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パリからの飛行機が遅れ結局クラクフ (Krakow) に着いたのは午前0時過ぎだった。マットも私もポーランド語を知らないので、私がインターネットで見つけたクラクフにある旅行会社でタクシー、ホテル、ホテルからアウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所まで連れて行ってもらえる運転手、およびアウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所でのガイドをすべて予約しておいた。到着が遅れたのでタクシーがいなくなっていたらどうしようかと思ったが問題なく、ホテルの窓口の人もちゃんと待っていてくれた。結局眠りにつけたのは午前1時ごろ、運転手が迎えに来るのが朝の6時だから結局4時間ぐらいしか睡眠が取れなかった。でもマットも私も興奮で疲れなんてなかった。なんていったって今回の旅行で私が一番行きたかった場所がアウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所なのである。<br /><br />私はすごく悲しくなって泣いてしまったりとかするんではないかと思っていたけどそうでもなかった。この思いをどう説明したらよいのだろうか・・・。 怒りとか悲しみを感じるのではなく、この現実をすべて受け止めて記憶に残しておきたいと感じた。<br /><br />まずはじめにアウシュヴィッツ強制収容所に訪れた。ガイドの人はおじさんをここで亡くしたと話していた。ここで10m x 40m ぐらいの大きさのショーケースに入った人毛があった。こんなに大きなケースを埋め尽くす量の髪の毛を収集できるほどの人々が殺されたのだという現実に鳥肌が立った。殺された人たちの髪の毛をそいでそれで服やカーペットなどを作っていたらしい。また同じぐらいの大きさのところに靴やめがね、かばんといったものが展示されていた。<br /><br />その後ガス室に行った。今はないが、当時はガス室にはシャワーが設置されていて(形だけで実際には使えない)、人々は「新しい人生を始める前にシャワーをするために・・・」とここに集められたらしい。そしてシャワーをした後に自分の服がわかるようにと自分の服をかけたフック(番号が付いている)の番号を覚えておくようにといわれた。自分の新しい人生が始まると信じて死んでいった人は少なくはないのではないか・・・?<br /><br />アウシュヴィッツ強制収容所から車で少し走ったところにビルケナウ強制収容所があった。ここは広いとは聞いていたのだが予想以上に広いことに驚いた。見渡す限り収容所の土地が広がっている。ここにはいくつかの建物が当時使用されていた木材を使用して作り直され展示されている。ここにはおそらくみんな見たことがあるだろう線路が走っていて、収容所に連れてこられた人がそのプラットフォームで生き残り組みとガス室組みに分けられた。生き残れたのは若くて働く力のある人たちだけ。時には列車に乗っていたすべての人がガス室に送られたこともあるという。<br /><br />ポーランドはアウシュヴィッツに行くだけの予定だったのであんまり時間がなかったためクラクフに行くことはできなかった。クラクフに行ったことのある同僚によるとすごくきれいな町らしい。ポーランドは物価も安いし、あんまり人々には会えなかったけど会えた人々は親切にしてくれたのでもう一度訪れたいところです。<br /><br />【ポーランド語】<br />マットと私が唯一覚えたポーランド語は Pivo (ピーボ)である。訳はビール。いろんな情報によるとポーランドのビールはおいしいと評判だったので楽しみにしていたが、滞在期間があまりにも短すぎたので少ししか堪能することができなかった・・・。<br /><br />ここにアップロードされていない写真を次のリンクで見ることができます。<br />http://spaces.msn.com/members/tweetmarv2/PersonalSpace.aspx?_c11_PhotoAlbum_spaHandler=TWljcm9zb2Z0LlNwYWNlcy5XZWIuUGFydHMuUGhvdG9BbGJ1bS5GdWxsTW9kZUNvbnRyb2xsZXI%24&amp;_c11_PhotoAlbum_spaFolderID=cns!1p3zVkCf9AsdpKN-gB_IKjkA!304&amp;_c=PhotoAlbum<br />

第二次世界大戦の爪跡を巡る旅 (アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所)

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2005/10/15 - 2005/10/15

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tweetmarvさん

パリからの飛行機が遅れ結局クラクフ (Krakow) に着いたのは午前0時過ぎだった。マットも私もポーランド語を知らないので、私がインターネットで見つけたクラクフにある旅行会社でタクシー、ホテル、ホテルからアウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所まで連れて行ってもらえる運転手、およびアウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所でのガイドをすべて予約しておいた。到着が遅れたのでタクシーがいなくなっていたらどうしようかと思ったが問題なく、ホテルの窓口の人もちゃんと待っていてくれた。結局眠りにつけたのは午前1時ごろ、運転手が迎えに来るのが朝の6時だから結局4時間ぐらいしか睡眠が取れなかった。でもマットも私も興奮で疲れなんてなかった。なんていったって今回の旅行で私が一番行きたかった場所がアウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所なのである。

私はすごく悲しくなって泣いてしまったりとかするんではないかと思っていたけどそうでもなかった。この思いをどう説明したらよいのだろうか・・・。 怒りとか悲しみを感じるのではなく、この現実をすべて受け止めて記憶に残しておきたいと感じた。

まずはじめにアウシュヴィッツ強制収容所に訪れた。ガイドの人はおじさんをここで亡くしたと話していた。ここで10m x 40m ぐらいの大きさのショーケースに入った人毛があった。こんなに大きなケースを埋め尽くす量の髪の毛を収集できるほどの人々が殺されたのだという現実に鳥肌が立った。殺された人たちの髪の毛をそいでそれで服やカーペットなどを作っていたらしい。また同じぐらいの大きさのところに靴やめがね、かばんといったものが展示されていた。

その後ガス室に行った。今はないが、当時はガス室にはシャワーが設置されていて(形だけで実際には使えない)、人々は「新しい人生を始める前にシャワーをするために・・・」とここに集められたらしい。そしてシャワーをした後に自分の服がわかるようにと自分の服をかけたフック(番号が付いている)の番号を覚えておくようにといわれた。自分の新しい人生が始まると信じて死んでいった人は少なくはないのではないか・・・?

アウシュヴィッツ強制収容所から車で少し走ったところにビルケナウ強制収容所があった。ここは広いとは聞いていたのだが予想以上に広いことに驚いた。見渡す限り収容所の土地が広がっている。ここにはいくつかの建物が当時使用されていた木材を使用して作り直され展示されている。ここにはおそらくみんな見たことがあるだろう線路が走っていて、収容所に連れてこられた人がそのプラットフォームで生き残り組みとガス室組みに分けられた。生き残れたのは若くて働く力のある人たちだけ。時には列車に乗っていたすべての人がガス室に送られたこともあるという。

ポーランドはアウシュヴィッツに行くだけの予定だったのであんまり時間がなかったためクラクフに行くことはできなかった。クラクフに行ったことのある同僚によるとすごくきれいな町らしい。ポーランドは物価も安いし、あんまり人々には会えなかったけど会えた人々は親切にしてくれたのでもう一度訪れたいところです。

【ポーランド語】
マットと私が唯一覚えたポーランド語は Pivo (ピーボ)である。訳はビール。いろんな情報によるとポーランドのビールはおいしいと評判だったので楽しみにしていたが、滞在期間があまりにも短すぎたので少ししか堪能することができなかった・・・。

ここにアップロードされていない写真を次のリンクで見ることができます。
http://spaces.msn.com/members/tweetmarv2/PersonalSpace.aspx?_c11_PhotoAlbum_spaHandler=TWljcm9zb2Z0LlNwYWNlcy5XZWIuUGFydHMuUGhvdG9BbGJ1bS5GdWxsTW9kZUNvbnRyb2xsZXI%24&_c11_PhotoAlbum_spaFolderID=cns!1p3zVkCf9AsdpKN-gB_IKjkA!304&_c=PhotoAlbum

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  • 入り口の門の上にはArbeit Macht Frei (働けば自由になる)と書いてある。

    入り口の門の上にはArbeit Macht Frei (働けば自由になる)と書いてある。

  • 収容所は電流が流れていた鉄条網で囲まれている。

    収容所は電流が流れていた鉄条網で囲まれている。

  • この写真に見られる建物1つあたり1000人以上の人が収容されていた。

    この写真に見られる建物1つあたり1000人以上の人が収容されていた。

  • この写真の左側の建物は病院。ガス室に入れられる前、着物を脱がされ真冬に真っ裸で人々がこの裏庭に出された。時には真冬に人々が一晩外においておかれたこともあるらしい。そういう人たちはガス室に行く前にこの裏庭で命を絶った。

    この写真の左側の建物は病院。ガス室に入れられる前、着物を脱がされ真冬に真っ裸で人々がこの裏庭に出された。時には真冬に人々が一晩外においておかれたこともあるらしい。そういう人たちはガス室に行く前にこの裏庭で命を絶った。

  • 収容されていた人たちが撃たれて殺された裏庭。この壁はそのときに使用していたものではないらしいが、それでもなんだか鳥肌が立つ。横にある建物には政治犯とされた人々が収容されていて、外が見えないように窓は覆われている。人々が撃ち殺される音を毎日聞きながらいつはわが身と恐れおののいていたに違いない。

    収容されていた人たちが撃たれて殺された裏庭。この壁はそのときに使用していたものではないらしいが、それでもなんだか鳥肌が立つ。横にある建物には政治犯とされた人々が収容されていて、外が見えないように窓は覆われている。人々が撃ち殺される音を毎日聞きながらいつはわが身と恐れおののいていたに違いない。

  • ガス室への入り口。

    ガス室への入り口。

  • ガイドの人が火葬場の写真を撮らせてくれた。右側にある入り口を戻るとガス室につながっている。

    ガイドの人が火葬場の写真を撮らせてくれた。右側にある入り口を戻るとガス室につながっている。

  • ビルケナウ強制収容所。見渡す限り収容所が続く。

    ビルケナウ強制収容所。見渡す限り収容所が続く。

  • 左のほうに写っている建物は戦争のあと残っていた強制収容所で当時使用されていた木材を使用して作り直された。

    左のほうに写っている建物は戦争のあと残っていた強制収容所で当時使用されていた木材を使用して作り直された。

  • お手洗い。みんな動物のように扱われていたように思われる。

    お手洗い。みんな動物のように扱われていたように思われる。

  • ベッド。この小さなベッド一段に6人ぐらい詰め込まれて寝ていたという。でもみんなやせ細っているのでそれだけの人間が入っても寝るだけのスペースがあったそうだ。

    ベッド。この小さなベッド一段に6人ぐらい詰め込まれて寝ていたという。でもみんなやせ細っているのでそれだけの人間が入っても寝るだけのスペースがあったそうだ。

  • 誰もが一度は見たことがあるだろうビルケナウ強制収容所にある線路。

    誰もが一度は見たことがあるだろうビルケナウ強制収容所にある線路。

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