いて子供達に飲ませた写真で、この写真はメーホーソンにあるモン族の村で2歳の男の子(タイ暦2513年・西暦直すと1970年)だとされているが・・ところが名乗り出たのが同じ村から当時1歳の子供と3歳の子供だと言う事で当時の子供達の中から2名が名乗り出てしまう事件となり現在本物が誰なのか??取調べ中である。

    モン族にとって誰が本物でも構わない・・と其れは同じモン族でイザカイを起したくないということで誰が本物なのか??下手をすると調べられないかも知れない哀しい現実がある・何しろこの当時ここでワクチンを飲む為に待つ子供達は沢山いたのである。

  • ナラティワートの人で土地に関する事を説明しているラマ9世の姿・・しかしこの老人は既に亡くなってしまわれている。

    ナラティワートの人で土地に関する事を説明しているラマ9世の姿・・しかしこの老人は既に亡くなってしまわれている。

  • プミポン国王陛下も今は亡きお母様のために出家されていたのです。毎朝托鉢に歩かれたその姿を見られた人は少なかっ他だろうといわれています。<br />やはり危険なことでしたから・・それだけ誰にも知らせずに托鉢に歩かれていたと思いますので・・それに出会えた人々はどれだけ喜びが大きいものだつたことだろうと・・思います。<br />この写真のお年寄りなすでに亡き人でしょう・・・ひざまずいている人が現在も生きているかどうか・・ヒひたすら現在行方を捜しています。<br /><br />この写真は仏暦2499年西暦1956年のバンコクのペチャブリー通りで皇室のカメラマンにより撮影されたものである。<br />この時しゃがみこんでいる女性はこの時30歳であった。<br />友人が別の県へタンブーンに行くために準備をしていた時に警察の人々の行列と大きな車などが沢山来るのを目にして驚いて見ていると・・其れがラマ9世だと知らされて急いで近付きタンブーンをしたということだった、その時誰かがナイルアン(当時の人はラマ9世をそう呼んだのである)だと言わなければ誰も判らなかったんだそうだ・・其れは自分の生涯の中で偶然と素晴らしい運が同時に訪れた瞬間でタンブーンしている姉は既にこの世の人ではないにしてもこの時の写真はそれから今までズート家の宝物として飾られ毎朝祈られてきたのだそうそうだ・・・<br /><br />先日テレビ番組へ出演し現在の心境を語る部分で・・涙を流しながら・・ナイルアンが(ラマ9世のこと)気の毒でならない・・それは自分の国所謂自分の子供達・・が何故喧嘩をしなければならないのか?そう考えると・・どんなに哀しいだろうと・・話していた。<br />家の近所で会議だと呼び出されても行かないしそう言うことで自分の国を怪我されたくないと私でさえ思うものを・・ナイルアンはどんなに苦しんでいるのだろうか??と考えると涙が止まらないと・・・<br />こう言う話はもっとテレビで流れて欲しいと思える瞬間であった・・・

    プミポン国王陛下も今は亡きお母様のために出家されていたのです。毎朝托鉢に歩かれたその姿を見られた人は少なかっ他だろうといわれています。
    やはり危険なことでしたから・・それだけ誰にも知らせずに托鉢に歩かれていたと思いますので・・それに出会えた人々はどれだけ喜びが大きいものだつたことだろうと・・思います。
    この写真のお年寄りなすでに亡き人でしょう・・・ひざまずいている人が現在も生きているかどうか・・ヒひたすら現在行方を捜しています。

    この写真は仏暦2499年西暦1956年のバンコクのペチャブリー通りで皇室のカメラマンにより撮影されたものである。
    この時しゃがみこんでいる女性はこの時30歳であった。
    友人が別の県へタンブーンに行くために準備をしていた時に警察の人々の行列と大きな車などが沢山来るのを目にして驚いて見ていると・・其れがラマ9世だと知らされて急いで近付きタンブーンをしたということだった、その時誰かがナイルアン(当時の人はラマ9世をそう呼んだのである)だと言わなければ誰も判らなかったんだそうだ・・其れは自分の生涯の中で偶然と素晴らしい運が同時に訪れた瞬間でタンブーンしている姉は既にこの世の人ではないにしてもこの時の写真はそれから今までズート家の宝物として飾られ毎朝祈られてきたのだそうそうだ・・・

    先日テレビ番組へ出演し現在の心境を語る部分で・・涙を流しながら・・ナイルアンが(ラマ9世のこと)気の毒でならない・・それは自分の国所謂自分の子供達・・が何故喧嘩をしなければならないのか?そう考えると・・どんなに哀しいだろうと・・話していた。
    家の近所で会議だと呼び出されても行かないしそう言うことで自分の国を怪我されたくないと私でさえ思うものを・・ナイルアンはどんなに苦しんでいるのだろうか??と考えると涙が止まらないと・・・
    こう言う話はもっとテレビで流れて欲しいと思える瞬間であった・・・

  • ストゥーン県にあるモスリムの貧しい人々への寄付の品物を渡している写真でした・・・が既にこの方も亡くなって居りました。息子さんがインタビューに答えていたところでは・・父親の最後までの自慢でそして自分も1生涯の中でこれほどラマ9世を近くで見れたことはなく・・其れは誇り高い名誉な事だと思いましたと・・・・

    ストゥーン県にあるモスリムの貧しい人々への寄付の品物を渡している写真でした・・・が既にこの方も亡くなって居りました。息子さんがインタビューに答えていたところでは・・父親の最後までの自慢でそして自分も1生涯の中でこれほどラマ9世を近くで見れたことはなく・・其れは誇り高い名誉な事だと思いましたと・・・・

  • 仏暦2516年西暦1973年<br />現在では南部深海部として問題が起きている県・・プラタニー県へ訪れた時の者で直ぐ側にはシリキツト女王様もいる・・<br />この時この男の子は4歳で母親に足元へ膝待ついて挨拶するように言われて本人は全くイミも判らないながらも挨拶をしていたと言われてた・・現在37歳で土地局に勤める公務員である。<br />その時ラマ9世は知らん振りで通り過ぎることなく・・ラマ9世は体を子供の背丈に合わせて挨拶をしてくれたのである。しかしその時まだこの重要な意味をまだ良く理解していないのであるが・・その昔皇室の人々が平民に合わせてくれることなどありえないと言うのが極普通の考え方であったのであるそれが・・立ち止まり子供に合わせてくれた事は生涯彼にとり素晴らしいことになるであろうと誰もにいわれたのである。そして2年前に調度自分の上司からこの写真の人物がじぶんであることなどを聞かれて改めてその時の素晴らしい出会いに感謝したと話している。<br /><br />この時この子は飛行場で皇室の方々を待ちながら何時来るかと待ち望んでいたのだそうだ・・しかし定刻ゆより多少遅れながらも到着した飛行機から姿を見せた皇室の家族の方々へラマ9世そしてシリキツト女王・・そしてシリントン王女など全ての人々に対してこうして挨拶して廻ツたのである。<br />この時この光景を偶然撮影していたのがタイラツク新聞社の人で仏暦2517年西暦1974年の写真展で最優秀賞を受賞して喜びが多きかった写真の一つである・・それだけ偶然と運が重なり・その時のタイの国のまだすれていない素晴らしい時代を感じるそう言う時間であったのです。

    仏暦2516年西暦1973年
    現在では南部深海部として問題が起きている県・・プラタニー県へ訪れた時の者で直ぐ側にはシリキツト女王様もいる・・
    この時この男の子は4歳で母親に足元へ膝待ついて挨拶するように言われて本人は全くイミも判らないながらも挨拶をしていたと言われてた・・現在37歳で土地局に勤める公務員である。
    その時ラマ9世は知らん振りで通り過ぎることなく・・ラマ9世は体を子供の背丈に合わせて挨拶をしてくれたのである。しかしその時まだこの重要な意味をまだ良く理解していないのであるが・・その昔皇室の人々が平民に合わせてくれることなどありえないと言うのが極普通の考え方であったのであるそれが・・立ち止まり子供に合わせてくれた事は生涯彼にとり素晴らしいことになるであろうと誰もにいわれたのである。そして2年前に調度自分の上司からこの写真の人物がじぶんであることなどを聞かれて改めてその時の素晴らしい出会いに感謝したと話している。

    この時この子は飛行場で皇室の方々を待ちながら何時来るかと待ち望んでいたのだそうだ・・しかし定刻ゆより多少遅れながらも到着した飛行機から姿を見せた皇室の家族の方々へラマ9世そしてシリキツト女王・・そしてシリントン王女など全ての人々に対してこうして挨拶して廻ツたのである。
    この時この光景を偶然撮影していたのがタイラツク新聞社の人で仏暦2517年西暦1974年の写真展で最優秀賞を受賞して喜びが多きかった写真の一つである・・それだけ偶然と運が重なり・その時のタイの国のまだすれていない素晴らしい時代を感じるそう言う時間であったのです。

  • 偶然出てきた写真は本当に本人にとり嬉いことでしょうね・・自分の生涯で何度もできることでは在りませんから・・

    偶然出てきた写真は本当に本人にとり嬉いことでしょうね・・自分の生涯で何度もできることでは在りませんから・・

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