1998/08/21 - 1998/09/05
58位(同エリア72件中)
Hidechanさん
- HidechanさんTOP
- 旅行記25冊
- クチコミ0件
- Q&A回答15件
- 192,754アクセス
- フォロワー9人
西シベリヤの旅を終わり、ノボシビルスクからイルクーツクに飛行機で移動し、午後到着後、アンガラ河のほとりにあるホテル、インツーリストにチェックインした。
イルクーツクにはモンゴルに行くための経由地として1泊の予定。この地にも無線の知人が居るが時間もなく訪問のことは連絡せず、従って、空港まで旅行社に依頼をして出迎えをして貰った。可愛い女子学生が出迎えに来てくれ、明日モンゴルに発つまで案内をしてくれるとのこと。到着日は時間も少ないので一人で市内散策、翌日バイカル湖を見に行くこととして、一旦帰って貰った。
市内の本屋に寄って市内観光地図を買って散策、ホテルはアンガラ河に近く川岸の散策路をぶらつく。ちよっとした広場には市民の素人音楽団体の様なブラスバンド、またはアコーディオンを抱えた人々が集まり、音楽演奏をやっている。その周りで年寄りから子供までダンスを楽しんでいる。幼稚園児くらいの女の子がおばあちゃんの踊りについて踊っている。みんな永い夏の夜を楽しんでいるようだ。丁度この旅行中に政府の経済政策の破綻でデホルト宣言があり、経済状態は最悪の状態だが、そんなことは物ともせず、市民はその日その日を楽しんでいる。
-
国立イルクーツク大学図書館、学生達はここを『ホワイトハウス』と呼んでいる。
-
この町も街中の木々が多く、林の中に町が有るようだ。並木道がトンネル状に繁茂し自動車道路がその中を貫いている。
-
自動車道路から見た街並み。
-
バイカル湖から流れ出るアンガラガ河。この湖には多数の河が流れ込んでするが、流れ出す川わアンガラのみ。河の中程にシャーマンの岩と呼ばれる岩が頭を出している。流れは非常に速い。
-
イルクーツク市内を流れるアンガラ。
-
バイカル湖畔に有る村、リストビャンカ村。ここのロシア正教のお寺と、日本人墓地(シベリヤ抑留者の墓地)を訪ねてお参りをした。
-
リストビャンカ村に有ったホテルのテラスからバイカルを望む、素晴らしい天気のもとバイカルは静かに地平線の彼方まで横たわっている。一部の対岸は見えない。
-
ホテルのテラスからバイカル東岸を望む。
-
湖畔の港で船をチャーターして湖面に出てみた。湖面から見るバイカル湖畔。
-
国境ロシア側の駅ナウシキで。
イルクーツクに一泊し翌日は午後2時頃までバイカル湖散策、イルクーツクにに帰り、夕刻7時の列車でモンゴルのウランバートルに行くこととした。
この度の旅行予定は日本でインターネットを使い、ロシア、モンゴルの飛行機便、列車便、ホテル等を検索して、自分で旅行計画を立てた。この計画書を見せた在札幌のロシア人、モンゴル人、または、メールで知らせた、ロシアやモンゴルの友人達全員から、このイルクーツク〜ウランバートル間の列車は絶対利用せず、飛行機便に変更せよとの忠告を受けた。98年はまだ社会主義から資本主義への変わり目で、両国の国内情勢は混沌とし、特にこの便は『泥棒列車』または『強盗列車』として両国に知られており、非常に危険とのこと。拙いロシア語と英語で初めての国境越え、ましては60過ぎのご老体の1人旅、友人が心配するのは当然、しかし、反対者が多いほど、挑戦意欲が沸いてきて予約を入れた。
7時過ぎにイルクーツクの駅で列車に乗り込む、と、車掌が飛んできて部屋を変えて欲しいとのこと、最初予約したワゴンにはモンゴル人の家族がすでに乗り込んでおり、車掌曰く、この列車の乗客でロシア人、モンゴル人以外の外国人は2人だけなので、外国人だけで1部屋使って欲しいとのことであった。列車の隅にあるワゴンに移動すると70過ぎのアメリカ人のご老体がいて。彼曰く、ヨーロッパからシベリヤ鉄道で北京まで行き、その後ロシアのウラジォストックから飛行機でアメリカに帰る予定だそうだ。彼は英語しか理解できず、久しぶりに英語が理解できる同室者を得て、シベリヤ鉄道の最悪振りをまくし立てる。列車が走り出したが窓がさび付いて完全に閉まらない。この窓から吹き込む風の寒さに3日間悩まされた。(次へ続く) -
ナウシキ駅構内。
列車は走り出して1時間半後には外が暗くなり出した、まだバイカル湖畔まで到達していない。外の景色はあきらめてイルクーツクで買い込んだ食料を取り出し食べ出したが同室のアメリカ人のじいさまはビスケットしか持っていない。仕方なく半分あげて寝ることとした。10時過ぎにワゴンの電気が切られ真っ暗、その上窓からは寒風が吹き込む。アメリカのオッチャンが猛烈に怒り出した、しかし彼は英語しか分からず、車掌の所に行って電気を付けるようにロシア語で頼んで欲しいとのこと。
交渉したところ、電気はバッテリーから供給しており、バッテリーが古いので、10時以降は電気を切っているとのことである。強く抗議をしたら、特別に我々のワゴンだけ通電するとのことで有ったが。30分後にはまた切られてしまった。面倒なのでベットに横になり寝るこことした。他の部屋が騒々しい、真っ暗なワゴンで酒盛りでもやっているようだ。我々は部屋を絶対開けないようにし、必ず1人は残り、通常は中から鍵をかけ、車掌等が来ても、ドアチエーンをかけ、ドアを全開きにしないこと、他人は絶対部屋に入れないこととした。
夜明け前に列車は長時間停車している、たぶんウランウデに到着したのだろう。
7時過ぎに夜が明けた。びっくりしたことには、イルクーツクで乗り込んだときに13両連結されていた車両が1車両しか機関車に繋がっていない。12両はウランウデからシベリヤ鉄道を東に、1両だけ切りは離されウランバートルへと国境越えをするようだ。
この1両が問題の『泥棒列車』なのだろう。この列車の時間表をインターネットで調べたときに初めて判ったことだが、国境ロシア側のナウシキで8時間停車している、国境を越えモンゴル最初の駅、スフバートルでも6時間の停車になっている?国境越えにこんなに時間がかかる物か、不思議だった。従ってイルクーツク〜ウランバートル間が2泊3日を要している。(次に続く)。 -
ロシア側のうら寂しい村、ドジーダの駅前。
夜が明けると列車内は騒々しい、子供達がワゴンの外側の通路を走り回っている、あちこちのワゴンからは怒鳴り声が聞こえる。 朝から列車内は酔っぱらいでうなっている状態だ。トイレの帰りに車掌室を覗く、モンゴル人の娘さんがこの列車の車掌だ。ロシア語が理解できるのでロシア語で話し合った。この1両のワゴンにはロシア人1家族、それにアメリカ人1人、日本人1人、他はモンゴル人ばかりとのこと、多くはロシアに買い出しに出かけウランバートルに帰るところとのこと、なるほど、トイレの隣の1部屋は荷物で満載になっている。
部屋に戻っていると、向こうの部屋でヤパン、ヤパンと言っているのが聞こえる、身構えていると、やって来た、酔っぱらいが3人来て、『我々の部屋で一緒に飲もう』とロシア語で誘いにやってきた。車掌にロシア語を話す日本人が1人乗っているのを聞いてきたようだ、ドアチエーンをかけ、丁寧にお断りを申し上げた。その後頻繁に誘いに来る、トイレの帰りに通路で腕を捕まえられ、離さない。何とか勘弁して貰った。酔っぱらいの臭いとモンゴル人特有の臭い(昔子供の時に羊を飼っていて、その肉を煮て食べたことがある、あの猛烈な臭いが思い出された)、たまった物でない。
列車は時々うらさびしい村で停車しながら南下する。停車しても村人が寄ってこない。当然だ、1両車でモンゴル人しか乗っていない列車ではホームで店を開いても何も売れないのだろうから。結果食料はイルクーツクで買ってきた物で食いつなぐことにした。
国境近くのナウシキで長時間停車、ロシアの出入国管理官、税関が乗り込んできて出国手続きをした。パスポートを持って行かれたので心配したが、発車前に戻された。長時間停車だったので、アメリカの爺ちゃんと変わり番に町に出てみたが、うらさびしい町で何も見るところもない、店に入ってみたが、がらくたのような品物が棚にちょっと有るだけ、ワゴンに戻り昼寝をすることとした。 -
ナウシキを出た列車はゆっくりとロシア、モンゴル国境に近づく。もちろん、国境地帯は撮影禁止。写真を撮って見つかった場合写真機も没収になると困るので、そのために日本を出るときにインスタントカメラを用意してきた。列車のカーテンを締めて、一寸開けここからインスタントカメラで国境越えを撮影。
この写真はロシア、モンゴル国境である。国境は2m程度のバラ線のフェンスで隔てられている。向こうの小高い山の上には監視塔がありここから監視をしているようだ。列車はゆっくりと国境を越えた。
国境をこえ少し進と、2階建ての兵舎の様な建物があり、列車はここで止まった。
(この続きはモンゴル編へ
)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- ノスタルジアさん 2019/03/15 21:06:21
- イルクーツクからウランバートルまで列車を考えていますが、
- アドバイスをお願いします。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
イルクーツク(ロシア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
13