1970/08 - 1970/08
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片瀬貴文さん
家が決まり、子供を学校に入れ、車を買ってようやく落ち着いたと安心する間もなく「五月革命」が始まった。
街は日に日に騒々しくなる。
国鉄や地下鉄が止まり、そのうち空港が閉鎖され、パリは陸の孤島となった。
カルチエ・ラタンの学生街では舗装の敷石で砦が築かれ、「ジャン・クリストフ」そのままの市街戦が繰り広げられた。
やがて、店頭から米や砂糖が消え、ガソリンがなくなり、学校が閉鎖。
子供や家内は、停電続きの狭いマンションに閉じ込められて行き場所がなく、不安の日々を送る。
一番のショックは、引っ越し荷物がマルセーユの倉庫に放置され、到着の見込みが立たないことだった。
結局4ヶ月到着が遅れ、その間旅行カバンひとつ。
ほとんど着の身着のままだったが、慣れるに従って簡素な生活の良さを知り、大げさな荷物が馬鹿々々しかった。
五月革命の期間中、町の機能はほとんどが麻痺したが、私は毎日渋滞でほとんど動かない車を運転して事務所に通った。
休日にはガソリンを探しに、遠くまでドライブする。
はじめ50キロ離れれば買えたのだが、次第に100キロ、150キロと買い出しの距離が延び、ついには往復するだけでガソリンを食ってしまい、何のための買い出しか分からないほどになった。
パリで予定されていた国際会議は急遽ブラッセルに移され、残された唯一の国外脱出手段である臨時チャーターバスに揺られて、ベルギーを往復する。
ベルギーに滞在中のわずか二〜三日にフランス・フランは二割近く下げ、ホテルの支払いで損をする。
家内に頼まれた土産は米。
出張はまるで買い出しだった。
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