2005/07/19 - 2005/07/20
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night-train298さん
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298番のバス
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私は駅に降りた瞬間、鳥肌が立った。
いつか、私が夏休みに日本に帰省した後にロンドンに戻った日、Kathyおばさんが、この駅の入り口で待っていてくれたことを、映像と共に思い出した。
私の飛行機の時間は知らせてあったが、ここに何時に帰ってくるともわからない私を、ずっと立って待っていてくれたのだった。
その場所がそこにぽっかりとあった。
初めてロンドンに来た時、大学から紹介された住まいの三つのうちの一つが、彼女の家だった。 その家を訪ねた時から、感じの良いKathyとなら一緒に住めそうだし、室内の綺麗さ、清潔さなどの条件も良かった。 彼女も私を気に入ってくれたようで、ここに決めるように勧めてくれた。 以来Kathyとは3年間一緒に住むことになった。
普通なら、せいぜい一年で、友達同士でフラットを見つけるところだが、私はKathy以上の同居人はいないと思えるほど、気が合ったし、彼女のそばにいたかった。 いつも押し付けがましくもなく、それでいて見守ってくれた。
日本の家族も、彼女と住んでいることで、おそらく安心感があったに違いない。
彼女は私が起きる前から家を出て、役所で働いていた。
Kathyとの一日のふれあいは、夜の8時のBBCのニュース番組だった。
私はこのニュースの時間になると、居間に降りていく。 そこでは、Kathyのニュースに対するコメントを聞きながら、わからない単語をメモし、教えてもらう。 kathyのコメントは、けっこう辛口だった。
慣れてくると、私はヨガやストレッチをしながら番組を見た。 そのうちKathyも私を真似て、同じように体操を始めた。
一緒にに見たニュースで感動的だったのは、ロンドンに住んですぐに起こった、「ベルリンの壁の崩壊」このニュースには、二人で手を叩いて喜んだ。 Kathyは次第に日本贔屓になってくれ、冬期オリンピックで伊藤みどりが活躍すると、一緒に喜んでくれ、 ウィンブルドンで松岡が活躍するのも応援してくれた。
また、クィーンのフレディ・マーキュリーの追悼コンサートも一緒に鑑賞し、たくさんのイギリス人を中心とするアーティストたちのことを良く知っていることに驚いたりした。
Kathyはアイリッシュだった。 だからなのか緑色の服を身に付けていることが多かった。
毎週日曜日には、カトリック教会へでかけていた。
私には、
「信心深いわけではなくて、そこに集まる友達に会いに行くのよ。」
と言っていた。
また、10年以上前に亡くなったご主人のお墓参りには毎月行っているらしかった。
イギリスでの暮らし、言葉、たくさんのことを教えてくれ、同じ価値観を持った人だった。
卒業をして、別の学校に進む私にとって、この場所から通うのは無理だった。
忙しい学校だから、夜も遅いのだ。
3年間の後、私は学校の近くに引っ越した。 しかし、なかなか気に入った場所には巡り会わず、最初の一年は、4度も引っ越しをした。 -
サウスゲイトの駅
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298のバスがきた!
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4年めの秋だった。近所に住む友人から、Kathyの訃報が入った。
私はその10日くらい前に、彼女に会っていた。元気がないようにみえた。 なぜならば、アイルランドに住む、仲の良かった弟が病気だったから。
Kathyは危篤の弟を見舞いにアイルランドに行った。 そして弟が亡くなったその日の午後、Kathyはその死を受け止めることができなかったのか、心臓発作であっけなく後を追ってしまったのだった。 お葬式は、彼女が通っていた教会で。お墓はその近くのご主人の眠る墓地だった。 私はその時と、日本に帰る直前、その後一度来た時にお墓参りをしたきりで、10年がたってしまった。
Kathyには、イギリスに住む姉妹がいた。 一人はダービーに住む姉のモーラ。彼女とそのご主人のジョージとはメールや葉書をいまだに交換している。 妹のパットはバスで10分くらいの近所に住んでいたから、よく家にも遊びにきていた。 -
サウスゲートの駅を出ると、覚えのある店が立ち並ぶ。 ここから歩いて10分ほどの、かつて私たちが住んでいた家に行ってみた。
前庭は荒れていて、さびれたような感じがした。
隣のKathyの親友のジュンの家をノックすると、別の人が住んでおり、去年スペインに引っ越していったという。今はそこはB&Bなのだそうだ。
また2分ほど行った場所にはやはりKathyの親友のギリシャ人のおばさんティナの家がある。 そちらは近所の人の話では、まだ住んでいるようだったが、誰も出てこなかった。 なんだか10年たって、みかけはそう変わらない通りも、内容がだいぶ変わったのかもしれない。
坂の上のバス停にいると、ナンバー『298』のバスが走ってきた!!!
この番号は、私のハンドルネームなど、いつも付けておく番号である。 シエナッちも、ミカさんも、一緒に喜んでくれる。
私はバスを激写。そんなことする人は他にはいないだろう。
いつも買い物をしていた、大きなスーパーのASDAに行くと、すてきな花がたくさん売られていた。 その中の一つを選び、これからお墓参りに行くことになった。
途中まではバスで行くのだが、降りるべきバス停がどこかわからない。
この辺り?勘で降りてみた。
人の気配のない道の向こう側に、たまたま女性が立っていた。 その女性は、Kathyの妹のパットにそっくりだった。彼女の10年後は想像できないが、もしかしたらパットかもしれないと思った。
立ち姿、顔、スタイル、たばこを吸う姿もそっくりだった。
あなたはパットですか?と聞くと、
「私はパットではないけれど、私の夫はパットと呼ばれているわ。」
声もそっくりだったが別人だった。
そして墓地の場所を聞くと、すぐそばであることがわかった。
もうすぐ隣まできていたのは、Kathyが教えてくれたような気がした。
すんなり墓地もみつかったが、お墓の場所がわからない。
この辺りと目星をつけたところにはない。 以前は迷わずに来れたものも、10年の歳月は長かった。
私は何度も歩き回った。 シエナッちもミカさんも、懸命に墓石を一つ一つ確認してくれている。 ここまで来てお花をあげられないなんて、残念だ。
私はお姉さんのモーラに電話をした。しかし、モーラは歯医者に出かけていて、モーラのダンナであるジョージが電話に出た。 ロンドンに来たことを喜んでくれ、会えないことを残念だと言ってくれた。 ジョージもここ数年お墓には行っていないそうで、だいたいのことを教えてもらったが、 そこをもう一度探してもみつからない。
シエナッちもミカさんも、相変わらず丹念に探してくれている。 何しろ広い墓地なのだ。
しかしなかなかみつからないので、もう一度ジョージに電話をしてみたが、まだモーラは戻っておらず、これ以上二人の大切な時間を使っては申し訳ないと思い、 二人にはベンチに座ってもらって、もう一度だけ、入り口に戻って歩き直すことにした。
私は心の中で 『Kathy,お願いだから教えて』と言いながら歩いていく。
そしてこの辺にあったはず・・・という場所でふと顔を上げ、墓石に目をやると、そこがまさにKathyのお墓だった。
私はここでも鳥肌が立つ思いだった。
私の思い違いで、お墓は彼女のご主人と二人並ぶものではなく、一緒の墓石だった。 見覚えのある墓石だった。
あわててシエナっちとミカさんを呼んだ。二人もびっくりして飛んできてくれた。
良かった!会うことができた!!
私はちゃっかりKathyにこれから歩くスペインの巡礼の無事のお願いまでしてしまった。
去年の巡礼の時、何度も彼女のことを思い出す機会があった。
スペインと同じ、カトリック信者だったからかもしれない。 -
帰りは違う道を通ることにした。 今(テロのため)は地下鉄が走っていないウッド・グリーンまでのバスがここから出ている。 これに乗ってウッド・グリーンからは中華街のあるレスタースクエアーのそばまでバスが走っているのだ。
しかし、この選択は失敗だった。 道が渋滞していたため、中華街に着いたのは2時過ぎになってしまっていた。
それでも、行きたかった店に入る。
店の名前は覚えていなかったが、位置と店のつくりでそこだと思ったのだった。
ここでのお目当ては『ぶよぶよしたもの』だった。 私はこの『ぶよぶよ』をなつかしく思うことがある。他では食べたことがない。
そもそもこの『ぶよぶよ』も、香港出身の友達に紹介してもらったものだった。
あるある!メニューに『ぶよぶよ』が。
正式名は腸粉(CheungFun)という。 白身魚、ホタテ、エビ、肉などが、グルテン状の『ぶよぶよ』した小麦粉のでんぷんに包まれているものだった。
この『ぶよぶよ』をはじめ、何を食べてもおいしい中華街のランチだった。 -
帰りは違う道を通ることにした。 今(テロのため)は地下鉄が走っていないウッド・グリーンまでのバスがここから出ている。 これに乗ってウッド・グリーンからは中華街のあるレスタースクエアーのそばまでバスが走っているのだ。
しかし、この選択は失敗だった。 道が渋滞していたため、中華街に着いたのは2時過ぎになってしまっていた。
それでも、行きたかった店に入る。
店の名前は覚えていなかったが、位置と店のつくりでそこだと思ったのだった。
ここでのお目当ては『ぶよぶよしたもの』だった。 私はこの『ぶよぶよ』をなつかしく思うことがある。他では食べたことがない。
そもそもこの『ぶよぶよ』も、香港出身の友達に紹介してもらったものだった。
あるある!メニューに『ぶよぶよ』が。
正式名は腸粉(CheungFun)という。 白身魚、ホタテ、エビ、肉などが、グルテン状の『ぶよぶよ』した小麦粉のでんぷんに包まれているものだった。
この『ぶよぶよ』をはじめ、何を食べてもおいしい中華街のランチだった。 -
ニールズ・ヤード界隈
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ここで本を探す
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ニールズ・ヤードにも行ってみたが、これ以上買い物もできないので、外から店を見るだけでやめておいた。
あてもなくホルボーン方向に向かって歩いていると、まだロンドンに来て間もない頃の、ある日曜日の午後、あてもなく街を歩き回っていた頃の自分に戻ったような気がした。
しかし、どこへ行っても地下鉄の駅の封鎖があり、参ってしまう。
まだ少し時間があったので、オックスフォード・ストリートまでバスで行き、リージェント・ストリートをぶらぶらしながらピカデリーのエロスの像へ。
すでに二人はおしゃべりをしながら待っていてくれた。 -
そこからネルソン提督の像まで下り、セント・ジェームス・パークをかすめてビッグベンへ。
ウエストミンスターブリッジの向こうに見えていた「ロンドン・アイ」へ行ってみた。 これは、ミレニアムの年にできた大観覧車だ。 ちょうど夕暮れ時、これに乗って空からロンドンを眺めることにした。
一つのカプセルの中に何人乗れるのだろうか。 私たちのカプセルには10人程度の人がいた。
大観覧車はゆっくりゆっくり時間をかけて一周する。
床の一部も透けて見えるから、高所恐怖症の私はコワゴワだったが、だんだん慣れてきた。
夕暮れのピンクに染まるハウス・オブ・パーラメント、バッキンガム宮殿、タワー・オブ・ロンドン・・・。 テムズ沿いの風景が見渡すことができる。
考えてみれば、あまり高層ビルがないロンドンでは見慣れない景色だった。
たった二日の滞在だが、最後の夜を飾るにふさわしいイベントだった。 -
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観覧車を降りてウエストミンスター駅から、オールド・ゲート・イーストに向かう。
あまり観光客の行く場所ではない。 この地域は、ロンドンの東にあたり、かつては環境の良くない地域だったが、日曜にはブリック・レーンの市が立つ、活気のある通 りである。
そのブリック・レーン沿いには最近おしゃれなギャラリーがあったり、ビール工場跡がパブになっていたりする。
元々はインド人街であり、今もインド系の雑貨、食品を売る店、そしてインディアン・レストランが軒を連ねる。 インドと言っても、イスラム圏のインド系の国であるので、コーランが聞こえる地域である。 -
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私はここにかつて二か月ほど住んでいた。友人が交換留学中の期間のみ、部屋を使わせてもらっていたのだった。 その彼も今は有名なデザイナーになって活躍している。
その頃は、一部のおしゃれな人が来るような、レアな場所だったが、今はすっかりロンドン市民に認められる通 りとなっている。
そのおかげで、インディアンレストランが繁盛し、以前はいなかった客引きが多い。
その中で、私がお気に入りだった一軒にいってみる。 その店は裏通りにあり、小さな店で、地元のインド系の人しか来ないような店だった。
私はここにどれだけの人を連れてきただろうか。 多いときは小さいこの店がいっぱいになるほどの友達を連れてきたこともあった。
みんな一度くると、リピーターになるような、後を引く味のおいしい店だった。
しかし、今回見つけたものの、内装がきれいになってしまって、かえってオシャレじゃなくなっていた。 また、店主も替わっており、カレーの味も変わっていた。
ただ、相変わらず、地元の人向けの味で、かなり辛かった。
この道をさらに行き、大きな通 りに出る手前に、昔からあるベーグル屋さんがある。 いまだにニ軒並んで健在であった。
ここのベーグルはとてもおいしいし、チーズケーキはやみつきになる味。パンもよく買った。
インド人街以前のこの町は、ユダヤ人街だったのである。 私はこの町が好きだった。
Kathyは、この町に住んでいた時のみ、顔をしかめたが、私にとってはフレンドリーな町だったのだ。
誰もが顔見知りになると挨拶してくれ、なかなか家にたどりつけないほど、寄り道をしたものだった。
そして大通りからバスに乗ってサウスケンジントンの方に戻る。
このバスは、街の中心を通る。 オックスフォードストリートをまっすぐ通るのだ。もう一度乗り換えて今日の長いすてきな一日は、幕を閉じた。 -
このインペリアル・ホテル(!)には、朝食がつく。バイキング方式で、一応フル・ブレックファーストが食べられるようになっている。
ヨーグルトもたっぷりあり、ここに好きなトッピングをしたり、ハッシュド・ポテトやベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグなど。
インペリアル・カレッジの学食でそれを食べる仕組みになっている。
そこには、学者風の人、年配のおばさん、若者たちと幅広い人たちがいた。
私たちは滞在した二日のあいだ、朝食タイムを長くとって、おしゃべりを楽しんだ。 -
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このインペリアル・ホテル(!)には、朝食がつく。バイキング方式で、一応フル・ブレックファーストが食べられるようになっている。
ヨーグルトもたっぷりあり、ここに好きなトッピングをしたり、ハッシュド・ポテトやベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグなど。
インペリアル・カレッジの学食でそれを食べる仕組みになっている。
そこには、学者風の人、年配のおばさん、若者たちと幅広い人たちがいた。
私たちは滞在した二日のあいだ、朝食タイムを長くとって、おしゃべりを楽しんだ。 -
今日も私の好きなところへ行っていいそうである。 それならば、ここから近い、私が最後の一年間住んでいた場所を散歩してみよう。
その界隈は、ロンドンの下町と、スノッブな雰囲気が交わる交差点のような場所にあった。 まずは下町の雰囲気の、フラム・ブロードウエイ駅へ。
ここでのお目当ては、朝市だった。かつて活気のあるここの朝市が、大好きだった。 たくさん果物を買ったものだった。
しかしこの日はあまり賑やかではなかった。 シエナッちはここでお買い物!ご主人へのお土産の靴を買う。サイズがわからないので、 代わりにシエナッちが履いてみて、サイズを予測するのだが・・・・・・! -
そしてチェルシー方向へ歩く。
すぐにここが大きく変ぼうしていることに気が付いた。
チェルシー・フットボールクラブのミニ開発の町のようになってしまった。
さびれていたフットボールスタジアムも立派になり、その裏にあった私が住んでいたフラットはもしかすると取り壊されたのではないか?とコワゴワ進んでいくと、その建物は以前と全く同じ形で建っていた。
相変わらず学生が住んでいるのだろうか?
フットボールスタジアムの位置は変わらないから、フラットの部屋から試合が見れるに違いない。 -
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その数軒隣にあるパブに入った。
ここはフラットシェアーしていた仲間と何度か来た店だった。
ここには最後の一年間住んでいた。
一階から五階までが同じ学校の学生が住んでいたから、知り合いがたくさんいた。同じフラットをシェアしていたのは、スペイン人のエドワルドとホアン。もう一人ドイツ人も住んでいたので、外人チームだった。
パブの入り口はたくさんの花で飾られていた。
中に入ると、以前と同じ造りで、左右カウンターを挟んで二つの部屋がある。
右側の部屋に入った。
そこで昼間からビールで乾杯。
もうすぐ私とミカさんの出発時間が迫っていた。
シエナッちは、数時間後にロンドンを出て、日本に帰るのだった。
左側の部屋をのぞくと、あった!あった!よく遊んだダーツが。 -
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今回の旅は、私の思い出の町めぐりになってしまった。
私にとってロンドンは、憧れの街でも、エキサイティティングな街でもない。
とても普通の、都内の地元と同じ感覚の・・・そこにわざわざ行きたいとは特に思わないけれど、 行けば『ほっとする』場所のようである。
そしてそこで暮らしていたころの、悪いことは忘れて、いいことばかりが思い出される。
やっぱり故郷なんだろうなぁ。
そして7月のロンドンは、色という色が本来の輝きを放ち、活き活きしていた。
この季節が好きなのは、ロンドンが光に溢れて開放的になるから。
こんな時に来ると、ロンドンて、いいかもしれない・・・と思ってしまう。 -
そろそろ時間が迫ってきた。 ここからがチェルシーらしい場所になるのに、寮に戻る時間が迫っていたので、方向を変え、少し北上するバスに乗り、ハイストリート・ケンジントンまで行く。
ここにもよく買い物に来たものだ。
また調子に乗って(シエナッちに甘え)服などを購入。
そしてお昼ご飯を食べる時間もゆとりがないので、スーパーで買って、ケンジントン・ガーデンズで食べることにした。
わずかな距離だが、バスに飛び乗り、公園の、アルバート記念碑のそばに座る。
たっぷりある木陰の下で、ランチ。
気持ちの良い午後だった。
アルバート記念碑は、だいぶ昔に初めてロンドンに観光で来た時に、ヒースローに向かうエアバスからみつけて、タマゲタ代物だった。
その数年後、このアルバート記念碑の目の前の学校で学ぶことになったが、私がいた二年間の間(実際は3年以上だと思う)、ずっと修復中で四角い枠に白い布が掛けられていて、とうとう教室からその姿を見ることができなかった。
ようやくその姿を拝めるのだった。 -
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シエナッちは、これから少しだけ残りの時間を、ロンドン観光をする。
私とミカさんは、スペインへ向かうためにガトウィック空港に行くことになっている。
荷物を取りに寮へ戻るあいだ、シエナッちは向かいの公園で待っていてくれた。
あれ?知らない金髪の女の子と話をしている。
聞くと、今回行けなかった、テロの被害が激しかったキングス・クロス駅へその女性が行った際に、折り鶴を持っていってもらうよう託すためであった。
シエナッちは日本から折り紙を持参していて、一人で折り鶴を折っていたらしい。
女性は、すぐに行くことを約束してくれた。
シエナッちの行動力に驚くと共に、彼女の深い思いやりに感心した。
ガトウィック空港は久しぶりだった。
ビクトリアからガトウィック・エキスプレスに乗る。
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この旅行記へのコメント (8)
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- さすらいおじさんさん 2006/12/31 16:29:56
- どうぞ良い年をお迎えください
- night-train298さん
ヨーロッパ旅行前にたくさんの旅行記に情報をいただきありがとうございます。
満足できる3ヶ月のたびでした。
トゥールーズではサンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の路と聞いて、night-train298さんの旅行記を思い出しましたよ。
どうぞ良い年をお迎えください。
- night-train298さん からの返信 2006/12/31 21:46:35
- ありがとうございます!
- さすらいおじさん、素敵なメッセージをありがとうございます!
私も今年は長期でヨーロッパを回ったり、また巡礼をしたり、巡礼宿でボランティアをしたりと、特別な年でした。(近いうちに写真をアップします!)
トゥールーズで思い出していただいて、光栄です!!!
来年もたくさん『さすらって』くださいね!次はどんな旅になるのか、楽しみにしています!!
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- さすらいおじさんさん 2006/07/18 23:23:27
- 心に沁みる旅行記です。
- night-train298さん
8月末からヨーロッパの旅を計画しており、旅行記を拝読し、情報をいただきました。
パリ、ニース、モナコ、アルル、アヴィニオン、カルカッソンヌ、ロンドンなど列車、バスの移動や街の光景の写真など、とても参考になりました。
ありがとうございます。
Kathyさんのお話、神の存在を意識させられました。
仲の良い弟と一緒に天国に旅立つ不思議、見つけられない墓に導かれる不思議、何か、神の導きのように感じます。
人の明日の運命はわからないですから、人との出会いは大切にしなければいけないなあ、と反省させていただきました。
- night-train298さん からの返信 2006/08/25 20:45:28
- RE: 心に沁みる旅行記です。
- sasuraiojisan ,message wo arigatou gozaimashita!ryokouki wo yonde itadaite kangeki desu. kotoshimo takusan sasuratte oraremasune !imagoro dokoni irassharunode shouka? zehi Spain nimo irashite kudasaine !
-
- kioさん 2006/02/02 22:39:11
- 青春感傷旅行
- 三年間、共に過ごした気の合うKathyさんの急逝から10年、
彼女のお墓参りに向かうくだりの文章がとても印象的でした。
今は石の下で静かに眠っているkathyさんに導かれるように
nightさんは彼女の墓前に辿り付く事が出来たのですね。
気心の知れて、手の合う人と出逢えて多感な若き日々を過ごす事の出来た
三年間は後に考えるとかけがえのない日々に成り得ていると察します。
10年ぶりに訪れた街の雰囲気、佇まい、近隣の様子、ひとつ、ひとつが
nightさんにとって我が青春の日々にオーバーラップしているんだと思う。
読み手の心に染みてくるような、ほのかなシンパシーを感じさせる
素晴らしい文章だと思います。
- night-train298さん からの返信 2006/02/03 20:37:49
- ありゃりゃ〜、kioさんも
ロンドンの旅行記を読んで下さってありがとうございます!
お褒めのお言葉をいただき、もぉ〜、むずむずしちゃいます。(うれしいです!)
ロンドンの思い出の場所を回っている時、10年間月日を飛び越えて、そのままずっと住んでいたかのような気持ちになりました。
なのに私の記憶ったら!以前のように思いどおりに行きたい所へ行けないんですね。お墓の時もそうでした。
この旅行はほんの二泊三日の例の巡礼の序章にすぎない短い旅だったのですが、思い出の街をたどる後、初心にかえって清々しい気持ちになれました。
たぶん7月のロンドンが最高に綺麗な季節だったから!
-
- osdさん 2006/02/02 17:06:38
- 懐かしきケンジントン!
- ナイトレ さん
毎度寄らせてもらっています。今回のロンドン篇も楽しく読みました。kathyおばさんはたいへん残念でしたね。とかく<良い人は早く逝きます>。
大昔、わたしの初ロンドンの時、ケンジントンガーデン脇の<ケンジントン パレス ホテル>に泊まりました。ケンジントンの地名に懐かしさ感じます。「そうですか!」そのとき見たあの壮麗、かつ馬鹿でかいのがアルバート記念碑なるものですか…ひとつ勉強になりました。
勉強ついでに
・サッカーではなく,巻き舌での<フゥーット ボオォル>
・<水割り>は<スコッチ&ワラー>であって、けっして<ウィスキー&ウ ォーター>でないことも、このホテルのバーで教わりました。
- night-train298さん からの返信 2006/02/02 19:54:51
- osdさん、いつもありがとうございます!
そしてお久しぶりです!
さっそくロンドンの旅行記を読んでいただいてありがとうございました。
osdさんもケンジントン界隈に思い出があるんですね!
初めてロンドンに行った時、帰りにヒースローに向かうエアバスが「アルバート記念碑」を通った時、『なに、あれ???』と思ったものでした。
今後は少しづつ、スペイン旅行の再会の旅をアップしていきますので、よろしくお願いしますね〜!
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