1998/08/21 - 1998/09/07
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Hidechanさん
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ロシアの西シベリヤで遊んでイルクーツクから列車でモンゴルに入りました。初めてのモンゴル訪問です。ウランバートルではアマチュア無線の友達たちに出会うことと、これとは全く別のモンゴル人の家族に会うことが目的でした。
無線での知人はモンゴルに数人います、今まで定年退職したら遊びに行くと空手形を発行していましたので、やっと決済するための旅行が出来るようになりました。
これとは別に、札幌の大学院に留学中のモンゴル人の家族と知り合いになり、その家族を訪問する事ともしました。ウランバートル滞在中は入れ替わり、立ち替わり、知人がホテルを訪れ、市内各所に連れて行ってくれました。毎晩、アルヒ(モンゴルのお酒)を飲んで盛り上がっていました。
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写真はモンゴる国境警備隊の駐屯所。
イルクーツク編の続きです。
ロシアとモンゴルの国境を無事通過、数百メートル過ぎて、行く手左に建物が見え出すと列車は止まりました。見ていると建物からモンゴル兵がバラバラと飛び出してきて、建物の前で整列し列車に乗り込んできました。中にはカラシニコフAK47を肩にかけている兵隊も居ます。
ワゴンの中でじっとしていると、一番端のモンゴル人の部屋から怒鳴り声が聞こえてきます。乗客はベロベロに酔っぱらったモンゴル人、彼らを怒鳴り揚げて、持ち物検査を始めたようです。すると、ロシア語で『ロシア語を話す日本人はどの部屋か?』と車掌に聞いている声が聞こえてきました。あー、ヤバイ!と感じるまもなく、我々のワゴンのドアが乱暴にたたかれました。おそるおそるドアを開けると、3人のモンゴル兵が部屋に入ってきました。一人はAKを肩にかけています。一人が丁寧にパスポートの提示を求めてきました、アメリカの爺ちゃんにもロシア語で提示を求めました、仕方なく爺ちゃんに英語で説明しました。その他、行き先や、ウランバートルでの宿泊先等の2.3の質問がありほっとしたとたん、『ダイ ウォトカ、ダイ シガレット』そして『ダイ ダイ ジェンギ ダラー』と叫び出すのです。ウォッカをよこせ! タバコをよこせ!金をよこせ、ドルを!と言うのです。この時は本当にせっぱ詰まりました!穏やかに、ドルもタバコもウォッカも、持っていないと言うと、にやっと笑い、ワゴンを出ていきました。助かった!脅かさないでよ!と叫びたい心境です。
(次へ続く)
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写真はモンゴル国境警備隊の駐屯兵舎から飛び出してくるモンゴル兵。
モンゴル国境警備隊の検査は1時間弱続きました、この列車は問題のある列車の様で、密輸にも使われているそうで(帰国後モンゴル人に聞いた)、厳重な検査が行われていたようです。
列車はまたゆっくりと動き出しました。モンゴル語でアナウンスが有りますが判りません。と車掌が我々のワゴンをノックします。『もうすぐモンゴル最初の駅、スフバートルに到着すると、入国審査事務がある、これが終わるまでは、列車から降りることは出来ないので了承して下さい』とのこ事であった。
スフバートル到着後入国管理官が乗り込んでくるまで1時間も待たされました。もちろん列車のデッキに有る扉は施錠されていて外に出ることも不可能です。
1時間後2名の管理官が各ワゴンを訪れ入国審査事務を始めました、1名は女性です。
我々のワゴンは英語で応対します。課税申告書、アンケートなどを記入するように、そしてまたもパスポートを引き上げていきました(パスポートはウランバートル到着前に返されました)。
1時間後やっと全ワゴンの入国審査も完了、やっと、列車のドアも解放され、ホームに出て空気を思いこみ吸うことがで来ました。乗客も三々五々ホームで散歩をしています。
私たちは、アイメリカ人のじいさんと変わり番にホームに出ました。必ず1名はワゴンに残って中から施錠をして警戒をしています。
スフバートルも鄙びた田舎町です、駅舎の横に10軒程度の出店(マーケット)が有りましたが、ここでモンゴル人乗客は食事をしています、羊の肉を煮た料理の様です、不潔なのとあの臭いでとても食欲のわく状況では有りません。
また列車に戻り、発車を待つこととしました、この駅でも結局6時間停車していて、暗くなってから列車は動き出しました。
このスフバートルの駅では我々の1両編成の列車の反対側斜線に長く繋がった貨物列車で停車しています。積みには巨大木材ばかりです。森林の少ないモンゴルが輸入するシベリヤからの木材のようです。
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列車は真っ暗なモンゴル草原を南下します、何時間に1度程度地平線に明かりか見えます。後は真っ暗でした。
翌朝まだ真っ暗な5時過ぎにぽつぽつと明かりが見えだしました。首都ウランバートルが近づいてきたのでしょう。
6時過ぎにウランバートルの駅構内に列車は入りました。外はまだ暗く、橙色の街灯に浮かび上がったホームには、ホームレス状態の子供達が群れています。窓の下に来て物をせがんできます。
ワゴン内の荷物を整理して、長かった旅を共に過ごしたアメリカ人の爺ちゃんと、今後の旅の健闘を祈ってここで別れました。
タラップを降りてホームに降り立つと、少し離れたホームにベンツが停車していました。このウランバートルもホームが駅周辺と同じ高さになっており、駅の脇の道から直接ホームに車で乗り入れることが出来るのです。
車の近くに3人の男女が発っていて、私を見つけ駆け寄ってきました。札幌で知り合ったモンゴルからの留学生の家族でした。初めての出会いの挨拶をロシア語で交わし、ベンツに乗り込みました。こんな暗い早朝から私を出迎えに駅まで来てくれたのです。予約のホテルにチェックインして、今日午前中はホテルで寝て列車中の寝不足を回復させることとしました。昼過ぎにホテルに迎えに来てくれることし、迎えの人々と別れました。
写真はホテルの窓からみたウランバートルの市内通り、バス停で通勤バスを待つ市民 -
ウランバートル市中央部にあるスフバートル広場を取り囲む建物群。
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真ん中の小さい建物、以前自由経済に移行したとき証券取引所だったところ、今は何に使われているか判りません。以前私のモンゴルの知人がここで働いていた。
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スフバートル広場の、スフバートル像。この像は1946年に建設された。スフバートルは革命の指導者、台座の横には『我が人民が一つの方向に、一つの意志に団結するならば、われわれが獲得できない様な物はこの世に一つとしてない、我々が知り得ない物もない、出来ないことも何一つとしてない』とスフバートルの言葉が刻まれている。この像を囲むように14等の獅子がお互いに鎖で結ばれて立っている。
社会主義の指導者って誰も似たようなことを言う物だ、この言葉、モンゴルから日本の方角にある、例のへんな国のお偉いさんの演説に出てくる言葉とそっくり。 -
先の大戦後、日本兵がソ連経由モンゴルに抑留された。その数約6万、内約7千名がこの地でなくなった。日本兵が建設した建物がこれである。このほか何箇所の建物が日本兵により建てられた。今はオペラハウスとして使われている。スフバートル広場。
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ウランバートル中心のスフバートル広場、中央のひときわ高い建物の7階に友人が経営するFMラジオ放送局がある。
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スフバートル広場正面の建物。
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ウランバートル市内。
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在モンゴル日本大使館。2週間も日本語新聞を見ていなかったので、大使館によって久しぶりに新聞を見た。大使館の係官、大変親切に対応してくれ、日本から毎日届くフアックスの新聞の綴りを持ってきてくれた。丁度この時、北朝鮮のポテドンミサイルが日本列島を飛び越えて太平洋に着水した事が報道されていた。
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ウランバートル市内。
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この巨大ゲルはレストラン。ここで食事を採った。
モンゴル語では[ゲル]と言うが、ロシアでは[ユルタ]と言う、これは多分ブリヤート語から来ているものと思われる。厳密に言うと、ゲルとユルタは形状に若干の相違がある。中国語では[パオ]とも言う。 -
このあたり、巨大ゲルが2.3あり公園のようになっている、今工事中でたぶん増設するのであろう。
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巨大ゲルのレストランで食事。
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ゲルの内部、美人の女性はウエートレス。
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ゲルの入り口。
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アマチュア無線の古くからの友と共に。
向かって左、JT1CO、右JT1BG、共にモンゴルを代表する世界的なDXサー。15年来の友人で丸1日車で市内、郊外を案内してくれた。JT1CO宅によって昼食を戴く。 -
ホテル内レストランで私の歓迎会を開いてくれた、モンゴル人の家族。
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ボグトハーン宮殿と呼ばれているが、実はチベット仏教の寺。第8代活仏は冬の間この寺で生活していたようだ。
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ホグトハーン宮殿博物館。革命前第8代活仏の冬の宮殿であった所。
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結構式場。社会主義の国にはこの手の結婚宮殿がよく建てられた。
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市内にはこの様な空き地?、広場?沢山ある。
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ホグトハーン宮殿入り口前にて。
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ホグトハーン宮殿。
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ウランバートル市街を出て東北のリゾート地テレルジに向かう道、ところどころで放牧されている牛に道をふさがれる。ヤクもいた。
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テレルジに向かう道、緑の絨毯を引いたようなすばらしい景色。
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ウンンバートル郊外にある、日本人墓地、大戦後のモンゴル抑留で多数の日本兵が亡くなっている。
山腹の白い四角に見えるところ。 -
この岩、亀岩と言って有名な所。
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この岩は伝説の岩だそうだが、メモしなかったので忘れてしまった。
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郊外の草地にあったゲルと遊牧民。
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テレルジのゲルに滞在していたただ一人の観光客。日本人のバックパッカー。写真を帰国後自宅に送っておいたが、何にも連絡なし。無事帰国できたかなー。
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ウランバートルから北東約70Kmにある観光地、テレルジの観光客宿泊用のゲル群。
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テレルジにて友人の子と共に。
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ザイサントルゴイから見たウランバートル市外。
ザイサントルゴイは市の郊外にある小高い山の頂上にある、ソ連との友好記念の建造物がある。展望台に成っており、此処にある壁画の中には、ノモンハン事件(モンゴルではハルハ河戦役と言う)で日本軍を撃退した壁画も在った。 -
ザイサントルゴイにあるオボ。チベット文化地域に見られる石積み。
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ザイサントルゴイから俯瞰するウランバートル。
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ザイサントルゴイから俯瞰したウランバートル市街。
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