2005/01/20 - 2005/01/27
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spacecowboyさん
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2005年の1月にインドをパッケージツアーで旅行した時の旅行記です。
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海外旅行は9回目ながら、アジア&非キリスト教圏(失礼な表現ならご容赦ください)は初めて。そしてパッケージツアーに参加するのも6年ぶりということで、妙な新鮮味のある今回の旅行。ただ、旅行期間が一般人とずれていたためか(インド的にはベストシーズンなんだけど)、問い合わせるツアーが催行されないものの連続・・・。ということでやっとのことでみつけたのが東京発のツアー。
ってことで、かつては週3ペースで通っていた(バイトしてたので)伊丹空港から成田へ向かう。この飛行機はガラガラ。で、成田からツアー開始(12:30発)。
今回のツアーは男性6・女性11の計17名。とはいえ時期が時期なので、いわゆる「若者」にカテゴリーされるのは自分のみ(苦笑)。まああらかじめわかっていたことなので仕方ないとしよう。
インドへは写真のエアインディアで。一応ジャンボではあるが、はっきりいってかなりボロイ。富士山が見えたときに、乗客のみならずクルーも皆窓に駆け寄ったあたりがさすがとさえ思う。この飛行機もガラガラだったので一列を占有。楽でした。窓際の1列だったので、外もよく見えるんだけど、どこを飛んでるんだかさっぱりわからない。普通は画面に地図が出るはずなんだが・・。
で、デリー到着(18:40着)。バラバラと客が降りる。で、機内で待たされること2時間以上!!何があったのか知らないけど、1時間遅れでデリーからムンバイへ出発(20:50発)。ここからは国内線扱いなので、乗客がどっと乗ってきて、シーク教徒のおじさんにより、窓際へ追いやられる・・。追いやられた席は壊れていて、座っているだけでフルリクライニング。これもさすがというところか・・。
で、結局のところムンバイ到着は23:20分。成田から14時間
かかりました。ヨーロッパ行くのと変わらんやん!みたいな。
空港から街へ入るまでの印象として、深夜でも車がかなり
多かった、車道を歩いてる人、リクシャー、自転車、野良牛、野良犬・・、雑踏という表現にふさわしい。でもって道端で集団で髪の毛を洗ってる人がいたりもする。このあたり、これまでの旅行先では見慣れない風景だったので、新鮮に感じました。そうしてついたホテル(ホテルアンバサダー)で、とりあえず床につきます。 -
旅行2日目。今日はムンバイ&エレファンタ島を観光し、オーランガバードへ向かいます。
朝食後、少しだけ時間があったのでホテルの外へ出てみる。その間、わずか10分ながら、2度客引きに遭遇。さすがと思いました。
この時横を通りがかったごみ収集車を見てびっくり。明らかに10代前半と思われる6人が乗っている。収集はともかく、運転するには若すぎるだろ・・・。若くして働かねばならないとはいえ、仕事があるだけこの国ではまだマシなのかも知れませんが。
ムンバイはインド経済の中心地であり、人口は1600万人。雑踏と近代的な高層ビルとが入り混じった、大都会です。そしてムンバイというのは現地語ですが、かつて(少なくとも僕が中学の社会科で習った頃までは)英国植民地時代の名残でボンベイと呼ばれていました。発音は似ていますが実はこの2つの表現には全く関係性はなく、ボンベイの方は最初にここにやってきたポルトガル人が、「ここにいい港があるぞ!」=「Bon Bay !」というところから名づけたそうです。そう考えると単純ですよね。
写真左手はムンバイのシンボル、タージマハ-ルホテル。あのタタ財閥が経営するインド一の高級ホテルです。テラスにはものすごい数の鳩がいてたのでどこまで高級感を味わえるものなのか多少疑問ではありますが・・・。
写真右手はインド門。英国ビクトリア女王が初めてインドを訪れた際に、わざわざ上陸用の門を作らせたものだとか。昔の権力者というものは凄いものです。
このインド門の袂からでる船に乗り(9:30)、エレファンタ島に向かいます。写真はもちろん船の上から撮ったものです。 -
船に乗ること1時間、エレファンタ島に到着(10:30)。途中の島にはかなり大規模な石油貯蔵庫がありました。ガイドさんによると、やはり中東からの輸入が圧倒的に多いそうです。
島に到着後、500mほどミニSLで移動。そこからは10分ほど階段を登る。両脇には客引きが激しい露店。日本人的にはもう少しゆっくり見させてもらったほうが実は売れるのでは?という気さえします。ここは階段の下に籠屋さんが降り、階段が嫌な人は籠で運んでもらえます。
で、階段を登って到着したのが写真の洞窟。中にあったのは -
踊るシバ神の像。ヒンドゥー教の世界では、彼の踊り、怒りが災害をもたらし、天地を破壊するとされている。先般のインド洋大津波も、人々の乱れた生活に対してシバ神が怒ったためと言う人すらいるらしい。この像は、よく彫られているけど、特に大きいわけでもないし、写真で何度も見てるし、正直なところ、言うほど感動もなかったです。とはいえ流石は世界遺産、これだけでは終わらなかった。。
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石窟の奥にあったのは、高さ3〜4mを超えようかというシバ神の頭部。写真は・・・、何度か撮り直したんですがこれが限界でした・・。ガイドブックとか絵葉書みてもあまりはっきりしたものはないし、こんなもんなんでしょう。その分、自分の目にしっかり焼きつけてきました。
なかなかの迫力です。実は上の写真のシバ神を見てもわかるように、ここの像のほとんどは最初にここを発見したポルトガル人によって破壊されてしまったのですが、この像は完全な形で残っています。というのも、当初は像の前にもう一枚壁があったからということで、破壊を見越して?というわけではないでしょうが、うまく隠されていたようです。
この像を堪能し、石窟を出ました。エレファンタ島には他に3つの石窟がありますが、あとの3つはいずれも空になっており、昔の面影はありません。あと、エレファンタ島という名前の由来ですが、発見されたときにはメインの石窟の前にelephantの像があったところから名づけられたそうです。これもポルトガル人によって破壊されてしまったようですが・・。
この後、船を待っているときに、物乞いの女の子が我々のところにやってきました。彼女が欲しがったのは、ボールペン。実はこの後インド中いたるところでボールペンをねだられたのですが、一体なぜなのかガイドさんに聞いてみました。
彼曰く、「インド製のボールペンに比べ、日本製は圧倒的に書きやすいが、市販されていない。物乞いは日本人からボールペンを仕入れて、街で金持ちに売る。」とのことです。てことは彼女も立派な貿易商?なわけです。たくましいですな。 -
エレファンタ島よりムンバイへ戻り(14:00)、昼食。 昼食後、20分ほど時間があったので、周囲を散策。露店街を歩いてみました。 ここで歩行者に注目すると、誰も信号なぞ守っちゃいない。片側3車線ずつ(計6車線!)の道路でも、車さえこなけりゃ平気で信号無視。本当に渡りたいところではなかなか信号がなかったりするし。そしてとにかく車のクラクションが至るところで鳴り続けている。あれだけ鳴ったらもはや警告ではないぞ、というレベル。 と思うのだが、ガイドさんによると、ムンバイはそれでも信号が多く、交通事故の少ない街だそうです。 その後、街の中をバスで走ります。この街の中心部にはイギリス植民地時代に作られたビクトリア様式のきれいな建物が数多くあります。中には本場の物よりレベルが高いのではないかと思われるものすらあります。写真は裁判所の建物です。
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そして、そのビクトリア様式の建物の頂点に立つのが、写真のチャトラパティ・シバージ・ターミナル駅。現役の駅舎にして、世界遺産にも登録されています。バスはここの駅前に5分以上止められないということで、残念ながら内部をみることはできませんでしたが、大変美しい建物でした。
また、駅の向かいには同じくビクトリア様式の市庁舎が建っています。インドにいるということを忘れてしまいそうな一角です。 -
その後、写真のガンジーの生家に立ち寄り、空港へ向かいます。
この日はイスラム教徒の大きな祭日にあたるため国全体が祝日となっており、道路も空いてるほうだということでしたが、それでもかなり交通量は多かったです。
ここで気づいたことがいくつかあります。
まず、車窓から見えた通勤電車。ドアが開いたまま走ってるんですよね、これ。しかも、お客さんはみなすれすれのところに立ってます。朝はやはりラッシュになるということなので、通勤も命がけですな・・。
次に、バスが渋滞に巻き込まれたとき、うまく車列に割り込んだんだけども、このとき、バスの運転手が隣の車にチップを渡してました。合理的といえば合理的なんだけども、初めて見る光景だったので驚きました。
そして、スラム街。郊外の幹線道路脇、空港そばなどは、かなり大規模なスラム街となっています。ガイドさんによると、インドは裕福になってきつつあるとはいえ、人口の半分はスラム暮らしということで、なかなか難しいものだなあと思います。飛行機から見ても、街の夜景の中に海かと思うくらい暗い一角があちこちにあって、ほとんどがスラムではないかと思いました。
さて、ムンバイ(18:25発)から次の目的地、オーランガバードへは国内線の飛行機で移動です。この飛行機のセキュリティチェックはすさまじかったです。電池、ライターは持ち込み禁止。持ち込みの荷物はスーパーのビニール袋であってもタグをつけさせられ、これも2回チェックを受けて、スタンプを押してもらわないと持ち込めない、ということで、大変でした。飛行機はプロペラ機でしたが、昨日のエアインディアのジャンボに比べるとかなりきれいでした。ちなみにスチュワーデスさんもかなりきれいでした(^^; 1時間のフライトながら、飲み物は出るわ、きっちりした夕食は出るわでいたれりつくせりのフライトでした。
そして、オーランガバード着(19:25)。「○○バード」というのは、イスラム圏では「○○が造った街」という意味であり、この街もムガール帝国末期の1750年頃に、オーランガゼーブという王様がつくったもの。
ホテル(アンバサダー・アジャンタ)につき、夕食。相変わらず、辛いんです。。おいしいんだけどね。これでもインド人の感覚からすればかなり抑えているとのことなんですが。。
今日のホテルも、なかなか豪華。そして庭では、イスラム教徒がかなり豪華な結婚式をしてました。ガイドさんによると、イスラム教の金持ちは、ありとあらゆる人を招いて、一晩中大騒ぎするような結婚式をするとのこと。時には通行人すら招かれることもあると聞いたのでそれとなく庭の入り口をウロウロしてみましたが、お声はかかりませんでした(涙)。
で、夜に部屋でデジカメを充電しようとしたところ、なかなかうまくいきません。最初はカメラが悪いのかなあと思ったんですが、壊れていたのはコンセントでした。流石インド。テレビのコンセントを抜いて、充電器つないだらうまく行きましたわ。 -
旅行3日目
夜は結構冷え込んで、寒くて目が覚める。毛布を一枚増やすようにお願いしたメモを残してでかけました。
今日は今回の旅行でもっとも楽しみにしていた目的地、エローラへ。今日ついたガイドさんは日本語ペラペラ。真偽は定かではないがムンバイの日本語学校で3ヶ月でマスターしたとか。。
オーランガバードからエローラまでは35km、1時間の道のり。走っているのは高速道路だけども、分離帯もなければ街灯もない。道路沿いの木の根元を紅白に塗ることでヘッドライトを反射させ、高速道路としての安全性を確保しているのだそうだ。
写真は途中で写真撮影のためにとまったダウダラーバード砦。小高い丘の上に白い建物(=砦)が建っていて、ふもとにはイスラム建築の象徴、ミナレットがある。珍しい風景だとは思うけど、だからどう、ってわけではないねぇ。。 -
そしてさらにバスに揺られること30分。エローラに到着(10:00)。やはり物売りがすごい。添乗員さん曰く「BGMですから。」なるほど(^^; ちなみに、私、ヨーロッパを旅行してる時からなんですが、物売りはあまり寄り付いてこないんです。今回も他の人に比べると圧倒的に寄り付かれなかった。変なオーラでも出てるのか??
メインディッシュの第16窟は後に回し、まずは石窟群の東側、第10窟、第12窟の仏教窟を見る。外から見ると写真のような感じで洞窟が並んでいる。 -
第12窟の中にある仏像。写真からどこまで判別してもらえるかわかりませんが、地面と仏像との間に継ぎ目は全くありません。大きな岩の塊を外から彫りぬいて空洞を作り、さらに壁を掘りぬいて仏像を浮かび上がらせているわけです。とんでもない労力ですね。天井にもきめ細かな仏教彫刻があります。
ちなみに、この第12窟、2階にはたくさんのコウモリが住んでいます。3階には何人かの物乞いも住んでいます(苦笑)。当然石の上なので、じっとしてると余計しんどいと思うんだけどなあ。 -
いよいよ第16窟、カイラーサナータ寺院へと向かいます。
背中がぞくぞくしてきます。
この辺から見ると岩山を上からくりぬいた感じがよくわかると思います。 -
中にあるシバとパールバティ夫妻の彫刻。建物の大きさに圧倒されてしまいますが、中はこんな細かい彫刻がぎっしりです。建物というより、彫刻の集合体という感じですね。とにかく写真をとりまくりました。
ちなみに「カイラーサナータ」とは、シバ神が住むとされるカイラス山(ヒマラヤに実際にあります)をモチーフにしているところから由来します。 -
中(右手前側)に建っている塔。
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正面左手から見た感じ。
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正面から寺院が一望できる一角。信仰の力がどれだけ偉大なもんか、思い知らされます。
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辺縁部も彫りぬかれていて、寺院のまわりを回廊できるようになっています。裏手から見るとこんな感じ。写真ではなかなか全てが伝わってこないのが残念でなりません。
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そして斜め上から見るとこんな感じ。まわりは遊歩道になっています。
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さらに遊歩道を進んだとこから見るとこんな感じ。全部で2時間弱かけてじっくり見させてもらいました。本当にすごいです!!
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カイラーサナータ寺院を堪能し、今度は第32窟、ジャイナ教寺院へ向かいます。
が、これはどう考えても見る順番が悪い。普段なら、「おおっ!」となる建物なんでしょうが、あれだけのものを見たあとでは、何を見ても・・・、って感じですね。
ジャイナ教徒は、「肉・魚・卵は食べない」らしいです。ガイドさんによると、彼らは皆金持ちで、裕福な暮らしをしているとのことですが、食費がかからないだけじゃないかなあ・・。 -
エローラを堪能した後(12:15)、オーランガバードに戻り、ホテルで昼食(13:15)。昼食後、少し時間があったので、街を歩いてみる。バイク等から意味もなく手を振ってくる人が多いです。そしてリクシャーが止まっていると必ず営業活動されます。300Mほど歩いたところで、明らかに物乞いとわかる子どもの集団に出くわしたので引き返しましたが(^^;
インドの物乞いは、ヨーロッパと違って堂々としている人が多いです。抜け出してくてもカーストの縛りで絶対に抜け出せないということもあるでしょうが。子どもに至っては笑顔も結構見れます。どっちかというと物売りの方が悲壮感が漂ってます・・。
あと、これはガイドさんに聞いた話ですが、街でかなり多く見かける写真のリクシャーは、大体15万円くらいで手に入るものらしいです。沖縄とかでリクシャーの会社立ち上げたらはやりそうな気もします。初期投資安いし。
それから、ムンバイで4人家族が暮らそうとすると、1ヶ月あたり、4〜5万円が最低でも必要とのことです。やはりムンバイでそれなりの生活を送ろうとするとべらぼうに安上がり、というわけにはいかないそうです。 -
昼食&一服後、暇つぶし程度のオーランガバード市内観光。まず向かったのはオーランガバード石窟寺院群。はっきり言って前日のエレファンタ島、今日のエローラと見た後に見る必要なし。客も日本人しかいないし。こんなもん見せるくらいならエローラでもうちょいゆっくりさせてくれ(T T)と正直思った。ただ、石窟群は高台にあるので、ここから眺めるデカン高原の眺めが素晴らしい!ということで写真に収めました。
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オーランガバード市内観光、最後は写真の建物へ。
「えっ?!」と思った人も多いはず。でも、タージマハ-ルではありません。写真の建物は、ピーピーカ・マクバラ-といいます。
オーランガバードの街を造ったのは、ムガル帝国の第6代皇帝、オーランガゼーブ候。彼の父のムガル帝国第6代皇帝は、あのタージマハ-ルを造ったシャー・ジャハーン。この建物は、オーランガゼーブの奥さんのお墓。つまり、彼は父と同じことをしようとたくらんだわけです。ただ、悲しきかな、タージマハ-ル建造で国の財政は火の車。これくらいのものをつくるのが精一杯だったとか。
だからとはいうわけではありませんが、このピーピーカ・マクバラ-は「貧者のタージマハ-ル」とも呼ばれています。これは、西インド、南インドからタージマハ-ルのあるアグラまで出かけるのは大変遠いため、貧しい人々はここを見て我慢するからだそうです。
内部は、地下にお墓がある構造となっています。入っていきなり大した柵もなく、大穴があいているので、不注意で転落する観光客がいても不思議じゃないのでは?と思いますが。
Part2へ続きます。
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エローラ(インド) の旅行記
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旅行記グループ 2005年1月 インド旅行記
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