1998/09/13 - 1998/09/13
361位(同エリア532件中)
まみさん
ホテルのフロントで、イスラエルのメジャーな観光会社であるユナイテッド・ツアー社とエゲッド社のツアー・パンフレットを見つけました。じっくり検討した結果、今日からのエルサレム5日間のうち、明日の14日を除く4日分のツアーを決めてしまいました。14日だけは博物館に行くために一日空けておくことにします。
エルサレムについては、旅行前からこういう現地ツアーを当てにしていました。なにしろ、旧市街には、格好の観光ポイントでありながら、女一人では行けない、いや、行くのは危険だと言われる場所が多いのです。例えばオリーブ山。ここには、かの「ゲッセマネの園」や、イエスが昇天した場所を記念して建てられた「万国民の教会」、眺めがすばらしいという「主の泣かれた祈りの教会」に、玉ねぎ頭のロシア正教会「マグダラのマリア教会」があるのに。また、新市街にも魅力的な場所がいっぱいありますが、めぼしいものがある場所は、郊外のあちこちに点在しています。一人でバスを乗り継いで行くには不便です。5日では、とても足りません。やっぱり、できるだけ多くの場所を効率よく回りたいとなれば、現地ツアーは最適です。
それに、私は蘊蓄が大好きです。ガイドの説明も聞きたいのです。知らなければ、面白さも半減します。適当な想像をでっちあげて楽しむということもできなくもありませんが、それにも限度があります(というか、時々、むなしくなります)。ひとりでのんびり心ゆくまで見学するのもいいですが、これは何かなぁ、と、わからぬまま通りすぎることも多いです。いくらたくさん下調べをしてきたつもりでも、せいぜい数ヶ月の付け焼き刃なのですから。
それに、イギリスやフランスやイタリアといった国なら、まだ、大急ぎで調べなくても知識の蓄積がありますが、イスラエルのことは、これらの国ほど知らず、また、これらの国ほど多くの情報が日本に入ってきません。だから、この旅行を決めてから出発までの2ヶ月間、大急ぎで下調べをしましたが、たとえばイスラエルの旅行事情もユダヤ教も中東史も、あまりにも奥が深くて、いかに自分が知らないかということを思い知らされました。あるいは、当初の目的から外れて、旅行には特に関係ない方向に夢中になることもありました。なによりも、せちがらい日常生活のあいまに調べるので、年がら年中、それにかかわっているわけにはいきません。
というわけで、本日のツアーは、ユナイテッド・ツアー社のエルサレム旧市街半日ツアーに参加することにしました。ツアーの行程は、郊外からエルサレムの全貌を眺めた後、城壁内に入って、「なげきの壁」と、イエスが十字架を背負ってゴルゴダに向かった道筋とされる「ヴィア・ドロローサ(=悲しみの道)」(ただし、考古学的根拠は全くなし。)、それからイエスが葬られたとされる場所に建てられた「聖墳墓教会」、「カルドー」(1967年の6日戦争後(※)に発掘・修復された古代エルサレムのメインストリート)等を見学します。
本当は、金ピカの丸屋根が鮮やかな「岩のドーム」があるイスラム教の聖地「神殿の丘」もツアー日程に含まれていました。神殿の丘は、ガイドブックでチェックしたところ、カメラや大きな荷物が持ち込み不可です。私がいつも観光のときに持ち歩くタウン・バックは、そういうときにいつも大きいと言われてしまい、預けさせられてしまうのが常です。美術館や博物館ならクロークやロッカーがあるのでよいのですが、「神殿の丘」にそのようなものがあると思えません。現地ツアーなら、観光バスの中に荷物を置いていけるので、ちょうどよいと思っていました。
ところが、なんと、昨日、イスラム過激派ハマースによる爆弾テロがあったので(イスラエルのどこか。エルサレムではなかったです。)、「神殿の丘」自体が閉鎖されてしまったというのです。そういえば、昨日の夜から今朝にかけて、ホテルのテレビでは、そのニュースばかりやってていました。早口の英語だったので全部は聞き取れませんでしたが、誰かの母親らしき人が、文字どおり自分の服を引き千切りながら号泣している映像を何度も目にしました。
そうはいっても、「岩のドーム」が見学できないとは残念です。やはり「岩のドーム」は、エルサレムで行きたいところのトップだったのですから、すごくすごく残念でした……。
「岩のドーム」は、今回、断念せざるを得ませんが、だからといって、このツアーに参加した甲斐がないとまでは言いません。「なげきの壁」と「ヴィア・ドロローサ」、「聖墳墓教会」も、私がエルサレムではぜひ行きたいと思っていた場所です。いや、これらはエルサレムのハイライトそのものでしょう。やはり見逃がすわけにはいきません。
※「6日戦争」は、1948年、イスラエルの独立を認めさせた独立戦争のときからヨルダン軍に支配されていた東エルサレム地区をイスラエルが取り戻した戦争です。たった6日で決着がついたので6日戦争と言われています。6日戦争については、このイスラエル旅行記5日目のその2「エルサレム旧市街と東エルサレム一人歩き&当時までの中東史のお勉強」の最後に、私がこの旅行にあたって調べて、旅行の復習としてまとめた簡単な中東史を載せていますので、よろしければそちらをご一読くださいませ。
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旧市街へ向かう前に、エルサレム郊外で町を見下ろしました。写真は、「岩のドーム」と旧市街を囲む城壁を中心に撮ったものです。城壁の右手に、「万国民の教会」が見えています。その近くには、イエスがよく祈りのために訪れた「ゲッセマネの園」があります。写真の右上の塔があるあたりは、オリーブ山です。
昨日、イスラエルのどこかで爆弾テロがあったため、本日は「神殿の丘」全体が閉鎖されてしまいました。岩のドームはエルサレム訪問の第1目的といってよいくらい楽しみにしていた場所なのに、こうやって遠くから眺めるしかありません。まさか閉鎖されるようなことがあるとは思わなかったので、すでにエルサレム滞在中の日程をがちがちに固めてしまっており、日参することもできません。せっかくエルサレムまで来たのに、岩のドームを訪れずに去ることになります。かえすがえすも残念です。
エルサレムは、もともと今以上に起伏に富んだ地形でした。しかし、ヘロデ大王が町を大改築する際、谷を埋め立て、丘を切り崩し、今のように比較的平坦にならしたそうです。そのような大事業が行われたのは、なんと、紀元前20年のことです。
また、岩のドームが今のように金めっきで覆われるようになったのは、1964年からです。ユダヤ教によれば、岩のドームは、アブラハムがイサクを神に捧げようとしたモリヤの丘の岩の上に建てられた神殿ということになります。旧約聖書にも出てくるユダヤの2代目の王であり、エルサレムを最初に首都に定めた(紀元前10世紀頃)ダビデ王が、神との契約の箱をまつったところでもあります。イスラム教の場合は、マホメットが夢でエルサレムにやって来て、その岩から翼の生えた馬にまたがって天に昇った場所とされています。 -
新市街方面のエルサレム遠望です。エルサレムの建物は、みな、近郊の石灰石(limestone)で建てることが法により定められているため、新市街を含め、町はうす肌色がかった白一色に統一されています。
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エルサレム遠望ポイントの足下には、オリーブの木々が生息していました。なんと、聖書時代から生息しているものだそうです。
イエスが十字架にかけられる前夜に祈りを捧げた「ゲッセマネの園」、イエスが必死に祈りを捧げる中、付き従った3人の弟子が眠りこけてしまったという「ゲッセマネの園」での最後の祈りのシーンは、西洋絵画によく描かれていますが、こういうかんじなのかなぁ、と想像してみました。 -
エルサレム旧市街に向かうバスの窓から、オリーブ山やキドロン峡谷が見えました。キドロン峡谷は、ヘロデ大王がエルサレムの町の大改築の際に埋め立てた後に残った2つの谷の一つです。このあたりは治安が良くないらしいので、一人歩きができるとは始めから思っていませんでした。バスの窓から見られただけでも良かったです。
中央に見られるカラフルな正面を持つ教会は、「万国民の教会(Church of All Nations)」です。正面のカラフルな絵はモザイクです。もとは4世紀に建てられたビザンチン教会ですが、現在の教会は1919年に再建されたものです。イエスが十字架にかけられる前夜に祈りを捧げた「ゲッセマネの園」に建てられており、中には、イエスがそのときに祈ったとされる岩の一部が残っているため、別名「苦悶の教会」と言われるそうです。
その後ろにある玉ねぎ型の屋根を持つロシア教会は、ロシア皇帝アレクサンドル3世によって1885〜86年に建てられた、「マグダラのマリア教会」です。旧約聖書に登場し、娼婦だったけれどイエスの教えに感動し、イエスの最も熱心な信者の一人となり、イエス復活を最初に目撃した「マグダラのマリア」と、皇帝の母マリアという2人のマリアのための教会です。地下聖堂には、皇帝の母マリアの遺体が眠っているそうです。
手前は、キドロン峡谷です。 -
バスの車窓から、キドロン峡谷にある「預言者の墓」も見ることができました。ピラミッド型の屋根を持つ特徴的な墓標です。
「預言者の墓」は、考古学者によると4〜5世紀にヨルダン川を渡ってきたキリスト教徒の墓とされているそうですが、ユダヤ人の伝説によると、旧約聖書に出て来る預言者ハガイ、ゼカリヤ、マラキの墓とされているそうです。写真の墓がどの預言者の墓とされているかまでは、あいにくわかりませんでした。あるいは、預言者の墓ではなく、ヘロデ大王時代の祭司一家の墓かもしれません。
また、この写真ではわかりにくいですが、このあたりには、この特徴的な形をした墓の他にも、墓地が広がっています。旧約聖書の英雄ダビデ王の時代からある墓地といわれています。最後の審判のときには、「黄金の門」に近いここから死者が蘇る、といわれているため、この地に埋葬されたいと願う人が大勢いるそうです。 -
バスから降りて、城壁内に入りました。開かずの門である「黄金門」を含めた8つの門のうち、「なげきの壁」に一番近い「糞門」から入ります。糞門の名前の由来は、昔、この門から汚物が城外に流されていたからだそうですが、なんとも言えないネーミング・センスです。
糞門で、セキュリティー・チェックがありました。とはいえ、エル・アル・イスラエル航空のようなすざまじいものではなく、手荷物の中身を覗く程度の簡単なやつでした(1998年当時)。そのくらいなら、一、二度、海外旅行に行けば、すぐに馴染みになります。セキュリティー・チェックがある理由は、たぶん、入ってすぐ所に、ユダヤ教徒にとっての最も重要な聖地である「なげきの壁」があるからでしょう。一部のアラブ人をむりやり取り込んで建国されたイスラエル。イスラム教徒との軋轢が絶えないイスラエル。ユダヤ人に精神的打撃を与えるとしたら、最も大事にしている聖地を破壊するのが一番に違いありません。だからこそ、警戒も一層、厳しくなるというものです。
ユダヤの古代史の時代区分に、エルサレム神殿を基準にした「第一神殿時代」「第二神殿時代」というのがあります。神殿はそれぞれ、エルサレムが陥落した時、征服者たちがユダヤ人の抵抗を挫くために破壊してしまいました。「なげきの壁」は、かのヘロデ大王が大改築した第二神殿を覆う城壁の西側部分だったところです。ローマ帝国は、その西壁のみ残して、第二神殿を完全に破壊してしまいました。しかし、神殿が崩壊した後も、各地を流浪するユダヤ人には、年に一度だけ、この壁を来訪することが許されました。そのたびにユダヤ人は、神殿の再建と帰郷の夢を抱いて、壁に祈りを捧げるようになりました。
その後、イスラム勢力の到来と共に、ユダヤ人の神殿があった丘は、イスラム教徒の神域となりました。以来、ユダヤ人は、神殿の再建も、かつての自らの神域に立ち入ることも、二度とかなわなくなってしまったのです。イスラエル政府にしてみれば、本当は無理矢理にでもイスラム勢力を「神殿の丘」から立ち退かせたかったらしいです。しかし、そうなると、アラブ諸国が今以上に黙ってはいないでしょうから、しぶしぶ妥協しているのだそうです。なにしろ、エルサレムの「神殿の丘」は、イスラム教徒にとってメッカ、メディナに続く第三の聖地なのですから。
エルサレム旧市街である城壁内は、4つの地区に分かれています。各地区ごとに雰囲気がまるきり違っていて面白いですが、これも妥協のたまものと言えるでしょう。「妥協」という言葉が悪ければ、「共存」と言い換えてもよいと思います。宗教対立・宗派対立などは、人類永遠の命題です。その宗教か宗派か、はたまた人類の滅びの日まで解決できるとはとても思えませんから、あちこちでなんとか共存しているエルサレムは、もしかしたらある意味、進んでいると言えるのかもしれません。もっとも、過去の歴史も証明していますが、共存しているがゆえに、いったん争いが起きると、血の惨劇は他に類を見ないほど悲惨になります。
その4つの地区とは、「聖墳墓教会」のあるキリスト教徒地区、「神殿の丘」を含むイスラム教徒地区、キリスト教をどの民族よりも先に国教に迎えた(4世紀頃)アルメニア人の地区、そして「なげきの壁」を含むユダヤ人地区です。「なげきの壁」は、「神殿の丘」のすぐ西側にあります。
「なげきの壁」は、ユダヤ教徒の巡礼の地です。ユダヤ教徒にとって最も重要な三大宗教行事「過越しの祭(パサハ)」、「仮庵の祭り(スコート)」、それから「大贖罪の日(ヨム・キップール)」には、ユダヤ教徒がみんなして、この「なげきの壁」を拝みに、エルサレム詣をするそうです(この三大行事については、9月17日の旅日記を参照)。
とはいえ、観光名所だけあって、「なげきの壁」には、ユダヤ教と関係ない観光客も大勢いました。壁を背景に記念写真を撮る人も大勢いたので、私もそれに倣い、同じツアーの人に頼んで写真を撮ってもらいました。ただし、ユダヤ教の安息日(シャバト)である金曜日の日没から土曜日の日没までは、写真撮影は禁止だそうです。
「なげきの壁」は、男女別に区切られています。観光客も、自分の性別のエリアになら、近付こうと思えば、壁のすぐ近くまで近付くことができます。
見張り台らしき所にいる人の視線を気にしながら、おっかなびっくり近付いてみます。願いを書いた紙を小さく折りたたんで壁の隙間に挟んでいく習慣があると聞いていましたが、見ると、壁の隙間にびっしりぎっしり詰まっていて、ちょっと気持ち悪いくらいでした。その様子も写真に撮りたかったのですが……さすがに、熱心に祈りを捧げる人のすぐ背後でシャッターを切るマネはできませんでした。
写真は、「なげきの壁」の女性セクションです。隣の男性セクションとは、柵で遮られています。女である私は、女性セクションであれば、壁のすぐそばまで近付くことができますが、写真は、少し離れたところから撮りました。
壁は、高さ21m、下から7段が「第二神殿時代」のもので、その上の4段がローマ時代で付け足されたもの、その上の小さな石は、マムルーク時代やオスマントルコ時代のものです。壁にはりついた植物は、「ヒソップ」というのだそうです。 -
なげきの壁の男性セクションです。敬虔なイスラム教徒アシュケナージの姿も見えます。アシュケナージは、真夏でも、長袖の上着に長ズボンのこの黒づくめのスタイルを守っています。たまに、あんまり暑くてか、上着だけ脱いで小脇にかかえている人もいました。
私が参加した半日ツアーには、私の他に日本人男性が3人参加していました。さすが、エルサレム、年間に2万人の日本人が訪れるだけあって(1998年現在)、エルサレムでは、他の町と違って、日本人の姿をちらほら見かけました。
男性は、ユダ教の聖地では、ユダヤ教徒と同じようにツバのない帽子「キッパ」をかぶらなくてはなりません。観光客も同様で、紙でできた急ごしらえのキッパをもらってかぶっていました。キッパは、神が人を自分に似せて造ったため、神と人を区別するためのものだそうです。小さなキッパで、全身を隠すマントの代わりになるそうです。 -
なげきの壁の次は、「ヴィア・ドロローサ((Via Dolorosa)=悲しみの道)」を歩き、聖墳墓教会へ向かいました。写真は、ヴィア・ドロローサの第5ステーションです。
「ヴィア・ドロローサ」は、イエスが死刑を言い渡され、十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かい、十字架にかけられるまでたどった道筋と信じられているところです。全長1kmにもなります。ただし、「ヴィア・ドロローサ」は十字軍時代以降に確立されたもので、科学的根拠は全くないそうです。
「ヴィア・ドロローサ」には、それぞれエピソードのあるポイント、すなわちステーションが、全部で14ヵ所あります。第1ステーションは、イエスが死刑判決を受けたところ、第2ステーションは、イエスが茨の冠をかぶらされ、鞭で打たれ、十字架を背負わされたところ、第3ステーションは、イエスが十字架の重みに耐えかねて何度かつまずきますが、その最初の場所です。
第2と第3ステーションにはそれぞれ教会が建てられていますが、それらは目にしていません。ツアーでは、次の第4ステーションから歩き始めました。第4ステーションは、聖母マリアが十字架を背負った我が子イエスを目にしたところで、「苦悩の母マリア教会」(アルメニア教会)が、うっかりすると教会であることを見逃しそうな道なりにありました。
写真の第5ステーションは、クレモン人シモンがイエスの代わりにしばらく十字架を背負った地点と言われています。これは、私も知らなかったエピソードです。 -
ヴィア・ドロローサ第6ステーションです。木製の扉の真ん中に、「VI. STATION」の文字が見えます。第6ステーションは、ベロニカがイエスにハンカチを差し出した地点です。そのハンカチに後にイエスの顔が映し出される奇跡が起こり、それを主題とした西欧絵画もたくさん描かれています。
扉の上の文字は、装飾化されたアラビア語です。 -
ヴィア・ドロローサ第6ステーション付近の写真です。
「ヴィア・ドロローサ」は、実は、夢にまで見たことがあります。もう何年も前になりますが、キリスト教美術の本でヴィア・ドロローサのことを初めて知った日、私は、「今、ヴィア・ドロローサにいるんだ!」と感激した夢を見たのです。
もっとも、あの夢のエルサレムは、今にして思うと、どちらかというとイタリアの古い石畳の町でした。エルサレムがどんな町か知らなかったから、無理もありません。
それにしても、あの時は、実際に私がエルサレムに行くことになるなんて、夢にも思いませんでした。……夢には見ましたが。しかし、夢の中でエルサレムに行ったなんて、まるで、イスラム教の始祖マホメットみたいです!
───というのも、イスラム教には、マホメットが夢の中で翼の生えた白馬に乗ってエルサレムに飛び(さすがに私は、夢の中でも普通に飛行機で飛んで行ったと思いますが)、そこから神に召されて昇天した(私はヴィア・ドロローサを歩いただけですが)という言い伝えがあるのです。そのマホメットが昇天した場所というのが「岩のドーム」の中心にある岩で、ゆえにエルサレムは、イスラム教にとって第三の聖都なのです。
「岩のドーム」の岩には、もうひとつ別の有名な言い伝えがあります。旧約聖書で、アブラハムが、年を取ってからやっとできた大事な大事な息子のイサク(なにしろ、正妻サラとの間にはずっと子供ができず、彼女が80歳をとうにすぎたときに初めてできた、希有な息子なのです!)を、神の命に従って犠牲に捧げようとした場所だというのです。
ヴィア・ドロローサに話を戻しますが、しかし……うーん、これは下調べの段階で覚悟していたことですが、イエスが十字架を背負い、ゴルゴダの丘へ向かったという悲しみの道のはずの「ヴィア・ドロローサ」は、現在、大半がアラブのバザール(市場)と化しています。しかも、ほとんどすべてが観光客相手のみやげ物屋なのですから、余計、始末が悪いです。写真のとおり、観光客と客引きの声でごった返しで、道も狭いので、慌ただしく通りすぎるしかありませんてでした。十字架を背負ったイエスのことを思い浮かべながら歩くのは、とても困難でした。
ちなみに、毎週金曜日は、フランシスコ派の修道士が、十字架を担ぎながらヴィア・ドロローサを行進するそうです。人々は、観光客も加わって、賛美歌を合唱しながらその行進に続くそうです。それに参加したならば、人々の罪を一身に背負い、あがないのために十字架にかかっていくイエスの苦悩と、それを見守るしかなかった信者たちの悲しみを、少しは思い浮かべることができたでしょうか。 -
写真は、聖墳墓教会へ向かう途中です。ヴィア・ドロローサはイスラム教徒地区内にあるため、モスクの塔(ミナレット)が見えました。
ヴィア・ドロローサは、聖墳墓教会へ続きます。聖墳墓教会の入口が、ヴィア・ドロローサの第9ステーションにあたります。イエスが3度目につまづいた場所です。 -
ヴィア・ドロローサの終着地は「聖墳墓教会」です。第10から終点の14ステーションは、聖墳墓教会の中にあります。
聖墳墓教会は、もともとビザンチン時代に建てられた教会です。紀元後336年、キリスト教を国教化したローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが、ゴルゴダの丘があったとされる場所に建てた教会がもととなっています。現在の建物は、十字軍時代の1099年に大幅に増改築されたものがもととなっていますが、その後もいくたびも戦災のせいで再建されています。
外観は、中世の教会と思えば、それなりにおくゆかしく情緒があるロマネスク風の建物といえそうですが、中は、さすがにキリスト教最大に巡礼地だけあって、人がわんさか押し寄せていていました。たいして広くないところに大勢すし詰め状態なものですから、人いきれでムンムン蒸し暑くて、とても息苦しくかったです。
そして、これも下調べ段階で覚悟していたことですが……うーん、イエスが磔られたという場所の装飾のセンスの悪いこと! ゴテゴテ飾り立てればいいってもんじゃないのになぁ、と思いました。もっとも、十字軍時代のキリスト教徒というのは、同時代のイスラム教徒に比べるとずーっと文化水準が低かったのですから、仕方がないのでしょう。それに、矛盾するようですが、思いの込もる場所をぎっしりと飾り立てたくなる気持ちも、わからなくもありません。 -
ヴィア・ドロローサの第12ステーション、イエスが十字架にかけられたとされるところです。聖墳墓教会の2階になります。
ここは、特に、ものすごい人ごみで混雑していて、むし暑くてたまりませんでした。それに熱心な巡礼団体は、なかなか動こうとしません。好奇心を満たすためにひと目でも見られれば、それでもう結構!という気分になりました。 -
同じく、ヴィア・ドロローサの第12ステーション、イエスが十字架にかけられたとされるところです。上部の装飾部分です。
ゴルゴダの丘も、イエスの墓があったとされる場所も、実のところ、はっきりと確定していなくて、諸説があります。聖墳墓教会内は、色々な宗派が分割管理しています。ここは、ギリシャ正教のチャペルでもあります。 -
私の前に並んでいた女性のお尻がハイライトの写真みたいになってしまいましたが……同じく、第12ステーション、イエスが十字架にかけられたとされるところです。さきほどの写真の下の部分です。奥に一部だけ、イエスが十字架にかけられたという場所の土が残っていて、触れられるようになっています。その土に触れることで祝福されようと、巡礼者たちは一人一人かがんで入っていき、穴に手を突っ込んで土に触れ、十字を切っていました。
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ヴィア・ドロローサ第13ステーション、塗油の石です。イエスが十字架から降ろされて、この石板の上で清めの香油が塗られ、亜麻布に包まれて埋葬の準備をされたとされるところです。
石板の表面は、なぜか水がしたっていて、びしょびしょにぬれていました。ここもぐるっと人垣で混んでいました。すきを見て、やっと、写真を撮ることができました。 -
ヴィア・ドロローサ第14ステーション、聖墳墓教会内の聖墓のあるチャペルです。イエスの墓が納められているところです。
ちなみに、このチャペルの裏側には、コプト教のチャペルがあります。コプト教は、カトリックでは異端とされたキリストの単性論(キリストは人間とする説)を掲げ、エジプトで広まった宗派です。
エルサレム、いやイスラエルは、他の宗教を認めないその信条のせいで分かり合えない人々が、それでもあちこちで妥協しあっているパッチワークのような国だと思いました。それも、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教という異なる宗教間の話だけではなく、キリスト教一つをとっても、違う宗派だと全く相容れないのです。しかし、同じ宗教なら聖地は一つ。だから、どこかで妥協するしかありません。
そのことは、聖墳墓教会の在り方にもよく現われていると思いました。イエスが十字架に磔けられ、遺体がいったん葬られたとされるキリスト教にとって最も聖なる地を記念して建てられた聖墳墓教会は、現在、カトリック教会、ギリシャ・ロシア正教会、アルメニア教会、シリア教会、エチオピア・コプト教会の5つの宗派によって分割管理されています。私の目にはそれほど大きいとは思えない一つの教会の内部が、宗派ごとにきっちり境界線が引かれているのです。イエスの墓地があったとされる、まさにその場所に建てられたはずのチャペルですら、エチオピア・コプト教会のものと他の4つの宗派のものとで2つもあります。複数の宗派で管理されている教会の例はここに限ったことではありませんでしたが、キリスト教の原点ともいうべきイエスの磔の地だけに、なんとも情けない気がしてしまったのは、私だけでしょうか。 -
聖墳墓教会のキリストの墓にあるチャペルの正面です。イエスの墓はその時代には洞窟だったとされていますが、このようにチャペルにされてしまうと、やはり跡形もなくなったとしか思えません。この聖墓は、コプト派を除く4つの宗派で共同管理されているそうです。
中に入ってみたかったのですが、あまりに混雑していたので、時間がなくてあきらめました。 -
ツアーも終わり近くとなりました。カルドーの地下にあるマダバの地図の複製の前で、ツアーガイドのおじさんがエルサレムの説明しているところです。カルドーとは、古代エルサレムのメインストリートだったところです。1967年の6日戦争後に発掘され、修復されました。マダバの地図は、カルドーの一部の地下部分にありました。
マダバの地図とは、モザイクで描かれた世界最古(6世紀)のパレスチナの地図で、ヨルダンのアンマンに近いマダバの聖ゲオルギウス(ジョージ)教会の床に残されているそうです。これはパレスチナが描かれた複製です。6世紀の地図なので、カルドーはもとより、聖墳墓教会も描かれています。
ツアーガイドのおじさんは、なかなかユーモアがありました。説明は、英語のほか、ドイツ語とスペイン語で行われました。ときどき、みんなにウケていないところで一人にんまり笑い、浮いたりしていましたが、説明は面白くて、勉強になりました。また、おじさんの帽子もユニークでした。写真ではそれほどユニークさが目立ちませんが、混雑していた旧市街を歩く中、この帽子のおかげで、おじさんを見失うことはありませんでした。
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この旅行記へのコメント (4)
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- wakabunさん 2008/11/14 17:15:26
- お尻アップの写真
- まみさん、
ものすごく勉強されていてすばらしい!ここまでちゃんと調べていたら見ても数十倍楽しいことでしょう。私もロンプラ片手に見学しましたが、まず英語だとなかなか頭に入ってこないことと、そもそも歴史や宗教的背景を知らないので名前や出来事を呼んでもぴんとこないので、どれもいまいち感動が薄かったです。せめて情報は古いとしても歩き方のコピーでも持ってきていればよかった!
ところで私も私の前に並んでいた女性のお尻がハイライトの写真、撮りました(笑)。いや、もちろんお尻が撮りたかったわけじゃないんですけどね・・・ものすごい熱気ですよね、ここ。
Wakabun
- まみさん からの返信 2008/11/16 18:35:23
- RE: お尻アップの写真
- wakabunさん、こんにちは。
実は私はキリスト教には学術的、、、なんていうと偉そうですが、とても興味があるのです。
聖書の文学面と西欧のキリスト教美術の観点から。
そしてキリスト教の母体であるユダヤ教にもとても興味がありました。
でもユダヤ教について調べたのはこのイスラエル旅行がきっかけです。
キリスト教との違いや思いもしなかったユダヤ教の戒律にたくさんカルチャーショックを覚えました。
ロンプラだけだと私もピンとこなかったと思います。
幸い、ユダヤ教については、日本語の本がわりとあったもので@
旅行の下調べと復習として自分のいままでの断片的な知識の整頓も兼ねて勉強して、凝っちゃいました@
楽しかったですよー。自分でしたくてした勉強ですからね。
だから何かに役立つかといわれても困っちゃうけどね。
「歩き方」もいろんな情報が古くても、見どころの説明やちらほら折り込まれた簡単な歴史・文化背景は変わらないですからね。
でもきっとwakabunさんも、あとから調べて、ああ、そういうことか、と納得して楽しめると思いますよ。
いく前に調べきれるものでもないし。
逆にあんまり調べない方が感動が大きいこともありますしね。
> ところで私も私の前に並んでいた女性のお尻がハイライトの写真、撮りました(笑)。いや、もちろんお尻が撮りたかったわけじゃないんですけどね・・・ものすごい熱気ですよね、ここ。
わはは。
楽しみです。
このときはフィルムカメラでしたからねぇ。
でもデジカメでも、前の人のお尻の写真になってしまったかもしれません。
決して広くなかったですものね、聖墳墓教会。
通勤ラッシュの比どころではなかったです。なんっつーか、自分もそうですが、はるばるやってきた熱心な信者の方の期待感と感動でむんむん!でしたね。
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- さすらいおじさんさん 2005/12/07 14:13:08
- いつも感心していますが、ガイドブックより詳しくて良く解ります。
- まみさん
いつも感心していますが、ガイドブックより詳しくて良く解ります。
岩のドームとマホメッド、アブラハムの関係、嘆きの壁、イエスが十字架を背負って歩いた様子などエルサレムを訪問するときにはコピーして持参したいと思います。
【聖墳墓教会。イエスが十字架に磔けられ、遺体がいったん葬られたとされるキリスト教にとって最も聖なる地を記念して建てられた聖墳墓教会は、現在、カトリック教会、ギリシャ・ロシア正教会、アルメニア教会、シリア教会、エチオピア・コプト教会の5つの宗派によって分割管理されています。】エルサレムはイスラム、ユダヤ、キリスト教という宗教間だけでなくキリスト教の多くの宗派内でも勢力争いがあるのですね。改めて宗教の複雑さと難しさを感じました。
- まみさん からの返信 2005/12/07 20:55:55
- RE: いつも感心していますが、ガイドブックより詳しくて良く解ります。
- さすらいおじさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。
いやいや、イスラエルについては、特に念入りに調べました。
もともと西欧美術への関心からキリスト教や聖書に関心があったためと、あとやっぱり中東を一人で旅行するのは、そうでなくても旅先での情報収集には自信がなかったものですから@
>岩のドームとマホメッド、アブラハムの関係、嘆きの壁、イエスが十字架を背負って歩いた様子などエルサレムを訪問するときにはコピーして持参したいと思います。
ぜひぜひ@
私もポーランドに行く前はさすらいおじさんの旅行記を資料にさせていただきました@
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