2002/12/26 - 2002/01/03
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dana7さん
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年末年始イタリア周遊の旅。この日は1月1日の新年のため、どこも閉まっている。唯一開いていたのがこのポンペイのオプショナルツアーだった。
ローマからバスに揺られて数時間。ナポリ経由でポンペイへ。西暦79年の夏、ヴェスビオ火山の大噴火で、一瞬のうちに滅亡した都市・ポンペイの遺跡を見学した。
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「ナポリを見て死ね」と言われるほど風光明媚な土地としても知られる、人口約100万人の都市。
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ナポリは、ギリシャ語で「新しい町(ネアポリス)」という意味で、紀元前6世紀古代ギリシア人の植民地としてスタートした。
それにしてもナポリ湾は美しい。 -
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穏やかなナポリ湾。右端はカプリ島が見える。
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西暦79年夏、ヴェスビオ火山が大噴火を起こした。その時の火砕サージ(火山斜面に沿う高速の流れで、超高温の火山礫や火山灰を主体とする)の直撃を受け、一瞬のうちに埋もれてしまった街、ポンペイ。それまでのポンペイは紀元前8世紀頃から商業活動の要所として栄え、噴火直前には人口約2万5千人だったと推定される。
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18世紀半ばに発掘が行われるまで、厚い火山灰で覆われていた遺跡は、その直前まで人々が生活を営んでいた気配をそのまま残している。
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円形劇場。いかにも古代ローマの香りのする遺跡
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円形劇場のすり鉢上の周囲は、観客席になっている(写真は座席の骨組み)
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柱廊に囲まれたアポロ神殿。中央にある白い台は供え物を置いた祭壇。
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石畳でキレイに舗装された道路。中央は馬車などが通る道路、両端は歩道。2000年前にこれを作ったとは信じられない。
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ここから先は馬車を乗り入れられないように、道路中央に輪留めのような石の柱がある。
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輪留めのアップ(手前)
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古代の水場。この時代(西暦79年)で上下水道まであるなんて信じられますか?
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美しいモザイクで飾った床の邸宅。中央に水槽が見える。
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居酒屋。カウンターでお酒などを売っていた。
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石で舗装された道もきれいに残っている。
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大浴場跡。スチーム風呂や水風呂など数種類の風呂があった。
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浴場跡の床下。ここの上に床板をのせ、下に熱いスチームを通して、床暖房になっていたそうだ。
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パン屋のかまど。
パン職人がここでパンを焼いていたのだ。 -
当時の居酒屋。カウンターの穴には、ワインや温かい食べ物を入れていたらしい。
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ふっと、古代ポンペイ人が横切っていきそうな路地。
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アッボンダンツァ通り。両側には商店が立ち並んでいたポンペイの繁華街。
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これは横断歩道。雨水などがたまって道路が冠水した場合にも、この飛び石で道路を渡ることができる。
馬車はこの石と石の間を通り抜けるため、この石と石の間には、馬車の轍の跡も残っている。 -
公共広場(フォロ Foro)。政治、経済、宗教の中心地だった。
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バシリカ
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大理石とモザイクで飾られた美しい水槽が有名な豪邸。
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大理石とモザイクで飾られた、美しい水槽が有名な豪邸。
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当時の選挙ポスター。結構色がしっかり残っている。
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次はローマ・バチカン編へと続きます。
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