富山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 糸魚川では「カチューシャの唄」、「春よ来い」、早大校歌「都の西北」などの作詞で知られる相馬御風(そうま・ぎょふう1883−1950)の生家を訪ね、JR大糸線で信濃大町に出て扇沢経由で黒部ダムに向かった。<br />黒部ダムは1956年から7年の期間と延べ1000万人の労力をかけて建設された。アーチ式ドームの高さは日本一の186mで、黒部川第四発電所の年間発電量・約10億kWhは、一般家庭約30万戸の1年分の消費電力に相当するそうだ。黒部ダム建設の苦難は木本正次(1912−1995年)が「日本人の記録・黒部の太陽」に著した。1968年には木本正次の原作に基き石原裕次郎(1934−1987年)と三船敏郎(1920−1997年)の2つの独立プロの共同製作で、熊井啓監督、石原裕次郎、三船敏郎らのキャストでの「黒部の太陽」が映画化された。石原裕次郎は後に「黒部の太陽」は生涯で最も情熱を注いで製作した映画だと語っている。独立プロとして初めての製作で多くの苦労があった石原裕次郎の執念を感じさせる作品だった。多大な労力をかけ苦難の末に完成した日本一のアーチ式ドーム・黒部ダムと黒部湖の景観は素晴らしかった。<br /> 富山では富山市役所の上部から市内の光景を見て、この旅で最後に観光した高岡では座高9・77mの青銅製坐像で北陸有数の大仏を拝観した。<br /> 富山県出身者の文学作品で最も印象に残るものは、プロの作家では無いが140万部を超える異例のロングセラー・井村和清著、1980年刊の「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」だ。井村和清(1949−1980年)は砺波市に生まれ医師になり沖縄県立中部病院、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務するが1977年に右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後に義足で職場に復帰するがまもなく肺への転移が見つかり自ら「余命6カ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りながら死の1カ月前まで医療に携わり、1980年1月、31歳の若さで砺波市内の自宅で亡くなった。「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」では「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい」と末期がんとの闘病生活の中で、妻倫子、長女飛鳥、そして当時、倫子の胎内にいた二女清子への思いのすべてを吐露している。1982年には名高達郎 、竹下景子主演で映画化され、テレビドラマ化や韓国語に翻訳もされている。この著書が長期に渡って愛読されているのは死に直面した時に子供達への愛情に満ちた遺言を残す一方、医師らしくがんとの壮絶な闘いから逃げず、生への執着をみせ最期まで医療に献身する姿が感動を呼んだことは勿論だが、同時に井村医師は「将来は老人が安心してリハビリできる病院を作りたい」という夢を抱く、「医師に最も求められている患者を思いやる優しい人柄」であったことも見逃せない。井村医師は医師であると同時に義足を付けた身体障害者であり、がん患者であった。身体不自由者の立場から健康な人達に「健康の喜びと感謝の気持ちを持つこと」を呼びかけている。<br /><br />あたりまえ<br />こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう<br />あたりまえであることを<br />お父さんがい<br />るお母さんがいる<br />手が2本あって、足が2本ある<br />行きたいところへ自分で歩いてゆける<br />手をのばせばなんでもとれる<br />音がきこえて声がでる<br />こんなしあわせはあるでしょうか<br />しかし、だれもそれをよろこばない<br />あたりまえだ、と笑ってすます<br />食事がたべられる<br />夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる<br />空気をむねいっぱいにすえる<br />笑える、泣ける、叫ぶこともできる<br />走りまわれる<br />みんなあたりまえのこと<br />こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない<br />そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ<br />なぜでしょう<br />あたりまえ<br /><br />健康であることをあたりまえのことと考え、感謝をしないことへの戒めの言葉には反省しなければならない。井村医師が患者に優しかったのは、自身が身体障害者かつ病身であり、患者の気持ちを良く理解できたことが大きいだろう。米国での「身体不自由な医師−Disability Doctor」の採用の是非を問う記事を読んだことがあるが、「身体不自由者の気持ち」を理解しながら心のケアもできる点で「身体不自由な医師」の存在は大切なことだと思う。井村医師の死後薬剤師の妻倫子は、故郷沖縄県石川市に薬局を開業し井村医師の遺志を継いで2人の娘を立派に育てあげたそうで頭が下がるばかりだ。<br /> 1993年の13日間のみちのくの旅は未知の世界を見て、新しい知識をたくさん教わった素晴らしい体験の旅だった。<br />(写真は黒部ダム)

日本の旅 みちのく文学を辿る【12】 黒部ダムと富山市

3いいね!

1993/05/22 - 1993/06/03

6199位(同エリア7662件中)

0

19

さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

糸魚川では「カチューシャの唄」、「春よ来い」、早大校歌「都の西北」などの作詞で知られる相馬御風(そうま・ぎょふう1883−1950)の生家を訪ね、JR大糸線で信濃大町に出て扇沢経由で黒部ダムに向かった。
黒部ダムは1956年から7年の期間と延べ1000万人の労力をかけて建設された。アーチ式ドームの高さは日本一の186mで、黒部川第四発電所の年間発電量・約10億kWhは、一般家庭約30万戸の1年分の消費電力に相当するそうだ。黒部ダム建設の苦難は木本正次(1912−1995年)が「日本人の記録・黒部の太陽」に著した。1968年には木本正次の原作に基き石原裕次郎(1934−1987年)と三船敏郎(1920−1997年)の2つの独立プロの共同製作で、熊井啓監督、石原裕次郎、三船敏郎らのキャストでの「黒部の太陽」が映画化された。石原裕次郎は後に「黒部の太陽」は生涯で最も情熱を注いで製作した映画だと語っている。独立プロとして初めての製作で多くの苦労があった石原裕次郎の執念を感じさせる作品だった。多大な労力をかけ苦難の末に完成した日本一のアーチ式ドーム・黒部ダムと黒部湖の景観は素晴らしかった。
 富山では富山市役所の上部から市内の光景を見て、この旅で最後に観光した高岡では座高9・77mの青銅製坐像で北陸有数の大仏を拝観した。
 富山県出身者の文学作品で最も印象に残るものは、プロの作家では無いが140万部を超える異例のロングセラー・井村和清著、1980年刊の「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」だ。井村和清(1949−1980年)は砺波市に生まれ医師になり沖縄県立中部病院、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務するが1977年に右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後に義足で職場に復帰するがまもなく肺への転移が見つかり自ら「余命6カ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りながら死の1カ月前まで医療に携わり、1980年1月、31歳の若さで砺波市内の自宅で亡くなった。「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」では「死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい」と末期がんとの闘病生活の中で、妻倫子、長女飛鳥、そして当時、倫子の胎内にいた二女清子への思いのすべてを吐露している。1982年には名高達郎 、竹下景子主演で映画化され、テレビドラマ化や韓国語に翻訳もされている。この著書が長期に渡って愛読されているのは死に直面した時に子供達への愛情に満ちた遺言を残す一方、医師らしくがんとの壮絶な闘いから逃げず、生への執着をみせ最期まで医療に献身する姿が感動を呼んだことは勿論だが、同時に井村医師は「将来は老人が安心してリハビリできる病院を作りたい」という夢を抱く、「医師に最も求められている患者を思いやる優しい人柄」であったことも見逃せない。井村医師は医師であると同時に義足を付けた身体障害者であり、がん患者であった。身体不自由者の立場から健康な人達に「健康の喜びと感謝の気持ちを持つこと」を呼びかけている。

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがい
るお母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

健康であることをあたりまえのことと考え、感謝をしないことへの戒めの言葉には反省しなければならない。井村医師が患者に優しかったのは、自身が身体障害者かつ病身であり、患者の気持ちを良く理解できたことが大きいだろう。米国での「身体不自由な医師−Disability Doctor」の採用の是非を問う記事を読んだことがあるが、「身体不自由者の気持ち」を理解しながら心のケアもできる点で「身体不自由な医師」の存在は大切なことだと思う。井村医師の死後薬剤師の妻倫子は、故郷沖縄県石川市に薬局を開業し井村医師の遺志を継いで2人の娘を立派に育てあげたそうで頭が下がるばかりだ。
 1993年の13日間のみちのくの旅は未知の世界を見て、新しい知識をたくさん教わった素晴らしい体験の旅だった。
(写真は黒部ダム)

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル
  • 糸魚川の相馬御風(そうま・ぎょふう1883−1950)の生家。「カチューシャの唄」、「春よ来い」、早大校歌「都の西北」などの作詞で知られる。

    糸魚川の相馬御風(そうま・ぎょふう1883−1950)の生家。「カチューシャの唄」、「春よ来い」、早大校歌「都の西北」などの作詞で知られる。

  • 糸魚川駅前の光景。

    糸魚川駅前の光景。

  • 信濃大町駅前の光景。

    信濃大町駅前の光景。

  • 大糸線から見る白馬岳。

    大糸線から見る白馬岳。

  • 扇沢周辺の光景。

    扇沢周辺の光景。

  • 黒部ダム。

    黒部ダム。

  • 黒部湖の光景。

    黒部湖の光景。

  • 黒部湖の光景。

    黒部湖の光景。

  • 黒部湖周辺の光景。

    黒部湖周辺の光景。

  • 黒部湖周辺の光景。

    黒部湖周辺の光景。

  • 黒部湖周辺の光景。

    黒部湖周辺の光景。

  • 黒部湖周辺の光景。

    黒部湖周辺の光景。

  • 黒部ダム。

    黒部ダム。

  • 富山市街の光景。

    富山市街の光景。

  • 富山市街の光景。

    富山市街の光景。

  • 富山市街の光景。

    富山市街の光景。

  • 富山駅前の光景。

    富山駅前の光景。

  • 高岡の座高9・77mの青銅製坐像で北陸有数の大仏。

    高岡の座高9・77mの青銅製坐像で北陸有数の大仏。

  • 高岡駅前の光景。

    高岡駅前の光景。

この旅行記のタグ

3いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP