2005/11/27 - 2005/11/27
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JUNCHIさん
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名古屋に向かう途中、寄り道した関ヶ原の古戦場。
写真は決戦地。
資料によると、『三成の首をとるべく攻める東軍と、必死に応戦する西軍とが最後まで戦った合戦最大の激戦地』とある。
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笹尾山 石田三成陣跡
関ヶ原のインターを降りて、北向きに走って行ったら
右手に『→古戦場』の印を見付けて入っていった。
何だか田畑の間の細い道を抜けると、広い駐車場が。
小高い山の裾に石田三成の馬印の旗が沢山立っていた。
少し登ると、陣跡の碑が立っている。
資料によると、6000の兵を配し三成は山頂で指揮をとっていたらしい。 -
【島津義弘陣跡】
来た道を戻り、道路を挟んで反対側の町の中へ。
しばらく進むと神社があった。そこの駐車スペースに車を置いて、わき道を少し入ると島津の十字に丸の旗が立っていた。
石田三成の陣とは違い、薄暗く木の生茂った場所に
陣跡の碑が立っている。
資料によると、『西軍の敗戦が決まったとき、島津隊は家康の陣前を大胆にも敵中突破を図りました。兵士が残りわずか80名になるほどの犠牲でしたが、薩摩武士の勇猛さを広く世間に知らしめました。』とある。 -
【開戦地 小西行長陣跡】
島津の陣跡から車に戻り、さらに奥へと進むと
右手にありました。
すぐ横のグラウンドでは少年達が野球をしていて
少し開けた場所に立っています。
資料によると、『小西行長は、北天満山に6000の兵を率いて、開戦と同時にのろしを上げ、西軍に戦いが始まったことを知らせました。』とある。 -
【陣場野 徳川家康最後陣跡】
最初に古戦場の立て札を見た道路(365号線)をインタチェンジに向かって戻ると、左手にJR関ヶ原に行く道があり、そこを入っていくとすぐ左にありました。
資料によると、『家康は午前11時頃桃配山からこのあたりへ軍を進めました。最初の陣では戦況がよくつかめなかったことと、あえて激戦地に近づくことで東軍の士気を高めたといわれています。』とある。
この碑の横の立て看板には、『国史跡(昭和六・三・三○)ここで家康は陣頭指揮に当たるとともに、戦が終わると部下の取ってきた首を実験しています』とあり、生首を実験している絵が書かれてありました。 -
【関ヶ原町 歴史民族資料館】
家康最後の陣跡の横にあります。
1階の展示室では、関ヶ原の合戦について音声と光で詳しく説明してくれるパネル(関ヶ原合戦陣型模型)があり、暫く見入ってました。2階ではモニターに葵三代が映っていました。日本史の教科書に載っている、関ヶ原合戦図屏風や火縄銃などの展示品がありました。教科書で習った位の知識でしかなかったけれど、色々知ると奥深くて勉強になりました。
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