2005/11/25 - 2005/11/25
7885位(同エリア12058件中)
井上@打浦橋@上海さん
- 井上@打浦橋@上海さんTOP
- 旅行記362冊
- クチコミ19件
- Q&A回答291件
- 2,252,713アクセス
- フォロワー85人
上海の日本人租界散策の最終回です。
スコット路とは魯迅公園の東側を南北に走る道です。現在の山陰路です。
日本人租界地域にある道です。「日本人租界」とは通称でして正確には英米共同租界のうちの日本人居留地と言うことですので、この道には英語名が付いていました。それがScott Roadです。漢字表記は施高塔路です。
今日の散歩は魯迅公園の南門あたりから四川北路を南にチョイ下がり、山陰路(スコット路)に入って、北に行き、祥徳路、欧陽路に入り、大連西路を西へ行き、魯迅公園の北門まで行くコースです。
表紙の写真は内山書店の記念碑です。銀行の中にあります。
-
我が家からは89路バスと18路バスで行きました。
写真のバスは18路バスです。
いまどき珍しく車掌が居ます。距離によって料金が違うバスの場合は、必ず車掌が居ますが、18路バスは2元の統一料金なのに、車掌がいます。
右の手前の席が車掌の席ですね。
今、車掌はチケットを行って料金徴収してるところです。 -
18路バスの経路図です。
上海の南部の黄浦江沿岸地区(2010年の万博会場)から魯迅公園まで行きます。
主な経路は上海中心部を南北に走る西蔵南路・西蔵中路・西蔵北路です。
この道は淮海路を横断して、人民広場脇を通り、南京路を横断し、蘇州河を渡るという道でして、渋滞ポイントのオンパレードの道です。
2・3年前までは、もう、どうしようもなく、渋滞してまして、トロトロ運転の繰り返しでした。
それが人民広場脇の道の車線が左右2車線ずつ増え、また蘇州河の橋も広くなり、天目中路との交差部分が立体交差になり、今じゃ、渋滞はほとんど無しという状況になりました。
また、当時はトロリーバスだったんですが、今は、普通バスになりましたのでスピード感もアップしました。
この日は斜土路で乗り込み終点の魯迅公園まで行きましたが、要した時間は48分でした。
2・3年前でしたら1時間半掛かっていたでしょうね。 -
魯迅公園に着きました。
向こうが南側の入り口でして正面入り口です。
公園の前はロータリーになっています。 -
四川北路を南に行きます。
干鍋居という店です。
貴州料理屋のチェーン店でして、今、増殖中です。 -
中国十佳黔菜館となってますね。「黔」とは貴州のことを言うようです。
人気の料理は、干鍋鶏、水煮烏江魚、苗家干鍋鶏、小米渣、酸筍干鍋鶏、糯米鴨、稲香骨ということらしいです -
四川北路が東に曲がる所にあります交通銀行が入ってる建物です。
右が四川北路、左が東江湾路です。
昔は日本海軍特別陸戦隊本部です。 -
これが旧陸戦隊本部の内部です。
今は新興酒家と言うレストラン、新興飯店と言うホテルになっています。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・
上海陸戦隊は、居留民保護を名目に上海に駐留した日本海軍の陸戦隊。1900年北清事変の際を最初として、情勢緊迫の折にはたびたび上海に上陸し、警戒にあたる。1928年の秦直戦争以降、虹口地区に常駐。その後、虹口公園近くに広大な洋館を購入し司令部とする、第一次上海事変後、ここに現存する鉄筋コンクリート造4階建てのビルを建てる。1932年と1937年の二度の事変の際には、ここから出撃して中国軍との戦端を開き、市街戦を展開、陸軍部隊の上陸までの間、虹口の日本人街一帯を防衛。
・・・・・とあります。 -
四川北路はホンのわずかですがこの辺りは東西に走る道とないます。その南側にあるこの建物が昔のラモス・アパートです。魯迅はココに内山完造名義で部屋を借りていたそうです。
-
味千拉麺です。
甜愛路と四川北路の北東角にあります。
上海歴史散歩の第1回目が行なわれたのが2000年11月でしたが、その頃にもありましたから、味千拉麺の初期の店ですね。上海での第1号店は2000年8月に出来た淮海中路の伊勢丹の斜め対面の店らしいですが、この店は第2号店あたりでしょう。 -
ここが内山書店のあたところです。
今は中国工商銀行になっております。 -
中国工商銀行の中に入りまして左奥に行きますと、上海内山書店の記念碑があります。
当時様子が金色のプレートに描かれていますね。当時はこのあたりチンチン電車が走っていたようです。
この脇の階段を上がり2階に行きますと、当時の資料が展示されています部屋があるんですが、それなりの手続きを得ないと参観は出来ないようです。
2000年の第1回歴史散歩では中を参観しました。 -
もうスグ山陰路・スコット路です。
向こうの左へ曲がる道がそうです。 -
これが山陰路・スコット路です。
フランス租界のようにプラタナス並木ですね。 -
四達里という小区の入り口です。
鉄の扉が仰々しいです。 -
こちらは恒豊里です。
-
虹口区第三中心小学校です。
只今午後2時半ですが、子供たちを迎えに来た親の自転車、バイクが並びます。
ココには昔、日本女学校がありました。 -
中を写してみましたが、コレが当時の女学校の建物なのかどうか・・・
-
魯迅の故居があります大陸新邨の入り口です。
緑の文字の「魯迅故居」の看板が掲げられています。
入り口部にはイロイロと告知板が置かれています。
居民委員会からのお知らせですね。 -
これが魯迅故居です。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・・
1933年に魯迅はラモス・アパートからここへ引っ越してきたようです。そして生涯最後の3年半をココで過ごした。3階建て磚木構造。夾竹桃の植わる前庭に面した1階には応接室と食堂、厨房。2階には寝室兼書斎と納戸。3階は子供部屋と来客の寝室。魯迅没後家族は、フランス租界淮海坊に転居したが、1950年に未亡人の許公平が家具などを寄贈し、故居として復元される。
・・・・となってます。
魯迅没後に家族が住みました淮海坊(霞飛坊)に関しては下記をご覧ください。
「上海・真夏の午後の散歩・瑞金二路を淮海中路まで(後編)」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10027697/ -
こちらは東照里です。
この奥に当時の国際ジャーナリスト・松本重治が住んでいたそうです。 -
奥に入ってみました。この辺りが松本重治の住居のはずです。
彼は1932年から38年まで同盟通信社上海支局長として上海に滞在していました。
その時の回想録が「上海時代」です。
日中戦争開始前後の6年間、当時の上海での内外の政治家、外交官、財界人、知識人、ジャーナリスト等との交遊録、
及び取材報道活動の回想録です。
この住居には36年から38年まで住んでいたようです。 -
花園里です。このあたりの家に尾崎秀実が1930年から1932年住んでたということです。
あのゾルゲ事件で有名な尾崎秀実です。
彼に関しては・・・ジャーナリスト 。中国を中心とする国際問題の評論、研究で知られ長らく反戦運動に従事して日本敗戦の前夜にゾルゲ事件で刑死した。 ・・・とあります。
松本重治などとも上海で交流があったのかもしれません。
ゾルゲにはドイツ人新聞記者アグネス・スメドレーに紹介されたそうです。
アフネス・スメドレーの上海での住居の一つ・重慶公寓は下記をご覧ください。
「上海・復興路を行く・重慶公寓からヤオハンまで」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10026528/ -
興業里です。この辺りの家の吉行エイスケが1930年頃住んでいたそうです。
作家の吉行淳之助や女優の吉行和子の父ですね。
「新種族ノラ」と言う上海が舞台の短編小説があるそうです。
あらすじは・・・上海に住むノラは百貨店レーン・クロフォードの女店員。支配人の妾となっていたが、不況のため業務縮小を余儀なくされ、ノラは支配人と別れた。ノラはその後いろいろな男と噂になる。・・・ということらしいです。
読んでみたいものです。
百貨店レーン・クロフォードとは・・・・どこにあったんでしょうか? 今のレーンクロフォードは地下鉄の黄陂南路站にあるんですが・・・。当時のは、どうも南京路沿いだったようです。 -
大陸新邨です。先ほどの魯迅故居も大陸新邨にあるということです。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・
1931年に大陸銀行上海信託部が投資して建てた赤煉瓦3階建て高級テラスハウス住宅。煉瓦などの建材にはヨーロッパからの輸入品が使われ、ガス、浴室などの設備も整っていた。6列60戸。
・・・・とあります。
この並びに千愛里という内山完造が住んでいた小区もあります。
1922年に日本の東亜興業会社が邦人用社宅として建設したものらしいです。
内山の家は3号の1階。先ほどの内山書店があったところのスグ裏辺りです。
ここに内山夫妻は1931年から42年まで住んでいたそうです。 -
これは幼稚園です。
昔のお邸を利用しています。
スコット路の右側にありました。 -
スコット路左側にある集合住宅です。
大陸新邨の一部なのか・・・。 -
山陰路(スコット路)から四達路を寄り道します。
右に並ぶ2階建煉瓦長屋の真ん中辺りに松本重治が1934年から36年にかけて、住んでいたそうです。 -
四達路にあるお邸です。
補修工事をしていましたね。
ということは、もう個人の所有になってるのかもしれません。勿論、解放前は日と家族が住んでいたんですが、解放後は数家族が住む形になっていたはずです。
個人所有になり、補修をして自分が住むのか、あるいは誰かに貸すのか・・・。 -
2階建煉瓦長屋も補修していました。
-
四達路を更に東に行きます。
この辺りは下町っぽいですね。 -
欧陽路に出ました。
正面には昔は、日本女子商業学校やら日本高等女学校やらがあったらしいですが、今はその面影は全く残っていません。高層マンションが建っています。 -
四達路を引き返し、また山陰路(スコット路)に戻り、北へ向かいます。
-
山陰路の道並みです。
この辺りは賑やかです。 -
積善里という小区です。
山陰路(スコット路)沿いには、〇〇里という小区が多いですね。 -
このあたりで、山陰路(スコット路)は祥徳路と名前を変えます。
祥徳路はこの先を右に、つまり東に曲がります。 -
ここでも、お邸を補修しています。
-
古本屋さんです。
隣りは床屋です。ヒマそうです。 -
隣りは靴屋さん。
町の小さな靴屋さん、という感じです。
靴の修理もするんでしょう。 -
この辺は商店が多くなります。
欧陽路はもうスグです。 -
欧陽路です。
正面は財経新村という小区です。 -
欧陽路を北へ行きます。
-
朱屺贍芸術館です。
朱屺贍と言う人のことは分かりません。
バス停の名は大連西路ですね。 -
前の道が大連西路です。
ココを左に曲がります。西へ行くと言うことです。 -
大連西路の様子です。
-
大連西路を行きますと、魯迅公園の北門に行き当たります。
北門を超えたところにあるバス停です。
バス停の名は東体育館路、虹口游泳池となってます。 -
魯迅公園の北門対面には現在、上海外国語大学があります。
コレが正門です。 -
ココには、昔、第二日本高等女学校があったということです。
この校舎は古そうですから、当時のものなのか・・・・。
このあと、魯迅公園を北門から入りました。
魯迅公園の様子は別の散歩記録にアップします。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (5)
-
- eiyannさん 2009/01/05 23:17:22
- もしかしてランゲルスアパート(七福大楼)では?
- 興亜院の前でしたら終戦まで住んでいました、
懐かしく拝見しております。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2009/01/06 07:04:30
- RE: もしかしてランゲルスアパート(七福大楼)では?
- eiyannさん、どうも。
当時あのあたりにお住まいだったんですか・・・
> 興亜院の前でしたら終戦まで住んでいました、
> 懐かしく拝見しております。
興亜院が、なんだか分からなくて調べましたら、
1916年創設の工部局経営の学校だったらしいですね。
生徒の国籍は26ヶ国におよび、
英国風の教育で、卒業後はケンブリッジへの
門戸も開かれていたとか・・・
広大な敷地に校舎があって、その校舎は今でも現存してるようです。
ただし、校庭の、角地道路沿い部分には1960年にデパートの
建物が建ってしまったようです。
ランゲルスアパート(七福大楼)は、
調べても出てきませんでしたね。
興亜院の北四川路をはさんだ対面にあるのは、
ラモスアパートってことになっていますね。
日本占領時には白川アパートと呼ばれていたそうです。
- eiyannさん からの返信 2009/01/06 09:59:16
- RE: RE: もしかしてランゲルスアパート(七福大楼)では?
- > eiyannさん、どうも。
>
> 当時あのあたりにお住まいだったんですか・・・
>
> > 興亜院の前でしたら終戦まで住んでいました、
> > 懐かしく拝見しております。
>
> 興亜院が、なんだか分からなくて調べましたら、
> 1916年創設の工部局経営の学校だったらしいですね。
> 生徒の国籍は26ヶ国におよび、
> 英国風の教育で、卒業後はケンブリッジへの
> 門戸も開かれていたとか・・・
>
> 広大な敷地に校舎があって、その校舎は今でも現存してるようです。
> ただし、校庭の、角地道路沿い部分には1960年にデパートの
> 建物が建ってしまったようです。
>
> ランゲルスアパート(七福大楼)は、
> 調べても出てきませんでしたね。
>
> 興亜院の北四川路をはさんだ対面にあるのは、
> ラモスアパートってことになっていますね。
> 日本占領時には白川アパートと呼ばれていたそうです。
-
- イスカンダル亜力山大さん 2005/11/28 18:15:29
- 虹口の旧陸戦隊本部
- 多倫路を北へ抜けたところにある旧陸戦隊本部は、戦後5階部分を継ぎ足したそうです。
稚拙な継ぎはぎで、評判悪いんですって。
ほな。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2005/11/28 18:30:51
- あっ、ホントだ5階建てになってる!!
- イスカンダル亜力山さん、どうも。
先ほどですね、この部分の写真のコラムに「4階建てのビルを建てて・・」と
書き込みながら、違和感を持ってたんですよ。
でも、そのまま写真をじっくりチェックせずに、次に行ってしまいました。
やはり、そうですね5階建てになってますね。
ですが、まあ、こういったタイプの建増し建築の他の例から比べますと
シックリ行ってるように思えます。
ピアス・アパートなどは、ハッキリ、上と下が別物って感じに仕上がってまして、
どうしようもない無神経さを窺わせるものです。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
5
47