2005/09/27 - 2005/10/08
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さすらいおじさんさん
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アンマンはヨルダンの首都で約170万人を擁し、ヨルダンの全人口約600万人の約4分の1を占める政治、経済の中心都市。アンマンには新石器時代の9000年前以来人類が居住している。古代エジプト、アッシリア帝国、ペルシア帝国、マケドニア王国などの征服を経て、紀元前1世紀にローマ帝国支配のもとでキリスト教が布教されている。その頃のローマ遺跡が残っているがその後イスラム支配となり、ウマイヤ朝およびアッバース朝の時代に都市として発展する。だが度重なる地震と戦乱によって次第に衰退していった。
1946年にトランス・ヨルダンが王国として独立すると、アンマンはその首都になったが人口はわずかに2万人程度だった。だがイスラエル独立をめぐる中東戦争などの混乱の中で、パレスチナ人の難民がヨルダン川西岸から押し寄せアンマンの人口は急増している。現在ヨルダン国民はパレスチナ人70%、ベドウィン人30%とのことだ。
アンマンの国立考古学博物館は小さいながらも貴重な展示物があった。最大の目玉はクムラン(死海)文書の一部が所蔵されていることだ。死海文書(しかいもんじょ)または、死海写本( しかいしゃほん)は博物館での説明によると、ヘブライ語聖書の断片を含む約850巻の写本の集まりであり1947年〜1956年、現在のイスラエルの死海北西の要塞都市クムランの近くの11箇所の洞窟で発見されている。文書は、ヘブライ語のほかにアラム語、ギリシャ語で、紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれている。この時代に書かれたものとしては事実上唯一のユダヤ教聖書の文書であり、この文書の発見により政治的背景、宗教的背景が見え、新約聖書と旧約聖書の中間の時代の研究に重要な文献となっているそうだ。
死海文書はエルサレムの「死海写本館」にもある。ヨルダン領土だったクムラン遺跡は、当初ヨルダン政府によって発掘・調査されたが第3次中東戦争(1967年)の結果、考古学博物館はイスラエル政府に接収され、東エルサレム、ヨルダン川西岸地区も失った。接収直前に一部がアンマン博物館に移送されたものが現在の所蔵品とのことだ。
膨大な量の死海文書を書いたクムラン共同体ヤハドは洗礼者ヨハネやイエスもそのメンバーだったという説があるとのことで人類の重要な遺産だ。博物館には死海文書以外にも新石器時代の頭蓋骨や土器、9000年前に作られ、世界一古いと言われる漆喰で固めた人物像、ローマ時代の彫刻、ナバテア人の女神像、縦型甕棺墓など貴重な所蔵品がある。博物館の周辺には。ビザンチン教会や鉄器時代の遺跡、ローマ時代のヘラクレス神殿、円形劇場などがあり丘の上からはパレスチナ難民の居住区など市街全体が見渡せた。
(写真は丘から見るアンマンの市街)
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アンマンの丘から見る街並み。
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国立考古学博物館。
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死海文書。
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死海文書。
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死海写本が見つかったクムラン遺跡の写真。
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死海文書。
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死海文書。
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死海文書がみつかった壷。
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死海文書。
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9000年前に作られ、世界一古いと言われる漆喰で固めた双頭の人物像。
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新石器時代の人骨。
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9000年前に作られ、世界一古いと言われる漆喰で固めた双頭の人物像。
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世界一古いと言われる漆喰で固めた人物像。
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古代の人物像。
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新石器時代の頭蓋骨。
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新石器時代の頭蓋骨から作った復元予想像。
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国立考古学博物館で出合った家族。
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9000年前に作られ、世界一古いと言われる漆喰で固めた双頭の人物像。
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アンマン空港で出合った女性。
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アンマンの丘から見る街並み。
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アンマンの丘から見るローマ円形劇場。
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ローマ時代2世紀頃のヘラクレス神殿跡。
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アンマンの丘から見る街並み。
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アンマンの丘から見る街並み。
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アンマンの丘から見る街並み。
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アンマンの丘から見る街並み。 パレスチナ難民の居住区とのこと。
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ローマ時代2世紀頃のヘラクレス神殿跡。
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アンマンの丘から見る街並み。
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アンマン近郊の夕日。
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アンマン近郊の夕日。
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アンマン近郊の夕日。
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アンマン近郊の夕日。
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アンマン近郊の夕日。
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アンマン近郊の夕日。
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ベドウィン族の住居風のレストラン。
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この旅行記へのコメント (2)
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- まみさん 2005/10/21 02:23:31
- さっそくヨルダンに保管されている死海文書を拝見!
- さすらいおじさん、こんにちは。
中東旅行記、はじめの方はまたいずれゆっくり拝読しますが、まずはイスラエルに近い方に興味が惹かれました@
この博物館の人物像が面白いですね!
ああいうおめめぱっちりの顔は、他の国の考古学博物館か遺跡からの出土で見た覚えがあるのですが、ちょっと今は思い出せなくて残念です。
エジプトの絵に通じるものがありますが……それよりもっと、架空を見つめているような神秘的な眼ですよね。でも可愛くて、「おめめ」ってかんじ!
死海文書は、おじさんが写真に撮られた以外にも展示されていたと思いますが、やっぱり少ないなぁという印象を受けました。たしかに、そうですよね、ヨルダン側からすれば、接収されちゃったんですよね、とられちゃったんですよね。クムランもヨルダンの一部だった土地だったのですね。イスラエルに行くとき、中東近代史をにわか勉強したとき、第三次中東戦争ではイスラエル側にしてみたら、ヨルダンの勢力を追い払ったって見方をしていました。エルサレム観光をしていたときも、ここの道路からこちらはかつてはヨルダンに占領されていたのを取り戻した、って表現になるんですよ。いやぁ、歴史とは見方と立場によって本当に変わりますね。
エルサレムのイスラエル博物館にある死海文書館は、「歩き方」に写真が載っていたと思いますが、死海文書が収められていたカメの蓋の形をしています。円形の建物です。中は円形の一室しかなく、ぐるっと円を描くようにガラスケースが配置されていて、それに死海文書が、広げられた巻き物のように展示されていました。一部については、聖書のどの部分かわかるように、英語の聖書のその部分が解説として添えられていましたっけ。そして合間合間に、他の文物も展示されていたというかんじです@
展示されていたのはたしかすべて、ヘブライ語のものだったような気がします。といってもへブライ語はちんぷんかんぷんなので、かろうじて少し前に文字だけ、現地の個人ガイドに教わっていたので判別ついただけだったため、熱心に見たのは一部だけ、あとはざっと素通りだったので、もしかしたらヘブライ語以外もあったかも〜。
- さすらいおじさんさん からの返信 2005/10/21 11:37:29
- RE: さっそくヨルダンに保管されている死海文書を拝見!
- まみさん 死海文書をご覧いただきありがとうございます。
人物像の目がぱっちりしているのは9000年前に描かれたと思うと驚きですね。目は古代エジプトでもくっきりアイラインが描かれているし、象眼を入れた人物像もありますね。きっと、目は宗教的にも大切なのだと思います。
イスラエルが所蔵している死海文書を見ていないので解りませんがイスラエルはたくさん展示しているのでしょうね。アンマンの博物館では100平方メートル位の小部屋に展示しているだけです。地味な博物館でしたが、写真を自由に撮らせてくれたのが嬉しかったです。中東の博物館で写真を撮らせてくれたのはアンマンだけでした。
エルサレムのイスラエル博物館ではカメの蓋の形をした円形の死海文書専用の建物を備えているのですね。死海文書はユダヤ教の正典だから当然でしょうが大切にしていますね。アンマンも立派な博物館を建てる予定があるそうですが、パレスチナ人70%の国ですから、国土も遺産もイスラエルに盗られたとの思いは強いと思います。ヨルダンではいろんな文字を見ましたが何が書いてあるかさっぱり解りませんでした。旧約聖書も新約聖書もコーランもこの機会にしっかり勉強してみたい気持ちはありますが、行きたい国がたくさんあるのでなかなか集中できません。
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