2005/09/30 - 2005/10/08
301位(同エリア311件中)
背包族さん
国慶節の連休に、列車とバスを利用し貴州省を縦断してきました。
今回の旅行では、デジカメのカードが壊れてしまい、撮影した写真が全てなくなってしまいましたが、旅行記はUPする予定です。
やはり9日で貴州省を西から東まで移動するのはハードで、観光よりも移動の時間がほとんどでした。
西部は割りと道路が整備されていて楽だったのですが、東に向かい広西に近づくにしたがって、山道が多くなり移動に時間がかかりました。
貴州省でも大都市間の移動(例:安順、貴陽、凱里)などは高速道路でそれぞれの都市間を2時間以内で移動できます。
一番きつかったのが、凱里−鎮遠(4時間)と凱里−榕江(4.5時間)です。時間的にはそうでもないのですが、川越え、山越えのため車酔いします。
凱里−榕江は意外にも完全に舗装された道路なのですが、かなりの山越えです。
FUJIのカメラはスマートメディアなんですが、以前から調子がおかしくて、WriteErrorになったりしていましたが、旅行中はそれでも、バッテリーを入れたり、抜いたりしてなんとか撮影はできていました。
ところが、家に帰ってカードリーダーに入れると全く読み込めないし、カメラに戻してみると、カメラでも見られなくなってるし!もう、超ショック...。
今回訪れた場所は日本人がほとんど行かない秘境だったので、ぜひ旅行記で写真入りでご紹介したかったんですが残念です。
また、旅行中、貴陽で使い捨てカメラ(厳密にいえば、何度も使えるプラスチック製)を購入しましたが、フィルムの入れ方が悪いのか結局使えませんでした。
カメラはそろそろ買い換え時かもしれません。
スマートメディアは値段も高いし、最大でも128MBなので大量に写真をとる私にとってはちょっと容量が小さいのです。
それに、他の人の話でもスマートメディアは壊れやすいと聞いたので。
−日程(9/30〜10/8)−
D1 桂林→安順(列車、硬臥約200元)車内泊
D2 安順→六枝→梭嘎(バス、10元)→長角苗族の村(バイタク)→梭嘎(徒歩)梭嘎泊
D3 梭嘎→六枝(バス)→大山哨(バス、11元)→石頭寨→安順(バス)→七眼橋(バス、3.5元)七眼橋泊
D4 七眼橋→雲山屯(ミニバス+徒歩)→本渓屯(チャーター)→七眼橋(チャーター)→天龍屯(バス)→平BA(バス)→貴陽(バス、12元)貴陽泊
D5 貴陽→青岩古鎮(バス)→貴陽(バス)→凱里(バス、45元)凱里泊
D6 凱里→鎮遠(バス、25元)鎮遠泊
D7 鎮遠→凱里(バス、20元)→榕江(バス、45元)榕江泊
D8 榕江→従江(バス)→BIA沙(ミニバン)→三江(バス)→龍勝(バス)
D9 龍勝→桂林(バス)
◎安順
安順は貴州省の最も有名な観光地「黄果樹瀑布」へのアクセスの基点となる町で、場所は貴州省の西部に位置している。
安順の駅につくと、国慶節期間に開催される「黄果樹瀑布祭り」の垂れ幕があったが、滝にはあまり興味がないのと、入場料が90元と高額なので今回はパス。
安順の街は思っていたより都会だった。
安順よりさらに西部にある町、六枝へのバスは華西バスターミナルから出ている。
◎六枝
鉄道も通っているが、時間の関係でバスで訪れた。
長角苗族の村へのアクセスの基点となる町。
ここからバスでさらに梭嘎に向かう。
◎梭嘎
長角苗族の村へは、ここからバイクタクシーに乗って約10分(3キロ)。
バイクタクシーは1台5元。
長角苗族の村は、すごく俗っぽくて旦那は嫌気がさしていた。
ここは村自体が生態博物館として整備されている。
生態博物館に入るやいなや、観光客のために着飾った、大きな頭飾りが特徴の長角苗族がわざとらしいポーズをとり、写真を撮らせるよう仕向けてくる。
後からたっぷり撮影代を要求されるので要注意。
撮影する長角苗族1人につき10元とのこと。
入場料などはないので、代わりに藍染の布や刺繍の靴など民芸品を80元分購入。
ここの生態博物館や招待所はノルウェー政府と地元政府の出資で作られたとのこと。
招待所は田舎にしては割りとこぎれいな方だが、管理人の中年男性は最悪!
ネットの情報だと、1人20元ということだったが、強制的に食事3食分20元、合計2人で80元を抱き合わせで払わされた。
1時間ほど散策したあと、旦那がここに泊まりたくないと言い出し、キャンセルすることにしたら、20元しかお金を返してもらえないので、旦那が公安に電話し来てもらい、60元返してもらうことで話がついた。
でも、この派出所の所長と管理人は知り合いのようで嫌な感じだった。
最初は私が外国人だと分からなかったようで、態度がデカかったが、外国人と分かり、さらに旅行社の名刺(肩書きだけ経理=社長)を出すと、ちょっと意外な顔をしていた。
最初は、1人、2人来なくなってもうちは構わない。あんたたちが勝手に来ただけ。うちは二度と歓迎しないなんてことを言っていた。
◎大山哨
大山哨は六枝から安順へ戻るバスでとおる場所。
安順まで戻らずとも、ここでバスを拾えば、鎮寧、黄果樹瀑布、石頭寨方面(南方向)に移動できる。
◎石頭寨
中国のガイドブック≪古鎮遊≫に掲載されている安順地区にある古鎮。
ブイ族の村で、藍染めの村としても有名。
国慶節期間なので、若干の地元の観光客がいた。
入場料をとるくらいだから、結構観光地化されていて、案内板や石畳が整備され、お土産屋もたくさんある。
家の屋根などすべてが石で作られていて、木造の少数民族家屋を見慣れたわたしにはちょっと新鮮な感じ。
ここでは民族衣装を着ているのはおばあさんだけ。
おばあさんに藍染めに使う染料が入った桶を見せてもらった。
藍染めの商品はなかなか魅力的なので、テーブルクロス2枚購入。
入場料:40元だが、なぜか20元で入れる。旅行社の名刺を出して視察に来たと行ったら無料になった。
◎七眼橋(鎮)
この町も鉄道が走っている。
だから、宿泊する際はちょっと列車の音が気になる。
しかも雲南と貴州をつなぐ幹線なので、往来が頻繁。
雲山屯という屯堡人(老漢族)が住む村へのアクセスの基点になる町。
バスでも安順から近く、所要約30分。
ただし、わたしたちがのったバスは直接七眼橋鎮の中心部には行かず、村のはずれで下ろされたので、15分くらい歩く必要がある。
この町では、独自の衣装、髪型の屯堡人の女性が普通に生活している様子を見ることができる。
屯堡人(老漢族)とは、明の時代に、朱元璋によって派遣された兵の子孫たちで、れっきとした漢民族であるが、朱元璋の故郷、安徽省の当時の服装、習慣をいまだに守りつづけているという。
まだ出来たばかりの旅社に宿泊(40元/1室)
◎雲山屯
屯堡人(老漢族)が住む村。
七眼橋鎮から雲鷲山行きのミニバスで行く。
山の中腹にある入口まで徒歩約15分。
いちおうチケットオフィスがあって入場料が3元ということになっているが誰もいない。
入口を入ると、立派な石門がある。
朝早かったのと雨のせいか、観光客は唯一中国人観光客1組を見かけたのみで、訪れる人はかなり少ないと思われる。
村人もほとんど見かけず、さびれているが、城壁などは残っていて、軍事要塞であったことはうかがえる。
村内には仮設の舞台が設けられているが、ひっそりとしていて、いつ設けられたのか不明。
かつて、イベントでも開かれたのだろうか。「屯堡文化祭り」と書かれた垂れ幕は残っていた。
帰ろうとしているところへ、苗族だという中年男性登場、観光客だとわかると無料で歌のサービスをして、そのまま去っていった。
◎本渓屯
屯堡人(老漢族)が住む村。
さきほど、七眼橋鎮から雲鷲山行きのミニバスで下ろされたところに戻る。
角にあった民家(謝さん宅)で少し雨宿りさせてもらい、本渓屯への車チャーターの件をお願いする。
携帯で連絡してくれ、ミニバンの運転手がやってきた。
本渓屯まで約4キロ、往復20元で商談成立。
ここも訪れる人もない、寂れた村だったが、一応最近建てられたらしい広場と木造の建物(地劇用か?)があった。
村内にも案内版が出ているので、一応観光開発は進められているようだ。
インターネットで調べた情報によると、本渓屯は地劇が盛んな所で、春節のほか、稲の収穫時にも田んぼで披露されるとあったので行ってみたのだが、すっかりだまされた。
稲の収穫に忙しい時期にそんな悠長なことはしないようだ。しかも雨だから、観光客も誰もいない。
運転手には観光時間30分と伝えてあったけど、早めに戻る。30分たっても運転手が戻ってこない。
雨のため、かなり冷え込んで2人で震えながら運転手を待つ。
友達の家に遊びにいっていたという運転手がやっと戻ってきて、+10元で七眼橋鎮まで戻る。
◎天龍屯
屯堡人(老漢族)が住む村。
七眼橋鎮から平BA行きのバスに乗り、天龍鎮で下車。
ここは、上記2つの村とは違い、大型バスで多くの団体観光客が訪れるところである。
入場料は30元だが、こっそり入ったらチェックなしだった。
ただし、ここの演武場(地劇が見られるところ)に入るときに、チケットチェックがある。
旦那がガイド証を見せ、私が客のふりで無事通過。
ここは確かにお土産屋も多く、観光地化されてて、観光客も多いが、見所は少なくないので、おすすめ。
古い建物が多く残る、規模の大きい屯堡人の村で、古い建物を利用したレストランや地劇のお面のギャラリーがある。
地劇は、演武場で団体が訪れるたび、上演されるので、何度でも見ることができる。
上演後は、地劇俳優と記念撮影する中国人がたくさんいるので、写真を撮りたい場合は中国人と戦わなければならない。
演武場の前の東屋では屯堡人のおばちゃん2人が観光客に無料で生姜茶のサービスをしている。
ここには、揚げ芋などの軽食の屋台もある。
◎平BA
屯堡人(老漢族)が住む村へのアクセスの途中で寄った鎮。
貴陽行きなどのバスが出ている。
◎貴陽
貴州省の省都。
しょぼい町だと思っていたら、ウォルマート(米国の大型スーパー)もあり、街並みも都会っぽかった。
高層ビルがあるので、桂林より少し都会に見える。
貴陽では、バスターミナル向かいの家庭旅館に宿泊。
ここは、普通のマンションの一角にある。壁が薄いので、隣や服務員のオシャベリ、テレビの音が気になり不眠。
ここにはもう二度と泊まりたくない。
観光はとりあえず、バスで海浜公園へ行き、歩いてウォルマートとがある人民広場へ行く。
人民広場には毛沢東の像やテレビが見られる大画面があった。
それから歩いて「甲秀楼」に行く。歩くと結構距離があった。
夜は、ライトアップされていてきれい。
貴陽の名物小吃の腸旺麺は、豚の内臓と血の塊入り激辛麺で、私には無理だったが、旦那はうまそうに食べていた。
◎青岩古鎮
ここは、≪古鎮遊≫という本の中でみつけた古鎮。
貴陽から約40キロと近いので、行ってみることにした。
本によると、ここで姜文主演の映画≪尋槍≫という映画が撮影されたということだ。
この映画は桂林でレンタルして見たことがあるが、背景まではあまり記憶が定かではない。
ただ、姜文が映画でしゃべったいた言葉が四川語かと思っていたら、貴州語らしいということが分かった。
入場料は”通票”のみの販売。34元を20元にしてもらった。
古鎮内の寺などのスポット5,6箇所にも入場可能なもので、スポット入口でチケットチェックがあり、入場のつど該当のスポットの写真にパンチで穴を開けられる。
ここは、人・人・人。でもたぶん地元の人が多いのだとは思うが・・・。
古鎮内唯一の客桟は168元と高く、しかも満室。
古鎮の規模は結構大きく、石畳のメインストリートは結構長い。
両脇には食べ物や、お土産屋がびっしり並ぶ。
ここは、周恩来の父、小平の妻の父だったかな?が住んでいたことがあるらしく、周恩来の父の住んでいた家の前で写真を撮る中国人男性多数。
国慶節なので、内部の廟でイベントがあり、獅子舞、苗族の踊り、男性が砕いたガラスの上を歩いたりするショーが見られて案外楽しかった。
◎凱里
凱里は今回で二度目、貴州省黔東南州の州都である。
凱里地区は少数民族関係の見所が多い。
今回、貴州の西部にも行ったが、やはり東南部の苗族、トン族は相変わらず素朴で、そんな黔東南が一番好き。
広西にも近いこともあり、なんだかホットする場所。
ここの少数民族はあまり観光化されていない、貧しいということだろうか。
でも、心は豊かで、客好きな人たちだ。
凱里は、以前にも泊まった、営盤東路にある黎平招待所に宿泊。
ここは、清潔で安いので、お気に入り。次回来る機会があればまた泊まるだろう。
貴州は貧しく、山に囲まれた省なので、道が悪いだろうという予想は、はずれだった。
大都市間の移動は高速道路、貴州西部の道は、ほぼ舗装完備。
ただし、貴州東部、ここ黔東南州から広西方面にかけての移動は、山道の連続で距離の割りに時間がかかる。
◎鎮遠---S字形の川沿いの古鎮
鎮遠は、その名のとおり遠かった・・・。
鎮遠は、凱里の北にある古鎮で、1986年、歴史文化名城に登録されている。
凱里から日帰りのつもりで、招待所に荷物をあずけて出かけたが、日帰りできず(というかバスがきついので日帰りしたくない)。
凱里行きの最終バスは14:30。
地図で見ると近くみえるが、バスで所要約4時間。
超悪路で、もう二度とバスで来たくない。
ローカル列車も走っているが、あまり便利ではなさそう。
バスは、まず苗族の姐妹飯節で有名な施洞鎮に向かい、そこから渡し舟(手動っぽい)で清水河をバスごと渡り(乗客は下車する)、馬号鎮に入り、ひたすら鎮遠へ向かう。
渡し舟は鉄のプレートのような平らな船で、ワイヤーで引っ張る方式で、舵をきって前に移動する。
両岸かわるがわる渡していくので、時間がかかる。
対岸の馬号鎮から鎮遠までは超悪路で、かなり車酔いする。乗客の子供も泣き出す始末。
ほうほうの態で、鎮遠に到着。徒歩で古鎮エリアへ(バスターミナルから徒歩20分くらい)。
途中の道路沿いには古い廟があった。
古鎮は多少観光客用に整備されているが、麗江ほどは観光地化されていない。
メインストリートは幅の広い1本道で、単純な構造のため見るのに時間はかからない。
山側に毛沢東語録などが壁に残る明清代の古い民家が残っている。
今回は、この古民家の写真をたくさん撮ったが、デジカメのカード故障のためなくなってしまった。
山をずっと登っていくと、苗族対策に作られたという珍しい長城「苗疆長城」(4元)がある。
ここからは、鎮遠の街と氵踊 陽河を眺めることができる。
S字形に流れる氵踊 陽河の色は、独特(乳白色ブルーだったりエメラルドグリーンだったり)。
河沿いの「吊脚楼」が川面に映ってきれい。
古城ストリートの突き当たりの対岸に岩の上に作られた明代の道教の寺院などの建築群「青龍洞」(古民居博物館(30元))がある。
◎榕江(県)
榕樹(ガジュマル)が多いことが地名の由来となっている榕江は、貴州省の南東の広西側に位置するので、凱里から東南方向の榕江への移動時間はやや長く、完全舗装道路だが、いくつも峠越えが続くので車に酔いやすいひとにはきついかもしれない(所要約4〜5時間)。榕江-凱里は朝なら確実に便がある。
榕江は、また、東部の従江、黎平に向かうための交通の要衝となっている。
榕江-従江間の道は、完全舗装で、川沿いのためカーブが少なく快適、頻発(所要約2時間)。ガイドブックによると午後4時くらいまで便がある(現地で要確認)。
バスターミナルは町の北部にあり、バスは、榕江大橋という橋を越えて町を出る。
トン族の村は、都柳江という川に沿って形成されており、従江に向かう道路もこの川沿いを走る。
バスターミナルから中心部までのメインストリートは、一本道の”古州北路、古州南路”で、中心部の道沿いには、観光地として売り出し中の郊外のトン族の村を紹介した石碑が一定の間隔で並べられている。
”古州北路”沿いには、「愛国主義教育基地之紅七軍軍部旧址」という革命遺跡がある。
榕江の街自体は、特に見所はないが、トン、ミャオ、スイ、ヤオなどの少数民族が84.4%を占めるので、街中で民族衣装を着た女性を見ることができる。
郊外にトン族の村が点在しているので、そこへのアクセスの基点として滞在する人が多いようで、欧米人の姿も見かけた。
榕江大橋を渡りってから川沿いに15キロに渡って大小20前後の”三宝トン寨”といわれているトン族の村が延々と点在しているが、全ても見るのは、大変。
榕江県城から5キロで三輪タクシーで行けるところにある”天下第一トン寨”と入口に看板が立っている古榕群景区は、アクセスが便利な分、多少観光化されていそうな雰囲気。
ここは、従江に向かう際、前を通った。
榕江県人民政府網
http://www.gz.xinhuanet.com/zfpd/qdnz/rj/
◎従江(県)
従江は榕江からさらに東にいった、貴州省と広西省のほぼ境界に位置する、榕江よりもさらに小さな町で、中心地は丙妹鎮。
従江からのバスは、榕江は頻発しているが、黎平へは便数が少なく、道も悪い。
従江から広西の三江までの道は、舗装されていない道がほとんどで、広西に入るとさらに悪くなる(所要約3時間)。
途中、富禄という苗族とトン族が住む集落を通り過ぎる。車窓から民族衣装を身にまとった女性の姿が多く目に入る。
トン族女性の髪型はかつての日本人のように、長い髪をゆるく結っていて、櫛などを挿している人が多い。
このあたりは貴州に隣接しているが、広西になり、貴州のように中国1.2を争う貧困省ではないので、政府の補助が少ないのか、人々も貧しく、道路も貴州ほどよくない。
従江郊外には見所が多くいが、原始の生活を守る苗族の村「岜沙苗寨」が一番の見所。
「岜沙苗寨」行きの乗合バン(いわゆる面包車)は、従江大橋を渡った突き当たりにある(所要15分、5元)。
バスターミナルで、バンをチャーターしないかとお声がかかるが、言い値は様々だが、かなり高い(50〜100元前後)。
その他、苗族の村「豊登」、トン族の歌の里「宰蕩」、トン族の村「高増」、貴州省で最大規模の鼓楼「増冲鼓楼」、トン族の歌の里「小黄」などがあるが、アクセスはやや不便。
従江県には、ミャオ、トン、ヤオ、チワン族などの少数民族が31万人暮らしており、少数民族が人口に占める割合は94%と非常に高い。
中共従江県委宣伝部
http://www.gz.xinhuanet.com/zfpd/qdnz/cj/
黔東南州人民政府
http://www.qdn.gov.cn/
◎岜沙(BIA-SHA)
岜沙は、従江県城から約7.5キロの山の上にある5つの村からなる約422世帯が暮らす苗族の村で、苗族古来の文化を今でも色濃く残していることから“苗族文化の生きた化石”と呼ばれている。
ここを一躍有名にしているのが、1000年受け継がれているという古代武士の習慣の一つである男子の髪型で、日本人との関連も指摘される、ちょんまげスタイルである。
男性は、腰に鳥槍(鉄砲)、葫芦(ひょうたん)、牛角、[石欠]刀(ナイフ)をさし、肩に火薬槍をかける。
女性は、髪をゆるく結い、木の櫛をかんざしのように髷に刺し、服装は苗王方印の図案の三角形の前掛けをして、プリーツスカートなどをはく。
従江大橋の行き止まりから乗った相乗りミニバンは、15分程で集落が両脇に広がる道路沿いに停車した。
どうやら観光地化が始まってしまったようで、真新しい木造の民族文化展示室兼お土産屋や、木製の道案内看板などが出来ていたが、人が近づいてきたり、チケット代を要求されるようなことはなかった。
通常はチケット代を払うようで、ネットには10元となっていた。
オフシーズンのためか、道路沿いの集落の入口らしきあたりにはほとんど人影がない。
それとも観光開発とは関係なく、皆外の畑で労働中なのかもしれない。
しばらくこの道路沿いに前に進むと、右側に小学校発見!
今まで写真でしか見たことがなかった岜沙の子供たちが大勢校庭で遊んでいるぞ!
子供でも男子はちゃんと、例の有名な日本のサムライのようなちょんまげスタイルをしているのを見たときには、本当に感動した。
子供達の服装は、女の子はほとんど民族衣装姿で、男の子の着用率も比較的高い。
岜沙の男子の髪型は、頭頂部だけ髷のような長い部分を残し、その周りを剃るというスタイルだが、子供の場合、そうしょっちゅう髷部分の周りは剃らないようで、髪が少し伸びた坊主頭である。
成人男性の場合は、おしゃれに気を使っているのか、髷部分の周りはこまめに剃っているようで、ちょんまげが際立っている。
中には、靴を履いていない子もいて、突然現れた侵入者に興味深々の様子。
持ってきたキシリトールガムを何人かにあげると、すごい数の子供達に取り囲まれてしまった。
そして、ポテトチップがあったことを思い出し、おもむろに取り出すと、子供達の手が次々と袋の中に入ってくる。
子供達は目がキラキラしていて、純粋でかわいい。
チャイムがなったけど、お菓子の誘惑には勝てないようで、数人残っていたが、やはり授業が大事!名残惜しそうに、教室に戻っていった。
次回は、文房具などもっと役に立つものを持ってこようと思った背包族であった。
小学生達もいなくなったので、道路沿いから右側に広がる集落に下りていってみる。
しかし、石段を下りていっても民家は点在しているが、人影が全くない。
と思ったら、民家の窓から私たちを見ている人を発見。家にいるのは女性のようだ。
今度は左側にあるステージ横から下に下りて別の集落に入ってみる。
どうやらこちらのほうが規模が大きいようで、民家がたくさん集まっている。
途中見かけた木造の家を除いてみると、そこは大工さんの作業場のようで、青い土布の上下を着た岜沙青年が、丸太を削っているところだった。
また、田舎道に戻ると、おじさん2人を発見!でもこちらは特色ある髪型も、民族衣装も着ておらず、どこにでもいる漢族の民工のような格好をしている。
彼らは外部から工事にやってきたのかもしれない。
今度は、ちょんまげ姿のおじさんに遭遇。腰には何か下げているようだった。
村落が密集するあたりまで来ると、1階の豚小屋兼作業小屋で普通の服に民族衣装のプリーツスカートを穿いた岜沙の女性が、藍染めの布を木製の杵のようなもので一生懸命叩いていた。
この光景は、広西のトン族や苗族の村でもよく見られるもので、叩くことで繊維が軟らかくなり、着心地がよくなるらしい。
私と旦那もこの布叩きをやってみたが、なかなか大変だった。
この女性は恥ずかしがっているもののとてもフレンドリーで、家を見学させてくれるとのことなので、早速2階にあがらせてもらう。
木造家屋の造りは、他の少数民族と大差がないようだが、やはり伝統的な生活をしているようで、実用的な手仕事で作った民俗工芸が置かれている。
雲南のシーサンパンナで見たことがある竹を編んで作ったご飯を入れる携帯用の入れ物や皮製の刀の鞘、すばらしい模様に蝋が塗られ吊るし干しされている藍染めをする前の布片など、興味深いものが多い。
見学されてもらったお礼に旦那がミカンを1つあげていた。もっとたくさんもってくれば良かった・・・。
村落から道路まで戻ると、ちょうど従江県城から来たミニバンから、すばらしい衣装の若い女性3人と男性1人が降りてきた。
あぁぁぁ!この若いちょんまげ姿のいい男どこかで見たことがある!たぶん、4Travelの”Jin”さんの旅行記のお写真に映っていた人に違いない!
かっこいいから3人も奥さんいるのか?と疑ってしまった。
それから、このミニバンに乗り込み同乗者をしばらく待つがなかなか来ない。
ミニバンに乗って客待ちしていると、また超クールな(ちょんまげが超似合うけど、たぶん日本人の好みではないかも)岜沙男性が、近づいてきたので、そのまま車からドアップで写真をとらせてもらう。
自分のスタイルにすごく誇りを持っている(ある意味ナルシストかも)ようで、お金は全く要求してこない。
やっとちょんまげ姿の上に帽子を被り、普通の服を着た若い男性が乗ってきたが、やはりまだ定員不足なので、行きよりは高い8元(2人で16元)で、行きの際の乗り場がある橋の突き当たりではなく、バスターミナルまで行ってもらうことで交渉成立。
こんなに素敵な写真をたくさんとったのに、デジカメの故障でデータが消えてしまった。
旅行の時点では、デジカメの画面で見られてたのに・・・。
貴州の他の地域は遠いからもう二度といけないかもしれないけど、岜沙は都合がよいことに桂林から比較的近いので、また来られるかもしれない。
いや、またぜひ来てやる、文房具もって、と意気込む背包族であった。
《古鎮遊》の岜沙旅行記(中国語)
http://www.sozhen.com/default/townarticle_35.html
◎三江
三江は広西にあり、桂林から比較的近いので何度も訪れている。
三江−龍勝は通常所要時間1.5時間ほどだったが、最近道路の拡張工事中で、所要約3時間ほどかかる。
◎龍勝
チワン族とヤオ族の棚田が有名な広西の有名観光地で、桂林から日帰りで行ける。
龍勝温泉という温泉もあり、2,3年前にリニューアルし、高級ホテルが立つようになった。
龍勝−桂林はバスで所要1.5時間〜2時間。
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◎青岩古鎮
アクセス:
貴陽市花渓区の南1.2キロに位置する。
貴陽客車站から青岩行きのバスが出ている。
約360年の歴史を持つ明清代の古楼、石畳、古寺庙、石牌坊,古民家、古木などが見所の貴州省の割りとメジャーな古鎮。
見所:
青岩八牌坊−古鎮の東西南北四箇所の門に八つの石牌坊があったが、1960年代に五つが破壊され、現存するものは三つとなっている。
青岩九寺−竜泉、慈云、観音、朝陽、迎祥、寿佛、圓通、鳳凰、蓮花。
青岩八廟−薬王、黒神、川祖、雷祖、財神、孫[月賓]、東嶽。
青岩五閣−奎光、文昌、云竜、三官、玉皇
青岩二祠−班麟貴土司祠,趙国[シ樹-木]祠
趙(以炯)状元故居、青岩書院,万寿宮、水星楼、青岩冷杉。 -
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●儺戯nuó xìについて
写真はこちらで。
中国非物貭文化遺産網
http://www.zh5000.com/JS/mianju/tianxi5.htm
*貴州の無形文化遺産、若者ら担い手に 努力実り
中国無形文化遺産リストの第1集に選ばれた518項目のうち、少数民族が多く集まる貴州省からは、トン族の民謡「トン族大歌」、琵琶歌、儺戯(鬼やらい)、花灯戯(戯曲の一種)など31項目が選出された。貴州省では近年、各民族の無形文化遺産の保護と発展に力を注いでいる。貴重な遺産の整理、発掘、研究に組織的に取り組んでいるほか、青少年へこれらを広めることで、伝承が危ぶまれた多くの文化遺産が輝きを取り戻している。
人民網日本語版より
http://j.peopledaily.com.cn/2006/06/12/jp20060612_60527.html
*「中国鬼やらい文化シンポジウム」が開幕 貴州省
貴州省の徳江県で28日、国内外の学者100人余りが参加する「2003中国梵浄山儺(鬼やらい)文化シンポジウム」が開幕した。「儺(おにやらい)」は元々、古代中国人が悪鬼を払う厄除けのために行った一種の巫術儀礼。殷周時代(紀元前17世紀初期〜紀元前771年)にはすでに行われており、後に宗教と娯楽が一体となった仮面劇「儺戯(鬼やらい劇)」に変化した。「儺戯の里」と呼ばれる同県に伝わる「儺戯」は、現存する世界最古の初期演劇。写真は、仮面を被った「儺戯」役者。
人民網日本語版より
http://j.peopledaily.com.cn/2003/10/29/jp20031029_33586.html
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