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2005年10月23日タイ国5番目の国王ラマ5世の亡くなられ日・・・たくさんの人々が愛したラマ5世・・<br />ラマ5世が現在のタイの基本を築き上げ自ら外国を訪問することで、タイという国を知らせる手立てを築きそして、昔ながらの奴隷制度を廃止し平等と言う言葉の元を築き上げ、商売に置けるノウハウや政治の在り方法律の重要性を大切なこととして民衆を助けた国王様としてラマ5世の歩いた諸外国の国々からも現在でも大切にされている王様なのです。<br /><br />10月23日はタイ国内のラマ5世を偲ぶ人々の祈りが寺院でたくさん行われてました。このチェンマイではワットドンチャンで遠く日本から・シンガポールからもルクシット(弟子)と呼ばれる人々も参加しての祈りが行われました。<br /><br />**ラマ5世の歴史簡略化してます。**<br />1803年9月20日に生まれタイの国王となったのが、1868年11月11日<br />その時ラマ5世は16歳という歳で在りました。<br />ラマ5世は今までの国王と異なり、出来る限り外国へ足を運んだと言われます、この時期外国からのたくさんの投資家を受け入れる為にシンガポールやインドネシアは外国交流を盛んに行っていました、其れをラマ5世は勉強する為にそれらの国々へ行かれた様子・・・そこで皇室に対しての外国人の態度や服装、髪型などを見て、自分の国にも適用したのです。<br />その昔のタイの国々ではまだ領主制度があり其処に使える物は両親がそこで働けば・・子供もそこで働くという云わば奴隷制度を適用していた時代だったのです、彼らはその領主の元を離れる事は許されて折らず、もし其処を出る場合には彼らの身請け金が必要になり(日本だと身売りでしょうか・・昔お金が無くて女郎などに子供の時から売られたというような意味合いです)其れを支払うまたはそれに値する物と交換すると言う制度を設けていたわけですが、それから人々を自由にするために改善する為にと外国で学んだ事を取り入れ、ラマ5世はそれらを禁じる法律を制定したのです。<br />そして全ての政権を改善することで、出来るだけ深く細かく其れを区切り分けることでタイの民衆の自由を守ろうという物でした。そしてタイの国々を自由に行き来する為に、道路を作り、橋を架け、線路(初めて引かれた線路は(最初はバンコク−アユタヤ線で1896年開通しそしてその次にバンコク-ナコンラジャシーマー(コラート)まで開通したのです。)郵便局を1881年に新設、そしてその時代はある国々がその国が欲しい為に争いを始めた、所謂戦争時代へと突入した時代だったのです。<br />1870年にはフランスが押し寄せて国は奪おうとしましたが・・話合いで・87000km&amp;sup2;の領土をフランスに分け与えることでそれ以上の争いは取りあえず防げたタイ国でしたが・・・・1893年になりフランス軍の撤退を要求しその代わりメナームコォン周辺の土地14300km&amp;sup2;と2000000&#8355;を失う事になる。<br />しかしフランス軍はジャンタブリー県を支配しフランス軍の全てを撤退することはありませんでした。<br />1904年にはジャンタブリーにいるフランス軍の撤退を要求する代わりにメナームコォン川の右側の土地12500km&amp;sup2;をフランス軍に奪われたのです。<br />(その当時其処は多分タイの領土であり現在はラオスの領土である場所)フランス軍はジャンタブリーからタラート県に移動してタイは更にパッタッボーン、シアムラート、シーソーポンをフランス軍に奪われました・・・・其れは51000km&amp;sup2;をタイは失う事になりますが・・そのあとタラート県は取り戻しますが、フランス軍により既にカンボジアは制覇されており、その後はパッタッボ<br />ーン、シアムラート、シーソーポンはカンボジアに吸収されてしまうのです。<br />その後ラマ5世は1897年には外国との交流を深める為にヨローッパの国々を廻り友好条約を交して歩くこと約9ヶ月間の時が流れて行きました。<br />帰国後友好条約の下にか国々に大使或いは領事を置く事でタイと外国の交流は華やかになり始めました。<br /><br />しかし面白いものでと言う言い方は良く在りませんが、ラマ5世の時代はお后様以外にも側室を取られ事が出来たのでしょう側室とされた方々は全部で92人折られましたそのうちお后様と側室36人の方々が生んだ子供は息子が32人娘44人で残り56人はお手つきの方々だった訳ですね・・<br />その中でお后様としてラマ5世に使えた重要な人物として記録がたくさん残されているのは、ソンデットパッナーチャオサッワンワッタッナーパッバッロンラーチャテェーウィー妃第21番目のお后様でした。<br />この方が現在のラマ9世の親戚に当ります。<br />この時期ラマ5世の膵臓は既にボロボロの状態であり1910年10月22日深夜15分病魔に襲われたラマ5世(享年57年)(国王として42年間即位しておられました。)はその長い人生を閉じられたのです。<br />次の国王ラマ6世は毎年10月23日をラマ5世の命日としてタイ国民に祈りを捧げるよう命じたのでした。<br />ラマ5世は外交を深め現在のタイの国々へと導いた王として人々からは商売の神様として売り買いの商売を行う人の店には必ずラマ5世の写真と線香と赤いバラ或いはピンクのバラを毎日お供えしています。そして一日の商売繁盛を願います。記念日などラマ5世が関係する祝日にはタマ5世が好きだったブラック珈琲を捧げたりします。お寺により弟子(信者達はラマ5世に関係する)はこのお祈りが終わると宝くじを購入するそうです、そうすると毎年当るといわれて居るのでたくさんに人がお祈りに参加していました。<br />おお・・・これは自分も一枚??当るだろうか????お楽しみに!!<br /><br /><br /><br /><br /><br />

チェンマイは最高に面白い 116 ラマ5世への祈り・・

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2005/10/23 - 2005/10/23

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adsawin

adsawinさん

2005年10月23日タイ国5番目の国王ラマ5世の亡くなられ日・・・たくさんの人々が愛したラマ5世・・
ラマ5世が現在のタイの基本を築き上げ自ら外国を訪問することで、タイという国を知らせる手立てを築きそして、昔ながらの奴隷制度を廃止し平等と言う言葉の元を築き上げ、商売に置けるノウハウや政治の在り方法律の重要性を大切なこととして民衆を助けた国王様としてラマ5世の歩いた諸外国の国々からも現在でも大切にされている王様なのです。

10月23日はタイ国内のラマ5世を偲ぶ人々の祈りが寺院でたくさん行われてました。このチェンマイではワットドンチャンで遠く日本から・シンガポールからもルクシット(弟子)と呼ばれる人々も参加しての祈りが行われました。

**ラマ5世の歴史簡略化してます。**
1803年9月20日に生まれタイの国王となったのが、1868年11月11日
その時ラマ5世は16歳という歳で在りました。
ラマ5世は今までの国王と異なり、出来る限り外国へ足を運んだと言われます、この時期外国からのたくさんの投資家を受け入れる為にシンガポールやインドネシアは外国交流を盛んに行っていました、其れをラマ5世は勉強する為にそれらの国々へ行かれた様子・・・そこで皇室に対しての外国人の態度や服装、髪型などを見て、自分の国にも適用したのです。
その昔のタイの国々ではまだ領主制度があり其処に使える物は両親がそこで働けば・・子供もそこで働くという云わば奴隷制度を適用していた時代だったのです、彼らはその領主の元を離れる事は許されて折らず、もし其処を出る場合には彼らの身請け金が必要になり(日本だと身売りでしょうか・・昔お金が無くて女郎などに子供の時から売られたというような意味合いです)其れを支払うまたはそれに値する物と交換すると言う制度を設けていたわけですが、それから人々を自由にするために改善する為にと外国で学んだ事を取り入れ、ラマ5世はそれらを禁じる法律を制定したのです。
そして全ての政権を改善することで、出来るだけ深く細かく其れを区切り分けることでタイの民衆の自由を守ろうという物でした。そしてタイの国々を自由に行き来する為に、道路を作り、橋を架け、線路(初めて引かれた線路は(最初はバンコク−アユタヤ線で1896年開通しそしてその次にバンコク-ナコンラジャシーマー(コラート)まで開通したのです。)郵便局を1881年に新設、そしてその時代はある国々がその国が欲しい為に争いを始めた、所謂戦争時代へと突入した時代だったのです。
1870年にはフランスが押し寄せて国は奪おうとしましたが・・話合いで・87000km&sup2;の領土をフランスに分け与えることでそれ以上の争いは取りあえず防げたタイ国でしたが・・・・1893年になりフランス軍の撤退を要求しその代わりメナームコォン周辺の土地14300km&sup2;と2000000₣を失う事になる。
しかしフランス軍はジャンタブリー県を支配しフランス軍の全てを撤退することはありませんでした。
1904年にはジャンタブリーにいるフランス軍の撤退を要求する代わりにメナームコォン川の右側の土地12500km&sup2;をフランス軍に奪われたのです。
(その当時其処は多分タイの領土であり現在はラオスの領土である場所)フランス軍はジャンタブリーからタラート県に移動してタイは更にパッタッボーン、シアムラート、シーソーポンをフランス軍に奪われました・・・・其れは51000km&sup2;をタイは失う事になりますが・・そのあとタラート県は取り戻しますが、フランス軍により既にカンボジアは制覇されており、その後はパッタッボ
ーン、シアムラート、シーソーポンはカンボジアに吸収されてしまうのです。
その後ラマ5世は1897年には外国との交流を深める為にヨローッパの国々を廻り友好条約を交して歩くこと約9ヶ月間の時が流れて行きました。
帰国後友好条約の下にか国々に大使或いは領事を置く事でタイと外国の交流は華やかになり始めました。

しかし面白いものでと言う言い方は良く在りませんが、ラマ5世の時代はお后様以外にも側室を取られ事が出来たのでしょう側室とされた方々は全部で92人折られましたそのうちお后様と側室36人の方々が生んだ子供は息子が32人娘44人で残り56人はお手つきの方々だった訳ですね・・
その中でお后様としてラマ5世に使えた重要な人物として記録がたくさん残されているのは、ソンデットパッナーチャオサッワンワッタッナーパッバッロンラーチャテェーウィー妃第21番目のお后様でした。
この方が現在のラマ9世の親戚に当ります。
この時期ラマ5世の膵臓は既にボロボロの状態であり1910年10月22日深夜15分病魔に襲われたラマ5世(享年57年)(国王として42年間即位しておられました。)はその長い人生を閉じられたのです。
次の国王ラマ6世は毎年10月23日をラマ5世の命日としてタイ国民に祈りを捧げるよう命じたのでした。
ラマ5世は外交を深め現在のタイの国々へと導いた王として人々からは商売の神様として売り買いの商売を行う人の店には必ずラマ5世の写真と線香と赤いバラ或いはピンクのバラを毎日お供えしています。そして一日の商売繁盛を願います。記念日などラマ5世が関係する祝日にはタマ5世が好きだったブラック珈琲を捧げたりします。お寺により弟子(信者達はラマ5世に関係する)はこのお祈りが終わると宝くじを購入するそうです、そうすると毎年当るといわれて居るのでたくさんに人がお祈りに参加していました。
おお・・・これは自分も一枚??当るだろうか????お楽しみに!!





  • <br /><br /><br />***工事中***今しばらくお待ち下さい****




    ***工事中***今しばらくお待ち下さい****

  • ラマ5世を祭る部屋の中一面に飾られてたバラの花の香が凄い!!<br />確かに・・この日の朝お祈り用の花を購入する為に市場に出かけたが・・殆んど無くなって居る状態だった・・これはここに全部あったんだと納得?・・・

    ラマ5世を祭る部屋の中一面に飾られてたバラの花の香が凄い!!
    確かに・・この日の朝お祈り用の花を購入する為に市場に出かけたが・・殆んど無くなって居る状態だった・・これはここに全部あったんだと納得?・・・

  • 何故?赤いバラやピンクのバラだったのか??それともラマ5世が大好きな花々だったのか??深い事情は説明している物は少ない・・

    何故?赤いバラやピンクのバラだったのか??それともラマ5世が大好きな花々だったのか??深い事情は説明している物は少ない・・

  • ラマ5世は外交を深め現在のタイの国々へと導いた王として人々からは商売の神様として売り買いの商売を行う人の店には必ずラマ5世の写真と線香と赤いバラ或いはピンクのバラを毎日お供えしています。そして一日の商売繁盛を願います。記念日などラマ5世が関係する祝日にはタマ5世が好きだったブラック珈琲を捧げたりします。

    ラマ5世は外交を深め現在のタイの国々へと導いた王として人々からは商売の神様として売り買いの商売を行う人の店には必ずラマ5世の写真と線香と赤いバラ或いはピンクのバラを毎日お供えしています。そして一日の商売繁盛を願います。記念日などラマ5世が関係する祝日にはタマ5世が好きだったブラック珈琲を捧げたりします。

  • 壁の掛かる彫刻はどれもラマ5世のものばかりだが・・どれもチークで出来ているものばかりで・・・値段は???判らないです。

    壁の掛かる彫刻はどれもラマ5世のものばかりだが・・どれもチークで出来ているものばかりで・・・値段は???判らないです。

  • ラマ5世をお祭りして152年と言う月日が経ちました・・・おおお・・この数次は宝クジにでも出てきそうな数次ですね!!! でもこの花でかかれたタイ数次は100年です。

    ラマ5世をお祭りして152年と言う月日が経ちました・・・おおお・・この数次は宝クジにでも出てきそうな数次ですね!!! でもこの花でかかれたタイ数次は100年です。

  • おや??綺麗な女性を発見!!<br /><br />行事で踊るの?? <br />=違うの・・お祈りに来ただけなの・・=<br />スワイチャンルーイ(綺麗ですね・・)<br />=凄く嬉しい・・ワ〜〜イ=と笑い顔が最高でした。

    おや??綺麗な女性を発見!!

    行事で踊るの?? 
    =違うの・・お祈りに来ただけなの・・=
    スワイチャンルーイ(綺麗ですね・・)
    =凄く嬉しい・・ワ〜〜イ=と笑い顔が最高でした。

  • ハイ!ポーズ!<br />ゴメーンお兄さんの手があんまり綺麗だから・・振るえちゃって・・・ブレチャッたあ・・それでも二コリ・・

    ハイ!ポーズ!
    ゴメーンお兄さんの手があんまり綺麗だから・・振るえちゃって・・・ブレチャッたあ・・それでも二コリ・・

  • お祈り前の色々な儀式に必要な物を揃えたり・・お供え物をしたり・・たくさん遣らなければならない様子を見て・・大変だと思いました。<br />何が間違って居るのだろうか?何をしなければならないのか?こればかりは体験と経験しか物は言えません。これは行事でお坊様のお祈りをしている間・・この糸とお坊様やラマ5世の絵や像に巻かれた糸が結ばれているという証拠もありこの祈りがラマ5世に届きますように・・そして自分達にもよいことが伝わりますようにと言う意味でもある。まだ夕方19時半の段階では半分もくくりつけられては居ないが・・・・・

    お祈り前の色々な儀式に必要な物を揃えたり・・お供え物をしたり・・たくさん遣らなければならない様子を見て・・大変だと思いました。
    何が間違って居るのだろうか?何をしなければならないのか?こればかりは体験と経験しか物は言えません。これは行事でお坊様のお祈りをしている間・・この糸とお坊様やラマ5世の絵や像に巻かれた糸が結ばれているという証拠もありこの祈りがラマ5世に届きますように・・そして自分達にもよいことが伝わりますようにと言う意味でもある。まだ夕方19時半の段階では半分もくくりつけられては居ないが・・・・・

  • そこに居た全ての人々の頭と糸が1体になったのは既に夜20:00を過ぎていた・・・

    そこに居た全ての人々の頭と糸が1体になったのは既に夜20:00を過ぎていた・・・

  • このワットドンチャンは皆さんもご存知のようにドイステープ寺院と双子の寺院としてたくさんの観光ガイド本に紹介されて居ます。<br />寺院に入る門の上には大きなタイのシンボルガルーダが描かれています、そして現在の寺院を守るお坊様は親泣き子供達を引き取り寺院に来る寄付金などとお坊様のお言葉で支援する人々からの資金でこの子供達を養って居ます。この子供達へ送られる基金はシンガポールや日本からそしてインドネシアからこの日の為に集められたお金です。

    このワットドンチャンは皆さんもご存知のようにドイステープ寺院と双子の寺院としてたくさんの観光ガイド本に紹介されて居ます。
    寺院に入る門の上には大きなタイのシンボルガルーダが描かれています、そして現在の寺院を守るお坊様は親泣き子供達を引き取り寺院に来る寄付金などとお坊様のお言葉で支援する人々からの資金でこの子供達を養って居ます。この子供達へ送られる基金はシンガポールや日本からそしてインドネシアからこの日の為に集められたお金です。

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  • すずかさん 2005/10/29 18:15:45
    黙祷・・
    兄さん、ご無沙汰してます。

    タイ国民の方て王族の方のを尊敬してらっしゃいますよね。
    お亡くなりになったので、国中が悲しみに包まれているのではないでしょうか?

    すごく立派な方だったんですね・・
    ご冥福を日本からお祈り申し上げます。

    すずか

    adsawin

    adsawinさん からの返信 2005/11/03 03:32:22
    RE: 黙祷・・おおおおおおおおおおおい!!(・O・)//すずかあ・・・聞いているか??
    おおおおおお・・・・書き方が悪いんだな・・・申し訳ないすずか姫・・
    この方はタイのラマ5世ですから・・ねえ・・・
    なくなって何年経つことかあ・・・・
    現在はラマ9世ダイ!!


    >すごく立派な方だったんですね・・
    ご冥福を日本からお祈り申し上げます<

    それは凄く出来る人だつた・・・・自分から奴隷制度を亡くす為に貧富の差を少なくするために・・平民に自由を与えるためにそして商いのノウハウを教えたことでそして法律を改めたことで・・タイという国がココにあるのだから・・・
    ラマ5世がいたから・・タイは東南アジアの国々の中でも豊かで大きな国に成長したんですよ!
    そういう意味で・・タイの国々の人々はラマ5世を商売の神様としても凄く大切にしているんだ!商いをしている人の店の中の神棚には必ずラマ5世の写真が飾られているはずだし、赤いバラ或いはピンクのバラが添えられていると思う!それ以外は必ず、タイのプミポン国王様とシリキット女王様の写真が飾られているかんだよ・・

    10月23日はそのラマ5世の命日で、誰もがラマ5世へ商売繁盛などの祈りを込めて祈られた日ということでした・・だから沢山のバラで囲まれていて凄い綺麗でした・・商売繁盛や宝くじにも当たる人が沢山いるそうだ・・あたりたいもんですなああ・・・なんて・・

    すずか

    すずかさん からの返信 2005/11/03 08:13:14
    うはは┐(´ー`)┌ 思い込んじゃった・・
    兄さん、おはようございます!
    今日日本は11月3日文化の日です。
    休日だけど、乗馬へ行くので早起きで〜す☆

    >この方はタイのラマ5世ですから・・ねえ・・・
    >なくなって何年経つことかあ・・・・
    >現在はラマ9世ダイ!!

    うわ〜(><)
    すっかりお亡くなりになったんだと思い込んで読んじゃった(><)
    すっすまんです(^^;

    >自分から奴隷制度を亡くす為に貧富の差を少なくするために・・平民に自由を与えるためにそして商いのノウハウを教えたことでそして法律を改めたことで・・タイという国がココにあるのだから・・・

    すごい!
    さすが、皆から愛される方ですね。
    そっかー神様として大切にされてる方なのね。
    タイに行った時、どこにも王族のお写真が飾ってあったの。
    そっか。神棚にラマ5世がいらしゃったのね。
    いやいや。まじで勉強不足です(^^;

    >商売繁盛や宝くじにも当たる人が沢山いるそうだ・・あたりたいもんですなああ・・・なんて・・

    兄さん、あたったらご一報下さいまし〜( ̄ー ̄)ニヤリ

    すずか

    adsawin

    adsawinさん からの返信 2005/11/11 17:47:17
    RE: うはは┐(´ー`)┌ 思い込んじゃった・・***偉くご無沙汰・・・***乗馬???いいねえ・・
    日本の秋を満喫している様子のすずか姫。。。。おいおい・・交替選手してくれ・・・ィ!!乗馬・・・いいなあ・・・優雅だなあ・・お尻が痛いのが悩みだが・・アノ感触が止められない??でもないか?自分はあの優しい肌触りが好きだな・・・・・
    楽しい秋を満喫されたし!!

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