2005/12/20 - 2005/12/21
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night-train298さん
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教会のすぐ横の道を入ると通称「どろぼう市」に出た。昔からここで市があり、ゴミに近いものまで売っている。
ここで並べてあるものに興味があまりないので、ちらちらっと目をやると、深い緑色のホタテ貝の皿が気になった。
まだ旅の第一日目。なのに禁断の陶器につい手が出てしまった。(これは後にセビリアのパキの家の石鹸皿になっている)
今度は気の弛みつでに、新しい陶器を売る店に近付いた。
私は陶器に弱い。オリーブが描かれた小さい鉢を手にとり、気が付いたらお金を払っていた。
まぁ小さいのにしたんだからいいか!
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市を眺めながら通称「パンテオン」、サンタ・エングラシア教会に入る。
今はここも入場料を取る。
中はガランとしているが、以前ここに入ると、どこからともなく人が来て、案内してくれたのを思い出した。
今日はドームに登ってみよう。
まずは建物のドームの内側を一周してみる。
自分がおそろしく高所恐怖症であることを自覚。一周するのにけっこうスリルがあったりする。
そして今度は外に出てみる。
そこはまるでテージョ川を眺めるためのバルコニーのように景色を独り占めすることができる。
その美しさ。満々とたたえる水量。キラキラ光る水面。ただきれいなばかりではなく、ここから大航海時代には、船出した場所である。ロマンだなぁ〜。
眩しくて目をほそめる。本当に気が休まる場所ってそうそうない。リスボンにはそんな場所がたくさんある。
一周すると、今歩いてきた泥棒市も見えた。 -
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この後は一度中心に戻り、インフォメーションに行くことにした。
今後の計画をたてるため、情報を得ておく必要があったからだ。
旅行に出る前から、私は予定を立てることが出来ないでいた。
おおざっぱに、リスボンからスペインへ向かい、夏に歩き残した38kmを歩いて、11年前に訪れた田舎に行き、セビリアのパキの家に行き、最後はマドリードから出るということだけだったから、
どんな風にも自由に予定を立てることができるのだが、そこで立ちはだかるのはクリスマス休暇。24,25,26日と、交通がストップする可能性がある。(24日までは午前中まで動いていたりするが)
下手すると、田舎の安ホテルは休暇かもしれないし、友人の家で過ごすのも遠慮してしまう。
そのあたりのことを考慮すると、動けなくなるまでにあと3日。どこに行くにも半端なのであった。
以前にも行ったことがあるが、エヴォラ辺りを経由して行こうか、一気にマルヴァオンというスペイン国境に近い村に行こうか。
バスの時刻表をもらい、考えていた。インフォメーションのおばさんが言うには、マルヴァオンに近い町までリスボンから直行バスがあるので、そこに行ったらどうかと言う。
もしかしたら、早めに駒を進めておいた方がいいのかもしれない。 -
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ロッシオ広場にある携帯電話会社に行ってみることにした。
前回携帯電話の代金を見て、週末に韓国旅行に行けるほどの値段だった請求書を見て以来、使わない方針でいた。それでも緊急用に持ってきてはいるけど、電源も入れていない。
まず、この電話のカードを替えれば使えるのだろうか?
お店の人も半信半疑で実験してみたが、やはり作動しなかった。
ならば現地の携帯を買おうと思った。
値段は一万円くらいからある。しかし、今後スペインで使うなら、電話代がポルトガル経由になるため、割高になることがわかった。
日本へローミングすることを考えれば、ずっと得だと思うが、かけてくる友人にも迷惑がかかると思うと、スペインに入ってから買った方がいいと思った。 -
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さて、こんどは反対側の丘に登ろう。
レスタウラドレスから急坂をのぼる。隣にはケーブルカーがある。以前は当然のようにケーブルカーに乗っていたが、坂道特訓のチャンス!ところがこの坂は特に長かった。(グロリア線)
バイロ・アルトと呼ばれる、夜にはファドを聞かせる店があったり、レストランやカフェの多い地域を通り、カモンエス広場までそぞろ歩く。
このあたりで一人でも気軽に入れて、おいしそうなレストランを探す。
最近はスペインばかりに行っているから、ちょっと勝手が違うので緊張ぎみ。
近くで食べている人が、理想通り干鱈の煮物食べている。同じものをオーダーしたい。
メニューをよく見もしないで直感で頼むと、大きな牛肉のステーキが出てきた!
あ〜っ、あまりにイメージと違う!
ちゃんと聞けばよかった。せめて文字を読めば推理もできたはず。値段が一番高いものを選んでしまったのだった。
失意のまま、それを食べる。大量だったが夕べから食事らしいものを口にしていなかったため、全部きっちり食べた。 -
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サン・ロッケ教会に入る。
ここにも何回も来ている。なぜかというと、興味がある天正遣欧使節が立ち寄った地だからだ。(ここの付属美術館には美しい展示物も見ることができる)
中に入ると、隅々まで重厚さ、歴史の重みをじわっと感じる。形はシンプルな箱形なのに、薄暗い屋内は、テンペラ画のかすかな輝きに光が当たり、温かみがあった。
このあたりを歩いていると、カフェ・ブラジレイラの近く住んでいた友人のことが頭に浮かんだ。
もう最後に訪れて以来、音信不通となっていた。住所を持ってくればよかった。 -
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歩きながら考えた。リスボンを明日立とう。
朝一番かお昼すぎに。
そう決めたからには、最後の仕上げをしなくてはならない。
今日中に行きたいところは全ていっておこう。
さて、そうなると後はどうするか・・・・・。
対岸の町へ行ってもいいし、グルベンキャンや国立古美術館に行くのもいい。
しかしここはやはり、ジュロニモス修道院に行ってご挨拶しておこうか・・・。
一度中心に戻れば良かったのに、近道しようとして、そこから一気にテージョ川方向におりて川沿いに歩いて行った。確か当時15番の市電に乗った記憶があるから、どこかでそれに乗れるだろういう考えだったが、甘かった。
バス停もなく、川沿いに走る列車の駅も間隔が長い。
『4月25日橋』まで歩いて地図を見ると、まだけっこうある。
そのあたりで列車に乗ることにした。
しかし、反対方向へ行ってみたり、急行に乗ってベレンで降りられなかったりして、時間をかけてやっとたどりついた。 -
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発見のモニュメントと、遠くにベレンの塔
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ジュロニモス修道院は、クリスマスが近いためか、テレビ中継のためのカメラが入っていて、一部しか見学ができなかった。
ヴァスコ・ダ・ガマの墓にお参りする。私は勝手に、彼とコロンブスは旅の神様だと決めているから、これからも旅ができますようにお願いしておいた。
帰りがてら、発見のモニュメントまで歩く。そこからベレンの塔を眺め、リスボン観光の一日をしめくくる。 -
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帰りはバスで戻ってきたが、一度ホテルで一息ついて、外に出る。
昨日タクシーで見たリベルダーデ大通りのライトがきれいだったから。そして先ほどバスで通ってきたバイシャ地区のイルミネーションが素晴らしかったからだ。
このときは相当疲れていて、そのまま眠ってしまいたかったのだが、夜は今日が最後である。
バイシャ地区は、一つ一つ通りによって、違う種類のライトが飾られ、それは綺麗なのであった。
ロンドンやパリのような洗練されたものではなかったけど、ポルトガルらしいセンチメンタルな思いのこもった照明なのだった。
写真を写しながら進んでいくと、コメルシオ広場にある巨大な光のツリーにたどり着く。
これはどこの先進国でもみたことのないような、光と音の仕掛けがあって、見ていて飽きなかったが、じっとしていたら凍りつきそうだった。
もう一度ロッシオまで戻ってきて、今度はリベルダーデ大通りへ。
このライトは地味でありながらも、提灯のようなイメージがあるせいか、景色と違和感がない。幻想的でさえある。 -
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コメルシオ広場の巨大なツリー。色が変わっていく・・・
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サン・ジュスタのエレベーター
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リベルダーデ大通りのライト
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ここでインターネットができます
12月21日 リスボンからカステロ・ヴィデへ
いろいろ考えた結果、少しでも早く駒を進めようと、マルヴァオンの近くのカステロ・ヴィデへ今日は行くことにした。
マルヴァオンに行くなら、ここに行くのが便利だと、インフォメーションのおばさんに勧められたからだ。
マルヴァオンは以前国鉄で降りた駅でありながら、その近くに素晴らしい場所があるのを知らずに、後で本で知って後悔した場所である。
今回はそのお隣のスペイン国境の村に行くことにしていたから、ぜひとも訪れてみたかった。
カストロ・ヴィデまではリスボンから直行バスがあり、15:00に出れば19:20に現地に着く。
お昼過ぎまではリスボンでフラフラしよう。
きのう行ったサイバーカフェへ。
メールを見ると、フェルナンドからきているではないか。
フェルナンドは、フランスの道で一緒に歩いた仲間で、メールの交換が続いていたが、あれ以来会っていなかった。
ここ一年はアイルランドに行っていて、二週間前にスペインに帰ってきたばかりだった。
一応今回スペインに行くことはメールに書いておいたのだった。
内容は、会いに行きたいけど、家族が病気なので難しいだろうということ。もし事情が変われば連絡したいので、携帯の番号を教えてほしいというものだった。
返事に、携帯は使っていないので、こちらから近いうちに電話すること、また、パキに連絡するようにと、短い返事を出しておいた。
今回は、歩き残した38km歩くことと、友人との再会。
アンダルシアではパキに会い、もしかしたら、マラガのマリアが来てくれるかもしれないということ。マドリッドではイワンとホワンペ。イサベルにも会えるかも知れない。
これらは私がサンティアゴへの道で出会った大切な友達である。 -
さて、今日は残りの時間をどうしようか・・・。
リベルダーデ大通りをポンバル公爵広場へ向かって上っていくことにした。
先に触れた1755年の地震で壊滅的になったリスボンの街を、近代的都市計画で一新したのがポンバル公爵であり、シャンゼリゼ通りを思わせるこの大通りを作ったのも彼である。
私は最初、このリスボンに来た時に、この通りの美しさ、名前に惹かれたものだった。
しかし車の量が多く、せっかくの緑地帯もかすむほどで、通りに素敵なお店もなく、足早に目的地を目指した。
目的地といっても、うろ覚えである。
何しろ15年以上前に泊まったホテルを探しているんだから。
最初の三回はそのホテルを利用した。理由はたぶん安かったからだろう。
そのホテルに泊まって隣の中華でご飯を食べていた頃、ザンビア(元ポルトガル領)出身の中国系ポルトガル人の女性と親しくなり、今も文通をしている。
その彼女はずいぶん前にリスボンを離れ、ずっとドイツで暮らしているから、彼女にレストランの写真を見せたかったということもあった。
しかし、記憶というのはいい加減なもので、おそらく老夫婦が営んでいたそのホテルは今はもうないのかもしれなかったが、とうとうみつけることはできなかった。
しかしその近所の風景は馴染みがあったので、下町らしい小さな通りを抜けながら、元に戻ることにした。 -
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途中庶民的なレストランがあり、今日こそは干鱈を食べようと、店の前でメニューをチェック。
バカリャオ・コン・ナタ。バカリャオというのが鱈のこと、ナタは生クリーム。昨日食べたかったものとは違うけど、スペインでは食べられない一品だから、ここで食べていくことにしよう。
ポルトガルはスペインと違ってコースメニューがない。アラカルトになる。
店のおじさんは、大歓迎をしてくれ、あれこれ世話を焼いてくれる。
スープもおいしそうなので注文。黙っていてもパンとチーズが出てくる。
飲み物はビール。
実はスープだけでかなりお腹一杯になってしまっていた。
そこにこんがり大量のオリーブオイルで焼いた、バカリャオ・コン・ナタが登場。厚さと大きさから言ったら4人前?ポテトも入っていてボリューム満点。
お店のおじさんの熱い視線の中、どのくらい私は食べたら許してもらえるのだろうか・・・。
おじさんはテーブルの隣を通るたびに、パンやチーズもお食べと指を指す。
あ〜〜〜っ!プレッシャーだ〜〜〜!
私はどちらかと言えば日本では大食いの方である。そんな私でも根を上げるほど厳しい。
とりあえずもう一本ビールを飲めば、食も進むかもしれない。
小瓶を追加してもう一度挑戦。
どうにか半分食べて、おいしいんだけど・・・と言い訳しまくって、許してもらう。
実際味は良かったし、お持ち帰りしたいくらいだったけど、そのときは苦痛でしかなかった。 -
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ゆっくり戻ってくる途中に、中華の食材を売っている店を発見。
何故か足は店内へ。
まだ生クリームの味が生々しいというのに、またいつのまにかカップヌードルの棚の前で商品を手に取っては戻す。
もうこれを買うしかない。
追いつめられていた私は、1.5ユーロを握りしめ、レジの前に立っていた・・・・・。
ホテルで荷物を受け取りバス乗り場へ。
いよいよリスボンとお別れだった。 -
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この旅行記へのコメント (10)
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- kioさん 2006/03/28 00:13:28
- こんばんわ〜
- 今宵はポルトガル・リスボン編を懐かしく見せて頂きました。
私が訪れた頃のスペインは首絞め強盗などという面妖な輩も
存在せず、治安も良く落ち着いた印象があったのですが
ポルトガルに渡るとスペイン以上に更に落ち着きを感じたものでした。
nightさんの画像を観ても落ち着いた街の佇まいを充分に感じさせますよん
旧市街のアルファマ地区をあてもなく彷徨っていると
狭い道をすれ違いざまに妙齢のポルトガル女性から
「アナタ ドコ ノ フネ?」と奇妙な日本語で
尋ねられたものでした。こ〜ゆ〜話にはすぐにピンとくる
私は(爆) リスボンが港町なんだな〜〜と云う事を
ふか〜〜く感じ入った次第であります。
- night-train298さん からの返信 2006/04/02 17:27:04
- kioさん、おひさしぶりです!
スペインの・・・マドリードの治安は今も悪いようですね。
そのせいか、私はマドリードだけはいつも避けていたのですが、今回の旅で連泊という初めての経験をしました。
建物はゴージャスだし、圧倒されることも多いのですが、私が愛してやまないスペインの一部であるはずなのに、やっぱりなんだか落ち着かない。
同じ大都市でも、バルセロナは大好きなんですけどね。
そしてしっかり最終日にラストロでスリに遭いました!
そしてリスボン〜。ほんと、ここに来るとほっとします。
とてもとても心地の良い風が吹き、テージョ川が広々と迎えてくれる。
心から安らぐ場所ですね。
ポルトガルもあちこち行きましたが、私はリスボンが特別に好きですね。
あ〜っ、帰ってきたーって。
開放感があります。西の果ての港町だからでしょうか。
アルファマも、変わっていませんでしたよ。
サンジョルジョ城の入り口に入場券を買わないと入れないような門があったのはちょっと寂しかったなぁ。
貴重な遺産を守るため仕方ないけど、一日に二回づつくらい登りたいと思っても、節約しちゃうだろうなぁ。
「アナタ ドコ ノ フネ?」
はいはい!港町なんですものね。
さすがに私にはない体験です。
ところでkioさん、私はまた行ってきます!!!
そのときは、ちゃんとkioさんの掲示板にご挨拶してから行きますので!!
(6月初め)
- kioさん からの返信 2006/04/02 23:52:19
- RE: kioさん、おひさしぶりです!
- >そしてリスボン〜。ほんと、ここに来るとほっとします。
とてもとても心地の良い風が吹き、テージョ川が広々と迎えてくれる。
心から安らぐ場所ですね。
ポルトガルもあちこち行きましたが、私はリスボンが特別に好きですね。
(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン 確かに、、
人々の目線がギラギラしていない感じありますよね
国民性もちょいよシャイな感じ?
今はだいぶ変わったのかなあ〜(・_・?)ハテ
今は<深夜特急>の影響や、様々なメディアに紹介された所為で
ユーラシア大陸の最西端のロッカ岬まで足を運ぶ人が多いみたいですね
でも400年以上前にキリシタン大名の名代として
天正遣欧少年使節がポルトガルを訪れていると云う事に心底、驚く
14〜5歳の少年達が観た欧州、、、日本から彼の地まで辿りつくまでの
苦難に思いを寄せるともうひたすらに驚愕モノですよね。
nightさん 今度は何処にいくんだろ〜〜??
- night-train298さん からの返信 2006/04/03 21:48:09
- 天正少年使節
- あら〜っ?kioさんと以前に天正少年使節のお話を以前にしましたっけ?
私その話が大好きなんですよ。
その道を辿って、ポルトガルを旅行したこともあるんです。
当時の日本人が西洋と出会い、そして時代に翻弄された数奇な人生にとても興味があるのです。
西洋人も日本人を見て、驚いたでしょうね。
そうそう、ちょっとシャイですよね。(スペイン人にはシャイって言葉は通じないと思うけど!)
でも今回旅行していて、ポルトガル人て変なヤツだぁ〜っていう発見がありました。
けっこうあのシャイで大人しそうな顔して、いろいろやってくれるんですよ〜。
やっぱりラテンの一味だぁ〜!
そうそう、最近のガイドブックによると、リスボンは以前のように治安が良くないのですって。
でも、私はあの明るく猥雑としたアルファマで、コワイという気配を感じなかったですね。
だって近所のおばさんたちに助けてもらえそうなんだもの。
私たちのわからないところで、リスボンも変化しているのでしょうけれど、いつも同じ顔で迎えてくれるのが、本当にうれしいです。
kio さんの掲示板に書いておきますが、実は今度の企みは、今までのものとかわり映えしないのですが、自分にとっての転換期として、おおいに意味があるのかと。
- kioさん からの返信 2006/04/03 22:57:59
- 天正少年使節
- >あら〜っ?kioさんと以前に天正少年使節のお話を以前にしましたっけ?
私その話が大好きなんですよ。
その道を辿って、ポルトガルを旅行したこともあるんです。
当時の日本人が西洋と出会い、そして時代に翻弄された数奇な人生にとても興味があるのです。
西洋人も日本人を見て、驚いたでしょうね。
nightさんの旅行記で少し触れていたのを見たような記憶あり?
彼等をサポートしたイエズス会は多感な少年達にこそ欧州を見せて
帰国後の日本国内でのキリスト教布教に役立てようと
目論んだけど、彼等が帰国した時は、時代が変わって豊臣秀吉が
天下統一を果たし、キリスト教は弾圧の対象になっていたんだっけ?
多分?(・_・?)ハテ ちょい前後関係はあやふやです(・・;)
でも帰国後は4人とも大変な不遇を囲うんですよね。
最古の大学コインブラ大学にも彼等は訪れているんじゃなかったけ??
四百数十年前の話・・・・
そうかあ nightさんは彼等の足跡を辿ったことがあるのかあ
旅行記ネタになりますよ これ、、
>最近のガイドブックによると、リスボンは以前のように治安が良くないのですって。でも、私はあの明るく猥雑としたアルファマで、コワイという気配を感じなかったですね。
細い迷路のようなアルファマ地区、細い道を折れると建物と
建物の間から海が見え隠れして風情があって実に良かったなあ、、
ポルトガルでは危険な思いはしませんでした
リスボンで城壁のような高台を登っていくと大砲の砲座が残っている
見晴らしの良いとこにいったけど、あれは何処なんだろ?
孔雀がいたりしたけど、nightさん 何処だか判ります?
- night-train298さん からの返信 2006/04/04 23:50:54
- RE: 天正少年使節
- そうそう、おっしゃる通り。
九州のキリシタン大名(貿易の思惑もあったかな)と、布教を目的としたイエズス会のもくろみ。そして帰国後の宗教で植民地化を恐れた政府の思惑。
8年もかけて往復し、ヨーロッパでは日本の王子としてもてはやされ、彼等も今よりもさらに立派な西洋文化に触れ、誇りを持って生きてきたのに、その価値観がばっさり斬られたんですよね。
コインブラにも行っていましたっけ?
私も行ったことがあるので、そうなのかもしれません。
エヴォラとかエルバスなどを回り、当時有名になっていた若手歌人の林あまりさんを主役とする政府観光局の映画をとっていて、かれらの映画(観光PR用)も、内容は少年使節のあとを追う旅だったので、かれらにも違う場所で" 2〜3度出会ったのでした。
エヴォラだったか、そこの教会で伊東マンショがパイプオルガンを弾いたとかで、あまりさんがそのオルガンを弾く真似をしている姿を撮影していました。
もう15年くらい前になりますが。
今は情報は氾濫し、テレビを見れば生中継で地球の裏側まで見られる状態。
それとは全く違う時代に、彼等が、または地元の人々が彼等をどうとらえたか、その出会いにとても興味があります。
あらっ?
それってサン・ジョルジョ城のことじゃありません?
坂を上って門をくぐり、大砲が丘の下に向かって並べられ、そこからの景色が素晴らしいんです。
テージョ川も、リスボン市内も全部見渡せます。
城跡と行っても、城壁くらいしか残っていなくて、奥に行くと城壁伝いに歩くことができます。
確か以前は動物園もあったはず。(クジャクもいたかも)
市民の憩いの場所という感じで、そんなに人がいつもたくさんいるわけではなく、
夕暮れ時はとてもロマンチックなところです。
フランス同様、ポルトガル人の若者って人前でいちゃつきますよね。
(スペインではみかけないような・・・)
- kioさん からの返信 2006/04/05 22:24:38
- RE: RE: 天正少年使節の400年前の欧州行き
- >今は情報は氾濫し、テレビを見れば生中継で地球の裏側まで見られる状態。
それとは全く違う時代に、彼等が、または地元の人々が彼等をどうとらえたか、その出会いにとても興味があります。
日本人としての誇りと気概を持って彼の地でも
行動していたんでしょう。そういった立ち振る舞いは
言葉通ぜずでも相手には伝わるものです。
彼等に関するポジティブな評価や文献も
随分と残っているらしい。
しか〜し400年以上前に欧州に触れるって
旅の道中も含めて気の遠くなるような
もうとても想像出来ないような話ですよね
- night-train298さん からの返信 2006/04/08 16:14:51
- そうそう
日本人として、正装して当時の西洋人の前に立ったら、きっと立派だったことでしょうね。
立ち振る舞いなんかも今の若者とは違いますよね。(あっ、私も若者だったー!)
最近はすっかり彼等の存在を忘れていたんですけど、時間があったら研究してからでかけたくなりました。
九州の隠れキリシタンの里とか行ってみたいなぁ〜!
- kioさん からの返信 2006/04/08 23:15:34
- RE: 多分 nightさんはご存知かとおもうけど・・・
- セビリア近くにコリア・デル・リオの町があり
そこにスペイン語で日本という意味のハポン姓を持つ
末裔が600人位、居るという話
なんかもう妙にシビレルようないにしえのロマンを
感じるような話ですよね
実際に彼等のルーツが日本人である可能性が高いという傍証として
近辺の稲作方法が、他の地域では一切見られない、日本と全く
同じ方法だと云うこと、ハポン姓の一族から生まれた
赤ん坊にはヨーロッパ人には無い蒙古班があるという事、
400年前に伊達政宗の派遣した慶長遣欧使節団の末裔ではないかと
云われているらしいけど、、、、
慶長遣欧使節団長のような政宗の家臣、支倉常長の評伝記を
最近図書館で借りて読み始めました。
28人のスペインに送り込まれた使節団の中には
政宗の幕府に対する謀反を恐れていた家康の命を受けた
人間がスパイとして二人ほど紛れ込んでいたとか。
もう 実に面白い、、寝しなの最近の愉しみですよん(*^_^*)
- night-train298さん からの返信 2006/04/14 00:25:40
- わぁっ!
はいはい!ハポン性の人が多い、コリア・デル・リオ。
何度か番組で取り上げられていましたが、本では読んだことはありません。
そういう本があったなんて、知らなかったよ〜。
番組で印象的だったのは、(逢阪剛さんがだいぶ前・・・10年くらい前。・・に
出演されたNHKの「わがこころの旅」)の一部にそこも出てくるんです。)
ハポン性の人たちは、目が小さいとか、髪が黒いとか自分達のことを言い、最後には、日本人は勤勉だから、誇りに思っていると言っていたことです。
たしかその町には、支倉常長の像が立っていますよね?!
でも、なぜか最近の私の頭の中では、いろいろなことがごっちゃになっていて、ヒホンにハポンさんがいると思いこんでいたんです。
ヒホンはスペイン北部の町。海に流れ着いた日本人というイメージが、なぜだかわからないけど・・・。(勘違いが多いんです!!!)
ところでコリア・デル・リオって、ほんとにセビリアのすぐ近くなんですね。
いつかきっと行きたいなぁ!
また何かその手の情報(?!)があったら、お聞かせ下さい!
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