2002/07/19 - 2002/07/22
4713位(同エリア4799件中)
EMUさん
2002年7月トルコ・ギリシアの旅に行った。
旅程は、イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→エフェス→クシャダス→サモス島→オリンピア→スパルタ→アテネ。
短くはあったが、非常に楽しい旅であった。
6月までやたらと働き、2週間近く休暇をもらった。
この旅で残り8月〜翌年3月までわずか有休3日になってしまった。
今思えば、無茶な有休のとり方をしたものだと思う。
トルコの感想としては、発展途上国から先進国へ変わりつつあるという感じで、
発展しているところは先進国並みに発展しているし、それ以外は、大して発展していない。
食べ物は、大しておいしいものにあわなかった。
ケバブもそれほどおいしいとは感じなかった。
エジプト帰りの旅行者は、うまいと言っていたが。
おいしいのは、トルコアイスくらいだった。
人は、非常に親日家が多く楽しかった。
中にはだまそうとする者もいるのだろうけど、優しく、親しげで楽しくさせてもらった。
結局、だまされた経験も嫌な思いも一度もしなかった。
総じて、いい国だと思う。
数年後、おそらく変わっているであろうトルコをもう一度体験したいと思う。
トルコへは、トルコ航空を使った。
当初、この旅はギリシアのみに行くつもりであった。
しかし、ギリシアまでの直行便はなく、どこかの国を経由しなくてはならない。
そんな時、25歳以下は割引するというトルコ航空が特に割安であったので、
トルコ航空の利用を決めた。
次にせっかくトルコにも行くのだったら、ストップオーバーで滞在したい、
できるのであれば、陸路でイスタンブールからアテネまで行きたいと考えた。
しかし、格安航空券の代理店は、オープンジョーは認めない、
仮にイスタンブール→アテネに乗らなかった場合、賠償問題になるかもしれない、
日本までのチケットまでキャンセルされるかもしれない、
と言われた。
まあ、だめもとでトルコ航空と掛け合ってだめなら、往路アテネまで行き、
イスタンブールまで陸路移動後、アテネまで飛行機で移動すればいいと考えた。
結果、成田空港でトルコ航空の職員に掛け合って、オープンジョーのチケットにしてもらった。
まあ、イスタンブール→アテネに乗らないだけなんだから、
問題ないはずと勝手に思っていたけれども。
イスタンブールに夕方到着後、空港から旧市街までシャトルバスで移動した。
シャトルバスで降りた所で、いかにもトルコ人ではない白人がいたので声をかけた。
せっかくなので、外人と友達にでもなろうと思ったからだ。
私:「これからどこに行くの?」
外:「どこかの安宿探している」
私:「じゃ、せっかくだから一緒に探そうか」
外:「うん」
そんなわけで、この外人と一緒に探す事になった。
私:「どこから来たの?」
外:「イスラエル」
生まれて初めて会うイスラエル人だった。
この後、彼とスルタンアフメット地区の安宿を探し、同じ宿に泊まる事にした。
宿は6人部屋のドミトリー。
長期滞在の日本人も一人いた。
この時、初体験だったが、白人の女の子も同じ部屋だった。
正直、ドミトリーに男女同じ部屋とは驚いた。
チェックイン後、このイスラエル人と一緒に食事に出た。
値段が高いとか、好きじゃないとか色々と文句ばかり言っていたので、
結局、トルコアイスを食べて終わった。
トルコアイスは、あの伸びる有名なやつ。甘くてうまい。
その後、宿に帰る途中、道に迷ってしまった。
私:「なんか道間違えているっぽいけど、これで正しい?」
イ:「May be」
私:「正しい道知っている?」
イ:「May be」
こんな会話を3〜4回繰り返している間に更に迷った。
結局1時間くらい迷って宿に到着。
飛行機に10時間以上も乗って、疲れているのに更に疲れてしまった。
このとき以来、May beという言葉は信じてはいけないという事と、
イスラエル人に対する不信感が残った。
ただ、迷っている間に良い事もあって、イスタンブールのアジア側から
花火の打ち上げがはじまった。
その時は夜だったが、丁度この写真の位置くらいから花火を見ていた。
ヨーロッパ側からアジア側で打ち上げられる花火を見る。
はるばるイスタンブールまで来たという実感がわいてきて、非常にうれしかった。
今でもあの花火は忘れない。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
-
スルタンアフメット・ジャミィ。
通称ブルーモスク。
非常にきれいなモスクだった。
夜は夜でライトアップされてきれい。
スルタンアフメット地区にあり、宿から近かったので、
早速訪れた。
中には何人も祈りに来ている人がいた。 -
アヤソフィア。
ブルーモスクと同じくスルタンアフメット地区にある。
この二つのモスクはきれい。 -
イスタンブール大学。
イスタンブール大学はこの時夏期休暇中で入れなかった。
周囲を一周したが、かなり広かった。
ここからスルタンアフメットに帰る途中、
一人のトルコ人に声をかけられた。
思い出すとトルシエの通訳ダバディに似て、男前。
わかりやすい英語だった。かなり親切で、モスクの説明や案内をしてくれた。
サッカー見たいと言ったら、明日連れて行ってやるとか言っていた。
丁度アルゼンチンのオルテガがトルコに移籍したので見たいと言ったら、
新聞で調べてくれて、イスタンブールではしばらく試合をしないとも調べてくれた。
まあ、親切なんだが、当然怪しいとずっと思い続けていた。
すると、最後に家に招待するからぜひ来てくれと言われた。
まあ、親切にしてもらったのでいいかと思っていくと、
案の定、絨毯屋だった。
まあ、絨毯屋は絨毯屋で絨毯の説明とかしてくれて、それなりに楽しかった。
しかも、そこの店員が日本語ペラペラでしょっちゅう商売で日本に行っているらしい。
日本語で「トルコに来るなら、トルコ語勉強しなさい」とも言われてしまった。
ごもっとも。私はまったくわからない。
絨毯買わないというと、ここで買わないと損する、何年も旅を続けるような人でも
価値がわかる人は買っていくと、なんとも嘘臭い説得が続いたが、結局買わなかった。
最後に「チャイ入れてやるから飲んでいきな」、とチャイを出された。
一応断ってみたが、雰囲気的に断れない状況になったので飲む事を覚悟した。
本でこういうチャイを飲んだ後に気絶もしくは昏睡して、
身包みはがされると読んだ事があるので、人生で最も気合いを入れて、お茶を飲んだ。
飲む瞬間、手の爪を立て、血を流してでも、
眠たくなりそうだったら、何が何でも意識を失わないようにしようとした。
結局何もなかったが、さっさと店を出て彼らから遠ざかろうとした。
それにしても気合いのいった、チャイだった。 -
絨毯屋を出た後、地下宮殿に行った。
写真は、地下宮殿内のメドゥーサ。
ひんやりしていて、気持ちがよかった。
美しく、神聖な雰囲気があった。 -
トプカプ宮殿。
オスマン朝支配者の居城だそうだ。
さすがに広く立派だった。
入場料はやたら高かったが、国際学生証(期限内)を見せたら、
無料では入れた。もってきて良かった。
宮殿から見る金角湾は景色が最高だった。
こういうところで住むのもいいもんだと思った。 -
旧市街から新市街への途中見えたガラタ塔。
この写真の近くにガラタ橋があり、対岸に渡れる。
その近くには大きなバザールもあり、
香辛料がたくさん売っていた。
橋では釣りをしている暇そうなおじさんでいっぱい。
この後、対岸に渡り新市街を散策した。 -
ガラタ塔から旧市街を撮った写真。
旧市街からガラタ橋を渡ったら、新市街。
渡ってすぐになんとも怪しげな地下鉄があった。
これを使うと新市街の坂の上まで楽に行ける。
新市街はとにかく坂が多い。
新市街は、かなり発展していて、先進国の地方都市並み。
路面電車も走っており、いい雰囲気。
新市街の中には、この前年にUEFA杯で優勝したガラタサライのショップがあり、
土産を買いに行った。
高級ホテルとかもあり、金持ちが泊まりそう。
新市街を抜けていくとドルマバフチェ宮殿がある。
衛兵の交代とかしていた。
トプカプ宮殿に負けず劣らず豪勢だった。
新市街から帰る途中、対岸から見えたガラタ塔に立ち寄った。
こういう都市に来た時はとりあえず、高いところに登って全体を見渡したい。
写真が、そのガラタ塔から見た写真。
金角湾とガラタ橋を見る事ができた。
かつてのビザンツ帝国の首都でコンスタンティノープル侵攻があった時、
この湾内に軍船が並んでいたのかと想像してしまう。
歴史の重みを感じる場所だった。
この後、スルタンアフメットにある旅行社に行き、カッパドキア行きのバスのチケットを買った。
イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→エフェスのチケットで30ドルだったと思う。
地球の歩き方を見てもそれほど高くもなかったので買った。
最終日、朝一のバスでカッパドキアに向かった。
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